マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

06.4.30   高田渡、この世に住む家とてなく

2006-04-30 03:37:58 | カントリー
あ~操作ミスして、全部消えてしまった…ガックリ…
二度アップする気力なく。最後の最後に水の泡になるってのは情けない。
どっかで渡さんが笑ってらぁ。
渡氏、死して一年。ますます、ワン&オンリーの輝きは増している。

去年4月、小金井市であったお別れの会に、ノコノコ出かけた。
かつてこの方から色々な影響をもらったので、ただお別れを告げたかった。
京都から乗ってきた宮崎夫妻とバッタリ。彼はマンドリンで舞台へ。こっちも一度位、渡氏とやれる機会もあるかなぁと思ってたが、とうとう叶わず。

  三条へ行かなくちゃ 三条堺町のイノダっていう珈琲屋へね
  あの娘に逢いに  なに、好きなコーヒーを少しばかり
                           『珈琲不演唱』

全員が参加費千円払って、仲間が一曲ずつ歌って、渡氏を惜しんだ。
その顔ぶれがすごかった。
中川五郎、小室等・及川恒平・四角圭子、南こうせつ、井上陽水、シーナ&ロケッツ、中山ラビ、金子マリ、斉藤哲夫、良、シバ、イサト、律、なぎら、順平、坂崎などなど…これってのは渡氏だけが不在のフォークジャンボリーのようだ。柄本明、ベンガル、大杉漣、鶴瓶、など慕う人間は音楽に限らず、これほど愛された存在だった。(先輩だから言うが、鶴瓶氏は故人とどんな濃密な関係だったか判らぬが、舞台にいつまでもいない方がよかった。一言お別れの言葉を行ってさっと帰った役者たちの方がその真情が伝わった)

ご本人晩年、奥さんのススメに従ってクリスチャンになったのだとアリちゃん(ハーモニカの松田幸一氏)から聞いた。
告別式の説教で、吉祥寺カトリック教会の司祭が言ったといふ。
「いせやのカウンターは、故人の祈り台だった…」と。
大方20年ぶりに焼き鳥屋いせやに足を向けた。ここは20年前からすでに古ぼけて煤けた店だった。遅ればせではあったが、祈り台に献花のつもりで、酒瓶やグラスや串なんぞを並べてきたのは言うまでもない。


   僕がこの世にやってきた夜  おふくろはめちゃくちゃに嬉しがり
   おやじはうろたえて質屋へ走り それから酒屋を叩き起こした

                             『 系図 』





06.4.26   立ち呑み・よいとこ

2006-04-26 16:27:19 | 
立ち呑みの似合う男になりたいのである。
壁にもたれたり、カウンターに突っ伏して呑むのではなく、
まず姿がよくなくてはならぬ。
無遠慮に話しかけてくる客もいるが、どういう事情があって
そこに来ているか知りもしないのに、無闇に話しかけてはならぬ。
そんなヤツがいたら、僕の場合、大概は黙殺である。
誰かの受け売りだが、男ってぇ奴はだらしなくて、
一人で死ぬのが怖いし寂しいから、
今のうちに立ち呑みで馴らしているわけだ。
だから不用意に話しかけてはならんのだ。

ラヂオか古ぼけたテレビから流れているのは、
あまり熱くなりすぎないスポーツなどがよろしい。
相撲なんぞがぴったりである。
肴は取り立てて珍しいものなど必要ない。
メシを食うために来ているのではないので、皿数はせいぜい二、三皿。
豆腐やら煮抜きでもよいが、ちょっと手を加えたものだと気が利いている。

長年の嘆きや喜びが染み付いた壁や品書きを味わい、
店の空気を呼吸しつつ、ずぼッと立って虚空を見つめて呑む。
立ち呑みで何時間もいるような奴は愚劣だ。
せいぜい半時間。
呑んだらスッと勘定を置いて、暖簾を跳ね上げて外へ出る。
外は薄暮の街だったりする。

大阪駅前第2ビルB1『山長酒店』昭和52年創業。
駅前ビル自体は妙なものへとなりつつあるが、
ここはいい感じにたそがれている。
左から「貝割れ数の子花がつを」「水菜牛肉のハリハリ」「きずし」
酒呑みの食い助としては、ついつい頼みすぎてしまう。
ああ…酒呑み上級者への道は遠いワ。

  立ち呑み処「山長梅田店」 北区梅田1-2大阪駅前第2ビルB1



06.4.24  春だ!鍋貼リャンガ~!!

