マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

天神祭がやってきた

2017-07-24 01:24:07 | 大阪キタ

四万六千日、暑さも盛りであります。

京都はひと月続く祇園祭もいよいよ大詰め。 

後祭の山鉾巡行が残されている。

大阪はというと、天神祭ということになる。







天神祭で今年、神童に選ばれたのは西天満の「なにわ翁」の息子、勘田偉生くん(10)。

神童には条件があり、神鉾講の氏子であり、西天満小学校に通う男子でなければいけないらしい。

新聞記事をフォローしてみよう。
 

 

天神祭の神童に任命された勘田偉生君(10)=西天満小5年=の家をはらい清める「自宅清祓
(きよはらい)式」が2日、大阪市北区で執り行われた。



神童は7月24日の鉾流(ほこながし)神事で船の上から堂島川に神鉾を流す重要な役割を担う。

本人や家族らは、天神祭が終わるまで日々の礼拝や食べ物の制限などさまざまな取り決めを
守って過ごす。

式には、大阪天満宮の神職をはじめ、勘田君の家族、勘田君を神童に推薦した西天満連合神鉾講
の関係者が出席。神職たちが室内に神座を設けて祝詞を読み上げ、各部屋を清めて回った。勘田君
は「毎日お参りして、きれいな心と体で(神事に)臨みたい」と決意を示した。

勘田君の父・拓志さん(46)は老舗そば屋「なにわ翁」の3代目。同店は、大阪天満宮の神水を使用
しており、天神祭には代々、神鉾講の一員として参加している。拓志さんは「身の引き締まる思い。
今年は家族で特別な年になると思います」と話していた。 (7月3日 大阪日日新聞)



なにやら大変そうなのである。3代目を神童にできなかった3代目のご両親にしてはまさに悲願。
神童になったからには、風邪もひかせられぬ、転んでケガはもってのほか、頭などパカ~ンと
張り倒しもできない。神の子なんだから…ともかく、祭り期間中は。


店の前だってこの通り。



 

 

なんとなく華やいだ店内で、 

いつものように、お酒を所望。

 





今年は奉納した花火も打ち上げられるという。

これだってバカにならぬ金額。 いえ、ウチは結構ですなんて言えないだろう。


 



夜の忙しい時間帯に来てるんだから悪いけど、なんかいただいて…。


鱧の卵とじ、 アスパラの味噌和え。


酒は豊の秋。







サゴシの生ずし






ちりめんじゃこの大根おろし






きゅうりの浅漬け 最後だというのでいただいたが、次々に頼む人がいて

売り切れだから、こっち独りポリポリ大きな音たてる訳に行かない。

遠慮がちに。







もう一本たのんだまま、蕎麦に突入。

ここの蕎麦打ちには天満宮のご神水を使っている。

そういう意味で天神さんとは切っても切れない間柄。 







7月24,25の両日。 24日は鉾流し神事などがあり、25日は陸渡御に船渡御と聞いた。


一世一代の晴れ姿、この目に焼き付けて、冥土の土産とするかぁ。


孫持つ、ジジイの気持ちになってしまう。







蕎麦はこの日も快調。 ちょっと乾いたところに酒を箸でちょいちょいと振りかけると、

簡単にさばける。

へへっ、こいつは仕事を通してだけど、古今亭志ん朝師匠に教わった。

粋な噺家だったなぁ。







天満駅に来れば、天四北の御旅所で神輿のスタンバイがされ、


チキチン・チキチンと 地区の子供衆が鉦太鼓を叩いていた。


祭なんかずっと遠くで眺めてたから、羨ましくてしょうがないが、


祭が終わったら、また来年必ず巡って来るのだと思うと、大変だと思うばかり。

 


