ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

発明033 太股箱

2009年02月13日 | 博士の発明

 マミナ先生の家に寄ると、シバイサー博士に新しい発明品ができたという情報を得た。なんでも、前回、マミナのためにと作った『白馬のおじぃ様』で、マミナの機嫌を損ねたことから、その汚名返上、名誉挽回と新たな発明品を作ったとのこと。
 「どんな発明品かって訊いた?」
 「若返ることのできる機械だって。」
 「マミナは若返りたいの?」
 「そういうわけでも無いけどね。前のに比べたら、少なくとも女の自尊心は傷つかないさあ。肉体が若返れば元気になるし、役には立つさあ。」
 ということで、そこからそのまま博士の研究所へ向かった。

 いつものようにゴリコとガジポが出迎えてくれる。
 「博士なら研究室にいるよ。」と言うので、一人と一匹の遊び相手は後回しにして、中へ入り、真っ直ぐ研究室兼作業室へ。そのドアは開いていた。博士は起きていた。作業台の前に座って、そして、いつものように酒を飲んでいた。
 「こんにちは、博士。」と声をかけながら中へ入る。
 「やー、来たか。」と、博士はゆったりと顔を上げ、軽く笑みを浮かべる。私が来るのを待っていたみたいで、作業台の上には発明品らしきものが置かれてある。発明品は変な形をしている。変というよりも、はっきり言えば、卑猥な形をしている。腰から下の女性の下半身の形。股を少し開いて、膝を立てている形。

 「新しい発明品って、これですか?」
 「その通り。」と博士は満足気に肯く。
 「女性の下半身のように見えますが?」
 「そう、その通り。この付け根から伸びている2本が脚で、今は閉じているが、それを広げると真ん中の割れ目が開く。が、けして、卑猥なものでは無い。」
 「広げると割れ目が開くって、卑猥そのものじゃないですか?」
 「そうじゃない。子宮をイメージしたものだから、形がこうなっただけだ。けして、男の欲望を満たす目的のものでは無い。」
 「そうですか。若返る機械って聞いてますが?」
 「その通り。若返るということはつまり、母のお腹の中に戻るということだな、イメージとしては。というわけで、こういう形になったのだ。」
 「機能としては、こういう形じゃなくても良いわけですね?」
  「まあ、そう言われるとそうなんだが・・・。」と、博士は語尾を濁す。そこで、私の頭の中の電球にパッと灯がともった。名前に関係しているのだ。いつもの駄洒落だ。 
 「名前は何て言うんですか?」と訊いた。案の定、博士の顔に笑みが浮かぶ。よくぞ訊いてくれましたって顔になる。

 「太股の形をして、全体が箱になっているから太い股の箱と書いて・・・、」と、博士はここで酒を一口。駄洒落を自慢したくて勿体振る。
 「太股箱、ふとももばこですか?」と、駄洒落にはなっていないと思いつつ訊く。
 「違う、読み方が違う。たまたばこと読む。」
 「えっ、何で・・・」と口から出かかって、止めた。その意味が判ったからだ。
 「あー、なるほど。」と、私が大きく肯くと、博士は満面に笑みとなった。
 「そうだ。かの有名な、浦島太郎の玉手箱は人を老いらすが、このたまた箱は逆に、人を若返らす。母のお腹の中から出る煙を浴びれば、若返るということだ。」
 「そうですか、それはすごいですね。実際に細胞が若返るのであれば、その卑猥な形はともかく、大いに役に立ちそうですね。」
 「ん?細胞が若返るなんて言ってないぞ。」
 「若返るっていうのはそういうことじゃないんですか?」
 「細胞はなんも変わらない。気分的に若返るだけだ。この箱から出てくる煙は、超微細なファンデーションの粉だ。これを浴びると、顔の皮膚に貼り付いて、皺やシミを目立たなくさせる。見た目にちょっと若返る。で、気分が若返る。」
 ということであった。役に立つのかどうか判らなかったが、マミナのための発明品ということであり、ユクレー屋でマミナも待っているので、持って行く。