2006-04-24 10:02:11 | 
久しぶりに焼餃子を作りたくなって。
うちの実家は黒龍江省出身でもないのに餃子というと餃子のみ。兄弟で競って食べたもんだ。兄貴60個、オレ50数個ほど。どう考えても200ぐらいは作ってた。オレらガキが洟を拭き拭き手伝ったとしても、母は大変だったと思われる。
でかくなってからご飯のおかずになると知り、ウチが変わってるのだと気付いた。そういえば、すき焼きに住友製薬のサッカリンの錠剤を使うでしょう?と食の会議で言って、馬鹿にされたことがある。いつの時代の人間や…と。
餃子…中国では婚礼やら記念日など目出度い日のハレの食べ物。この中に硬貨を忍ばせて、当たればラッキーというフォーチュンクッキーみたいなことをする。歯が欠けたらどないしてくれるんや。

餡に使う白菜はテッテ的に水分を追い出すことが重要。加える玉葱は甘みのために搾らず。それとネギ、生姜。よく練って豚肉の脂で粘りを出すのがポイント。少々油も補強。食感のために全て細かく切り揃えることは言わずもがな。フード・プロフェッサー(と呼びたいぐらい)大活躍。昔は飽き飽きするほど刻んだんだよな。

皮は既製品なり。自分で打つとプリプリで美味い反面、麺(中国ではコレ麺料理なのだ)が勝ってしまい、20個も食えば腹一杯になってしまう。ヤツガレ、天井仰ぎ見るほど食いたいのだ。差し水はどうするのが正解なのだろうか。熱湯の店もあれば水でやる店も、水溶き小麦粉でバリをつける店もある。決定版をお伺いしたい。

ニンニクの替りに同じユリ科のネギを使ったが、ニンニクを使えばさらに薫りが良くなり食欲が湧く。手元の酢醤油に溶かしてもいいし、中国東北部では餃子の合いの手に生ニンニクをガリガリと齧る。うちは「天平」の真似をして、きゅうりの一本浅漬けとしたかったのだが、そんなこと知らぬ家人がきゅうり揉みみたく切ってしまい、あ、あの歯ざわりが欲しかったのにィ…悔やんでも悔やみ切れぬ。

06.4.23   久々にブルーグラスをば…

2006-04-23 17:23:31 | カントリー
久しぶりにBlue Grass Musicにどっぷりと浸ってきたぞよ。このブルーグラスといふ音楽はウェスタンスイングとは親戚みたいな間柄だ。同じ楽曲を両者で演奏される事もままある。始祖Bill Monroeのブルーグラス音楽発想の中には、TexasのWestern Swing、ことにMilton Brownの作ったバンド編成とBob Willsの成功が大いに影響していたと思われる。…ということを何処ぞで読んだ気がする。それまでMonroe Bro'で活躍していたBillは、さらなる飛躍を胸にFiddle、Guitar、Banjo、Mandolin、Wood-Bassという基礎を築くのである。

JR東淀川の『オッピ・ドム』。店主の今富氏もブルーグラッサーで、斯界では全国的に知られた名シンガーでもある。ここで東京から楽器フェアのために来阪したマスオちゃんのライブがあった。ボクは一時、東京の彼のバンドで一緒にやらせてもらっていた。前夜、北新地でバッタリ出会い、「ざ~さん、明日マンドリン弾いてよ…」とあの声で言われてしまったのだ。なじかは知らねど、ブルーグラス関係の人はおいらのことをざ~さんと呼ぶ。

