ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

食べた分動く、動いた分食べる

2016年11月11日 | 通信-環境・自然

 オジサンと呼ばれる年齢になって70キロ近くにまで増えていた私の体重、2001年頃から始めた粗食小食によって徐々に落ち始め、2011年2月からは60キロを切るまでに減った。体脂肪率もその頃から12~14%になっていた。
 2012年7月に300坪の畑を借り、ナッピバルと名付け、翌8月から本格的に畑作業を始めた。それ以降、私の平均体重は56~58キロ、平均体脂肪率は10~12%となった。それで体調はどうか?というと、良いのかどうか、少なくとも病院へ行かなければならないような大病にはなっていない。風邪も、引いていないか、引いたとしてもごく軽い症状で、痰が少し出て「あれ?風邪だったのかな?」と気付く程度。
 体力はどうかと言うと、畑で肉体労働(機械は今のところ使わない主義なので300坪を手作業でやっている)をしているので平均以上はあるのではないかと思う。同級生を100人集めて、手作業で草刈をする。1時間後、作業を止め立ち上がった時、「いてっ、てっ、てっ」と腰に手を当て、すぐには立ち上がれない者は多いはず。1時間程度なら私は大丈夫。「1時間手作業で草刈してさっと立てる」ベスト10には入ると思う。
     

 私がメタボでないのは、農作業で体を動かしている上、粗食小食であるからだと思われる。必要以上の栄養を摂らない、余分に食べないことが、筋力に応じた体型を保っている元だと思う。粗食小食はまた、内臓に余計な負担を与えず、内臓の老化を年齢以上に進行することを妨げているのではないかとも考えられ、健康にも良いと思う。しかしながら、私は毎日煙草を吸い、毎日のように酒を飲んでいる。粗食小食のくせに、たぶん、私の内臓はさほど健康では無い。肺癌やら、肝臓癌やらの危険度は高いであろう。
 私の粗食小食は健康維持のためにやっているのではない。生きる上での私の価値観のトップは楽しいか楽しくないかであり、暴飲暴食はちっとも楽しくない。少しの酒(ほろ酔い程度)を飲むのは楽しい、コーヒーを飲みながら、飯を食った後、畑仕事で汗をかいた後、酒を飲みながら吸う煙草は美味しいので楽しい、自給の野菜を自分で料理して美味しく食べることも楽しい。そうやって死ぬまでは生きていくつもり。
     

 先々月9月16日付ガジ丸通信『砂糖の映画』は、桜坂劇場で上映されていた『あまくない砂糖の話』についての私の感想文であったが、その記事の中に映画ちらしのコピーを載せて、その中にある劇場側の映画紹介文について少々辛口のコメントを書いた。紹介文のタイトル「動けばいいんじゃない」が引っかかって、「ホントにそれでいいの?」と思ったのだ。そして、その後も「動けばいい」の意味についてしばらく考えていた。
 ガソリンで動く車で喩えてみよう。ガソリンスタンドまで走る為の十分なガソリンは常にタンクの中に入っている。それは、人で言えば基礎代謝に必要なエネルギーとみなす。それに加え2千円分のガソリンを入れる。それは動くためのエネルギーとなる。動いてガソリンメーターのメモリが基礎代謝分まで減ったら2千円分のガソリンを入れる。
 動くのに必要とする分のガソリンを入れるのであって、2千円分のガソリンを入れたからその分車を走らさなければならないなどとはちっとも思わない。つまり、「動く分を食べておく」とは思うが、「食べた分を動く」とは思わないということ。しかし、必要以上に食べることが幸せと世間は思っているようだ。それは飽食ということじゃない?

 記:2016.11.11 島乃ガジ丸


嘆きの言葉 アキサミヨー

2016年11月11日 | 沖縄04行事祭り・生活風習・言葉

 「今年は雨の日が多く」という文章を今年は何度書いただろう。雨の降った日、沖縄気象台のデータではなく、私の日記で確認すると、1月は18日、2月は19日、3月は16日、4月は17日、5月は16日、6月は19日、7月は8日、8月は17日、9月は23日、10月は16日となっている。農夫の望む雨の頻度だったのは7月だけだ、あとはみな農夫泣かせだった。お陰さまで農作業は面倒で時間がかかり、お陰さまで作物の生育も悪く、お陰さまで貧乏農夫の売り上げも悪く、貧乏はずっと貧乏のままとなっている。
 「糞暑い」という言葉もこの夏は何度も書いている。夏が過ぎて9月になっても、そして何と10月になっても「糞暑い」は何度も書いている。今年の10月の気温は平年より2度以上高かったとラジオのニュースでも言っていた。確かに糞暑かったのだ。
 「何でこんなに糞暑いんだよ!バカ!アホ!糞ったれ!」とか「何でこんな雨ばっか降るんだよ!バカ!アホ!糞ったれ!」と、天気に文句垂れていた農夫だが、11月に入って秋らしい気候となり、畑の労働も汗が滲む程度で済んでいる。そう、気温は良いのだ。しかし、11月に入ってから雨が降っていない。「この野郎、神様に文句垂れるなんて罰当りな奴だ、懲らしめてやるか」と天気の神様は怒ったのかもしれない。