ああ、うなぎの煙が目にしみる

2017-07-20 03:13:16 | 大阪


今年は二度ある土用の丑の日。 そんな日に焦って並ぶ必要などないが、

やっぱりこれだけ真夏日が続くと、食べることでパワーをつけんことにはどうにもならない。

天満橋の鰻屋「伊賀喜」へ。 こんなところにさりげないこんな店があったとは知らなんだ。







戦前は旅館を営んでおり、伊賀の出ということでこの屋号。

戦後は仕出し屋から日本料理、それから鰻に特化したと、女将さん。







ご飯が足りなきゃ、言ってね…みたいな、恰好をつけない庶民的な風も好印象。

だけど、鰻はそう安いっていえるもんぢゃないけどね。






メニューも実にシンプル。

ひとまずビールで喉を潤し、うまきをいただく。







焼け焦げ一つない、きれいな玉子焼きの色。

その色合いを損ないたくないからか、濃いタレは底に敷いてある。

鰻は浜名湖・徳島・鹿児島を使い分けるという。

本来は丼と行きたいが、ここはぜいたくに…特上うな重。

関西風の地焼きだが、そうと感じさせないふっくらとした柔らかさ。







でかい切り身が3つ。

固めに炊いたご飯。

その中から、もう一切れ出て来た。

鰻の場合、ご飯の温度もすごく重要だと思う。 アツアツでないと意味がない。

しかし、ご飯がギュッと詰まっていて、 出てからもう腹一杯で困った。

天満橋から天六まで歩いて、やっと落ち着いたのだった。





食べる教室、鶴橋へ

2017-07-10 02:14:14 | 大阪 鶴橋桃谷

JR鶴橋駅で生徒たちと集合。 水曜だったので、鶴橋市場やその周辺の商店の多くが休み。 







なので、駅前からタクシー分乗して、生野最深部のコリアンタウンを目指す。 


それがさ、雨になってしまい、まぁ昼時だというのに客は蜘蛛の子を散らすがごとく。
 

 



本来ならば、店前にテイクアウトものも並べて、賑やかなのに。

こっちは下見の時のもの。







コリアンタウン はかつて「猪飼野」という地名だった。

660年、唐と新羅連合軍により滅ぼされた百済。 

663年、日本から援軍おくった白村江の戦いで敗退。百済から亡命者が多数出て、

日本に逃げて来た人たちが住みつき、豚を飼う技術を持っていたことから、

一体を猪飼野と呼んだ。そういう歴史的地名を簡単に消すんじゃない。 


一般ピーポーだけでなく、王仁(わに)博士のようなエライ方もいて、この人によって

論語と漢字がもたらされたという話。 御幸森天神宮に碑が立ってるよ。

今回訪れた店は、韓国料理「福一」。






自転車のサスベエが映えるが、下見時のもの。 



1922(大正11)大阪~済州島に君が代丸が就航。 済州島から多くの出稼ぎ労働者が

これによって運ばれて来た。平野川の付け替え工事に従事し、その後住み着いた人が多く、

よって鶴橋桃谷には済州島出身の方が多いとの話を聞いている。

ここの女将さんも済州島の出身。
 







キムチやナムル、分厚いここならではのチヂミ。 

そして豚の三枚肉を焼く、サムギョプサル。


元々は宮廷料理だった、チャプチェ。

さつまいもでんぷんを使うから、この色になるそうな。







サンナッチ。 活手長ダコ。







箸に巻きつき、つかみづらいが味は悪くない。

っていうか、塩と胡麻油と海苔だもん。悪い訳はない。

レモンをかけたらしみるのか、一層ウネウネウネウネ…

季節は半夏生(はんげしょう)、大阪ではタコを食べる習慣があるというので、

丁度いいや。 お命頂戴つかまつる! キミらの分も生きてみせるからな! 


動画で撮ってみたが、さすがに気持ち悪いのでアップはやめた。








もう、ぼちぼちお腹に来るが、まだまだ…イカフェですね。 イカの刺身。

こうやって、なんでもコチュジャンで和えてしまうのが、韓国風と申しましょうか。

ニンジンと一緒に、拍子木に切った梨が入っている。


そして、主役である鍋がズズ~~ン!! 







豚肉の背骨が大胆に入る「カムジャタン」。 それとジャガイモがポイント。

こういうのを食ってる韓国朝鮮族と、夏は素麺~て言ってた日本人とでは

そりゃおのずと体力に差が出て来るっちゅうねん。昔はね。


これみんなコース¥3000の料理。

海鮮鍋となるが、これをカムジャタンと、参鶏湯(サムゲタン)の二つにした。

少しずつ食べられるというもの。 これはパワーになるぞよ。






旨いが…量がハンパやない。 60オーバーが大部分なので、これはなかなかツライものがある。

締めは、待ってました。ここの名物アワビ粥。







アワビの肝が煮溶けて、そそられる色。








もう、これ以上入らないというところまで食べて、細くて急な階段を滑り落ちるように

店を出ると、もう空を仰ぐしかない。 ふ~満足満足!のため息ばかり。 

雨もあがったので、鶴橋まで歩いて帰ったのだ。

もう当分、食いたくないほど食ったのに、また食べたくなっている。

ということは、体に優しい食材が多いということなのかもしれない。

けども、ああ、あの満腹感がよみがえってくる。