マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

園田穴場カフェ  スパイシーな親族関係

2011-05-30 00:21:41 | 

阪急園田。梅田から4駅、わずか9分で来れる。

来れるくせになかなか用事がないと、神崎川を越えることがなく。 

神戸に用事のある時は寄りたいと思うのだが、今度は途中下車がなかなかしにくく。

だが、久々にやってきた。 駅ウラで知る人ぞ知る、超穴場「Cafe SINRA」。

静かな店で、のんびりできる。 何より気を使わないで済む。 なんせ主人は従兄なんだから。





スパゲッティ・メランザーネ  

いつもは珈琲やビールなのだが、ちょっと小腹がすいていた。うん、美味いではないか。

優しいトマトソース。 もっと早くに気がついて、食っときゃよかった。

ここから、7日経過して・・・





今度はカレーにしてみた。 チキンカレー。

インデアンカレーが好きという主人。 

カフェなのに、スパイスをあれこれゴリゴリ調合して作るソースがいい味を出している。

第一、メシに合う。 ごはんに合わないカレーは私にとってカレーではなく、インド料理だ。

人気のキーマカレーもあると言われては、食っておくしかないではないか。








カレーソースを客の手前に向けるのは、主人のこだわり。 

合挽きミンチを使い、普通のカレーソースよりスパイシーにしてある。

どちらも美味かったが、日にちがたつにつれ、このキーマカレーの方が印象に残る。

なるほど、これ一辺倒の老婦人がいるというのもわかる。 この老婦人も実は親戚なのであって・・・。







皿を舐めたい衝動に駆られたが、さすがに親族でもそれははばかられ。

野菜も伯母が畑で作ったり、有機野菜を使ったり、なかなかこだわりの人なのである。

思えば祖父が器用な人で、薬剤師をしたり、箱寿司の職人をしていたこともあるので、

その血をひく伯父はもちろん、手先が器用。 孫のシンラ主人も器用というわけ。

そっちの遺伝子はどうもこっちには流れていないようであり・・・。





彼は一時バンジョーを弾いていた。 最後の日も楽器が店内においてあったから、また始めるかな。

この日、5月24日が7年間続いた最終日となった。

撮り忘れたが、珈琲もむろん、よござんした。 カレーもパスタも、大袈裟だがもはや幻の味となり。

今月忙しいというので、西天満の靴屋みたいに、閉店セールをずっと続けるか・・・などと言いながら。

親族といっても、そうそう彼のカレーを食べるチャンスなどない。 法事の時にたのむかな。



          Cafe・SINRA     尼崎市東園田町9丁目  ファミリー家具のウラあたり(にあった)



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千里の道も焼き肉丼から

2011-05-27 01:21:40 | 


ここへ行くかぎりは、腹ペコで出かけたい。

阪急淡路から北千里線に乗り換え、南千里で降りる。
酒も飲みたいので、もちろん電車である。





まずはキムチなんぞを取って、ビール。





スタミナてっちゃん炒め(だったかな)。 飲める一品ものが増えたとのこと。 望むところである。





牛スジこんにゃく。 こんなのも無かった。 

ビール、ハイボール、赤ワイン・・・と、酒が止まらない。





白ネギガーリックサラダ。 水で晒してあるのかな、ネギのクセが抜けて食べやすい。
血がサラサラになるような気になるではないか。





温玉キャベツサラダ

タマゴは即座にこんなふうに割って・・・


ともかく、ここへ来たら、店の看板である「おぼ丼」を食べねばいられない。

焼き肉丼であるが、独自の濃い味のタレによって食欲倍増は必至。

和牛のタレ焼きが目の前で煙を挙げる。 何をかいわんや。 肉、ごはん共に大盛りにした。





この様子の良さ。 こいつはチマチマ食べてはいけない。左手でがっしり丼をつかみ、

肉・メシ・肉・メシ…と一心不乱に掻っこむのが正しい。これが食えるうちは、まだまだ人生いける。





何かたのんだが、忘れた。 もう人生ダメか・・・   いやいや。

 



意外や人気というので、ソーセージもたのんでみた。 

ソーセージ、美味い。ようできてるなぁ。





何より、店長がこのお嬢さん。 こないだまでAKBにいなかった?という感じだが。

むくつけき男が焼く肉もいいが、様子のいいお嬢さんに微笑みを持って焼かれる肉は美味い。

焼かれる肉だって、悪い気はしないはずだ。  もはや腹いっぱい、空を仰ぎながら帰った。


                   精肉屋の焼き肉丼  おぼや     吹田市千里山竹園2 


      