 私の日記による記録では10月27日から雨が降っていない。今週火曜日11月8日までの12日間、雨が降らなかった。雨の多かった頃は土が湿っていて耕すのに難渋していたのだが、雨が降らなくなって今週日曜日辺りから土がカラカラに乾いて、土の塊が石のように硬く(沖縄の土は粘土質なのでそうなる)なって耕すのに難渋している。
 土の塊は、多少湿っていると手で握り潰せるが、カラカラに乾いていると手では無理。立ち上がって足で踏みつける。足で踏みつけても崩れないものは足で叩き潰す。何度も何度も足で叩き割って潰していく。汗をかく作業となる。時間もかかる。
 農夫泣かせの天気に対し、
 「アキサミヨー、今日も雨かよ!」
 「アキサミヨー、全く夏の太陽じゃないか!」
 「アキサミヨー、沖縄は熱帯か?雨季と乾季ってか?」などと農夫は嘆く。
 石のように硬い土の塊を足で叩き割りながら、なかなか割れない土を見て、
 「アギジャベ!」と怒鳴り、筋肉痛になりそうな足を摩りながら
 「アギジャビヨイ、俺ももう歳だなぁ」と嘆く。
     
     

 アキサミヨーは「秋雨よ、濡れてもいいわ」という意味のアキサミでは無い。私の父は吐き捨てるような口調で「アキサミヨイ!」とよく言っていたが、秋雨酔い(どんな酔いか解らないが)という意味でも無い。正確にはアキサミヨーと発音する。
 似たような意味でアギジャビヨー、アッサミヨー、ハンマヨーなどもあるが、これらは沖縄語辞典に載っておらず、アギジャビヨーとアッサミヨーはアキサミヨーから派生した変型発音で、ハンマヨーはアンマヨーから派生した変型発音と思われる。アギジャビヨーからはまた、私が嘆いたようにアギジャベ、アギジャビヨイの変型発音もある。
 沖縄語辞典に載っているアキサミヨー、アンマヨー、その説明によると、
 アキサミヨー:あれぇっ。きゃあっ。助けてくれ。非常に驚いた時、悲しい時、苦痛に耐えない時、救いを求める時などに発する声。(全文)
 アンマヨー:あれまあ。あれっ。びっくりした時、つまづいた時などに、女・子供が発する語。「おかあさん」の意か。(全文)
 ※「おかあさんの意か」について補足、沖縄語でお母さんの事をアンマーという。

 今でこそ図書館に通い、図鑑やその他の資料を読み、植物や動物、沖縄のあれこれを勉強している私だが、子供の頃は勉強大嫌い子だった。勉強大嫌いだったので学校の成績も悪かった。テストで悪い成績をとって、それを見た親が、「アキサミヨー、くぬワラバー(童)や、アンシ(何て)ディキランヌー(できない者)やる」と嘆いていた。
     

 記:2016.11.9 ガジ丸 →沖縄の生活目次


ウージゼリー

2016年11月11日 | 飲食:果物・菓子

 自作スイーツ

 肉体労働をすると疲れる。このところ(10月から)1日8時間前後の肉体労働をしている私は、腰は痛いし、両膝は痛いし、右手首右肘も痛い、身体ガタガタである。後期オジサンの私は、頻繁に休憩を取りながらでないと1日持たない。肉体労働は身体が疲れるということを私は実感している。「肉体労働をすると疲れる」は、間違いない。
 身体が疲れると甘い物が欲しくなるので、1日8時間前後働いた日だと昼食時も含めて3~4回は休憩時間に甘いものを食べていた。市販の砂糖たっぷりのお菓子も多く食べていた。であるが、「身体が疲れると甘い物が欲しくなる」を実は、私は実感しているかどうか確信がない。世間でそう言われているからそう思い込んでいるのかもしれない。
 この夏、歯周病が酷くなって、「砂糖は歯に悪影響を与えるはず」と思って砂糖たっぷりのお菓子を控えるようにした。休憩時間のお菓子はせんべいなど塩味系のものが増え、甘いものは黒砂糖が中心となった。疲れた身体はせんべいなど塩味系のものでも癒されるということを私の身体は感じた。でも、黒砂糖はその「癒され感」がより増した。
 たっぷり汗をかいて、たっぷり身体が疲れた後の黒砂糖、何となくフニャーとした気分になる。「甘いものは心を幸せにする効果があるかも」と思った。であるが、以降も砂糖たっぷりのお菓子はなるべく避けている。特に、白糖をなるべく避けている。