 「そうなんだ、つまり、ただの化粧品を大袈裟にしただけのものね。」と、マミナでは無く、ユイ姉が評価する。マミナも肯く。ケダもウフオバーも肯く。
 「でもさ、マミナ。気分が若返るのは大事さあ。気分が若返ると体にも力が湧いてくるさあ。化粧する必要は無いけどね。化粧なんかよりもね、もっとずっと効果的なものがあるさあ。わかるねぇ。歳だからって、諦めることはないよー。」とウフオバー。何のことだか、私にはすぐに解らなかったが、ユイ姉の目が光り、マミナの目が光った。
 このオバサンとこの婆さんは、心の中にたっぷりの愛情を持っている。愛があるから恋は始まる。なので、この先、二人に何かあってもおかしくはない。
 なお、博士の発明『たまた箱』は、その卑猥な形がユクレー屋の品格を傷付けるということで、その日のうちに博士の元へ返された。ケダがひとっ飛びした。
     

 記:ゑんちゅ小僧 2009.2.13


痛快田舎劇 

2009年02月13日 | 通信-音楽・映画

 土曜日(7日)、久々に映画を観に行った。去年10月の『民男の結婚』以来のこと。その4ヶ月の間、観たい映画が無かったわけでは無い。『歩いても歩いても』、『闇の子どもたち』などいくつかあった。しかしながら、映画よりも優先する事項が(散歩や畑仕事などを含め)多くあって、その時間が作れなかった。
 その日、これも久々、正月以来となる父のパソコン講習をやった。私の家は首里石嶺にあり、映画館の桜坂劇場へはバスで片道30分はかかる。実家からは徒歩15分で済む。実家へ行ったついでに映画を観に行くというのは、15分の散歩もできるし、とても合理的である。久しく映画を観ていないということも理由になって、特に観たい映画があったわけでは無かったのだが、桜坂劇場へ出かけた。

  映画は『マルタのやさしい刺繍』という題。スイス映画。桜坂劇場から送られてくるチラシを見ると、倭国でも去年の秋に公開されて、ヒットしているようである。
 「ヒットしている」理由は何となく解る。観終わった後、爽快な気分になるからだ。1000円では足りないほどの爽快な気分を、私は味わうことができた。
 80歳の老婆が、新しいことを始める。若い頃やりたかったことだ。息子や村の有力者から反対され、妨害もされる。友人の一人だけが彼女の理解者で、他の友人たちからも初めは反対される。しかし、彼女は夢に向かって突き進む。反対していた友人達もいつしか彼女の理解者となる。そして最後には・・・、話の筋を語るのはここまでにしておこう。あとは観てのお楽しみ。難しい映画では無い。楽しめる映画。一言で言うならば、痛快田舎劇。元気の欲しい人は、観たらたぶん、元気が貰えると思う。
          

 観終わって気分爽快になった私は、帰りのバスの中で父のことを思った。父は今、パソコンの勉強中である。しかし、なかなか進歩しない。やりたい気持ちはあるのだが、進歩しない自分に苛立ち、気力が続かないみたいである。
 血液型で人の性格がわかるもんかい!と思う人も多かろうが、私は少し信じている。父はA型である。几帳面である。几帳面な人は概ね完璧主義者である。
 父は自分の書いた文章が気に入らないと全て削除する。なので、これまで10回以上文章書きをしたにも関わらず、残っていたのはたったの4行であった。で、考えた。その完璧主義的気分を捨て去ってもらおうと。
 「テーゲー(大概と書く。だいたい、適当という意味のウチナーグチ)でいい、文章がおかしいと感じても、誤字脱字があっても気にするな、細かいことは構うな、とにかく前に進もう。」ということにした。私の性格に父が合わせるということになる。

 何年か後に出来上がる予定の父の自叙伝、それに私は完璧を求めない。本になることが夢だが、本にする価値は無いと評価されても私は別に構わない。完璧に拘って何もできないより何か残った方がはるかに増しと、自身にも完璧を求めないO型の私は常々思っている。映画の主人公、マルタの刺繍は完璧だったが。まあ、人はそれぞれだ。