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見た目はいかついが・・・。

2011-05-24 22:19:09 | Weblog




うひょ~、知らない人にはナンダこいつ!! である。

姿は見れば見るほどおぞましく、可愛げのない宇宙生命体のようだ。私の名はゴア…みてぇだ。
長らく関西に入ってなどこなかったから、ダメな人は多いだろうな。





海鞆と書いて、ホヤ。石巻など三陸の名産品。 今回の大震災ではおそらく被害甚大。

天満の天神さんのおひざ元、「にこ」にて、ホヤの塩辛。

流されて亡くなった関係者にひとり献杯す。
 




色はウニに近いが、食感はマンゴーの果肉に近い。
だが、甘みはなく、グイッと噛むとたちまち海の香りが広がる。





大阪天満宮あたり、いいだろう。静かで。

天神祭となると、この門前はガゼン騒がしくなる。





ホヤに戻すが、東京で初めて注文した時には驚いたのなんの。
酢のもので出てきた、その第一印象は

「うわぁ~な、なんだ、この鉄棒を舐めてるような味は! 」

金っ気というか、金属の味がした。
こりゃ無理だと思った。


今は厚かましくなって、へっちゃら。
ホヤの風味膨らむところへ燗酒を流し込む気分はこたえられない。
ビールの小さいのをいただき、京都の澤屋まつもと、石川の常きげんの燗酒。


こいつと同様、姿の悪いナマコのこのわたと合わせ、
叩いて塩辛にしたものを、莫久来(ばくらい)という。
これがまた、日本酒が進むんだよなぁ。

よくぞ海国日本に生まれけり。


今の若けぇのは、海の歌っつうとスグに、

「海は広いな~大きいな~」

と歌いやがる。

そんなアホみたいな歌詞、歌うなっていうの。

「わ~れ~は海の子白波の~騒ぐ磯辺の松原に~」 

こっちを歌えっつうの。

我が懐かしき住処なれ…にジンと来るっつうの。



            立ち呑み家にこ    大阪市北区天神橋1丁目付近


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けつね、なんて言うもんか

2011-05-20 06:02:59 | 


日本一長いといわれる天神橋筋商店街をアーケードの端まで来ると、天神橋筋6丁目。

大阪人は「テンロク」とよぶ。

横断歩道を渡って、大川方面に渡ると天7。  どうよ、このインパクト一発の大阪商法。





アゲガデカイ! では外国人の感嘆文のようだ。

アタシなら、アゲがデカイ!としたい。

けつねうどん、と大阪人が言うらしいと知ったのは、ガキの頃、漫画か何かだった。

本当にけつねうどんと注文してる人は、今まで会ったことがない。 シャレてわざと言う人はいても。

昔、河内の国ではなまって、けつねうろん、と発音したのかもしれないが。




あげがでかい、と言われても。  すじうどんに昆布をオプションで。

いい出汁が出てる。 大阪人は出汁にゃあうるさいよ。 

出汁と書いて「だし」。

知人の女性は、この漢字を彼氏に見せて、「これ何て読む?」  彼氏は少し考えて、「しょっつる!」

しばらくして別れたらしい。





相方が選んだのはカレーうどん。  

世の中シャバシャバなだしにカレー粉を混ぜたカレーうどんもあるが、

あたしゃ、こっち派だな。めしにかけると、そのまんまカレーライスになりそうなやつ。




すじ丼だったかな、たのんでからバカなことをした、うどんの中身と同じやがな。

ムショから出たばかりで、肉に飢えてるヤツみたいぢゃないか。

しかもピンボケ。  スジの中に入ってる、あの皮みたいなものは何だ。





相方が頼んだ、かやくごはん。 これもカレーうどんの合いの手としては失敗。

やはりカレーうどんには白ごはんがベストカップル。

うまいなぁ、かやくごはん。 しみじみ…。 

東京ではあんまり出会うことがなかったな。五目めしなんて言われたら、気分が出ないことこの上なし。

釜めしもなぁ、ちまちま炊くのはどうも性分に合わない。

大釜で炊いたアツアツのかやくごはんを、湯気にむせびながら、ハホハホ・・・と食べたい。


 *大阪ことば事典(牧村史陽編)によると、けつねの方が大阪の古いことばらしい。 おみそれしました。


 

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どこへ翔んだか、雀鮨

2011-05-15 01:10:14 | 

大阪市内の西を南北にはしる四ツ橋筋から、東へ入ったところに「筋違橋(すじかいばし)」があり、
その名の通り、昔は西横堀川にいびつな格好で橋がかかっていた。
そのたもとに鮨の有名店が長くあることから、洒落て「寿司買い橋」などと呼ばれていた。


ところがである・・・




な、な、ないのだ・・・

この角に、長らく大阪人が親しんできたはずの、大阪寿司の超老舗があったはずなのだが…。





過去素材から引っ張り出すが、ここには「小鯛雀鮨 すし萬本店」があった。

それが、どうみてもあれへん・・・!




