マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

続~個人的に神戸の豚まんを見直す!

2018-10-12 23:37:44 | Weblog

 

    

 

 

 

    

 

 

 

    

 


    



    




    

 

 

 

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個人的に神戸の豚まんを見直す!

2018-10-12 22:11:27 | Weblog

 

大阪は「蓬莱」「二見」なんのかんの申しても、やっぱり「551蓬莱」の独り勝ち否めません。

あそこまで利用しやすくて、あらためてよく出来ています。

では、関西の中華のほんば神戸の豚まんはどんなものなのでしょう。

先に新開地「春陽軒」は登場いたしました。

南京町界隈を探ってみることにしました。





 


     

 

 

      


     
      


       



     



      


     



      



   

 

      

     


     


     

      

     




     

   本文はのちほどね!


       

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桃山だった桃谷で、安定感抜群の洋食ポッケ

2018-10-10 15:51:23 | Weblog

 全国4千万の洋食ファンの皆さま、こんにちは!

 単品メニューはもちろんですが、この美味集合体のなんたる破壊力よ! 



  

 

 大阪環状線の桃谷駅は桃の名所でした。

 今、谷町筋の乗っかる上町台地の西側斜面には、桃の花が咲き乱れていたらしく、

 当初、桃山という駅名だったが、京都の桃山に気を遣って、「桃谷」となったんだそうです。

 ベタな駅なんですけどね、最近再開発され、北側へと延びて商業施設ができた。






 
 桃谷といえば女子校のプール学院ですね。

 八千草薫、三ツ矢歌子…このお二人が出たというだけで、その美女偏差値の高さお分かりでしょう。

 今はさあどんな塩梅だかわかりませんが。
 
 スタバも入った駅に馴染めない中高年の住民が多いのはありあり。






 

 トイレにはこんなサービスあり。

 な、なんだかなぁ・・・。



    



 駅前から西へと延びる桃谷商店街は少し坂になっています。

 上町台地を背に、西の河内湖へ向いて、昔から坂になっていた名残りでしょう。

 商店街を抜ければ、疎開道路。


  



 その辺りに旧平野川が流れ、そこに掛かっていたのが、「つるのはし」。

 日本書紀に「仁徳天皇、猪甘津に橋をかける。その名を小橋と名付く」と出てきて、

 それが猪飼野のつるのはし…鶴橋のいわれ。

 商店街を戻り、途中を北へ。旧猫間川沿いにあるのが、今回の「グリル・ポッケ」。




   

 

 かなりの久しぶり、勘定すれば9年ぶりでした。  

 メニューには桃谷のいわれもちゃんと書いてありますね。

  

     



  地元人気の高い、ポッケ。 昼のメニューがこちら。

 

  



  こちら、夜のメニュー。



  


 

  夜はお造りがあったり、間口の広い、いろんな使い方が出来る店。

  今回はNHK文化センターの講座で、参加者の皆さんを案内しました。
    

 

       



 冷たいスープが付いて、こんな具合のワンディッシュ。


       



 手前は小型の和牛ガーリックステーキ。

 有頭海老のフライがど~んと存在感。

 料理だけで¥3000

 デザートのババロアとコーヒーも付きました。

 たまらずビールもたのみました。 もちろん、酔うほどは飲みません。



       



 下見に行った際のAランチ。

 盛合せの楽しさは、少しずついろんな味が混じり合って渾然一体となるところにある。

 ゴンチチのゴンザレス三上氏が以前語ってくれて、膝を打ちました。


         


 洋食とはご飯に合わねばいけないと考えます。 味噌汁がつくのもいいですね。

 美味しさと楽しさ、それに圧倒的な安定感、安心感。

 この辺が洋食の大いなる魅力だと思います。

 桃谷方面に行かれる際には、いかがでしょうか。 


             

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山に棲むとピザが作りたくなるのかな。

2018-09-30 22:56:54 | Weblog


 生駒へピッツァを食べに行こうと誘われ、店名も知らぬまま向かう。

 生駒で合流し、ケーブルカーに乗る。 何十年ぶりの生駒。

 否が応でも旅気分がしてきた!