 記:2009.2.13 島乃ガジ丸


瓦版082 元気の源

2009年02月06日 | ユクレー瓦版

 いつもの週末、いつものユクレー屋、カウンターにはユイ姉がいる。オキナワの店は信頼できる人に任せているらしいが、それにしても、ここに来てもう一月半ほどになる。大丈夫か?と思うが、私やケダマンにとっては、ユーナやマナよりユイ姉の方がいい。なにしろ、この道のベテランだ。酒の肴も旨いものを作ってくれる。

 「ねぇ、ちょっと裏に行って、パセリをどっさり取って来てくれる?」と言う。ユイ姉の視線はケダマンに向いている。なので、ケダマンが答える。
 「ん?裏って、すぐそこだろ?自分で取って来いよ。」
 「あんたたちのために料理作ってあげようと思ってるんだけどね。」と、ユイ姉はいつもの穏やかな口調だが、眼鏡の奥の目がギラっとひと睨み。逆らえない。
 「分ったよ。パセリだな。緑の、むじゅむじゅしたやつ。」と言って、ケダマンは裏口から外へ出る。外の風が開いたドアから吹き込む。
 「ひえー、寒いねぇ。」と、ケダじゃなくユイ姉。まあ、この時期は一年でもっとも寒い季節。南の島とはいえ、外の風は冷たい。・・・人間には、冷たい。

 「そういえば、あんたたち、あまり寒さを感じないんだったね。」
 「そうだね、感じないことはないけどね、この程度は平気だね。」
 「暑いのにも平気なの?」
 「暑さも大丈夫だね。でも、寒い暑いの気分は分るよ。マジムン(魔物)になる前の記憶が残っている。僕はどちらかというと、寒さに弱かったな。」
 「ふーん、それが、マジムンの今は平気なんだ。そういえばさ、シバイサー博士は元気なのかどうか判断が難しいけど、あんたやケダやガジ丸はいつも元気だよね。」
 「元気っていえば元気だね。元気じゃなくなる理由がないからね。」
 「元気じゃなくなる理由って、あー、そうか、病気になることがないんだ。でもさ、病気にならないから元気、ってことにはならないよ、普通はね、人間はね。」
 外の冷たい風が一瞬吹き込んで、ケダマンが戻ってきた。すぐに話に加わる。
     

 「あれだろたぶん、元気の気は気持ちの気ってやつだろ。人間は傷つきやすい体を持っている上に、心はさらに傷つきやすくできているからな。」
 「心ならさ、あんたたちも持っているじゃない。ケダなんかさ特に、泣いたり、笑ったり、拗ねたり、怒ったり、普通の人間の心と変わらないような気がするけど。」
 「俺は昔人間だったから、その頃の記憶が残っているだけだ。こういうことされたらこういうふうに思うって記憶だ。それが条件反射みたいに出てくるんだろうな。」
 「ゑんちゅはさ、そういうのあまり無いね、ガジ丸もだけど。」
 「無いね。喜怒哀楽の記憶が薄いんだろうね、ネズミには。でも、泣いたり、怒ったりは無いけど、マジムンになってからは、笑うことはよくあるね。」
 「だね。あんた、いつもニコニコして、元気いっぱいって感じだよ。」

 普段は考えることもなかったので気付かなかったが、そういえば、私はほとんど四六時中楽しい気分にいる。悲しみの源になるモノが無いのだと思う。
 「今、思いついたんだけどさ、動物は生きることそのものが目的だから、生きていられることで満足する。それに対し、人間は元気になるための条件が多すぎるんだと思うよ。恋人がいないと、お金がないと、美味しいもの食べないと、とかね。」
 「そうかぁ、人間は幸せになるための条件が多過ぎるのかぁ・・・。」
 「生きているって言っていいのかちょっと怪しいけど、とにかくこうやって、見たり、聞いたり、しゃべったりするだけで楽しいんだ。これが僕の元気の源かな。」

