ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

ウルトラセブンスター

2009年12月11日 | 通信-科学・空想

 職場の、私の使っているパソコンはたびたび重い病気に罹り、重態に陥ることも何度かあった。重態になると、ハードディスクを取り出して、他のパソコンを使って中身を空っぽ(フォーマットする。全く空っぽというわけでは無い)にして、ウィンドウズを入れ直し、ドライバなども入れ直し、多くのソフトを入れ直したりしていた。
 何しろ、買って1年過ぎた頃からちょっとした不具合を起こしていたパソコンである。XPの割には虚弱体質なのである。ちなみに、会社のパソコンの購入より半年ほど早く購入した私の家のパソコンは、一度だけ重症になったが、それはハードディスクの接続のリセットですぐに直った。それ以外に病気らしい病気はしていない。
 職場の私が使っているパソコンも、家のパソコンもメーカー品では無く、組み立ててもらったもの。職場のは某パソコンショップに、私のは私の友人に。その友人によれば、部品部品に相性があって、組み立ててみないと相性の良し悪しは分らないとのこと。私のものは運良く相性バッチリで、職場のものは相性が悪かったのだろうとのこと。

 会社には、私が使っているもの以外にもう1台、XPがある。それは主に公共工事の書類作りに他の同僚が使っている。それから、三ヶ月ほど前までウインドウズ98が1台あった。公共工事の書類作りが締め切り間際になった時、助っ人が使っていた。
 三ヶ月ほど前、「古いパソコンを処分したいが」と社長から相談があった。私の使っているパソコンはいつ死ぬか分らない状態なので、「それは予備のために置いといてください。忙しくなった時は2台でも足りなくなります。1台ではどうにもなりません。」と答えた。ところが、それから数日後、その古いパソコンは捨てられた。

 公共工事の一つが先日、現場作業を終えて、検査が今日ある。建設関連の公共工事は提出書類がたくさんあって、煩雑なものが多い。提出書類がちゃんとしていないと検査に合格しない。合格しないとお金が貰えない。よって書類は、現場をちゃんと施工するのと同じくらい重要。「仕事は現場だけでは無い、会議室にもたんとある」のだ。
 書類作りに慣れているMもTもリストラされて、今いない。今回の現場監督である若いOは慣れていない。で、二ヶ月前に「今から準備しないと間に合いません、社長も手伝ってください。」と社長に進言し、書類の一部を渡した。「分った」と社長は答えた。

  三週間前、ついに私の使っているパソコンが死んだ。予備のために残してと頼んでいた98も無い。現場監督のOも翌週からは書類作りに入る。もう1台パソコンが必要。で、「社長、パソコンが2台無いと書類作りは終わりません。」と進言する。「分った」と社長は翌週、新しいパソコンを購入した。そのセットアップや、1台しかないことでのすったもんだで時間を大きく浪費したが、新しいパソコンはウィンドウズセブン。噂通りの優れもの、ウルトラセブンと名付けても、セブンスターと名付けても良いほど。
 「これなら仕事ははかどりそうです。ところで社長、例の書類はできましたか?」
 「書類?あーあれ、知らない。」と、平然と答える。全くやっていなかったのだ。ということで、ウルトラセブンスターをもってしても、とうてい間に合わない仕事量となり、Oは毎日残業、休日出勤、私も連日、家に持ち帰っての作業となった。
          

 記:2009.12.12 島乃ガジ丸


瓦版100 塵も積もれば千里の道も

2009年12月04日 | ユクレー瓦版

 何かと騒動の種になっていたケダマンがいなくなってから、ユクレー島も静かで、何の事件も起こらない。私の瓦版も野山の瓦版という名の通り、森のフクロウや、畑のミミズや川のメダカたちの近況報告が紙面の多くを占めている状況。
 そんな週末、ユクレー屋にはマミナ先生がいて、マナがいる。マナは概ね、毎月の第一週には里帰りしている。で、今日はその月初め。いつもはカウンターで私の相手をしてくれているマミナだけど、マナがいるから今日は私の隣。で、三人でユンタク。
 「トーキョーは凄かったよー。人も車も一杯でさ、酸素が足りなくなるんじゃないかって思うくらいだったよー。」というマミナの旅話の一つから、環境の話となった。

 「人も車もトーキョーには遠く及ばないオキナワだって、酸素が足りなくなるかもしれないよ、海の森が減りつつあるからね。」(私)
 「海の森って、珊瑚のこと?」(マナ)
 「南の海の珊瑚だけど、海水温があまり高いと死ぬらしいんだ。」(私)
 「あー、地球温暖化で海水温も上がるってことね。そうか、海の森も危ないのか。このままいったらどうなるんだろうね。子供達の将来は大丈夫かなぁ。」(マナ)
 「マナは何か環境にいいことやってるの?」(マミナ)
 「そうだねぇ、夏場もクーラーを使わないようにしているよ。」(マナ)
 「マナ一人が頑張ったって、世界中の砂浜の砂の1粒程度だと思うよ。」(私)
 「いや、それでもね、1日1粒で、1年で365粒になるさあ。」(マミナ)
 「365粒って、屁みたいなもんだよ、お金で考えたら365円だ。」(私)
 「その365円を世界中の人たちのうち10億人がやるとしたら?」(マミナ)
 「10億かける365円、・・・3650億円だ!すごいね。」(マナ)
 「3650億円といえば、ユニセフの1年間の援助金額の10倍さあ。一人一人が少しずつでも努力すればそんな大きな数字になる。塵も積もれば、だね。」(マミナ)