 

 ひさびさのケーブルカー。 斜めで平衡感覚おかしく、気持ち悪い。


 



 めざす宝山寺で下車。 生駒山上へはここから乗り換え。



 



 ここら辺一帯は宝山寺の地所だという。

 生駒は宗教施設が多く、古くからパワースポットとなっている。

 目指すピザ屋さんも、断食道場の隣りにある。

 断食しててピザの焼ける匂いがしてきたら、腹の虫も鳴るだろうなぁ。







 ここの若女将が元々マンドリン弾きらしく。 一緒に行った人のお弟子。

 誰かの別荘だったらしい。贅沢な材木が使われたりしている。

 てなことで、席に着くとみるみる雨が降り出した。







 風が荒れ狂ったらまともに食らう生駒の中腹。

 こないだの台風では、雨戸が飛ばされたという。

 この日も次の台風が近付いていて、この空模様。

 晴れたらすごい眺望が見られるらしいが、残念。







 最初にサラダと前菜。 丁寧な仕事に好感を持つ。

 この日の前菜はガスパチョ、タンドリーチキン、カボチャフライ、ポテサラ、ブロッコリーなどなど。







 我々以外に二組程度。

 ピッツァが次々に焼き上がってくる。

 まず、基本ですね、マルゲリータ。

 周りのコルニチョーネが適度にふかふかして心地よい。







 
 雲亭オリジナルピッツァは、野菜がいっぱい。

 サラダ感覚。







 海老、ムール貝、イカなどのシーフードのピッツァ。






 
 トマトソースとニンニク、ケイパーなどのマリナーラ。






 生ハムのピッツァ。 もちろん同行者でシェア。

 ワインと一緒にやると最高のランチになる。

 いつしか、雨が小康状態に・・・

 



 
 見下ろすのは東生駒一帯。

 緑のベルト地帯は矢田丘陵。 それを越えれば奈良盆地。

 庭を見ると、雲亭のエンブレムが立っている。

 いいな、また来よう!






 帰りは腹ごなしのために生駒駅まで下山。

 結構階段が多くて、ふくらはぎが張って仕方なかった。

 その張りが4,5日続いて、どれだけ上下運動に弱いか…。





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私的に焼肉風焼鳥の元祖。

2018-09-05 14:19:48 | 大阪


 幸か不幸か、私を育ててくれた町、大阪堺。

 実家に居る頃はバイトぐらいしかしていない訳で、ろくに銭持っていないので

 ま、ろくなものを喰っていない。 そんな中、ここは思い出深い一軒。


 近所のホールでバレエを見た帰り、バレエの余韻のまま焼鳥ってのもどうかと思うけど、

 折角近くに居るので、行ってみた。

 ここには35年ほど前、音楽関係の先輩N氏に連れてきてもらった。



     

 

 

 宮園団地の前にある、「焼鳥 石樽」。

 店構えは小ぎれいになっている。

 昔はなかば倉庫みたいなところで、平生でもシャッターを半分閉めたまま営業していた。




 




 メニューはあまりにシンプル。

 昔はカウンターの中の親爺に、「固いのと軟らかいのがある。どっちにする?」と聞かれ、

 「柔らかいの!」と答えると、とたんに機嫌が悪くなった。

 嫌なら固いのだけ置けばいいのに、歯が合わない人もいるという配慮なのかな。

 かしわは卵を産まなくなったバアサン鶏で、固いが噛みしめるとうま味があった。




     


 
 大和地鶏といってたかな。 これはごまかしの効かない素材勝負!

 その新鮮さ! 胸肉、モモ肉の盛合せに、ずり、皮、せせり。 


 
     

 

  こちらは、ぼんぢり、肝、ハツ。 これらをただガス台で自分のタイミングで焼くだけ。


  ああコレコレ、このタレだ! あまから酸っぱいにゴマが入ったシンプルであり、クセになるタレ。
 
 

   



  親爺が編み出したタレが抜群に美味かった。

  この味に、35年間がヒュ~ッと逆回転しそうだ。



     



  石川県出身の親爺に勧められて、「萬歳楽」という地酒もここで覚えた。

  機嫌がいいとそういう隠し酒を出してくれるが、わけのわからん客は

  すぐに追い出していた、稀に見るへんくつ親爺だった。 



     




  二代目に聞くと、親爺さんがこだわってた固いの…は、今のお客さんには求められず、

  今や、ほぼ軟らかいのばかりになっているという。 

  無くなってみれば、あの暴力的なほど、やたら固いのが懐かしい。 

  客も時と共に、固いのが歯に合わなくなって行く。 

  親爺も亡くなって十何年…こっちもあの頃の親爺ぐらいの年かさだろう。

 

 

        




  二代目に帰り際に言われて気付いたが、目の前の宮園団地が姿を消していた。

  それでか…どうも、ふわふわとした浮遊感あり、街がしっくり来なかった。

  一種の浦島状態であった。


  

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