  などと話しているうちに夜が来て、いつものようにガジ丸一行がやってきた。
 その日、ガジ丸から私にプレゼントがあった。プレゼントは唄、私のテーマソング。前に、ガジ丸の唄『古い猫は旅に出る』を聴いて、私のテーマソングも作ってくれと頼んであったのだが、それができたとのこと。題は『野山の瓦版』。
 さっそく歌ってくれたが、「明るく軽快なものを」という私の注文通りのものだった。唄の披露が終わった後、元人間だったケダマンが、人間みたいに拗ねた。
 「ガジ丸、俺のテーマソングは無いのか?」
 「ん?お前のテーマソングって、ずいぶん前に作ったと思うが、忘れたか?」
 「ずいぶん前・・・あー、あれか、あー、そうか。」
 ケダマンのテーマソングというのは『空を飛ぶなら』という題らしいが、
 「あれ、ずいぶん短い曲だよな、一番しかない。」と、ケダはなおも拗ねていた。
     

 記:ゑんちゅ小僧 2009.2.6 →音楽『野山の瓦版』


山を越えることなく

2009年02月06日 | 通信-その他・雑感

 火曜日の夢を見た。火曜日はゴミ出しの日だ。ゴミの袋詰めは前夜に準備してある。出勤時に出す。その後のことははっきり覚えていないが、いつものように仕事をして、いつものように帰って、いつものように夜を過ごし、いつものように寝た。
 朝、目が覚めて、台所へ行くと、出したはずのゴミが玄関に残されている。「あれ?昨日、確か出したはずなんだが・・・。」と不思議に思う。
 火曜日と水曜日とでは朝飯の種類が概ね違う。その時、台所に準備されていた朝飯の種類は火曜日のものであった。そこでもまた、「???」となったのだが、その後すぐに、「あっ、今日は水曜日じゃなく火曜日か、火曜日一日過ごしたのは夢だったのか。」と気付いた。何だか変な気分。一日得したような、損したような。

 それから数日後、今度は一夜でたくさんの夢を見た。どの夢も最後にハッとするようなことがあって、目が覚めた。ハッとするようなこととは、他人を傷付けたり、罪を犯したり、大怪我をしたり、不治の病を宣告されたりといったようなこと。覚えているのは4、5回だが、おそらく、似たような夢をその数倍は見たと思う。
  ハッとする夢は、ハッとしたことだけが大きく記憶に残っているだけだが、最後の夢だけははっきり覚えている。そして、最後の夢は、ハッとするようなことは無かった。
 私は演劇学校の生徒である。私を含めたクラスの男子3人が先生に呼び出される。先生は若い美人の先生。自分の才能に自信を無くし、演劇に対する情熱も失いかけた男子3人を、彼女はサイクリングに連れ出す。4人で自転車を漕ぐ。緩やかな坂道を上っていく。その間、先生はいろいろ話してくれる。演劇のこと、人生のこと。
 途中から女子が1人加わる。才能があって、成績優秀で、生意気だと思われている女子だが、私とは仲が良い。でも私は、好きな子は別にいる。大人しい子だ。だけど私は、本当に好きな人は先生である。実は、私の悩みは演劇では無く、そっちの方であった。

 映像も現実そのものであったが、私の心の動きがとてもリアルで、目が覚めるまで、私はそれが夢であるとはちっとも思っていなかった。なので、覚めた時、「なーんだ夢か」と大変がっかりした。悩める少年は、悩みながらも幸せだったようだ。
 夢は、上り坂がもうすぐ終わり、坂のてっぺんが見えたところで終わった。行先に光が見えているという暗示だと思って、私は幸せな気分で目が覚めた。
          

  ところが、よく考えると、夢の中でも私は山を越えていないのであった。ギターに挫折し、バンジョーに挫折し、ベースにもピアノにも挫折し、英会話に挫折し、スペイン語や中国語に挫折し、仕事に挫折し、結婚に挫折した。挫折だらけ人生なのだ。これまで、山を越えることなく生きてきたのだ。山の向こうに何があるかを知らない人間なのだ。
 それでも、だ。それでもなお、そんな人間でも生きている。楽しい夢を見て、幸せに浸っている。挫折を味わい、将来を悲観している青年達へオジサンは言いたい。自暴自棄になる必要は無い。貧乏でも孤独でも、食っていけるだけの最低限の稼ぎさえあれば生きていける。自分や他人を傷付ける必要は無い。平坦な人生も悪くは無いぜ。
          

 記:2009.2.6 島乃ガジ丸