 「白糖を使わないお菓子を自分で作ろう、黒砂糖のようなフニャーとした気分になるお菓子を自分で作ろう」と思い立ったのは、畑のウージ(サトウキビ)を収穫して、それでウージ汁(サトウキビジュース)を作り、ウージ汁を煮詰めてウージ液糖を作り、そのウージ液糖が5リットルほど溜まった時、「これで何か作れないか?」と思った。
 「何か」を最初に思い浮んだのは、もちろん黒砂糖。黒砂糖を作るには消石灰が必要であるということは知っていた。その消石灰が手に入らないのでカルシウムで試してみたが失敗。だいぶ煮詰めないとウージ液糖はドロドロにもなってくれない。「うーん、時間かかるなぁ。ガス代もかかるなぁ。」と知り、黒糖作りは諦める。
 ウージ液糖を固めるためにはどうしたらいい?の答えはすぐに思い付いた。「そうだ、寒天を使おう。黒糖羊羹みたいなものが作れるかもしれない」と。そして、さっそく寒天を買ってきて、黒糖羊羹作りに挑戦。羊羹になるかどうか自信はない。
     

 羊羹と書きながら、「羊羹っていったい原料は何?」と思ったので広辞苑。
 羊羹
 餡・砂糖などで作る棹物菓子の一種。小麦粉などを加えて蒸し固めた蒸し羊羹、煮溶かした寒天を用いて固めた水羊羹、練り固めた練り羊羹がある。

 ということは、私が作ろうとしているのは水羊羹ということになる。かねてから「水羊羹ってゼリーと一緒だよな」と思っていたので、これも広辞苑。
 ゼリー
 1、動物性(魚肉類)のゼラチンまたは植物性(果実)のペクチンを煮出して採取した澄明な汁。また、これを利用して固めた弾力のある食品や薬品。
 2、水で溶いたゼラチン・寒天・ペクチンなどに、砂糖・水飴などを加え、流し固めた菓子。ジェリー。

 思っていた通り、水羊羹と(第2義の)ゼリーは同じものだ。ということは、私が作ろうとしているのはゼリーと言ってもよい。黒糖水羊羹とウージゼリー、ウージゼリーの方がパソコンで文章を書く時(今やっている)、文字入力しやすいし、どんなものかイメージもしやすいので、私が作ろうとしているのはウージゼリーということにする。

 粉寒天を適当な量の水に溶かしてウージ液糖に混ぜ火にかける。掻き混ぜながら沸騰させ、しばらくして火を消す。熱い内に器(四角いタッパー)に流し込んで冷めるのまで待って、寒天は常温で固まるが、冷たくして食べたいので冷蔵庫に入れて冷やす。
 10月14日挑戦第一回のウージゼリーは、粉寒天を溶かす時に使用した水の量が多過ぎたようで、ちゃんと固まらずドロドロ状態。これは失敗。
     
     
     
