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マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

うちの破戒爺も闊歩していたであろう両国広小路

2025-02-24 17:21:20 | 東京 墨田区
どうにも下町に惹かれてしまうのは自分に流れる血脈というものであろう。
この日は両国。江戸のころ両国広小路というと見世物や芝居小屋があり、少し離れるとお屋敷街があったそうで、本所松坂町の吉良邸などもその一つ。

   

回向院の前が広小路。そもそも火災のために大きく道をとった。
火事と喧嘩は江戸の華なんていうが、それほど多かったのだろう。
この前を右手、西へと歩けばすぐに両国橋、その下を流れる隅田川。
その手前にあるのがどぜうの店「桔梗屋」。

   

   

関西にゃこのどぜうというものが無い。なんで他に旨いものがいっぱいあるのに、よりによって泥鰌など食わなきゃならんのや、というところか。ときに見ることはあっても、もっと細っこい釘のような泥鰌だった気がする。
昔から鰻は高価なものと決まっていたから、庶民の知恵として安価で精の付くどぜうが江戸東京の暮らしの一部に入り込んでいたのだろう。

  

 酒で締めて、あらかじめ下煮してあるから火が通ったらすぐ食える。
 千住ネギを山盛り鍋に放り込むのがコツ。どぜうとタレのうまみでネギを
 食うようなものだ。金のない時分、ネギ・タレ・ネギ・タレでいつまでも
 ねばったものだ。

  

 さき鍋っていって開きになったものもあるが、アタシは丸鍋が好み。

  

 鯉のあらいは美しい

  

 なぜか淡水魚の店だがさらしくじらなんてのがある。
 ちょっと口を変えるのにいい。酢味噌。
   

 鰻の肝焼き。山椒をふりかけて
  

 名代の玉子焼き。うやうやしく蓋物なんぞで出てくる。
 この甘めの味付けがいかにも東京の老舗っぽい
  

 柳川なべと、どぜう汁で白いご飯にした。
 どぜう汁、好きなんだ。

     

 
 若い時分は駒形どぜう、飯田屋によく行った。
 どぜうにも酒にも興味の薄い連れ合いは、うな重
  

 東京っぽく、べったら漬け
 こういう甘味もおつなもの。
  
  

うちの会ったこともない爺さんは本所のお屋敷に奉公していたそうで、
近年この男の行状がいろいろ明らかになってきた。周りに迷惑をかけ、
結局奉公先もクビになり、 東京にもいられなくなり処払い同然に
名古屋から関西へと逃げ落ちて来たらしい。
爺さんも若き日は洋々と本所両国深川界隈を肩で風切っていただろう。
どぜうでも食って酒かっくらっては怪気炎をあげていただろうから、
子孫からのオマージュでもある。あの世で達者でやってくれぃ。

  

できうることなら、そんな爺さんの性格を受け継がないまま、平穏無事に
人生を終えたいものである。


江戸前のにぎりを教わったお店~いざ、寿司だ! 弁天山-2

2025-01-09 17:53:06 | 東京 浅草
ホントにね、うかうかしてる間に何もかも値上がりしてしまい、
コロナを挟んで、円が安くなって以前のようには手が出せなくなった。
ちょうどいいや、そんなにゃ鯨飲馬食の年齢でもなくなってきたってもんだ。



 白身は鯛とヒラメ。きよ田系のような鮪からどうだ!と出してくる店もあるけど、アタシャ持ち味の淡いものから行くのが正解と思っている。
 主人が刷毛ですっと煮切り醤油をひいて出すから、醤油いらず。



 カジキと赤貝。
 うれしいね、カジキなんか握ってくれるのは。
 鮪が寿司ネタとして外道と言われた時代、カジキの方が上の部類だった。
 持ち味は淡い鮪。ちょっとキハダにも似てる感じ。

 

 一個なら小肌と説いたのは、作家山口瞳。
 下北沢の寿司屋の色紙にそう書いてたよ。
 一個ならという選択が難しいが、江戸前ではキーとなる寿司ネタ。

 

 寿司ネタの女王はまちがいなく、車エビ。
 食べるのが惜しいぐらいきれいだ。

 

 これもオールドファッションな煮いか。
 関西にいたころにはよもや考えたこともなかった。
 ちょっと歯ごたえがあって、これはこれでおいしい。

 

 鮪赤身のづけ。即席の醤油づけだ。
 鮪はすぐ色が悪くなるため、割醤油の中で保存した名残だ。
 割醤油の塩梅はその店々によってちがう。 

 

 煮穴子。ちょっと炙って煮詰めを引いて出す。大層うまし。
 しかしなぜ皮目を上にして握るのだろう。いつも疑問に思う。
 身の方を上にした方が旨そうのに。鰻の蒲焼しかり。
 いろんな職人に尋ねるが、その理由を分かってない人が多かった。

 

 内田の親方はいとも単純に答えた。
 身の厚いお腹の部分と、尾っぽの部分では反り返り具合が違う。
 握りやすいようになってるのだとのこと。なるほどそうなってる。
 ここの穴子は浜煮という白く煮上げるのが流儀。

 

 鞍掛けといったかな、飛騨高山の合掌造りのような玉子。
 おぼろをかまして握ってある。甘い玉子はデザート仕様。

 

