愛知万博で、私が最も観たいと思っていたのは最先端のロボット工学。しかしながら、辛抱弱いというウチナーンチュのDNAのせいで、その目的は果たせなかった。
マジンガーZは、ガンダムは、鉄腕アトムは夢のままで終わるか、はたまた現実のものとなるのか、とても興味がある。ペットロボットのアイボくらいでは、私は満足しない。アイボがもう少し進化して、アトムのように感情を持ち、臨機応変に人間と付き合えるようになれば満足する。満足はするが、ペットを飼うのがあまり好きでは無い私は、そんなロボットを買って、手元に置こうなどとは思わない。
私の欲しいロボットは、頭の良いロボット。物事を処理する際に、それが合理的であるか、効率的であるかなどの判断能力があり、処理する際の作業においても計算が速く、行動も速やかである事務処理に長けたロボット。いわば、“できる”秘書ロボット。
秘書ロボットはしかし、人間型ではあっても良いが、女性のような体をしていてはいけない。美人でもあろうものなら、彼女に恋をしてしまう恐れがあるからだ。人間としての尊厳を守るためにも、恋人はロボットなんていうようなことは無いようにしたい。
秘書ロボットはだから、スターウォーズのC3POのような外見が良い。恋をする可能性が極めてゼロに近いからだ。事務処理は事務的に処理し、余計な感情は持たない。質問すると、的確な答えをすぐに出してくれる。中性的な声で、はきはきと明瞭にしゃべる。それに加え、世間話や日常的なことについての話においては冗談を言い、冗談を判ってくれる。控えめに驚き、控えめに笑い、控えめにムッとしたりする。そういったロボットが秘書でいてくれたら、私の日常はとても楽になると思うんだが・・・。
まあ、そんなロボットがもしできたとしても、それはまだまだ先のことであろう。あと50年後か、100年後か。その時、既に私はこの世にいない。しかし、それよりずっと早く、愛玩用の人間型ロボットは実用化されるかもしれない。少女を監禁して、自分の意のままに操ろうとする人間が、バーチャルの世界と現実の世界を混同するような人間が、この先増えるであろうと予想されるからだ。そんな彼らのために、意のままに動かせる愛玩用(設定により奴隷型仕様にもなる)ロボットが必要になってくるに違いないからだ。
恋人はロボット、子供は人工授精、育児は育児用のロボット、なんていう人生の煩わしさを経験しない若者が増えてくる。彼らはまたコンピューターの扱いに長けているので、若いうちから社会のリーダーになっていく。バーチャルな彼らは、自分にとって役に立つか立たないかでモノを判断する。役に立たないモノは切り捨てる。アナログな生き方をしている私なんかは真っ先に切り捨てられる。でも、心配は要らない。そんな世界がやってきたとしても、その頃、既に私は先の無い年寄りとなっている。
爺さんとなった私は、まだ健康であれば、田舎である沖縄の、さらにその田舎に住み、畑を耕しながら自給自足の生活をしているであろう。私の恋人はロボットでは無く、土と風と太陽と水と草木など。思いっきりアナログの暮らしをしている。ロボットを恋人に持つデジタルの若者たちから見れば、理解不能な人間。役に立つか立たぬかも不明。切り捨てるも何も無い。もはや見て見ぬ振りをする外無い。その時には、「これが人間だ!参ったか!・・・雲子も臭せぇぞ!」と言ってやるのだ。
記:2005.6.17 ガジ丸