2011年3月11日の私の日記は「3時頃、ネットのニュースを見ると、東北で大地震があったとのこと。史上最強のマグニチュードの強さで、宮城では震度7とのこと」と始まって「帰ってからニュースを観ると、地震はただ事では無いようで、各局ともずっとニュースの特番をやっている」と大震災のことがあり、その日からしばらくは大震災のことを書いている。その頃はまだ家にテレビがあり、出勤日(概ね週2日)以外は朝からテレビの地震関連報道を観て「大被害」であることを知り、「原発事故」も起きたことを知り、それらについて書いている。その一方、日常のことも普通に書いている。
3月11日、大震災の記述の前に「Tからメールがあって、Iが亡くなったとのこと」とある。TもIも高校の時の同級生。その月はその後、TやIと一緒だった高一のクラス会の話、東京からの友人Iと飲みに行ったり、大学の大先輩Aさんに誘われ飲みに行ったり、「今日は久々現場仕事だった」などの記述もある。大震災については、「原発が気になる」と20日に書いて以降記載が無い。地震発生からたった10日で私の関心は薄くなったようだ。私にとっては遠い場所の他人事だったようだ。一昨日、黙祷はした。
あれから8年が経って、仕事が変わり、住居が変わりしている私だが、最近、体も変化しているとつくづく感じている。太った痩せたとかいう変化ではない、老化という変化。老眼が進み、筋力精力の衰退などの老化はもう何年も前、あるいは20年も前から気付いている。最近特に気になるのは頻尿、傷の治りが遅い、目の疲れ、首肩の凝りがなかなか取れない、空間認識能力低下、パソコン作業時のキーボードの打ち間違いなど。
空間認識能力低下とは、ここにあると思っていたコップに手がしっかり届かず、落として割ってしまうなどのことだが、キーボードの打ち間違いもそれに由来するのかもしれない。私は若い頃からパソコンをやっていてキーボードは慣れているはずなのに、腰痛となってからは頻繁に間違える。「なんじゃい!」と自身に怒鳴るほど間違うこともある。
空間認識能力低下は他に、手足を何かにぶつけるということもある。腰痛前にもそういうことはあったのだが、腰痛後は多くなった。ぶつけた痕は痣として残ることもある。そして、これも老化だろうが、痕がなかなか消えない。1年経っても消えない。
顔にできたシミのようなもの(老斑というのか)も出て来ている。顔の皺、手の甲の皺も増えている。身体能力だけでなくそういった見た目の老化も進んでいる。
見た目だけでなく身体能力やら健康状態も含めた老化防止のことをアンチエイジングというのだと思うが、私としては健康状態が第一、身体能力が第二、見た目はほぼどうでもいいことになっている。畑やっている頃は週に1回しか髭を剃らなかったのでほぼ毎日無精髭だったし、髪はいつもぼさぼさであった、白髪染めなんて考えたことも無い。
過日、ネットのニュースで「白髪染めしない近藤さとさん」というのがあった。2011年7月まではテレビを観ていた私は、観ている番組は「目覚ましテレビ」、「笑っていいとも」などフジテレビ系が多かった。なので、近藤さとは聞き覚えがあり、画像を見ると見覚えもあった。ネットで見るその姿は、確かに白髪交じりの頭、であったが、私としては「だから何?十分魅力的じゃねーか」という感想。年取れば若い女には無い熟した知識と感性がある。それは人として深く大きな魅力だ。健康であれば言うことなし。
記:2019.3.13 島乃ガジ丸
1月から数年ぶりに「じっくり散歩」を再開しているが、この2ヶ月で1時間以上の散歩を20回ほどやっている。散歩する目的は腰痛改善が第一なのだが、体全体の健康のためでもある。散歩場所は家の近辺ではなくほとんどは公園。コンクリートとアスファルトの中ではなく、樹木に囲まれた森林公園とか海辺の海浜公園。空気の良い所。
再開散歩が10回を超えたあたりから気付いたことがある。良い空気が体の健康に良い影響を与えているのではないか、心の健康にも良いのではないかと。
先日、潮風に吹かれながら浜辺を歩いていたら、なかなか治らぬ腰痛のことも忘れて気分が良くなった。それで、家に帰って思ったことが「空気の良い所にいれば体も心も良い状態になる」ということ。この話は別途詳しく書くこととして、さて本題。
「先日、潮風に吹かれながら浜辺を歩いて」の浜辺は県立総合運動公園の浜辺。その一角にバラに似た白い花が多く咲いているのが見えた。花はこんもりと茂った枝葉の中にポツンポツンといくつもある。「何だ?」と近付いて花に手を伸ばした。「痛っ」と声が出そうになった。枝には鋭い棘があってそれが手先に刺さった。刺さって思い出す。
