マーベラスS

King Of Western-Swing!!
歌と食と酒、それに声のページ。

06.4.15  続編! 怖いよ、スペードおじさん!

2006-04-15 17:45:03 | カントリー
曲目で言うと、「Cowbell Polka」「Yodeling Polka」「Topeka Polka」など、特にフィドルが主旋律を取るポルカが冴えてるなぁ。それに「Cowboy Waltz」などの女性ボーカルが耳ざわりもよく、昔の映画っぽくていい。低音の魅力テックス・ウィリアムス(後年、代表作「Smoke!Smoke!Smoke that Cigallete」をヒットさせる)も実にポップである。
映画のワンシーンでクーリーは「Boiled Cabbege Down」を弾いていたが、悪漢の肩に自分のフィドルのヘッドを乗せて、笑みを浮かべながらひたすら弾き続けるクーリーの有様に不気味なものを感じた。なんだろう、この鬼気迫るしつこさは…。だが、その計り知れない気色の悪さは、直感的に当たっていたといえるのだ。

Ella Mae Evansは彼のバンドのクラリネット吹きだった。45年、バンドリーダーとして絶頂だった時代、エラはクーリーの2番目のワイフの座に納まる。
50年代になるとプレスリーの登場で、ミュージックシーンは一挙にロカビリーへと流動し出す。Western Swingも安泰ではなく、興行的にロカビリー的要素を加味しなくてはいけなくなった。柔軟にこなせるバンドもあった反面、キングと名のつく老舗バンドはそう易々と宗旨替えできるもんぢゃない。
◆「冗談ぢゃねぇや、べらぼうめ!あんなコテコテの髪の毛して、腰振りやがってよ!え?メンフィスのエルビスだぁ?エビオスみてぇな顔しやがって!そんな真似なんてできるかってんだ。おい、かかぁ、酒だ、酒買うて来い!」ってな具合で、行く手の閉塞感もあってのことか、クーリーはHard drinkingへと突き進み、過度のアルコールは彼の心臓を蝕んでいった。

63年、Ella Maeとクーリーは結婚生活の破綻を迎えていた。二人の子供MelodyDonnellは夫が引き取っていた。ある日、和解を求めていた夫人と酔ったクーリーは口論となり、激昂したクーリーは「じゃかっしゃい!」と、Ella Maeに殴る蹴るの蛮行に出た。夫人は昏倒。しかもそこへ14歳の娘Melodyを呼び寄せ、死体を汚い言葉で罵るという奇行に及んだといふ。夫婦の間で何がそこまでさせたのか…?

すぐさまタブロイド紙は『恐ろしい殺人者・スペードクーリー』と、一斉に書き立てた。名声は一瞬にして吹っ飛び、クーリーはブタ箱の人となってしまった。彼は日々写経をし(ウソ)、獄中でバイオリンを作り、囚人に音楽を教え、バンドを組んだという。「これが監獄ロックだ」と言うたかどうか…。そして模範囚として、8年の刑期をつとめ、異例の速さでシャバに出た。

長いブランクを経て、クーリーはオークランドの舞台に立っていた。3000人の観客の前で演奏をこなし、起立拍手をもらった彼はインタビューに答えた。「今日は、我が人生の休息の初日みたいな気がするんだ…」ステージを降りるや、突然彼を心臓発作が襲った。地に堕ちた巨星スペード・クーリー死す。ひとの人生ってなぁ分らないもんである。その時、ボブ・ウィルスはKing Of Western Swingの名前を取り戻したのだった。
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06.4.15  もう一人のキング・Spade Cooley!

2006-04-15 16:14:01 | カントリー

オクラホマ生まれのSpade・Cooley(1910~1969)本名Donnell Clyde Cooley、通称トランプのスペード。いなせで鉄火肌な仇名のおアニイさんである。体躯も小ぶりで東洋人っぽい顔立ち。どことなく歌うカウボーイ、ロイ・ロジャースによく似ている。想像するにルーツにチェロキー・インディアンか、はたまた中国系肉体労働者がいるのだろう。苦力(クーリー)というではないか。眉唾。

クラシックの訓練を受けているのでフィドルの技術的には確かだ。映像を見ると弓さばきもきれいで、ポルカなどを弾かせるとBob Willsより遥かに練達の腕を見せる。ダンスバンドとして長らく活躍したので、カラッと明るいダンサブルなチューンが多く、3本のフィドルとアコーディオンを多様し、曲によればアルパ・ハープが入る。

