マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

忘れちゃ困る、上方の寿司

2014-12-06 17:22:05 | 

 私らがぼちぼちお金が使えるようになった頃、

 大阪と東京では寿司に関する感覚が大きく違っていた。

 つまりはいかに鮮度の良い魚を活かっているうちに食べさせるかの関西と、

 下ごしらえをきちっとして昆布〆やづけにして熟成させて食わせる東京と。

 浅草弁天山の美家古寿司で江戸前の仕事がされた寿司を目の当たりにして

 驚いた、たじろいだ、喜んだ。 目にも美しい。 やはり寿司は東京だと思った。

 だがこの10年ばかしの間に、こうも江戸前の技法が関西の寿司シーンを席巻することになろうとは。

 たとえば北新地へ行って、江戸前ぢゃない店を探す方が今や難しいのではないだろうか。

 こうなってくると、大阪のべたくさいにぎり寿司が気の毒になり、なんだか肩を持ってやりたくなる。

 さて、ここでいう上方の寿司とは、かようなにぎりとはちとちがう。

 いわゆる箱寿司、棒寿司、押し寿司の類いである。

 私が寿司の歴史説くまでもなく、馴れずしに始まる寿司には長い歴史があり、

 上方の棒寿司、押し寿司の方がにぎりより遥かに先輩格だ。 

 元祖小鯛雀鮨すし萬という、大阪でも最古参の押し寿司の店があるが、元々は江鮒、

 つまりはボラを使った、庶民的なものだった。それを船場の旦那衆の求めに合わせて鯛に切り替えた。

 この箱寿司も同様に、元々は庶民的なものだったという。 


 

      



二寸六分の正方形の木枠で押される箱寿司は、吉野寿司の三代目寅蔵が、

それまで鯖や鯵などで押されたものだったのを、高級素材に変えてハレのごちそうにした。

それが船場の商家にもてはやされ、贈答品に使われるようになった。

芝居見物にももってこいである。押してすぐより時間を置く方が味がこなれて美味しくなる。

見ての通り、鯛・焼き穴子・海老に玉子焼き・こけら。

こけらとは屋根の杮葺きのように少しずつずらして魚が乗ることに起因する。

ここでは海老・鯛・きくらげが乗り、主役である寿司飯の間には上等の椎茸を煮た中具を挟む。

独特の華やかさがある。酢の物あり、焼きものあり、鯛に海老、玉子焼きあり。

船場汁など、始末な食事をしていた時代、それは瞠目すべきごっつぉであっただろう。

二寸六分の懐石料理と称される所以である。


しかしながら、これを看板にしている店は今や、ごく僅か。

それもそのはず、最高級な素材を使い、穴子職人、玉子焼き職人、それぞれのスペシャリストを

擁する厨房、スペースだっている。 そもそも持ち帰りのみだったから、酒飲み相手も得意ではない。

生魚切って摘まみにもできず、甘めに仕上げたご飯ではどうしてもお茶になってしまう。

だから酒で儲けることもできず、粋でいなせみたいなことを目指すと、どうしたって江戸前風を追いたがる。


たいへん難しい時代に差しかかっているのは確かだ。 松屋町「たこ竹」など当代で終わるやもしれない。

「すし萬」はなんとか新業態も展開。 こちらの「吉野寿司」では若い7代目が、二階に寿司カウンターを新設し、

江戸前風だが握らず、料理と目の前で押す箱ずしを食べられるようにした。大改革であり、チャレンジだ。

友だちの婚礼の祝いにと本店まで取りに行ったという訳。

ともかく、我々は意識して応援するしかない。新大阪などで買える「吉野寿司」とは別物なのでご注意。


淡路町の吉野を出て、平野町を歩いていて気になる路地があり、入った缶詰バー「CANプラス」。






     



数ある中、ひじきとおからの缶詰で白州ハイボールをやる。 

その辺のおばんざい屋まっ青である。

懐かしいほていの焼鳥やら、鯖の水煮、シーチキンの高級版なんぞもある。

そそられるもまだ夕飯には早く、ちょっとしたおやつであって、お腹を満たすことはできぬ。

さらに呉名物、鶏皮の味噌煮というのも所望。



     



なんだか美味い。

これぐらいで切りあげ、北浜まで徒歩。