ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

瓦版101 クジラの憂鬱

2009年12月11日 | ユクレー瓦版

 12月になった。といっても、一般的にマジムン(魔物)にとっては12月だろうが1月だろうが日々の暮らしに特に変わり(新月と満月は多少関わりがある)は無い。ただ、人間との付き合いがある私にとっては、人間に近い気分になる。正月は少しウキウキ気分になるし、年末は慌しい気分になり、クリスマスは恋したくなる気分になる。
 といっても、ユクレー島にいる限りではそういった気分もあまり起こらない。ユクレー島に喧騒は無い。子供達がちょっとはしゃぐくらいだ。しかし、この時期オキナワへ行ったりすると気分はパッと変わる。ナハにあるユイ姉の店なんかは年末忙しいし、クリスマスになると、恋したくなっている大人たちで賑やかになる。

 そんな12月、年末の気分、クリスマスの気分が控えめなユクレー島は今日もよく晴れていて、気分爽やか。散歩を終えての夕方、いつものようにユクレー屋へ。 
 カウンターにはマミナ、厨房にはウフオバー、店内は特にいつもと変わりは無い。もうすぐクリスマスだけど、それらしい飾りつけは無い。

 そんな景色を見渡して、
 「うん、やっぱりだね。」と、カウンターに腰掛けながら感想を述べた。
 「何がやっぱりなの?」とマミナが応じる。
 「クリスマスって感じじゃないよね、ユクレー屋は。」
 「クリスマスかぁ、そうだねぇ、別にめでたいってことも無いからねぇ。子供達が遊びに来るんならちょっと考えてもいいんだけどねぇ、ここは大人しか来ないし。」
 「オキナワのユイ姉の店も大人しか来ないけどクリスマスやってるよ。」
 「うたかたの恋を求める大人たちがいるからね、ここにはそんなのいないし。」
 確かに、この島にはそういうのを求める人はいない。さらに言えば、恋とは無縁のマミナと、恋とは、ということさえ憚れるウフオバーでは、クリスマスも無縁だ。
 「キリスト教徒でも無いしねぇ、私は。」とオバーが決定打を放つ。

 「あっ、・・・」と、マミナがカレンダーを見ながら、「今年のクリスマスは金曜日に当たるんだ。じゃあ、宴会になるね。」と続けた。
 「金曜日ならいつもと変わらない、いつもの宴会だよ。」(私)
 「あい、そうねぇ、金曜日になるのねぇ、だったら少しは飾ってみようかねぇ。」とオバーが厨房から出てきて、カレンダーを確認する。
 「ユーナが帰ってくるって言ってたさあ、この日。」
 「ユーナ?そうか、ユーナは恋したい若者だからってことか。」(私)
 「クリスマスの飾りか、そういえば、マナがいる頃はちょっとクリスマス気分を出していたね。彼女は恋する女だったからねぇ。」(マミナ)

 などとユンタク(おしゃべり)している間に夜になって、いつものようにガジ丸一行がやってきて、ユクレー島運営会議が終わって、ガジ丸がカウンター席に座った。オバー、マミナ、私の三人で語ったことをかいつまんでガジ丸に聞かせ、意見を訊いた。すると、ガジ丸はそれに答えること無く、話を始めた。ここからガジ丸の語り、その要約。

 このあいだ、ある島で物思いに耽っているクジラに会った。オジサンクジラだ、人間で言うと四十代、分別の十分備わっている歳だ。わけを聞くと、
 「生きている意味を見失った。」と言う。
 「生きていることに意味があると思うが。」
  「いや、俺は毎日たくさんの小さな命を食べて生きている。たくさんの小さな命を犠牲にしてまで俺一人の命に生きている価値があるのだろうかと・・・。」
 「ほう、そんなでっかい図体をしていて、自分が取るに足りないちっぽけなものに見えたか。ふんふん、お前、ひょっとして、振られたな?」と言うと、クジラはゆっくりと俺に目をやって、ゆっくりと目を逸らし、しばらく黙っていたが、
 「あー、」と小さく答えた。そして続けた。
 「恋などしなければ良かった。するだけ損だ。この歳になって馬鹿だ。」
 「その歳になって恋をしたってことは、たとえ振られたとしてもだな、天晴れなことだと思うぜ。人間も動物もおよそ恋をするために生きているといって過言では無い。お前は動物として正しい生き方をしてるんだ。まあ、ただ、普通はそろそろ、女では無く、花鳥風月に恋をする歳だがな。いずれにせよ、何かに恋するってことは大事だぜ。」
 「そんなもんかなぁ・・・、」とクジラは言って、空を見上げた。夜空だ。十三夜の月がそこにあり、煌々と明りを照らしていた。
     