明治期の商家造りで、もうこんな家、二度と建たないと思っていたが、

これをきれいさっぱりつぶされ、さら地にされるとは・・・いや、まいった。 ブン屋も騒がなかったのか?

何があったのだろうか。 犬山の明治村へでも行ったか? ネット探すも判らず、誰か知らないか?





ここは全部とは言わぬが、一部の寿司飯を今だに薪のおくどさんで炊いていた。

長年の煤(すす)でいぶされた厨房を記憶する。

本丸ともいえる基幹店を手放すとはどういうことなのか。 会社の屋台骨の方は大丈夫なのか。


それにしても、現在、大阪人は自ら大阪寿司を見限ろうとしているのが非常に気になる。

寿司屋は江戸前仕事の真似ごとばかりして、大阪寿司なんて眼中にない。

あちらさんは文化文政の頃、たかだか二百年の歴史しかない新参者よぉ。

その前は、江戸も関西流の押し寿司・箱寿司の歴史が長く続いたのである。




上は「すし萬」の小鯛雀鮨。下はのちに考案された、阿奈古鮨。


さば寿司を大阪寿司と認識する向きもあろうが、鯖なんてものは昔はいくらでも獲れたものであり、
祇園祭や天神祭の際に、鯖の押し寿司を家々でこしらえたというから。ちょっとしたハレの寿司だった。

 
同じ鯖使っても、バッテラとなるとグッとくだけて庶民的。あれは酢をした薄い鯖の身をヘギのように、
めしに張っ付けて行く、いわば鯖のジグソーパズル。寄せハムみたいなもんだからま、安価だった。


やはり花は桜、魚は鯛! 上品な小鯛の押し寿司となると、特別なご馳走であった。


大阪寿司は半日ほど時間がたってから食べると、馴れ味となって一層うま味が増す。
よって、その場ですぐ作れ、食べて美味い江戸前の方が、対面の商売としてはやりやすい。
大阪寿司は保存も考えて甘めにできているので、当然、酒というより、お茶に合う。
江戸前だってお茶で寿司というものの、あれだけいろんな魚があれば、当然「酒」となってしまう。
客単価は上がる。店は大いに助かる。


大阪寿司は厨房で作り、持ち帰るもの。江戸前の職人は客前に立ち、しゃべり7分なんて人もいる。
キリリとねじり鉢巻きなんか締めて、つけ場に立つ姿はいきとかいなせと言われる。
そこへいくと、大阪寿司の職人は地味。箱すしの箱を回転させ「コ~ン!」と鳴らすのなんか、
なかなかいいもんだが、キレのある江戸前職人の方がインパクトがある。


しかし、うちの祖父がかつて大阪寿司の職人をしていたから言うんぢゃないが、
大阪寿司を忘れていいわけはない。


いつまでも箱寿司の「吉野寿司」(すしの字がちがう)、雀鮨の「すし萬」、ちらしの「たこ竹」だけでは
いずれなくなってしまうと思われる。 それでいいのか。 
東京銀座と同じレベルが大阪で食べられる…なんて、手放しで喜んでばかりいていいのか。


我こそはという職人よ出でよ。 
大阪寿司の技術の継承が急務である。 まずはそこをクリアし、
その後、大阪寿司と江戸前寿司のいいとこ取りで商売すればいいぢゃないか。

今は技術を受け継ぎ、自分が引き継いで正しい仕事を伝えて、
未来の大阪に大阪寿司の花を咲かせようという、そういうイキのいいのに出てきてもらいたい。
もはや、大阪寿司は絶滅レッドゾーンにあるのは確実である。
なくしてから、「ドド」や「リョコウバト」や「ニホンオオカミ」のことを思っても、あとのまつりなのである。



      大阪市中央区高麗橋4丁目  筋違橋のたもと 「小鯛雀鮨 すし萬本店」前にて


 

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