マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

大谷よりすごい!完全男 佐々木朗希に思うこと

2022-04-11 02:15:19 | Weblog
4.10のロッテvsオリックス戦、見たか? 圧巻の完全試合。
巨人槇原から数えて28年ぶり!
そんなに出ないものなのか…。





おまけに連続13三振の記録は梶本・土橋以来。
一試合19三振は新記録。
見たっていっても、スポーツニュースだけどね。


そうなのだ。何が腹が立つって、地上波・BSどこを探そうが、
やってないわけよ。なんじゃそりゃ。

ちんたらした勝てない阪神戦なんかをやってるわけでしょう。
もう阪神流してりゃ、視聴率も安泰って時代ではなかろう。
大阪だから阪神タイガースでしょ…そんな考えで偏った放送してるなんて、もう古いんぢゃないの?古色蒼然!

我々は誰にもマネのできない、すごいプレイは文句なしに見たい。

手垢にまみれた球団なんかではない、卓越したアスリートを!
しかも完全試合なんて球史に残るようなシーンは目に焼き付けたい。
それなのに、どこも放送してないなんてアホすぎゃしませんか。

佐々木朗希なんて、プロ野球始まって以来のスゴイ選手がいるのだ。
放送局の編成はアタマ抱えるだろうが、朗希当番日には、中継車を
余計に一台張り付かせて、既存の試合を中断してそちらに切り替えるべきだ。

当初の契約などあるんだろうが、そんなもの編成と営業で何とかせよ。
予定どおりの試合をぶっ飛ばすぐらいスゴイのだ。
テレビ屋は心して臨むべきだろう。

近年ないほど、胸のすく出来事だった。
佐々木朗希20歳。
ヤバイよ!この男
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

冷えてきたらば、グツグツグツグツ…関東煮

2016-11-25 01:12:47 | Weblog


何が喰いたいという訳でもないのだが、突然おでんが喰いたくなることがある。

だが困ったことにおでんとは、思い立ってすぐ食えるというものではない。

下茹でしたり、さらしたりする手間が肝要で、鍋で煮るのは仕上げみたいなもの。

グツグツ煮て、煮込んで、よく味がしゅんだ(大阪弁=沁み込んだ)ものでないと面白くない。 







自分が喰いたいのと、家人孝行の意味合いもあり、準備に取り掛かるが、

とにかくヒマがかかる。 大根の面取りなどやめだ。

一番味が沁みにくいのはコンニャクで細かい庖丁目を入れて、何度か下茹で。

天ぷらの類いは茹でて油抜きしておく。 ああ、茹で玉子の殻が剥けずガッタガタになる。







さて誰が何と言おうと、実は喰いたいのはおでんではなく、関東煮(かんとだき)なのだ。

語源言い出すと長くなるからはしょるが、関西でおでんとは味噌でんがくのことを指すので、

それと区別するために、関東から入ってきたおでんを、関東煮と呼んだというのが定説。

本来、ここに皮鯨(コロ)など入ると、味が一段複雑になるのだが、これがまた時間がかかるので、

今回は見合わせた。








イメージとしては織田作之助の小説「夫婦善哉」のヒロイン蝶子が、「二人で関東煮屋でもしよ」

それに対する柳吉 「そらエエ考えや。早速わいな、たこ梅やら正弁丹吾亭の味を研究してくるさかい」

これである。 だから里芋や蒲鉾が入るのもたこ梅風。ボッコボコ煮返すのもここの流儀。 



ベストマッチは燗酒である。なんか際限なく喰えてしまう。

ごはんのおかずにならぬこともないが、東京老舗では「おでんに茶飯」というらしいが、

やっぱり酒だろう。



むろん、翌日の方が味が熟れて美味くなる。 

ひん曲った厚揚げやら、じゃがいもの欠片なぞ一緒くたに煮直すのもよかろうが、

それではちょっと面白くない。

もちっと体裁よくしたいではないか。


私の場合、面倒でもいちいち鍋からおでん種を取りだす。



 



そうしてだしも漉して、冷蔵庫へ収める。

このひと手間で、あくる日も気分良く食べられるというものだ。

もちろん家族なんだからそんな七面倒くさいことするかよ、って声も分かる。

あくまで、プロの仕事をただただ真似ただけの、私のやり方。



しかしね、うまく出来たら出来たで、徐々に減って行くのはどうにも寂しい。

手塩にかけて煮込んだものが、一瞬で誰かに食べられて消えてしまう。

それが哀しいというのだから、食べ物商売に向いてないわ、こりゃ。



コース1万円の煮物然としたおでんなど、ほぼ興味が無い。

関西庶民の味、関東煮。 よろしいな、かんとだき。

諸君もぜひ、おでんなどと呼ばず赤丸絶滅種的呼称、「かんとだき」

日常的に使って下さい。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2016年、今年の目標は…ございません

