ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

日本人の美徳

2005年06月10日 | 通信-その他・雑感

 確かめたわけでは無いがたぶん、沖縄には行列のできるラーメン屋、すし屋、饅頭屋などは無い。4、5分位なら待つかもしれないが、10分待つくらいなら普通の食堂で、待たずにゴーヤーチャンプルーを食った方がましだと思う。もしも沖縄のどこかで行列のできる飲食店があったとしたら、その行列に並ぶ多くは観光でやって来た倭人であろう。
 愛知万博の人気の高いパビリオンは2時間待ち、3時間待ちなどとなる。そんな時間を列に並び辛抱強く待つことは、私には不可能であった。会場へ向かうリニモで待たされる。会場の入場口で待たされる。各パビリオンで待たされる。並んで待つことを苦手としているウチナーンチュには、万博見学はしんどいものであった。正統派ウチナーンチュの私は1日でウンザリしてしまい、「もう2度と来るまい」と決心したのであった。
 しかし、それにしても、のんびり屋のウチナーンチュは待てなくて、せっかちな倭人が待てるなんて、いったい、いかなるわけだろうか。
 名大関貴乃花が死んだというニュースは名古屋3日目の夜だったかに聞いた。私の祖母が貴乃花の大ファンで、北の湖との対戦の時などは「クヌ(この)北の湖ワタブター(腹太)ヒャー(め)死ニクヮレー(死んでしまえ)」などと、テレビを観ながらえらく興奮していた。私は、顔が不細工だからという理由で不人気らしい北の湖に同情し、「死んでしまえ」なんて言い方をされては気の毒だと思った。しかし、そのうち世間の多くの不細工な顔の持ち主たちも、私(私は私の顔が不細工なんて微塵も思っていない)同様北の湖に同情するに違いない。北の湖の無念な気持ちが良く解る彼らによって、人気もでてくるに違いないと期待した。ところが、北の湖はいつまでたっても人気がでなかった。どうやら世間の多くの不細工な顔の持ち主たちも私同様、自分では不細工と思っていないらしい。
 話が飛んだが、死んだ貴乃花が、兄である先代若乃花と一緒に出ていたコマーシャルがあった。何のコマーシャルだったかは覚えていないが、「人間、辛抱だ」(おぼろげなので正確では無い)というセリフは、先代若乃花の渋い顔と共に記憶に残っている。
 愛知県は大相撲の力士の輩出が最も多い県だと聞いた。沖縄県出身の力士は少ない。私の記憶では、十両以上の関取になったのは過去2人しかいないのではないか。おそらく沖縄県は力士輩出のもっとも少ない県であろう。辛抱を必要とする大相撲の世界でそうだということは、ウチナーンチュは辛抱弱い性質なのだと考えられる。愛知県は逆に、辛抱強い人間が最も多い地域なのであろう。辛抱強いの代名詞ともなる徳川家康を生んだ国である。戦国の世から続く美徳は、名古屋の経済発展にも大きく寄与しているに違いない。
 辛抱強いのはもちろん、愛知の人ばかりでは無い。長い時間並んで待つ光景は、旅先でも見るし、テレビのニュースでもよくやっている。おそらく沖縄を除く日本国民は概ね辛抱強いのであろう。サッカーのサポーター、感情に任せて暴れたりする他国に比べ日本人は辛抱強い。暴れている外国のサポーターたちには、その精神力の弱さを感じる。負けた悔しさにじっと耐えている日本人サポーターを見ていると、何だか誇らしくなるのだ。