 10月15日挑戦第二回のウージゼリーは、粉寒天を溶かす時に使用する水の量を前より減らしたので、固まり方は前より良かったが、それでもまだ柔らか過ぎた。
     
 10月21日挑戦第三回のウージゼリー、三回目にして、やっと程良い硬さとなった。味も良い。爽やかな甘さ。これならいくらでも食える。たぶん、健康にも良いはず。
     

 来年の夏はウージゼリーをたくさん作って、これを私のおやつにしたいと思う。

 記:2016.11.9 ガジ丸 →沖縄の飲食目次


心を作るもの 映画『ふたりの桃源郷』

2016年11月04日 | 通信-音楽・映画

 小さなシネコンである桜坂劇場は、会員に会員の誕生月の映画招待券を1枚くれる。私は桜坂劇場の会員(古くからの)であり、私の誕生月は10月なので、9月に送られてくる劇場からの便りに10月一杯使える映画招待券が1枚同封される。今年も来た。
 雨が多かったせいで畑仕事が大幅に遅れており、映画を観に行く余裕は無い。が、雨の日ならどうせ畑仕事はできないので、雨の日に映画鑑賞と決めていた。
 10月14日、夜中の大雨が続いて朝も雨。で、畑仕事は休んで午後は映画とする。その日は金曜日だったのでネット環境である従姉の夫の事務所へ行き、ガジ丸HPとブログをアップして、アパート探しをして、家に帰って、昼飯食って11時25分に家を出る。映画は12時開始、桜坂劇場までは20~25分ほどだが、余裕を持ってのこと。
 県道330号を南下する。ところが途中から渋滞。家から桜坂劇場までの道程の三分の一辺りの地点から渋滞。混む時間帯ではないし、混み方が尋常ではない。想像するに、おそらく事故と思われた。そこからノロノロ運転となり、家から桜坂劇場までの道程の中間地点辺りでついに映画の始まる時刻の5分前となった。映画は諦めてUターン。

 観たい映画は21日までは日中の上映であったが、それ以降は夜の上映となっていた。夜は外に出たくないので10月18日、畑日和であったが午後から映画を予定する。その日はまた、母の命日でもあり、首里にある寺へ行く用もあった。寺から桜坂劇場へは歩いて20分ほどだ。寺に車を駐車して、映画館まで歩いて往復という計画。
 トートーメー(位牌)に母の好きなワインとフランスパンを供えウートートゥ(祈りの言葉)。寺務所へ行って、以前から美人だと思っていた事務のお姉さんに、映画観に行って帰るまでの間の駐車許可をお願いする。快く了解してもらったのでそのお礼に「賄賂です」と言ってシブイ(トウガン)とオクラ数本をあげる。そんなこんな(美人と会話がしたいという邪な想いから)に時間がかかって、徒歩では映画に間に合わなくなってしまった。ということで、バスに乗って桜坂劇場へ、上映開始時刻にギリギリ間に合う。
     

 ダラダラとどうでもいい前置きが長くなったが、その日観た映画は『ふたりの桃源郷』というドキュメンタリー映画。電気も水道も無い山で暮らす老夫婦のお話。
 「畑を耕し、山の恵みを採取する生活」に興味を惹かれ、「電気も水道も無い生活」には大いに興味を惹かれて、「観たい」と思った。いつか私もそうしたいので。
 先ずは、老夫婦の元気さに勇気付けられる。身体を動かしていれば歳取っても元気でいられる、元気なので畑仕事を続けることができる、畑仕事をするので元気、という見事な健康スパイラル。「よっしゃ!俺の未来もそう暗くは無いぞ」と勇気を貰った。
 老夫婦は全くの野生暮らしというわけではない。水は湧水を引いており、電気は発電機を使用している。時々町へ下りて、年金を引き出し米などを買っている。時には子や孫たちが訪ねてくる。ではあるが、質素で、二人きりの時間が多い。そして、二人きりの時間が素敵。お互いを信頼し合っている長年連れ添った夫婦じゃないとできないこと。
     
 長年連れ添った妻が私にはいない。したがって、老夫婦のような幸せな時間を持つことは、私にはできないこと。体は食べ物で作られるが、心は食べ物では作られない。心は他者との関わりで作られる。ということを思い知らされた映画でもあった。

 記:2016.11.4 島乃ガジ丸


罵る言葉 フラー

2016年11月04日 | 沖縄04行事祭り・生活風習・言葉

 10月28日まで糞暑かったのが、29日にいくぶん和らぎ、30日は雲が多かったこともあるが、たまに顔出す太陽も時期相応の、いかにも秋(沖縄の)らしい日差しとなって、日向の作業でも汗が滲む程度だった。それまで、太陽に向かって、
 「アホッ!バカッ!糞ったれ!」などと文句を垂れていた私であったが、「太陽もやっと正気に戻ってくれたか」と穏やかな気分、作業も進んで、1畝を耕し終えた。
 ところがどっこい、翌31日、風は秋風に相違ないが、日中晴れて、その太陽の下はまたも真夏となった。午前10時までにTシャツはびっしょり。午後になるとさらに暑くなって、頭から額から汗が流れ、顎からポタポタ落ちる。あまりの暑さに腹立って、
 「アホッ!バカッ!糞ったれ!」などの他、「フラードゥヤミ!アチャ(あした)からや11月ドーヒャー!」とウチナーグチでも罵り言葉を吐いていた。
 10月27日付ガジ丸週一日記に日向の気温(10月26日午後1時頃)を写した写真を載せたが、その時は45度あった。31日の午後、日向が余りにも暑かったのでまたも計ってみたら、その時は何と50度もあった。時刻は午後2時半、前に計った午後1時より2時半の方が暑いのであろうと思われるが、それにしても、何ちゅう気温。
     
 
 このところ沖縄の言葉についての紹介が続いているが、今週別頁の『ケンカの元』を書きながら、前に紹介した『タッピラカス』、『タックルス』を読み返していたら、「口喧嘩ならもっといろいろ使えそうなのがあるぞ」と気付き、今回は罵り言葉の紹介。
 上記の「フラードゥヤミ」は、フラーがフリムン(狂れ者)の簡略系で「バカ者」という意、ドゥは「で」ヤミは「あるのか?」という意。これに主語を加えると「ィヤーヤ(お前は)フラードゥヤミ」となる。もちろん、「フリムンドゥヤミ」でも同意となる。ちなみに、「狂れる」は広辞苑にあり、「常軌を逸する。普通でない」という意。
 バカに似た意味では「ゲレン」、「ポッテカスー」、「トットロー」というのもある。私が中学の頃、私の周りには今で言うヤンキー、その頃は不良と読んでいた連中がウヨウヨいた。彼らはよくケンカした。殴り合う前に彼らはそういった言葉を吐いていた。
 「ゲレン」、「ポッテカスー」、「トットロー」はいずれも沖縄語辞典に載っていないので、由緒正しい沖縄語ではないのだろう。私の感覚ではゲレンは「気違い」、ポッテカスーは「アホ」、トットローは「間抜け」といったニュアンスと捉えている。
 「ゲレン」、「ポッテカスー」、「トットロー」はいずれもケンカの際だけでなく、親が子を叱る時にも使われた。私は父母や祖父母にそれら3つの言葉で怒鳴られた経験がある。その他、「トゥルバヤー(のろま)」というのもあるが、実際、のろまであった私はその言葉で最も多く叱られた。他に・・・躾の言葉については次回に詳しく述べる。
     

 ちなみに、「アホッ!バカッ!糞ったれ!」をウチナーグチにすると「ポッテカスー!フリムン!クスマヤー!」となる。「クスマヤー」については既に紹介済み。クスは糞の沖縄語読み、マヤーはマユンという動詞の変化したもので「~する人」という意になる。マユンは日本古語の「まる」と同じ。「まる」は広辞苑にあり、放ると漢字表記し、「はいせつする。大小便をする。」という意、「ひる」とも言う。
 「ひる」で思い出した。罵る言葉に「ヒーヒヤー」ともあった。「屁をひる人」という意。誰もが屁をひるのだが、特にたくさんひる人というニュアンスがあると思う。

 もう1つちなみに、私が「フラードゥヤミ!アチャからや11月ドーヒャー!」と太陽に向かって罵った日の翌日11月1日はまあまあ涼しくなり、翌2日はさらに涼しく、夜中寒くて目が覚めたほど。29日の最低気温は25.2度、30日は24.3度、31日は23.5度、1日は22.0度、2日は21.6度、4日間で4度近くも下がりやがった。階段を3段ずつ降りるような急激な下がり方。「体調崩すぜ!」とまたも愚痴る。
 冬物寝具の掛け布団は押し入れにあるが、布団を出すほどの寒さでは無い。タオルケットで十分。ところが、7月下旬には済ませてあった引っ越し準備で、冬物衣料の一部、タオルケットなどは段ボールに詰めて畑小屋の中だ。9月頃には引っ越しを済ませているつもりだったのだ。例年の10月だと寝る時にタオルケットが必要となる。それまでにはいくらなんでも引っ越しを終えているだろうという甘い考えだったのだ。そういった甘い考えの人のことも「ポッテカスー」とか「ノータリン」と呼ぶ。私がそうです。
     

 以下、沖縄語辞典による説明。
 フラー:気違い。気のふれた者。また、馬鹿者。
 フリムン:ならず者。馬鹿。気違い。狂人。(抜粋)
 トゥルバヤー:ぼんやりしている者。トゥルバイムンも同意。
 クスマヤー:沖縄語辞典にはクスクェーがあり、糞喰らえという意。
 ヒーヒヤー:沖縄語辞典にはフィーフィラーがあり、よく屁をひる者という意。
 ゲレン、ポッテカスー、トットロー、ノータリン等は沖縄語辞典に記載なし。

 記:2016.11.3 ガジ丸 →沖縄の生活目次