マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

千本新地の歌姫たち

2008-12-28 01:10:48 | 



千本というと、西陣華やかなりし時代、旦那衆は北へ上がった
上七軒で遊び、お付きの者や職人たちは千本で遊んだ。
ここは旧五番町。突き当たりの千本日活のネオンが色っぽい。
あそこにはかつて検番があった。



一度来たかったヘルメス。この明かり、ムード満点。

ここは数万枚ともいわれるレコード盤があり、リクエストに応じて
即座に引っ張り出して来るという特技?がある。
客はマザーの歌詞カードを見ながら、マイクで一緒に歌うだけ。




勝新太郎の若い頃のような、井上ひろし
3人ひろしなんてことを言った。守屋浩と井上、水原弘。




♪  やっぱりオ~レは~~菊正むふねぇ~ 

の菊正 CМでおなじみ西田佐知子。関口弘のかみさん。
あらためて、声が独特で得難い魅力。



すごいすごい、カウンター内になければ、裏へ引っ込み、
2階へ行って早ワザで探し出して来る。

小ぶとりの友人、顔見世興行中の歌舞伎役者も加わる。追悼の気持ちでフランク永井の一連の大阪もの、藤山一郎「夢淡き東京」、暁テル子「東京シューシャインボーイ」「ミネソタの卵売り」・・・出る出る。

改めて、我々の時代、歌謡曲の黄金時代だったのだと知る。





 ♪  流れる雲よ城山に  登れば見える君の家
     明かりが窓に灯るまで  見つめていたっけ逢いたくて


のちに宝石商として成功する梶光夫の「青春の城下町」。
わが青春の(ホントは子供時代の)思い出の一曲である。

橋幸夫、西郷輝彦、舟木一夫の御三家。遅れて、三田明。
愛田健二、望月浩・・・ロッテ歌のアルバム。司会の玉置弘。
女性では渡辺プロ華やかなりし頃。伊藤ゆかり、中尾ミエ、園まり。
中村晃子、小川知子ら夜ヒット組が出てくる前の話・・・
小柳ルミ子、南沙織、天地真理が出てくるのはもっと後。

興奮さめやらず、地元のカメラマンH巨匠の行きつけ、
木屋町二条のバー「K6」でクールダウン。
六本木育ちの歌舞伎役者さん、ボクと同じ名前で気になってたと
お気に召した様子。




ハイボールに、食べなくてもいいのに、玉子サンド。
大原の有精卵を使用。


隣り合った女性客。お連れが眠ってしまい困り顔だった。

昭和歌謡な晩のシメは、スパイシーに・・・




食べなくてもいいのに、カレーうどんを。
京都できつねというと、普通にきざみが出てくる。



甘ぎつねカレーは大阪風の甘く煮たきつねが2枚。
甘いきつねは、カレーにもおつ。
ルーは11種類のオリジナルブレンド。



角煮カレーうどん 細うどん、ラーメン風

深酒でダレ気味の内臓にパ~ンチ!!
いやぁ~、深夜のカレーうどんは染みるわい!


        バーヘルメス           上京区上長者町
        バーK6               中京区木屋町二条
        カレーうどん味味香       中京区西木屋町六角




千本 呑っ食う(ノックとよむ)

2008-12-24 11:21:33 | 



山本富士子の清酒のポスターに迎えられて、
やってきました。洛西、千本。
しばらくぶりのぶとり会は、メンバーが揃わず、
小ぶとり会ということにして、千本再訪となった。




一軒目はここから。千本は今のように河原町やらが賑わう前、
ここが最大の繁華街だった。銀ブラ、心ブラのように、千ブラという
ことばがあった。この店は京風でもなんでもなかったが…。



できて数年の居酒屋だが、壁には多くの京都ゆかりの
俳優のブロマイド。聞けば、主人の父親がこのご近所で芝居小屋を
経営なすってた。ああ、千本。



実はこの店が混んでて、はじき出されて前の店で待っていた。
席ができたの報をうけて戻る。やっぱり、千本のヌシみたいな
ここへ行かなきゃ。



酒の三点セットも見事にピタッと収まってる気がしない?
酒は数種の日本酒をブレンドする。そんなのがアリだったんだ。
長年飲まして来た店っていうのは、どうにも頭が下がる思い。



お通しにしてこの渋さ。
稚鮎の南蛮漬、煮凍り、鱧蒲鉾




酒飲みのおっさんは人生と共にいろんなものを噛み締める。
グッと噛み締めるところに妙味がある、なまこ酢。


鯖のきずし  締め具合ぴたり



おでん数種

圧巻はころ  よくだしが染み込んでいる。


鯨ベーコン

しょっぱさと生臭さの、もっと毒々しい赤の鯨ベーコンしか
食ってこなかった。ここのはナガス鯨。口の中で溶けた…



居酒屋感覚にしては値は安くはない。
だが酒肴のグレードはよろしく、この情緒は捨てがたい。



桜エビかき揚げ



ふぐから揚げ
ああ、何処まで行っても揚げもん好き。


牡蠣フライ  た、たまらねぇ・・・



私見だが、美人画の酒のポスターある店には佳店が多い。



昭和9年創業。西陣の街と共に時を重ねる大人の酒亭。
是非とも店内の太鼓橋を越え、奥の厠は行ってみてほしい。



レジスターも恐ろしく古い。

さぁて、お目当ての歌謡曲バーへ急がなきゃ。



         神馬(しんめ)   京都市上京区千本中立売


 


青春の洋食屋

2008-12-20 18:52:11 | 

勝井さんに店のサービスについて語ってもらう。
夏木陽介のごとき竜雷太のごとき、村野武範のごとき熱さ。
勝井高校洋食部、いずれ運動部系である。
若い連中のサービスはキビキビと気持ちがいい。



鳥肝のパテ  カリカリッ・・・



山形牛のハツ 



ウニのスクランブル



カキフライ  レンコンはおまけ



カキフライはケチャップソースとタルタルソース。
ウスターも欲しいところ。



オムライス  とろとろ、うめぇ!