 記:ガジ丸 2005.6.10


愛知万博見聞禄その2

2005年06月10日 | 通信-その他・雑感

   ウチナーンチュは頑張って30分

 万博見学をメインとした今回の名古屋への旅、当初は月曜日だけ休みを取っての週末を予定していたが、ホテルが空いてなくて日曜出発となってしまった。それはしかし、平日の万博見学となり、間違いなく週末よりは空いていると思われたので、混雑の大嫌いなウチナーンチュにとっては好都合でもあった。リニモの混みよう、ゲート前の混みようは予想外であったが、それも週末に比べればたいしたことでは無かろうと想像された。
 万博会場内へ入ったのは10時を過ぎていた。ゲート前にはたくさんの人がいたが、中へ入ると広い。右へ左へ人は流れて行き、混み合っているという雰囲気は無かった。「よしよし、さすが平日、これならば見たいパビリオンが楽に見られそうだ。」とほくそ笑みながら、先ずは企業パビリオンのゾーンへ向かう。途中に各パビリオンの混み具合を示した電光掲示板があった。60分待ち、120分待ちなんて書かれてあったが、「人気はいくつかのパビリオンに集中しているのだろう。全てが混んでいるわけではあるまい。」と予想された。が、それは甘い予想であった。私が最初に向かった企業パビリオンAゾーンは、Bゾーンに比べると前評判の高いパビリオンは少なかった。ところが、そのAゾーンにあったどのパビリオンにも長蛇の列ができていた。何てこった!なのであった。
 確かに、広い道は混雑していることは無かったのだが、パビリオンだけでなく飲食店のある建物の周り、ベンチのある広場などにはたくさんの人が群れていた。平日なのになんで?・・・じつは、平日だからこその混みようであった。あっちこっちに群れている人々のなかに、たくさんの高校生、中学生、小学生たちがいた。彼らは修学旅行、または遠足での万博見学であった。今は修学旅行のシーズンでなのであった。不覚であった。
 企業パビリオンには60分待ち、120分待ちなんてざらにあり、中には180分待ちなんてのもあった。並んで待つことを苦手としているウチナーンチュにとっては、60分待つことも無理。2時間、3時間なんて論外の話だ。30分待つことでさえ、はるばる沖縄から来たんだけどなあ、どうしようかなあ、などと悩んでしまう。
 待ち時間の無い、あるいはほとんど無い外国のパビリオンを先に見学する。グローバルコモンと呼ばれる各国パビリオンの集まったゾーンをコモン3、コモン4、コモン5、コモン6と続けて巡り、パビリオンを全部で20箇所余り覗く。その多くが観光客誘致やらその国の物産展みたいになっていて、ここでも商業主義かいと思い、感動も何も無い。地球環境がどうのこうのをテーマにした国は少なかったように感じた。
 雨が降り出した。午前中にもパラパラとあったが、午後3時頃から降り出した雨は、小雨ではあったが降り止まない。軒の下を伝いながらいくつかの外国パビリオンを見て、休憩場所へ行って少し休む。そこにパーラーがあったので、ビールを一杯飲む。30分ほどボケーっとする。ボケーっと過ごすくらいならその30分、列に並んでもいいのではないかと考える。立ち上がったが、その時雨が強くなった。食堂へ入って、味噌カツとビールを頼み、さらに30分を過ごす。それからグローバルハウスへ向かった。友人に薦められていたハイビジョンによる大画面映像を見るためだ。幸運なことにそこは15分待ちで済んだ。マンモスは屁みたいなもんだったが、ハイビジョンはすごかった。すごかったのだが、私は途中から寝てしまっていた。ビールの酔いが回ってしまったのであった。
 その後、わざわざ沖縄から来たんだからと大決心して、30分待ちという列に並ぶ。前評判の高い長久手日本館。昼間はここも2時間待ちだったが、夕方になってやっと30分待ちとなった。最後尾に並ぶ。そして、長い間待って、立ちっぱなしの腰がガクガクになったころ、やっと360度の映像の部屋に入る。映像は5分もあったかどうか。他の多くの人はどう感じたのか知らないが、満足した人もいたかもしれないが、私には「こんなものに何で俺は30分も待ったんだろう」という内容の5分間であった。

 記:ガジ丸 2005.6.5