 「というわけだ。」とガジ丸の話はここで終わった。「まあ、つまりだな、何かに恋をするということは、そこに夢とか希望とかワクワクとかドキドキとかの、生きるのに必要な要素が詰まっているんだ。だから大事だよって話だ。」とのこと。その後、そんなことをテーマにしたっていう新曲をガジ丸は披露した。題は『クジラの憂鬱』。

 記:ゑんちゅ小僧 2009.12.11 →音楽(クジラの憂鬱)


ウルトラセブンスター

2009年12月11日 | 通信-科学・空想

 職場の、私の使っているパソコンはたびたび重い病気に罹り、重態に陥ることも何度かあった。重態になると、ハードディスクを取り出して、他のパソコンを使って中身を空っぽ(フォーマットする。全く空っぽというわけでは無い)にして、ウィンドウズを入れ直し、ドライバなども入れ直し、多くのソフトを入れ直したりしていた。
 何しろ、買って1年過ぎた頃からちょっとした不具合を起こしていたパソコンである。XPの割には虚弱体質なのである。ちなみに、会社のパソコンの購入より半年ほど早く購入した私の家のパソコンは、一度だけ重症になったが、それはハードディスクの接続のリセットですぐに直った。それ以外に病気らしい病気はしていない。
 職場の私が使っているパソコンも、家のパソコンもメーカー品では無く、組み立ててもらったもの。職場のは某パソコンショップに、私のは私の友人に。その友人によれば、部品部品に相性があって、組み立ててみないと相性の良し悪しは分らないとのこと。私のものは運良く相性バッチリで、職場のものは相性が悪かったのだろうとのこと。

 会社には、私が使っているもの以外にもう1台、XPがある。それは主に公共工事の書類作りに他の同僚が使っている。それから、三ヶ月ほど前までウインドウズ98が1台あった。公共工事の書類作りが締め切り間際になった時、助っ人が使っていた。
 三ヶ月ほど前、「古いパソコンを処分したいが」と社長から相談があった。私の使っているパソコンはいつ死ぬか分らない状態なので、「それは予備のために置いといてください。忙しくなった時は2台でも足りなくなります。1台ではどうにもなりません。」と答えた。ところが、それから数日後、その古いパソコンは捨てられた。

 公共工事の一つが先日、現場作業を終えて、検査が今日ある。建設関連の公共工事は提出書類がたくさんあって、煩雑なものが多い。提出書類がちゃんとしていないと検査に合格しない。合格しないとお金が貰えない。よって書類は、現場をちゃんと施工するのと同じくらい重要。「仕事は現場だけでは無い、会議室にもたんとある」のだ。
 書類作りに慣れているMもTもリストラされて、今いない。今回の現場監督である若いOは慣れていない。で、二ヶ月前に「今から準備しないと間に合いません、社長も手伝ってください。」と社長に進言し、書類の一部を渡した。「分った」と社長は答えた。

  三週間前、ついに私の使っているパソコンが死んだ。予備のために残してと頼んでいた98も無い。現場監督のOも翌週からは書類作りに入る。もう1台パソコンが必要。で、「社長、パソコンが2台無いと書類作りは終わりません。」と進言する。「分った」と社長は翌週、新しいパソコンを購入した。そのセットアップや、1台しかないことでのすったもんだで時間を大きく浪費したが、新しいパソコンはウィンドウズセブン。噂通りの優れもの、ウルトラセブンと名付けても、セブンスターと名付けても良いほど。
 「これなら仕事ははかどりそうです。ところで社長、例の書類はできましたか?」
 「書類?あーあれ、知らない。」と、平然と答える。全くやっていなかったのだ。ということで、ウルトラセブンスターをもってしても、とうてい間に合わない仕事量となり、Oは毎日残業、休日出勤、私も連日、家に持ち帰っての作業となった。
          

 記:2009.12.12 島乃ガジ丸