Swinging The Devil’sDreamなど革新的なアレンジと、スゴ腕ミュージシャンたち(スチールギター史にその名を残す、ノエル・ボッグス、ジョアキン・マーフィーの両氏、スモーキー・ロジャース、カクタス・ソルディ、ペドロ・デパウル、デュース・スプリッギンなど)による派手なリックが特徴の、スタイリッシュでエンターテインする音楽。それがスペード・クーリーのウェスタンスイングだった。

44年にはボーカルのテックス・ウィリアムスが歌った最大のヒット曲「Shame On You」をぶっ飛ばした。かつてボブウイルスが冠したKing of Western-Swingの称号はいまや、クーリーのものであった。
しかし、たとえポーカーの目は揃っても、現実の人生が幸せとは限らない。クーリーの後半生に、まさかあのような悲劇的な出来事が待っていようとは!
(ここでCMってか…)

1930年代、スタインベックの「怒りの葡萄」やウディガスリーの歌にも登場するようにオクラホマ州には深刻な砂嵐(ダストボール)が吹き荒れ、農地は一夜にして砂漠と化した、その難民数は30万とも40万ともいわれる。彼らの多くは、命からがらオクラホマから暖かなカリフォルニアに移動した。(ジョンフォード作品「怒りの葡萄」を見ればよく分かる)

まさにクーリー家もその中にいた。オーキーの多くは産業労働者や修理工などの職を得た。40年になるとカリフォルニアにもカントリーミュージックシーンが発展し、大型のダンスホールも次々に建造された。クーリーはそんな中、ヴェニス・ピア・ボウルルームでデビュー。またたくまに西海岸の人気者となり、ロイ・ロジャースの映画に出演したり、50年代には自分のTVバラエティショウを持つに至った。
やるぜ、クーリー!(つづく)

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06.4.14  東京を揺るがす江戸前鮨あり

2006-04-15 01:04:42 | 

今回はちょっと贅沢に鮨屋のカウンターに陣取ってみた。鮨屋では酒ではなくお茶を所望すべしという輩もいるが、宝の山に入って飲まぬ手はないぞよ。程のいい酒は鮨の味も引き立てるのだ。
さてここ鮨原正は注目の店。店前には何処からか甘いアップルパイの香りが流れていた。何故ぢゃ。カウンター8席、主人石川氏はキリリと男前である。麦酒を頼みゆるゆると始める。

まずは、気前よくブツッと切って出てきた煮アワビにガブリ寄り。タコも心地よい歯ごたえ。硬く身がしまってしまわない方法を聞くと、塩を使わず40分揉み解すのだという。とても真似できぬ。一塩した鯛は持ち味が引き出され、柔らかい。この辺で酒に。酒は奥播磨、磯自慢、松の司の3種。順に連れと往復以上いってしまう。〆鯖は松前昆布を重ねて切る。大トロは山葵で。まだ呑むと見るや、バチコをサッと炙って出して来た。ナマコの卵巣を何度も重ねては干し、丁度三味線のバチのようになるのでこの名がある。珍重なる酒肴なので姿のまま食するのは初めて、確かに酒を呼ぶわい。でもこれでじっくりと燗酒を、と悠長こいてる暇なく、テンポでむしゃむしゃと食ってしまった。ヨ~ッベンベン!殿様気分やぁ。

鮨の部に突入。春子、小肌(九州産)、づけ、車海老、煮蛤、細魚、煮穴子、玉子焼、かんぺう巻を所望。どれも軽やかで魚は飛び切り、酢飯は甘くなく、手で崩れず口の中でパラリとほどける理想型。銀座あたりで食しているのとまったく遜色のない、ハイレベルな鮨であった。いや、東京の職人の方が威張ったりするからなぁ。小笹の穴子の雉焼きの話をしてると、「それやりたいと思ってます」と店主。隣あった鮨通も「ここまで来たか…」と感慨深げ、本当に20年前では考えられぬ。今や東京も大阪もないことを強く感じた。お代はこれを東京でやるととんでもない額になるだろう。真っ当な額といえる。すこぶる気持ちのいい店だった。

ぽいっと店を出ると、よよ、そこら一帯はホテル街。こちら食欲、あちら色欲。そそくさとミナミに、仕上げのワインを飲みに消えることにした。

   「鮨 原正」  大阪市天王寺区上汐3-8-9

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