 関西と圧倒的に違うのは、かんぺう。
 かんぴょうの色合い。コク。
 白っちゃけたかんぴょうはどうもそそらぬ。巻き寿司の具でしかない。
 ラストにかんぴょうを追加。

 

 なんでもないかんぴょう巻きだが、海苔と醤油と山葵…よくできてるなあ。
 よくぞ野田だか銚子で濃口醤油ができたものだ。
 ひと通り握ると、内田の大将は自家製の海苔佃煮を仕込む。
 刻んだ海苔をこれでもかと鍋に放り込んで煮溶かして行く。
 これは贅沢なもんですよ。岩海苔じゃないもの。
 醤油、みりん(だと思う)をガバガバと鍋に注ぎ入れる。
 お、これは食っといてよかった…

 

 江戸前のにぎり寿司は東京の郷土料理。そう思って過ごして、
 東京へ来た時だけいただくことにしようっと。

 親方、いつまでもお元気で付け場に立ってください。
 みんなが見守ってますよ。


浅草の老舗寿司店。緊張しなくなったのはこちらが厚かましくなったのか 弁天山-1

2024-12-14 01:19:34 | 東京 浅草
数年ぶりに浅草は弁天山美家古寿司へ行った。
東京で屈指の歴史を持つ寿司屋で、初めて大阪なんぞから行って
目からうろこで、いろんなことを教わった店だ。



安くはないが、今となれば至極真っ当な店。
江戸前寿司の入口とするには最も適任な店だろう。



ここの常連には役者の中尾彬がいた。ねじねじの、
池波志乃の亭主。多彩な人で、彼の筆による暖簾が
カウンターとつけ場の結界となっている。
何枚もあって、季節ごとに変わっていたような。
その中尾氏もこの五月に彼岸に旅立たれた。



ビールを一口もらい、日本酒に。付出しに鮪の生姜煮。
初めて来た1980年代初め、まだ先代内田榮一さんが健在で
つけ場は息子に譲ってもまだまだ目を光らせてて、酒が過ぎると
とたんに機嫌が悪くなる下戸で、早々にお茶に切り替えて
寿司をつままねばならない雰囲気だった。
酒の選択肢が増えたのはありがたい。



自家製海苔佃煮、まぐろ添え



かじきのねぎま汁



ぬた



刺身は戻り鰹。

寿司屋は酒を飲むところじゃない、といわれても
美味い魚があるとどうしたって飲まずにはいられない。
こういう東京らしい酒肴が出るのがうれしい。

もうね、バカ高い今どきの寿司屋には行けないよ。
さぁて、寿司に行こうかしらん。
悪いけどお酒、もう一本おくれ!
(つづく)

京都荒神橋 花か食ひ気か

2024-10-31 18:05:57 | 京都
御所を鴨川へと近づくと荒神橋がある。
欄干の旧仮名づかいは知らないと読めず。
         
         

このすぐ近くで文久年間から続く花屋「花政」の
藤田修作展「花を花とみて花と見ず」があった



野にある花の生命のゆたかさを知らされる

    

花を活けるというのは引き算なんだなぁ

    

シンプルだからこそ、その奥に自然そのものを見たりできるのか
花も人間の手で加工したりするのがあるが、ああいうのは好かぬ
手を加えず、そのまんま手折ってきて投げ込んだようなのがいいが、
そう簡単にできるものではないのだなぁ
でも、おかげで野の花がすごく気になるようになった

花もよいが、腹ごしらえである
こっちの鼻はまあまあ利くのである
河原町通に面した麺処に入る。「自家製麺 天狗」

壁には桂米朝を筆頭にざこば、南光らの色紙あり、
米朝事務所御用達と見受けられた
うどんもそばも丼もあって活気のある、こんな町場の麺処が
各地にあったのだが本当に少なくなってしまった
京都はまだ健在だな


   


京都はあんかけに、とじものも得意とする
一説に山国京都の冬はしばれるから。
相方がたのんだ、天とじ丼


   


これ、お使いくださいと置いていったのは、がんずりのようなもの
生とうがらし、見た目よりはマイルド


 


ぜいたくカレーうどん。小さなご飯付き
こちらの細麺はささめんという自家製麺
大阪池田の吾妻のささめうどんのような感じ
ほどのよい辛さ、うまさ
大騒ぎするようなものは何もない。日常めしとして結構なり

ラストにご飯をカレーの丼に投入。それも堂々としてはいけない
無作法を恥じて、店員のわからぬようにサッと入れてサッと食う
バレてるだろうが、バレないように努め、最後の一粒まで残さぬこと
言っておくが、ごはんの方にカレー汁をかけてはならぬ
ごはん茶碗までカレーで汚すのは邪道である

10年の休止期間をへて、重~~~い腰をあげまする!

2024-09-16 22:49:47 | カントリー
いくつかの要因重なり、身体を壊してしまい、
楽団を休止して幾星霜…丸10年もたってしまいました。
その間すぐれたウエスタンスイングのバンドが生まれてりゃあ
何もアタシがやる必要などありません。無いのだから仕方がない😅 

10年たって、もっとガタが来てりゃ人前へなど立ちませんが、
世の中にゃ同世代でもっとポンコツが山のようにいる。
したがって、一丁やるかと重い腰を持ち上げました。

楽士たちも昔のまんまの10人。
ウエスタンスイングとはこれだ!(大きく出たなコノヤロウ!)
というステージをお目にかけます。
ま、ともかくも楽しい音楽です。