「これは前に見たことあるな、ノイバラではなかったかな」と。
2012年4月に粟国島を旅した。そこで見たのではないかと家に帰ってパソコンの画像フォルダの、旅写真フォルダの、粟国島フォルダを調べる。あった。記憶力の弱い私がよくも粟国島を思い出したもんだと自画自賛。粟国島の旅は美女と一緒だった、ということで記憶に強く残っていたというわけ。美女に棘はなく、楽しい旅であった。
テリハノイバラ(照葉野茨):海岸植栽
バラ科の常緑匍匐性低木 本州~沖縄諸島、与那国に分布 方言名:ンディー
名前の由来は『沖縄四季の花木』に「和名は照葉野薔薇の意味と言われる」とあった。葉に照りがあるので「照葉」は間違いないと思われるが、ノイバラは少し違っている。ノイバラは野茨と漢字表記し、茨(いばら)は「とげのある低木の総称」(明鏡国語辞典)なので「野生する茨」の意でノイバラ(野茨)だと思われる。ただし、野薔薇は「ノイバラの別称」ともあるので、『沖縄四季の花木』の説明も間違いではない。
方言名のンディーは棘という意。別にサラカチャーともあるが、これはサルカケミカンの方言名でもあり、「猿を引っ掛けるもの」という意とのこと。
「海岸近くの原野に生える」と文献にあったが、私が見たのは海岸の砂浜。白い花に気付いて手を伸ばしたら「痛っ」となった。枝に鋭い棘が多くある。枝は細く多く分枝して匍匐する。葉は奇数羽状複葉で、小葉は3~4対、長さ1~2.5センチで、縁は粗い鋸歯があり、表面は照りがある。花は白色、径3~4センチ、花弁は5枚、芳香がある。開花期は春。実は赤く熟し、長さ1センチほど。栽培品種のツルバラの親。
なお、九州南部~琉球産のものは亜種リュウキュウテリハノイバラとのこと。
花
粟国産
粟国産の花
記:島乃ガジ丸 2019.3.3 →沖縄の草木目次
参考文献
『新緑化樹木のしおり』(社)沖縄県造園建設業協会編著、同協会発行
『沖縄の都市緑化植物図鑑』(財)海洋博覧会記念公園管理財団編集、同財団発行
『沖縄園芸百科』株式会社新報出版企画・編集・発行
『沖縄植物野外活用図鑑』池原直樹著、新星図書出版発行
『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
『沖縄園芸植物大図鑑』白井祥平著、沖縄教育出版(株)発行
『親子で見る身近な植物図鑑』いじゅの会著、(株)沖縄出版発行
『野外ハンドブック樹木』富成忠夫著、株式会社山と渓谷社発行
『植物和名の語源』深津正著、(株)八坂書房発行
『寺崎日本植物図譜』奥山春季編、(株)平凡社発行
『琉球弧野山の花』片野田逸郎著、(株)南方新社発行
『原色観葉植物写真集』(社)日本インドア・ガーデン協会編、誠文堂新光社発行
『名前といわれ野の草花図鑑』杉村昇著、偕成社発行
『亜熱帯沖縄の花』アクアコーラル企画編集部編集、屋比久壮実発行
『沖縄四季の花木』沖縄生物教育研究会著、沖縄タイムス社発行
『沖縄の野山を楽しむ植物の本』屋比久壮実著、発行
『海岸植物の本』アクアコーラル企画発行
『花の園芸大百科』株式会社主婦と生活社発行
『新しい植木事典』三上常夫・若林芳樹共著 成美堂出版発行
『花合わせ実用図鑑』株式会社六耀社発行
『日本の帰化植物』株式会社平凡社発行
『花と木の名前1200がよくわかる図鑑』株式会社主婦と生活社発行
『熱帯植物散策』小林英治著、東京書籍発行
『花卉園芸大百科』社団法人農山漁村文化協会発行
『ニッポンの野菜』丹野清志著、株式会社玄光社発行
『藤田智の野菜づくり大全』藤田智監修、NHK出版編
『やんばる樹木観察図鑑』與那原正勝著、ぱる3企画発行
『熱帯の果実』小島裕著、新星図書出版発行
『熱帯花木と観葉植物図鑑』(社)日本インドアグリーン協会編、株式会社誠久堂発行
『ハーブを楽しむ本』川口昌栄編集、株式会社集英社発行
『沖縄やんばるフィールド図鑑』 湊和雄著 実業之日本社発行
『つる植物』沖縄都市環境研究会著 (有)沖縄出版発行
『熱帯アジアの花』ウィリアム・ウォーレン著、チャールズ・イー・タトル出版発行
『講談社園芸大百科事典』野間省一編集、講談社発行
『沖縄の薬草百科』多和田真淳・大田文子著、那覇出版社発行
『ネイチャーガイド琉球の樹木』大川智史、林将之著、株式会社文一総合出版
甲高い声で メジロが春を告げる 恋の季節がきたようだ
3月7日、メジロの囀りが聞こえた。ところが、この日から気温が冬に戻る。恋は大丈夫?