2016-01-20 04:25:23 | Weblog

え~



たま~に現れて、こんなこと言うのも気が引けるんですけども




本2016年も、どうかひとつ



お願い申しあげたいな…と。



つまるところ、皆さんだけがたよりなんすから。







ちょいと高槻病院のリハビリセンターに行き、



身体に電極みたいなのくっつけて、検査してきましたよ。



別にリハビリしなきゃならないほど、どっこも傷んぢゃいないんですがね。



その証拠に、帰りにゃいつもの店に。









カワハギのいいのが入ってました。


酒は信州の黒澤てぇ蔵で。





それから、赤ナマコがあったんで。


冬場の冷たい時期のナマコいいやね。


こればっかりは生温かいのはいただけない。


下に大根おろしってのも、うれしい。


中年になると、いろいろ思い通りには行かないことだらけで、


そういう悔しさを秘めながら、奥歯でグッと噛みしめるナマコの美味さよ。


こいつばかりはガキには分かるまい。


大体ナマコってヤツぁ、めしのおかずにもならないだろう。


酒肴のために生まれてきたようなヤツ。


有難いね。  今年もお命、頂戴しやす!


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

代々木八幡~トーキョー・センチメートル・ジャーニー 3

2015-09-10 00:31:55 | Weblog

小田急線 代々木八幡。

明大前に下宿し、ここへ毎日通った。

そして後年、友人と事務所をひらき、大阪へ転居する前までいたのも此処。

ちなみにココ、なんにも変わってなかった…。







東京生活の初めと終わりがココというのも何かの縁・・・。

さて、代々木八幡駅前へ。







駅前は30数年前の形を留めていて、あんまり変わっていない。

「ハシヤ」なんていう、壁の穴風の茹で立て生スパゲッティの店がまだあった。







ここへと来た訳は、当時通っていた劇団へ。

劇団青年座の研究所ができて40周年同窓会。

私らが6期だから、過ぎ去った月日にぞっとするばかり。



 

青年座、今となっては知らない人も多いだろうが、

森塚敏、初井言栄、山岡久乃、東美惠子ら、俳優座出身の俳優たちで作った劇団で、

俳優座の衛星劇団といわれた一つ。

西田敏行、高畑淳子、一時は竹中直人も在籍した。

今は西田さんも離れ、高畑さんが大幹部になっている。







考えれば、役者たちが自分たちの劇団を持ち、

それぞれTVや映画出演などでコツコツ金を貯めて

渋谷区内に劇場を持つなんてのは至難の業。

昔の怪獣映画などを注意して見ると、青年座のメンバーが出てる。

 


       