帰宅後、長らく押入れに放り込んだマンドリンを引っ張り出すと、しめた…まだ弦は死んぢゃいねぇ。「アンタ、ぜんぜん弾いてないのに、ええのん」といふ家人の声を背に受けながら、なんとかなるわィ、とマンドリン弾きみたいな顔して向かう。行ってみたらば、5年連続で米国ツアーをしている、マスオちゃんの国内トップグループJapanese BlueGrass Bandの面々が揃っている。マンドリンの宮崎くんだけが不在なので、そこへ入れという。ありゃ~困った。しかし、ここで逃げるわけにも行かへん。ヤケクソや。

テムポが早いのなんの。キイがBだのB♭だのなんの。曲を知らないのなんの。慌てたのなんの。でもそこは誤魔化すのなんの…

何とか青息吐息であい務めたが、イメージ通りにゃいかないものね。あのテンポについていけないから、ケツを割ってウェスタンスイングに行ったのか、と言われても仕方ない。でもでも、なかなかブルーグラスも愉しいのである。何せ多感な頃に夢中になって聴いた音楽ではないか。僕らが高校時代に「スゲェ!」と思ったような先輩諸氏が、まだまだ目の前でガンガン弾いている。いやはや、その逞しいこと、筆舌に尽し難し。

  ライブパブ&レストラン オッピ・ドム 大阪市淀川区宮原2-1-2 

06.4.21   おもろい女・ふたたび

2006-04-21 16:47:38 | 芸能
またまた梅田芸術劇場の客席へ。千秋楽まであと少し、森光子さん保つかな…と思ってたが、そんなもの杞憂でしかなかった。まぁ元気である。

それまで低級と見られていた漫才をどうにかして世間に認めさせたい、という情熱で、革新的な漫才の実践者となったミスワカナ・玉松一郎。同時代のエンタツアチャコの影に隠れてしまっているが、ワカナは速射砲のように喋り歌い、タップを踏み、ボーッとした一郎に鋭く突っ込んだ。それは戦後の一時期の雲間の青空のような存在だったに違いない。芝居の幕切れと同じく昭和21年、僅か36歳の若さで西宮球場の舞台の直後倒れる。ミスワカナ、織田作之助…彼らの命を縮めたのはヒロポン(覚せい剤)だった。戦時中、新聞紙上に「睡気と倦怠除去に~大日本製薬ヒロポン錠」などと広告が出るほどで、戦後も薬局で普通に売られ、織田作とワカナが競って買い集め、市内のヒロポンは底をついたと伝わる。ワカナという存在も、戦後無頼派だった。

森光子・段田安則はよく本人の漫才を再現していた。しかし、見れば見るほど段田さんにゃ悪いが前任、故芦屋雁之助の一郎を観たいと思った。まず本人にソックリである。劇中、上海で病身をはかなんで兵児帯を鴨居にかけて自殺に及ぶシーンがあるが、こういう一人芝居はさぞ雁之助の独壇場だったろう。雁之助は漫才の経験もあり、師である芦ノ家雁玉はワカナと一緒にわらわし隊で戦地へも赴き、同時代の舞台の埃を吸ってきた人物だ。そういう笑芸の只中から出てきた人(森光子さんもそう)ならではの可笑しみは、そうは役者には出せるもんではない。

長年共演者を務める大映の二枚目俳優、青山良彦さんに(三幕目に色悪で登場)かく洩らすと、「雁ちゃんの時は見た目の印象もまったく違うので対比的でやりやすかったね」と仰る。だから演技に工夫をされている。確かにインテリに見えてしまう段田さんより太っちょで人のよさそうな一郎の方が、ワカナに取り残される哀しみはよく伝わる。段田さん肥えてください。
青山さんの楽屋を辞すると、廊下で舞台へ向かう森さんと赤木春江さんにバッタリ。お二人、手を繋いでよちよちと歩きながら、歌声が聴こえてきた。

     可愛い蕾よ  きれいな夢よ
     乙女ごころに  よく似た花よ
     咲けよ咲け咲け  朝つゆ夜つゆ
     咲いたらあげましょ  あの人に

    (花言葉の歌 西條八十・池田不二男)

女学生のようねぇ…などと言い合っている、大女優二人。
それが、これから舞台という修羅場に出る前には見えず、
なんだか日向ぼっこしてるようで、微笑ましかった。