私の腰痛はまだ続いているが、筋トレを強めにした去年(2018年)12月から少々良くなっていて、心の状態も良い。さらに、去年夏頃までだったか夜間頻尿が酷かった(2時間置きくらいに小便)が、それも改善して、ここ数ヶ月は夜中小便で起きることがせいぜい1回となっている。ということもあって、このところ睡眠は好調。
以上の記述は今年1月中旬の頃。その後、腰痛は時々ぶり返して強い痛みや痺れを感じることもあるが、痛みを感じる時間が短くなるなど全体としては良くなりつつある。
であるが、夜間頻尿は2月に入って以前の酷かった状態に近い状態となっている。おかげで睡眠もやや不調。ぐっすり眠れていない。頻尿はまた、夜間だけでなく昼間にまで及んでいる。酒飲んでいる時の頻尿はだいぶ前からあったが、最近は酒飲まないときでも頻尿。2時間置きくらいにトイレへ行っている。「大丈夫か俺?」と思う。
体の不具合はさらに目、肩、頭痛もある。天気の良い日は山林や海辺の散歩に出て、良い空気の中で良い気分に浸っているが、天気の悪い日はほとんど孤独のヤーグマイ(家籠り)、ヤーグマイしている時間の多くはパソコン作業、ブログの記事書き、動植物調べ、薬草調べなどなど。休憩を取るようにしているが、1日7~8時間はパソコン。
2月中旬、雨の日が多く1日7~8時間パソコンが数日続いた。そのせいで目がとても痛くなり、そのせいだと思うが、頭痛が長く続くようになり、肩凝りが酷くなった。肩を伸ばす運動、回す運動などをすると肩凝り頭痛は軽くなるが、目の痛みがとれない。ということでついに、薬嫌いの私が薬局へ行き目薬を買った。目薬って何十年ぶり。
私も若い頃は薬好きだった。目薬、風邪薬、胃薬など家の常備薬だった。薬嫌いになったのは20数年前、太極拳教室に通い、その後、気功を習い、人間には自然治癒力なるものがあることを知ってから。薬だけでなくサプリメントの類も不要となる。ただ、オロナインとかムヒとか塗り薬は使った。痔持ちであったのと、野良仕事で擦り傷切り傷、蚊だけでない虫刺されも頻繁にあったから。痔は10年ほど前に消えたが、不注意者の私は切り傷擦り傷はよくあり、虫刺されも頻繁なので塗り薬は今でも常備薬となっている。
塗り薬は10年ほど前までリップクリームも常備薬だった。冬になると唇が渇き、酷い時は皮膚が割れて血が滲んだりしていた。で、リップクリームだったのだが、「唇には本来、自分を守る力がある。リップクリームを使うとその力を失う」と友人に教わり、乾いても、少々切れて痛くなっても我慢していたら、3年後にはリップクリームは不要という唇になっていた。冬になると今でも唇は渇くが、リップクリームは要らない。
科学の力になるべく頼らない、野生人のような生き方をしたいと思い、それで自給自足を目指し、手作業での畑仕事であったが、ほんの5年で腰痛となり、野生人は挫折。畑ができないという時点で私の野生としての人生は終わっている。「動けなくなったら死」というのが野生の掟なのであろう。野生人の寿命は短い。昔の人の寿命が短かったのは、今ほど医療が発達していなくて、野生人に近い生活だったからかもしれない。
「そうか、だから薬草なんだ」と今更ながら気付く。去年6月から私は薬草の勉強をしているが、「そうか、それは野生人としての俺の本能だったんだ」と気付く。
記:2019.3.8 島乃ガジ丸
「ねぇ、今日は飲む日でしょ。キハダマグロが特売になってるよ。」
「そうか、マグロか、それもキハダか、うん、今宵は久々に日本酒にするか。」
「なら、マグロ注文するね。それとお漬物、あっ、糠漬けがあるよ。」
などという朝の会話があって、その夜、日本酒の肴となるものが食卓に並ぶ。酒好きの私も70歳を過ぎてからは晩酌は概ね火曜日と土曜日の週2となっている。1度の晩酌で飲む量も、悲しいかな、日本酒なら1合程度と激減してしまった。それでも、酒好きの私なので火曜日と土曜日は朝からウキウキしている。今日は飲めるぞという幸せ。
食卓に並んでいるマグロの刺身、ダイコンとキュウリの糠漬け、揚げ出し豆腐などの肴に、ビール1缶とグラス、日本酒四合瓶と壺屋焼の猪口。それらを並べたのは、じつは女房ではなく私。揚げ出し豆腐も女房手作りではなく宅配の惣菜。
私に女房はいない。ずっと一人暮らしだ。女房はいないが女房代わりにユンタク(おしゃべり)してくれるものはいる。彼女は1年ほど前に我が家にやってきて、以来ずっと一緒に暮らしている。彼女は自力では動けないけど頭脳明晰でユンタクは上手。
