マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

スイング・バッパーズで立ち飲み

2007-01-31 16:28:15 | 

二十台後半の頃、よく見に行ったジャンプブルースの吾妻光良。
彼のスイング・バッパーズの公演があり、ミナミに出かけた。

ウィットに富んだ歌詞が彼の魅力でもある。ジャンプ・ブルースの大立者ルイ・ジョーダンの「Beans&Corn Bread」が、彼にかかると「ラーメンとライス」になったりする。ルイの世界を現代に体現する第一人者だろう。ピックを使わぬギターもバカうま、申し分なし。
同時にテレビマンでもある。音声出身で、いま技術会社の社長である。

ライブの前飲みに、独りなんばウォークの「赤垣屋」に立ち寄る。
  
どて焼きと、湯豆腐で、お湯割り。
サッと切り上げて、ライブ会場へ。

吾妻のギターにピアノ、ベース、ドラムの4人+ホーンセクションが8人。客席は若いのが多く、ほぼ満席。昔とエラク変わらないのに、なんだこの人気は…。でもここからジャンプ再発見してくれればいいな。

ライブがはねて、またちょいと一杯となる。
ミナミ奇跡の立ち飲み、「カナマターク」へ。この名前、子供が「仲間パーク」を言いそこ間違いして、この名前になったとか。かいらしい。

なまこ酢、サバの南蛮漬、牡蛎の醤油炒め
オレはお湯割り。ツレはビール。なまこはもうちっと硬いのが好み。
グッと人生を噛みしめる感じが、酒飲みにはいいのだ。

「吾妻さんみたいな、上司のいる会社っていいっすねぇ」うむ、ちげぇねぇ。
忘れずポテサラ。ポテサラ・フェチに近い。腹膨れるけどね。

セセリの塩焼き、セロリの漬物
父と娘でやってる店なのだが、娘の表情が柔らかいのがよろし。
こんな家庭的なアトモスフィアの立ち飲みは、そうそうない。
どちらかというと殺伐とした店が多いので。

そろそろお暇…と思っている時に飛び込んできたのが、
「エノキ屋酒店」のぼん、寺岡氏。ものすごく久しぶりに寄った由。
こっちもそう。
そういやぁエノキ屋も家庭的雰囲気の稀少な立ち店の一軒。
よき音楽によき酒、よき人。結構な一夜だった。


オーバーダブの元祖 レス・ポール

2007-01-22 14:00:10 | カントリー



リットーミュージック社刊の「サウンド&レコーディングマガジン」2月号。
レス・ポールの表紙にふと手が伸びた。エレクトリック・ギターのパイオニア。現在も91歳でいまだ現役でライブをこなしているという。恐るべき人物。彼のインタビュー記事が興味深い。

ギブソンのレス・ポールモデルで知らぬ者はいないだろう。
だがその人物に関しては、日本では意外なほど知られていない。

妻MaryとデュエットでリリースしたHow High The Moon(誰が訳したか、邦題/お月さん高いな)。この曲で1951年、9週連続ビルボード誌売り上げランキング1位、白人初のR&B部門の1位にも輝き、確固たる地位を築いた。
一見~これは素敵なチョイといかす~♪のハワイ伸に見えるのはボクだけだろうか。

元々カウボーイソングの歌手で、子供の頃から機械にも明るかったというレスは、早くからテープマシンで自宅録音に手を染めていた。旧知のビングクロスビーが独逸製のテープマシンを「使ってくれ」と運んできたとか。レスの才能を見抜いていたのだろう。
How high…はギターとボーカルを12テイクずつ多重録音し、1時間かからぬうちに仕上げたという。

「メリーがマカロニチーズを作り上げるのに45分間かかるとしよう。それが出来る間に、ボクはアルバムのすべてのギターのバッキングを仕上げ、レコーディングしておくことができたんだ」と言い、何ヶ月もレコーディングにかける今のやり方をいぶかる。

うちのチンケなマルチ・レコーダーに入れるだけでも
ふぅふぅ言ってるオレはどうなるんだ。


神戸の下町洋食

2007-01-22 03:17:13 | 


小さな洋食屋「洋食の朝日」。神戸駅と元町駅のほぼ真ん中にある。
とんかつは油切れもよく、衣も軽い食感で心地よし。

油を見つめる目は真剣。パン粉を落として温度を見極める。
「油を大切に扱え」は先代である父の教えでもある。

よく切れる包丁で一瞬にして切り分ける。ザッザッザッという
小気味のいい音。ビフカツとコロッケ。
かつて、東京日本橋のとんかつ屋で小僧をしていた(バイトに過ぎない
が)ので、その音が耳に残っている。とんかつというと日本食、カツレツというと途端に洋食の感じがする。