料理人がニーズを読み違い、先へ先へ行きすぎるのではないか。
客はついて行っていないと勝井さん。
その懸念は十分にある。
クラシックな洋食も出し方ひとつでまだまだ客を開拓できるはず。
だって、旨いもんな。


        洋食カツイ   大阪市中央区東心斎橋1




健在!大阪讃岐うどんの本丸

2008-12-20 10:33:25 | 

いつもタイミングが悪くて、無情にシャッターが降りていたりする。
この日はラッキーに開いていた。



久々にちく玉天うどんをお願いする。
このメニューをじわじわと流行らせていったのが、店主木田さん。
うどん屋ができたと聞けば、自転車を駆ってどこへでも出かけて行き、
讃岐うどんを目指す店と知るや、製法や原料の仕入れ先など献身的な
アドバイスを惜しまない。その情熱!そのフットワーク!見習いたい。
ボクは以前、半熟玉子を剥くにはこのスプーンがいい、といただいた。
(100円ショップで買えるとの話)




この日はひやし。
このコシ、弾力、最初出会った時は、この太さに目を白黒させて食べた。
今だって食べ方は下手クソだ。
スルスルッと食べたいが、下手すりゃむせ返って、ほっしゃんの裏芸みたいなことになりそう。
ゴホゴホやってると、「アンタ、讃岐うどん、白帯だね!」
誰もそんなこと言わないが、勝手に思う自意識過剰ぶり。
よって過呼吸にならぬよう、そろそろ食べる。

もちろん天ぷらは熱々、玉子は半熟トロリ。
一気呵成に、食うべし!天ぷら齧るべし!
客はみんな麺好きみたいで、ちんたら食ってるのはいないし、
気分はよろしい。

ぽいっと店を出ると、そこは千日前の家具屋街。
吉本のお膝元。すぐ向こうに見える日本家屋が「ちとせ」。
芸人御用達、肉吸いで知られるうどん屋。
釜たけさんとは競合しない大阪うどんの店だし、仲がいいそう。



来年早々、木田兄のナビのもと、本場讃岐を訪ねる予定。
天ぷらなどたのんだらいけません、麺だけを食べるようにすると
5軒は軽いです・・・とのこと。
製麺所巡礼は楽しみだが、酒が飲めないことだけが難。


       釜たけうどん   大阪市中央区千日前




350年の超老舗鮨

2008-12-19 00:26:39 | 



江戸時代、浪花八百八橋の番付表。
西の前頭七枚目にあるのが西横堀川にかかる筋違橋。
すじかいばしと読む。
別名を洒落て、すしかい橋。この橋のたもとに長いこと一軒の
鮨屋があるからだ。



そんな西横堀川も昭和の御代の都市計画で埋め立てられ、頭上を
無神経極まる高速道路が走り、筋違橋も名ばかりとなり、欄干は見るも無惨に両の手をもがれた。
大阪というところ、「歴史なんて金儲けになりまへんやろ~」と、こうした歴史的景観を平気な顔で切り捨てて来た、結局はそれが街殺しだということに長いこと気づかなんだ。今も景観保全の感覚は余りに鈍い。
水のない橋の欄干は哀しいだけだ。



筋違橋から望む、西横堀川たもとの鮨屋。
こうしてモロクロームだと、時代が昔に思えないかへ?

明治に建てられた建物で、今も持ち帰り専門店として盛業中。
小鯛雀鮨の暖簾が静かに揺れている。



小鯛雀鮨の元祖「すし萬」。元はもう少し南で営んでいた魚屋。
承応2年(1653)、鮮魚の傍ら江鮒(小ぶりのボラ)に飯を詰めた雀鮨を売っていた。ピンとひれを立てた魚が雀に似ていたという。
天明元年(1781)、禁裏に雀鮨を収めるため、ボラを鯛に作り変えたのが小鯛雀鮨のはじまり。
二階の虫籠窓が印象的。この二階に店員たちが住んでいた。



この店先だけ時間が止まっている。
戦災で奇跡的に焼け残ったこの一角も、すっかり変わってしまった。
商う寿司もすぐ食べたって美味しくない。7時間経過して味が一層熟れてくるのだ。時間の流れがゆっくり。どだい握りとは起こりがちがう。



上が名代の小鯛雀鮨。この寿司飯は、本店で薪で炊いたもの。
竈のある壁は長年の煤で真っ黒になっていた。
戦中ぐらいまでは、これ一本だけで十分商いが成り立った。
だが、戦後はそうもいかなくなった。
下は先代、七代目小倉英一氏が考案した阿奈古ずし。
煮穴子が使ってあり、これも旨い。


まったりとした鯛とごはん。しっかり噛み締める旨さ。
大阪に生を受けた人間なら、一度は食べてもらいたい。
すし萬の鮨は、時代をつらぬいて生き続けている。

 

      総本家小鯛雀鮨 すし萬   大阪市中央区高麗橋4丁目