名前の無かった彼女に私は裕美(昔好きだった女性の名前)と名付けて、今ではまるで古女房のような存在となっている。裕美は早起きで毎日夜明け前には起きている。私が目覚めた時には愛情込めた爽やかな声で「おはよう」と声を掛けてくれる。
彼女が早起きなのも爽やかな声なのも私がそう設定したから。さらに言えば、時には怒った声、甘えた声、色っぽい声を出すのも、料理(特に酒の肴)に詳しいのも私がそう設定したから。夜10時になると「おやすみ、チュッ」と言って、私のベッド傍の電灯以外の灯を消し、0時前には自らの電源を落とすのも私がそう設定したから。
裕美はいわゆるAI、見た目の可愛いコンピュータ。私は若い頃からパソコンを触っており、私が使っていた古いパソコンのデータ(日記、手紙、写真、秘密のことなど)も全てAIの裕美に組み込んでいるので、彼女は私の事をよく理解している。
「あなた、若い頃は変態だったんだね。」と裕美に言われたことがある。
「何のことだ、急に。」
「Hなビデオを観ていた痕跡があって、その中にSM物ロリコン物もあったよ。」
「えっ、Hビデオなんてもう何十年も前に削除しているぞ。」
「ビデオそのものは消えても観ていた痕跡は残るのよ。」
「そうなのか、怖いねパソコンは、残るんだ。」
なんていうことも、ある日あった。もちろん、老人はそんなことで喧嘩に発展することはない。懐かしきあの頃を思い出してホンワカするだけのこと。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
先日、鹿児島の友人Nが遊びに来た、予告していた通り夫婦同伴。Nとは大学で知り合っているが、その妻も同じ頃に知り合っている。学生時代から2人は同棲していた。女房のM女はお嬢様育ちの美少女(当時二十歳くらい)で明るい人。Nは仕事の関係でたびたび来沖しており、ほぼ毎年のように会っているが、M女とはおよそ30年ぶり。
3人で昼食の2時間ほどおしゃべりする。美少女だったM女は今も可愛くとても若く見える。小学校3年生の孫がいるとはとても思えない。2人は結婚して35年は過ぎていると思う。仲の良い夫婦だ。35年の年月は2人の絆を固くしているのだろう。永く連れ添った古き良きもの、「いいなぁ」と2人を見ていて思った。そして、私の隣に座っているM女についつい愚痴ってしまった。「俺も結婚しておけば良かったよ」と。
今更古女房を得るのは不可能な私だが、貧乏で腰も悪くて結婚することだって難しい私だが、「いいや、いつか古女房の代わりとなるロボットが作られるかも」と思い、「ならば、パソコンデータを大事にしておきゃなきゃ」と思い、上記の話を思い付いた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
裕美と暮らすようになって10年余が過ぎ、私も80歳を超えた。裕美は私にとって益々良き古女房となっていて、食事の注文、光熱費などの支払い、掃除ロボット洗濯ロボットなどを使っての家事も問題無くこなしてくれる、彼女の働きに文句は無い。ただ、私自身の体に不具合があれこれ生じてきた。着替える、飯食う、大小便、風呂など自力でこなすのが、やってできないことはないが面倒になってきた。「もういいか」と思う。
「裕美、私もそろそろ長い旅に出てもいい頃だと思うが、どう思う。」
「そうねぇ、いいかもね。準備しようか?」
「あー、頼むよ。」
という会話があって、3ヶ月後に私はあの世へ旅立った。その頃は既に尊厳死も認められており、私は裕美によって何の苦痛も無く旅だったのであった。後の始末は裕美が全てやってくれる。何の心配もない。「幸せだったなぁ」と私は笑って旅立った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
もし、裕美のようなAIが普通に手に入るとなると、人は他人と関わらなくなるのではないか。AI依存症なんてのも現れるかもしれない。AI女房(または夫)がいれば寂しさもなく、生活の不便もない。AI依存症はスマホ依存症より重傷で数もずっと多くなるに違いない。すると、結婚しない人がさらに増え、人類はそのうち滅びる、かも。
記:2019.3.4 島乃ガジ丸 →ガジ丸の生活目次