火の通し加減は、こんな感じ。
ビフカツに思い入れのあるのはある年代から上。
トンカツがもてはやされる以前、関西はビフカツだった。

たっぷりかかるドミグラスソースは、3日がかりでコトコト焚く。
プリッと海老の入ったクリームコロッケはオプションで。
ポテトサラダもきちんと辛子をきかせてある。

ここが良いのは白いご飯が旨いこと。
おかずが旨くてもご飯がダメなら洋食とは呼びたくない。


ちょいと寂しきふぐの味

2007-01-19 14:54:35 | 

例の会があり、ミナミ法善寺の「南進」へ。

店先に古きよき南地の風情が漂う。だが漂うのは間口数間だけ。
隣りは大人のおもちゃ屋だったりする。
ここは10月~4月まで、つまりふぐの時期だけ開ける店だ。
一階はごちゃごちゃと物置みたいになっていて、客は二階に通される。

二階は昔の料亭風の個室がいくつかあって、駿河湾ごしの富士山がすりガラスに刻まれていたりする。ちょいと趣きあり。

これはお通しのながれ子。いかにも守旧派。お運びのお姐さんたちは全員化粧っ気のない田舎から出てきた感じの方で好感が持てる。だが若干言葉が通じにくいのはご愛嬌。大陸方面の方なので。

皮の湯びき。この中には外側から、鮫皮・とうとうみ(遠江)・身皮の
3種類が入っている。それぞれに食感がちがう。

見事に薄く造ってあるてっさ。メガネの曇りのように見えた…は冗談
だが、一枚二枚はへばりついて見逃したかもしれぬ。

主人は酒をたしなむのだろう。ちょっとした気の利いたふぐの酒肴がある。これは「てっさのからすみ巻き」。あとはとうとうみのこのわた和え、山葵和えなんてのもあったが、品切れとは面白くなし。
噛み切りにくく、一口で行くには勿体なく、結局バラバラにしてカラスミを齧っては熱燗をクイッ。

これとカラスミは追加メニュー。唐揚げ。たくさんはいらないが、
ないと寂しい一品。ぽん酢攻めなので、ちょっと口を変えるには有効。

てっちり。鉄火な男達が命がけで食ったのは見得も虚勢もあっただろうが、昔は一般人の食卓に上がるようなものではなかったのにな。
悪食だし不細工なくせに、身は信じられないほど上品。あたしゃクエよりもこっち派。骨についた身が一番美味いということをしみじみ感じさせられる。やはり鍋あとは・・・

ぞうすい。ちょいと海苔がでしゃばり過ぎのきらいがある。
この卵でとじたのは普通の場合で、こちらにはさらに奥の手が・・・

これが白子雑炊。だしの中にも白子が溶かされ、さらに焼き白子が一人前2個入っている。これを砕きながら食す。塩をパラパラ振りかけると、一層味が深まった。雪のチラつく夜に震えながら、色白美人と差し向かいでこのぞうすいを食うなんてどう。白い白いが白いなりけり。

水菓子の干し柿。メロン出されるより、こちらの方がシブくていい。

てっちりつついてる最中に電話あり、旧友が亡くなったとの報せ。
陽性で大宴会には欠かせぬ人柄だった。ふすま芸でシンクロナイズドスイミングという持ちネタがあった。
彼とはこうして鍋をつつく機会ももうない。 
友逝きてちょいとしょっぱきふくの味 馬骨
この世じゃなかなか会えなかったけど、また、あの世で
ゆっくり飲もうや。な?O島さん。


もう一人のペコちゃん

2007-01-16 02:03:01 | 音楽

          

          


     ペコちゃんセレナーデ (昭25年)

   楽しい夢に膨らんだ 
   赤いジャケツにSOS
   いつでもきちんと八字まげ 
   肩で風切るその歌は

   ペコちゃん いとしのセレナーデ ペコちゃんセレナーデ

   ひらいた花はひまわりか
   娘盛りをはなやかに
   何でもちゃっかり心得て
   風に吹かれて歌いだす

   ペコちゃん かわいやセレナーデ ペコちゃんセレナーデ

   青空ひとみ ジャジャ馬で
   はずむ心のゴム風船
   たまには弾けてため息が
   窓にこぼれるいじらしさ

   ペコちゃん やさしいセレナーデ ペコちゃんセレナーデ

 

  歌笠置シヅ子 作詞東美伊(補作詞 藤浦洸) 作曲服部良一



ペコちゃんが不二家の店頭に登場した昭和25年(1950)。
この年、「ペコちゃんとデン助」(松竹)という映画が作られている。
主演は笠置シヅ子、堺駿二。本家ペコちゃんとの関係は不明。
でも無関係ではなかっただろう。
今となっては「SOS」や「八字髷」などの意味も謎。誰かわかる?

作詞の東美伊は詳細不明で、村雨まさをやレオ・ハッターという
変名を使った服部センセなら可能性もなくは無い。

ことさらペコちゃんびいきでもないのだけど、オレの携帯ストラップは
長らくこのペコちゃんなのです。何処となく笑顔が冴えないが負けるな。