数々の自主公演を打った青年座劇場でのパーティー。

バーカウンターには40期の後輩たち。つまりは34年も後輩ということになり、

その月日の流れに軽いめまいを覚える。

和服の料亭の女将のような女性は・・・








地唄舞、神崎流家元・神崎えん先生

ニコリともせず、ピシリと叱られた。

上方舞を初めて東京に持って行ったのが、この神崎流だと今になって知る。

おそ杉くん


同期にはその拙い舞いを「グリム童話のカエルみたい…」と言われ、

頭に来て稽古場から帰って行った奴もいた。 無論そいつが悪い。

今も教えておられるのは奇跡に近い。

「アナタたちの頃はまだよかったのよ、私もヤル気で。今やゆとり教育のおかげで

日本語が通じないもの」とバッサリ。 おい、聞いてるか、後輩どもよ


こちら、一期上の5期の先輩たち。

正面の山崎さん(元電劇)、上杉さん(元夢の遊眠社)など、出てから初めて話した。

この日不在の段田安則さんもこの期。手塚さん、岩崎さん…他人の期なのに憶えてるもんだ。








結局、我々の同期は青年座に今もいる2人を除いて4人ぐらいしか来なかった。

ま、同窓会なんかそんなもんだろう。

※後からの同期会には10数人が駆けつけた…


お世話になった教師連のことを思い出すが

発声の永曾さん、狂言は現在人間国宝の野村萬さん。 

アニー演出の篠崎光正さん、モダンバレエ加藤さんやジャズダンス岡本さん。

ミイムの西森守なんていう変わり種(失礼)もいた。

受付の勝又さんも厳しいおばさんだった。


会を抜け出して、二階の昔しぼられた稽古場を覗いてきた。

野村萬先生(当時万之丞)は男気があって、前の居酒屋で全員飲ませてくれた。

生徒は順番に、回転花びら状態(風俗用語)で回って行くのであるが。







オレたちの頃は、とにかく、殴られて覚えた。

芝居に対して真摯であれ、愛情を持て、それを熱く教え込まれた。

だから殴られても、理不尽だとは思わなかった。

そんなむやみに熱かった教師たちは、早や彼岸を越えて行った。

天野創治郎、西島大、五十嵐(下の名前忘れたガラちゃんとしか、生存との噂)、

中でも脚本を作家の筆圧感じて読め、と言った鈴木完一郎からもらった情熱は、

これからも忘れることはないだろう。








職員室のような青年座映画放送の部屋、ここは劇団併設のプロダクションなのだ。

加藤健一や藤山扇治郎(寛美の甥)が今もいるはず。


ボクらの時代は、まだ新劇がなんとか体面を保っていた時代。

それが新劇の研究生でコツコツ積み上げたって、どっちみち有名になるのは

タレントやアイドルやお笑いで…一体何になるのだろうと、そんな空気に変わってしまった。

たぶん今や、新劇運動というのは有名無実なのではないだろうか。

されど芝居屋なんだから、へこまず粘って面白い芝居を作って行ってくれと願うばかり。




      



いろいろとお世話になりやした…。

遅まきながら、我が青春期との決別である。

落日を見ながら、もうここを訪れることもないだろうと思った。

ちょっとセンチメンタルになりかけた、センチメートル・ジャーニー。

旅はもうちいとだけ続くのであった。



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

下北沢~トーキョー・センチメートル・ジャーニー 2

2015-09-04 20:11:39 | Weblog

ガラリと変わったと聞いた、下北沢へ。

もう昔の佇まいではなくなってるのだろうか。

駅構内は工事中なのか、ご覧のとらえどころのない有様。








恐る恐る、南口に降りてみれば…。








おいおい…、何にも変わってへんやないけ。

昔のまんま、田舎の商店街みたいなのがあるだけ。

何処が変わったというのか。








しかし、何度、ここいらで酔っぱらっただろう。

右も左も分からぬ、箸にも棒にもつかぬ劇団研究生だった頃から、

飲むのはシモキタと決まっていた。








ただ店は様変わりしている。

当たり前だ、どう見ても20年以上のブランクがあるんだから。

と、懐かしい店を発見、「キッチン南海」。 

東京初心者の頃、この南海ホークスの旗色を思わせる看板につられ、

何度か入った。

ムチャクチャ美味くはない。カツカレーの薄いカツ、ヒラメフライもあった。

そして常に漂っていたカレー粉の匂いが今も変わらず漂っていた。

思わず、ジ~~ンと来た。

代替わりしたのだろうか、変わらずやって行くのは並大抵ではなかろう。




       



ジャズ喫茶「マサコ」はもう閉めたんだったか。「野田岩」はあるのかな。

歩き回るにつれて、まだ変貌を遂げる途上であることを知る。

架線など大規模工事が盛んに行われていた。(2018年完成予定とのこと)

店舗は飲み屋など夜の店が多いので、朝ではほとんど開いてない。

そんな中、路地に10人ほどの行列を発見。 物見高いのでちょっと並んでみると

かき氷だという。朝から、かき氷! 東京の人間の胃袋はどうかしてる。




 

北口。この辺りに闇市のような半分閉まった食品市場があって、

夜は奥にでかい大根食わせるおでん屋があった。 いまはむかし…。

おそらく、このポツンと一軒残るのは、市場の名残りだろう。


        



やけにピーカンになった。 

商店街のオネーチャンに聞くと、シモキタまだ大きくは変わっていないとのこと。

後で調べたら、小田急が地下に潜って使い勝手が悪くなったとのこと。

ナンギな話である。








同期のMとその後、下北沢探訪と題して、

「ま、お疲れさんの一杯だけ…」と小芝居して、

店の雰囲気や値段を見てサッと引きあげ、ハシゴするというのをよくやった。

その頃入ったロックバー「Trouble Peache」なども健在の様子。

そして、シモキタといえば、この一軒・・・中華の「亭」。

          
           
        

         



店は昔からこの程度くたびれていた。

何気に三角形の海苔の入った昔風のラーメンを食ったりして、

特に美味いとも思わなかったが、今になると美味いかもしれないな。

役者やミュージシャンなどがバイトしてて松重豊がいたらしい。

まだ準備中。ちょっと食いたいと思ったが、旅先での誘惑は気をつけねば、

不用意に腹を膨らましてしまうと、肝腎な次が続かなくなる。



ホントに石を投げれば役者に当たったシモキタ、

朝っぱらから、なんとなくそれらしい連中もいるのもおかしい。

まだやってんだな。俺だってスズナリは出てないが、駅前劇場に、

本多の舞台も踏んでんだぜ、加藤健一さんの芝居で。


知らんわな。








しかし…そんなに時間が経ってしまったのかな。

にわかに信じがたい。

シモキタは何かちょっと照れる街。そして、午前中からウロついたって

大して面白い街ではないというのが、よく判った。


センチメートル旅は、まだまだ続くのである。



コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする