ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

骨太番組

2014年08月15日 | 通信-社会・生活

 中国に住んだこともないし、中国民になったこともないので想像でしか言えないが、中国と日本どちらかを選びなさいと言われたら一瞬の間も置くことなく日本を選ぶ。私は日本国民で良かったと思う。何故に?・・・自由であるかどうかという一点による。
  自由は、表現の自由、思想信条の自由など、その他いろいろあるが、政府を批判して良い、政府に文句言って良い、不利益を被ったら政府を訴えても良いという自由があるという点で中国と日本とでは大いに違いがあるように思われる。一個人が国と対等に対峙できるということは、自由と平和を保つ上で重要な条件であると思う。
          

 以前、埼玉に住む友人から「この番組いいよ、ネットテレビだけど」という情報がメールで来た。この番組とは『愛川欽也パックインニュース』。番組を録画したDVDを観たら、確かに良い番組であった。この件については『きんきんどっとてれび』というタイトルで2012年5月4日付のガジ丸通信に詳しく感想を述べている。
 その感想の中で私は「愛川欽也、今年で78歳になるらしい。老骨に鞭打って国を守る人、応援したい。」と書いているが、ところが、その後ちっとも応援していない。私は家にインターネットを引いていないのでネットテレビは観られない。貧乏なのでDVD会員にもなれない。そうこうしている内に番組の存在も忘れてしまっていた。

 私は週に1~2日の数時間、HPをアップするために金曜日の職場へ通いネットを使っているが、日常生活では携帯メールをたまにやりとりするだけで、インターネットとは無関係に生きている。テレビも、まれに親戚友人の家で目にすることはあるが、それもまじまじと観ることは無く、私の日常生活においては必要の無いものとなっている。さらに私は、10年ほど前から新聞も取っていない。それらは単に生活費削減のためという理由もあるが、生きる上で必要な情報は、ネットやテレビを何時間もやったり観たり、何ページもある新聞を読まなければならないほど多くは無い、と思っているからだ。
 ネットもテレビも新聞もなくして、世間がどういう状況になっているかなど、社会人として必要な情報はどうやって入手しているのかというと、もっぱらラジオ。
  朝起きると、先ずはNHK第一、ニュースや天気予報を聴く。7時頃になってもラジオを聴ける状況(車の運転中とか)にあれば、民間のラジオ沖縄を聴く。沖縄関連のニュースや天気予報を聴いている。家に帰って4時になると琉球放送ラジオの『民謡でちゅううがなびら』、5時からはラジオ沖縄の情報番組。プロ野球中継が始まるとラジオを消し、CDとなり、7時からはNHKFMを9時過ぎまで聴いて、その後は寝る準備だ。

 7月下旬の月曜日、プロ野球中継が無く、チャンネルをラジオ沖縄のままにしていたら「オッ!」と思う番組が流れた。『ラジオフォーラム』という名。何故「オッ!」と思ったか?・・・永田町や霞が関を恐れず真実を語る内容だと感じたからだ。反原発の学者小出裕章氏が毎週電話出演していることだけでも私好み。なわけで「あー、これは愛川欽也の番組に似ている」と感じ、『愛川欽也パックインニュース』を思い出した次第。
 私はこういった番組が存在すると思うだけで心安らかになる。こんな番組が元気であれば日本が危ない国になる可能性は低いはず。日本国民で良かったとつくづく思う。
          

 記:2014.8.15 島乃ガジ丸


寺での旧盆

2014年08月15日 | 沖縄04行事祭り・生活風習・言葉

 今年(2014年)5月4日、シーミー(清明祭)で墓参りをした。例年通り、従姉のMとその夫、Mの妹のHと私の4人で、先ずは我が家の墓へ行き、次にMとHの家の墓へ行き、いつも通りの供え物をし、いつも通りのお参りをした。
 今年はしかし、例年と違うことが1つあった。我が家の墓参りの後は、今は他人の物となった私の実家へ行き、仏前へも少しの供え物をし、線香を点て、「シーミー済ませてきたよ}などと挨拶をしたのだが、今年はそれが無かった。実家が無い、仏壇が無い、仏壇に置かれていたトートーメー(尊御前:位牌のこと)もそこには無いのだ。2日後の5月6日にトートーメーの納められている寺へ行き「一昨日済ませたよ」と報告した。

 8月2日(旧暦7月7日)に例年通り墓掃除をし、例年だと「お盆にはどうぞ家に帰って、のんびりしてください」と挨拶するのだが、今年はそれが無かった。ウヤファーフジ(親祖父母:先祖全般を指す)が帰るべき家が無い。ウヤファーフジの居場所であるトートーメーが無いのだ。よって、盆もトートーメーの納められている寺でやった。
 寺を訪ねたのは5月13日の父の命日以来。実家がある頃は旧暦の毎月一日十五日(ツイタチジュウグニチ)には神前と仏前にお茶と水と米を供え、ウートートゥしに今住んでいる宜野湾市から実家のある那覇市へ通っていたが、那覇市首里にある寺にトートーメーを預けてからはそれを省いている。一日十五日は神前(火の神)が主役、その神前が無いのであれば、やらなくてもよい行事であろう、と私の勝手な解釈だ。
     

  さて、先週金曜日の8月8日(旧暦7月13日)が盆のウンケー(御迎え)で、例年だと夕方5時~6時頃、仏前に供え物をし、線香を点て、ウートートゥ(祈り)するのだが、夕方になると寺は混むであろう、寺へ行くまでの道も混むであろうと予想し、午後2時頃に出かけた。例年だと果物数種、お菓子数種を3日間供え続け、初日はそれらの他、ウンケージューシー(雑炊)を供えるが、今年は菓子だけにした。
 9日は中日(ナカヌヒー)、例年だと家にご先祖が帰ってきているので、朝食、昼食、夕食もその都度供えるのだが、今年は省いた。寺にさえも行かなかった。その代わり、親戚周りを予定し、叔父の家に行って、そこの仏前に手を合わせた。
  10日はウークイ(御送り)であった。例年だと餅の重箱、御馳走の重箱などを仏前に供え、夜8時~9時頃にはウークイの行事、ウチカビ(あの世のお金)を燃やすなど伝統的な決まりごとがあるのだが、今年はずっと簡略化した。供えたのは餅3個、御馳走はスーパーで買ったお供えセット980円也とお茶。果物もお菓子も無い寂しい仏前だが、その代わり母の好きだったワイン1本、父の好きだったコーヒー1缶を供えた。
 例年だと夜8時~9時頃にウークイの行事だ。時刻はじつは、なるべく遅い方が良いとされている。地域によっては翌日に行うところもあるくらいだ。我が家も、私が子供の頃は10~11時頃にやっていたように記憶している。でも今年は8時~9時頃どころか、それよりずっと早い午後4時に済ませた。ウンケーの時と同じ理由、混むからだ。
     
     

 寺で済ませた旧盆行事、ウヤファーフジにとっては物足りなかったかもしれないが、私にとってはすごく楽なものとなった。有難いことと、最後に手を合わせた。

 記:2014.8.13 ガジ丸 →沖縄の生活目次


ヒメマダラナガカメムシ

2014年08月15日 | 動物:昆虫-カメムシ・セミ

 害でも益でもない?

 夏は、特に沖縄の夏は、特に沖縄の夏の太陽はあんまり熱過ぎて、虫たちも「耐えられねぇーよ」なのか知らないが、梅雨時までに比べると虫の数がぐっと減った。バッタの類は変わらずにいるが、カメムシやテントウムシ類、ゾウムシ類が少なくなった。7月になってからはセミ、トンボ、チョウの類が増えている。そうそう、ヘチマやモーウイ(シロウリ)などを大好物としているウリハムシの類はヘチマやモーウイが今畑に植えてあるので、夥しくいる。夥しくいて、私からヘチマやモーウイの果実を奪っている。

  カメムシの類も春から6月にかけて畑に多くいた。先週紹介したキシモフリクチブトカメムシ、ホソヘリカメムシ、ホソハリカメムシも、今週紹介するヒメマダラナガカメムシ、コマダラナガカメムシなどもその頃に見たもの。どれも、7月になって以降は畑から消えた。8月になって大量発生しているカメムシがいるが、写真も撮っているが、調べる余裕が無くて、それはまだ、何者か判らずにいる。

 8月になって大量発生しているカメムシ、今、畑にはオクラが12株ほどあるが、それ を狙っているわけではないようで、雑草が茂っている辺りに群れている。どうやら、農夫の敵ではないようだ。ヒメマダラナガカメムシもどうやら農夫の敵ではないと思われる。私が見たのはアカギの葉上で、調べると寄主はトウワタ、グンバイヒルガオなどらしい。アカギにはノアサガオが絡みついていたので、それが目当てだったかもしれない。
 トウワタ、グンバイヒルガオ、ノアサガオなど食われても私は痛くも痒くもない。「どうぞ、どうぞ、いくらでも」といった気分。まあ、畑の作物に害を与えないので無視できる虫ということ。害虫を食べるわけでもないので益虫ということでも無い。