 ちょうどそんな会話をしている時にガジ丸一行(ガジ丸、勝さん、新さん、太郎さん、ジラースー)がやってきた。話は聞こえていたようで、すぐにガジ丸が加わる。

 「塵も積もればって環境の話か?それとは違うが、今度の新曲も塵も積もればって話になる。若い頃からちゃんとした食事と運動をコツコツ続けていれば年取っても元気でいられるって話だ。モデルはジラースーなんだがな、爺さんトリオにも言える。」
 「確かに爺さんトリオも元気だけど、ジラースーは人間としちゃ驚異的かもね。」
 「あー、自分では特にそうは思わなかったんだけどな、このあいだ久々、20年ぶり位に同窓会があったんだ。同級生達が皆老いぼれていたのには驚いたよ。」(ジラー)
 「今年64歳になったんだよこの人、近所の60代の人たちと比べたら女房の私だって驚くくらいさあ。走るし、跳ぶし、ほとんど病気しないし。」
 「体の鍛え方だね、我が身を甘やかさない精神力の強さだね。」(マミナ)
 「うん、いや、だから塵も積もればって話だ。ジラースーは日頃から体を鍛えている、若い頃からずっとだ。そういったコツコツが積み重なって大きな成果となる。歳取ってからも元気という結果だ。塵も積もれば千里の道にも到達するってことだ。」(ガジ)

  「あと5、6年もしたらマナの子供達も小学生になって、運動会とかあるよね、父兄の参加する催し物もあるよね、その頃、ジラースーは70歳だよね、年齢からすると曾お爺さんだよね、それでもまだ、走ったり、跳んだりしているかなぁ?」(私)
 「お前、想像したくないことを想像させるなぁ。しかしそうか、子供達が小学生になったら俺は70歳か、確かに曾お爺さんだ。走っているかなぁ?」(ジラー)
 「大丈夫だよ。あんたなら走れるし、跳べるさあ。それに見た目だってさ、今でも40代だし、あと5、6年経ったって40代だよ。お父さんで通るよ。」とマミナ、それはけしてお世辞ではない。私もそう思う。傍でマナも大きく肯いて同意している。
     

 などという話が一通り終わった後、トリオG3の唄が始まった。新曲は一つ、そのタイトルは『病も山のように』、まさしく、我々の話していた内容の唄であった。

 記:ゑんちゅ小僧 2009.12.4 →音楽(病も山のように)


一番を目指さなくても

2009年12月04日 | 通信-政治・経済

 10月末までには芋を植え終わっている予定であった私の「自産自消芋生活計画」は遅れに遅れて、12月になってもまだ草取り作業が続いている。草取り→堆肥混入及び耕運→植付という手順。その最初の草取りがまだやっと三分の二といったところ。
 芋の収穫が無ければ、週休3日を週休4日にして、月に4、5日分の給料を犠牲にした意味が無くなる。収穫した芋を自家消費して、月の食費をいくらか浮かせたとしても、2日分の給料にさえ届かないのだが、・・・金だけの問題では無いのだ。

 話は飛ぶ。「由らしむべし知らしむべからず」という言葉を私は知っている。何を言っているのかも知っている。知っているが、念のため広辞苑を引く。「民は之に由らしむべし之を知らしむべからずの略」とのこと。正しくはそういうのか、ということは広辞苑を引いて初めて知った。「民は之に由らしむべし之を知らしむべからず」を広辞苑で引くと、「[論語泰伯]人民を為政者の方策に従わせることはできるが、その理由を理解させることは難しい。俗に、人民はただ従わせればよく、理由や意図を説明する必要はない。」とのこと。これについては、私の理解はだいたい合っている。

 流行に敏感でない私だが、今話題の事業仕分けは知っている。ニュースなどで一部を観ただけだが、面白いと思った。事業仕分けを見ていると、何がどういう風な理由でもって予算をつけられたのかが何となく分る。それが面白い。いわば、「知らしむべし」という政治だ。知りたいと思う民は、知りたいと思うことを知りたい。
 事業仕分けは、知りたいと思うことを知るということでも面白いが、それに加え、仕分ける方、仕分けられる方のやり取りが真剣勝負みたいで、これもなかなか面白い。
 じつは、と改めて言うほどのことでも無いが、レンホウ(字が思い出せない)さんはどうでもいいのだが、枝野さんが、私は好きである。と言って、私が女では無く男が好きというあちらの世界の人間というわけでは無い。政治家として好きということ。
 枝野さんについては何年も前から知っていて、最も期待している政治家の一人である。その語り口には、自分の言っていることを相手に理解して貰いたいという姿勢が見える。そこが好き。国民古党の党首のような、がなりたてる人を私は苦手としている。

  好きな政治家が座長をしている面白い事業仕分けであるが、いろいろ文句も出ているようだ。文部科学省の科学技術予算の事業仕分けでは、その判定にノーベル賞受賞者という偉い人たちから文句がでた。しかしながら、ノーベル賞受賞者という偉い人たちに言葉を返すようで恐縮なのだが、そりゃあ確かに、資源の無い日本は科学技術で立国しなければならないのかもしれないが、私は、一番を目指さなくてもいいと思っている。
 国だって家計と同じ。収入に見合った生活をすべきだ。今の日本国はまるで、浪費癖のある女房のせいで多額の借金をしなければ生活できない家みたいだ。歳入が歳出の半分しかないのであれば、半分でできる生活を目指すべきである。そうすると世界一の生活水準になれないだろうが、世界で十番目でも二十番目でもいいのだと思う。平和であること、食っていけること、老後が安心であること、子供が健やかに成長すること、それらは、世界で十番目でも二十番目でもできるような気がする。金だけの問題では無いのだ。
          

 記:2009.12.4 島乃ガジ丸