オクラホマ生まれのSpade・Cooley(1910~1969)本名Donnell Clyde Cooley、通称トランプのスペード。いなせで鉄火肌な仇名のおアニイさんである。体躯も小ぶりで東洋人っぽい顔立ち。どことなく歌うカウボーイ、ロイ・ロジャースによく似ている。想像するにルーツにチェロキー・インディアンか、はたまた中国系肉体労働者がいるのだろう。苦力(クーリー)というではないか。眉唾。
クラシックの訓練を受けているのでフィドルの技術的には確かだ。映像を見ると弓さばきもきれいで、ポルカなどを弾かせるとBob Willsより遥かに練達の腕を見せる。ダンスバンドとして長らく活躍したので、カラッと明るいダンサブルなチューンが多く、3本のフィドルとアコーディオンを多様し、曲によればアルパ・ハープが入る。
Swinging The Devil’sDreamなど革新的なアレンジと、スゴ腕ミュージシャンたち(スチールギター史にその名を残す、ノエル・ボッグス、ジョアキン・マーフィーの両氏、スモーキー・ロジャース、カクタス・ソルディ、ペドロ・デパウル、デュース・スプリッギンなど)による派手なリックが特徴の、スタイリッシュでエンターテインする音楽。それがスペード・クーリーのウェスタンスイングだった。
44年にはボーカルのテックス・ウィリアムスが歌った最大のヒット曲「Shame On You」をぶっ飛ばした。かつてボブウイルスが冠したKing of Western-Swingの称号はいまや、クーリーのものであった。
しかし、たとえポーカーの目は揃っても、現実の人生が幸せとは限らない。クーリーの後半生に、まさかあのような悲劇的な出来事が待っていようとは!
(ここでCMってか…)
1930年代、スタインベックの「怒りの葡萄」やウディガスリーの歌にも登場するようにオクラホマ州には深刻な砂嵐(ダストボール)が吹き荒れ、農地は一夜にして砂漠と化した、その難民数は30万とも40万ともいわれる。彼らの多くは、命からがらオクラホマから暖かなカリフォルニアに移動した。(ジョンフォード作品「怒りの葡萄」を見ればよく分かる)
まさにクーリー家もその中にいた。オーキーの多くは産業労働者や修理工などの職を得た。40年になるとカリフォルニアにもカントリーミュージックシーンが発展し、大型のダンスホールも次々に建造された。クーリーはそんな中、ヴェニス・ピア・ボウルルームでデビュー。またたくまに西海岸の人気者となり、ロイ・ロジャースの映画に出演したり、50年代には自分のTVバラエティショウを持つに至った。
やるぜ、クーリー!(つづく)
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