 
 ヒメマダラナガカメムシ(姫斑長亀虫):半翅目の昆虫
 ナガカメムシ科 本州~沖縄諸島、八重山諸島、台湾、他に分布 方言名:フー
 名前の由来については資料が無く、漢字表記の姫斑は私の想像。ナガカメムシ科という科があって、カメムシの類では比較的体が長いからナガ(長)とつく。斑については、本種の背中側を見ると「どこが斑?」なのだが、腹側が斑模様なのだと思われる。姫については、体長10ミリ内外とナガカメムシ科の中では比較的小さいからだと思われる。
 ヒメ(姫)とは「小さい」という意であるが、本種に似たものにコマダラナガカメムシという種もいる。『沖縄昆虫野外観察図鑑』によると、背中の黒色紋がコマダラナガカメムシは丸型で、本種はそうでないことで判別できるらしい。であるが、同書にはまた、「体は橙黄色で黒色紋を持つが、黒色紋の大きさ形には変異が多い」ともある。形が丸く変異したものはコマダラナガカメムシと同じになる。私にはきっと判らない。写真のものは背中の黒色紋が無いタイプのようで、私にも区別ができた。
 平地の草地や林の周辺に見られるとのことだが、私は私の畑で見た。まあ、私の畑は草地といっても差支えないのだが。寄主はトウワタ、グンバイヒルガオなどで、畑ではアカギの葉上にいた。個体数はあまり多く無いらしい。
 体長は10ミリ内外。成虫の出現は4~11月。
 
 斜めから

 記:2014.8.9 ガジ丸 →沖縄の動物目次

 参考文献
 『ふる里の動物たち』(株)新報出版企画・編集、発行
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄昆虫野外観察図鑑』東清二編著、(有)沖縄出版発行
 『沖縄身近な生き物たち』知念盛俊著、沖縄時事出版発行
 『名前といわれ昆虫図鑑』偕成社発行
 『いちむし』アクアコーラル企画発行
 『学研生物図鑑』本間三郎編、株式会社学習研究社発行
 『昆虫の図鑑 採集と標本の作り方』福田春夫、他著、株式会社南方新社社発行


キシモフリクチブトカメムシ

2014年08月08日 | 動物:昆虫-カメムシ・セミ

 牛肉ではない霜降

 首里石嶺に住んでいる頃、近くにスーパーが4軒あり、出勤の日(年毎に週休3日から4日、最後は5日と時短が進んで少なくなっていった)には職場から近いRスーパーで買い物することが多かった。Rスーパーには、牛肉では私が最も旨いと感じている山城牛があった。値段が高いので滅多に食えなかったが、消費期限が間近になって半額になったステーキ肉をたまに購入し、食べていた。そのステーキ、たぶん霜降だったと思う。
 首里石嶺から宜野湾市我如古に移ってからもたまに(年に数回)Rスーパーへ立ち寄ることがあるが、運悪く「半額」に出会わないので、私の大好きだった山城牛を、私はもう3年以上食っていない。・・・食っていないけど、それがとても残念だとは思わない。半額といえど豚肉や鶏肉に比べるとずっと高いので貧乏な今は手が出せない、ということもあるが、牛肉が食いたいという欲求が年齢を重ねるとともに薄くなってきた。

  過日、私の畑に今まで見たことのないカメムシを見つけた。「見たことないのに何でカメムシって判るんだ?」と聞いて欲しい。「形を見て何の仲間であるかはだいたい判るようになったのだ」と威張りたい・・・のだが、じつはそのカメムシ、いかにもカメムシの形をしていたのでそう威張るほどのものでも無いのであった。
 カメムシと判ったが、何という名のカメムシかはもちろん不明。図書館から図鑑を借りて、撮った写真と見比べて、キシモフリクチブトカメムシと断定する。
 「黄色い霜降模様の口の太いカメムシとい うことだな」と勝手に漢字を充て、勝手に名前の由来を想像した。「黄色い」は霜降模様の脂身に当る部分が僅かに黄色、に見えなくもない。霜降模様は高い確率で確かだと思える。口太は写真ではよく判らない。
 霜降は確かに霜降だ、と思いつつ「そういえば、長いこと霜降ステーキを食っていないなぁ」と思い出し、先日、今住んでいるアパートの近くにあるSスーパーで、賞味期限間近で半額となったニュージーランド産ステーキ肉を買い、食べた。
 久しぶりのビフテキなので美味しく料理しようと七輪の炭火で焼いた。それは美味しかったが、「オクラの炭火焼きの方が旨いかも、牛肉はもういいか」と思った。オジーと呼ばれる日も近いオジサンは、牛肉はもう卒業かもしれない。

 
 キシモフリクチブトカメムシ(黄霜降口太亀虫):半翅目の昆虫
 カメムシ科 トカラ以南の琉球列島、台湾、インドなどに分布 方言名:フー
 名前の由来は資料が無く不明。カメムシは「頭部の突き出た形がカメに似ていることから」で、亀虫という標記は広辞苑にもある。漢字は他に椿象ともあったが、その意味は不明。黄霜降口太については私の想像。黄色い霜降状の文様があり、口が太いのであろうということにした。霜降文様は認められるが、黄色では無く、白色に見える。口が太いかどうかは、私の写真では確認できなかった。『沖縄昆虫野外活用図鑑』には「体は淡褐色で不規則な黒紋がある」とあった。よって、私の想像の黄霜降口太、自信は無い。
 体長は11~15ミリ。成虫の出現は周年。寄主は鱗翅目やハムシ類の幼虫とのことなので、農夫にとっては益虫となる。
 マメ科植物を食草とするシロチョウ科の幼虫を捕食するため、ゴールデンシャワーやセンナ類の葉上でよく見られるらしい。私の畑ではグヮバの葉上にいた。グヮバについている蓑虫を狙っているようであった。幼虫の体は楕円形で朱赤色に黒斑がある。
 
 横から
 
 子供

 記:2014.8.7 ガジ丸 →沖縄の動物目次

 参考文献
 『ふる里の動物たち』(株)新報出版企画・編集、発行
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行
 『沖縄昆虫野外観察図鑑』東清二編著、(有)沖縄出版発行
 『沖縄身近な生き物たち』知念盛俊著、沖縄時事出版発行
 『名前といわれ昆虫図鑑』偕成社発行
 『いちむし』アクアコーラル企画発行


自由が目指すもの

2014年08月08日 | 通信-社会・生活

 先月8日の台風8号による畑の被害は酷く、その修復には約一ヶ月を要し、数万円の費用も費やした。野菜を作っているのにその野菜が収穫できず、他所から買わなければならなかったのでそれに要した金もある。金が無けりゃ生きていけない身の上だ。

 自由の好きな私は、他所から食料を得なくても生きていける自由を望んで自給自足を目指しているわけだが、海へ行って魚を釣り、畑の大豆で豆腐を作ってそれらが蛋白質。畑の芋(甘藷)が炭水化物、ビタミンは野菜から、油も畑のゴマや大豆から取り、食い物全てを自産したい。そして、(私が)生きるに必要な酒類も自産自作したい。
 他所から電気を買わなくても電気が使えるようにしたいため、今、風力発電機作りにも少しずつだが努力している。住むところも財産と呼べるような家では無く、粗末な、建築現場のプレハブの、それも6畳1間位の小さなものでいいから、それを畑の傍に置き、独りのんびりと生活できたらいいと思っている。誰にも邪魔されない自由がそこにある。住む場所と畑が近ければ車が要らない。ガソリンを使わない生活ができる。ということはつまり、石油からも自由になれるわけだ。煮炊きの火は薪を使えばいいのだ。
 できれば、着るもの(葉っぱでは無く、布製の、いちおう社会に出て、見られても指を指されない程度のもの)も自産自作したい。それらができたらいいなぁと願っている。まあ無理だとは思うが、それはつまり、金が無くても生きていける自由ということ。

  もしも私が仙人になれるのなら、なりたい。何でも、仙人は霞を食って生きていけるらしい。そうなれば、物を食わなくていい。食料が必要無い。食べることから自由になれるわけだ。スーパーに食料を買いに行かなくてもいい、畑で野菜を作らなくていい、料理しなくていい、などといった自由はまた、スーパーに食料を買い(金が必要となるが)に行ってもいいし、畑で野菜を作ってもいいし、料理してもいいという自由でもある。
 もしも仙人になれたら、着るものも布一枚でいい。何でも、仙人は暑さ寒さに強いらしい。であれば、裸で生活してもいいわけだが、裸だと猥褻物陳列罪で御用になる恐れがあるので、やはり、布一枚くらいは身に着けることにしよう。
          

  もしも仙人になれたら、私は完全なる自由を得ることになるが、仙人になることはきっと難しい、というか、無理。であれば、上記した通り、食料や衣類、電気も自産し、畑の近くに住処があって、ガソリンを使わない生活を目指すのが次善の策。あと10年生きるか、20年生きるか、30年生きるか、あるいは、来年ポックリ逝くかもしれないが、とりあえず「これが私の生きる道」と歌いながら歩いて行こうと思う。
 ただ、食料や衣類や電気を自給自足できたとしても、それで、「私は完全なる自由を得た」などとは思わない。私は実は、多くの籠の中にいて、それらに守られて生きている。多くの籠とは、例えば国であり、県であり、市町村であり、大元の憲法であり、法律などである。まとめて言えば社会である。社会に守られて私は生きている。
 社会と離れて、山奥で一人生きていくことはできるかもしれない。食料を自産し、食って旨いと思う。酒を自産し、飲んで旨いと思う。だけど、それはだけでは楽しく無い。人との関わりが必要だ。私の自由が目指すものは、楽しく生きるということである。
          

 記:2014.8.8 島乃ガジ丸