6月末日、友人KとTを我が家に招いて昼間(午前11時半)からグダグダ飲み食いしながらのユンタク(おしゃべり)会を催した。私が準備した飲物と2人が持ってきた食い物が並べられたテーブルの前に腰を下ろす。座って30分もしないうちにTが「車に忘れ物した」と部屋を出て行った。それから約5分後、Tから電話、「部屋、どこだったっけ?」と訊く。「えっ?何だって?」と私。私の部屋は2階、駐車場から最も手前の部屋。部屋を出て駐車場へ下りて、車から忘れ物を取って、階段上がって私の部屋の前まで早ければ3分だ。たったそれだけの道程を記憶してないのか?何ちゅーこと。
「いやー、あれだ、認知症って奴だ、いよいよ俺もだよ」とTが笑う。Kも笑う。私も笑いながら、つい先日我が身に起きたことを思い出した。
「2、3日前のことだ、図書館行って調べものして、その後、家に帰る途中にあるSスーパーへ寄って、その夜の肴など買うべきものを買って家に向かう。ところが、買い忘れに気付いたので家の近くのスーパーにも寄って、買いものをして家。買ったものをテーブルに出すと、何と同じものが2つ、違うスーパーでそれぞれ同じものを買ったようだ。何じゃ、こりゃー!だよ、大丈夫か俺と自分の脳味噌を疑ったよ。齢のせいだろうな。」
と数日前の我が身に起きた驚くべきことを2人に語った。2人とも高校からの付き合いの同級生。「お互い、齢とったなぁ」と皆で笑った。
皆で笑ったのは半分冗談、「たまたまそうだっただけのこと」だ。実は私は自分の脳味噌の劣化をさほど重度のものとは思っていなかった。ところが、忘れもしない「もうすぐオジー」3人でまったり時間を過ごした日から3日後の朝食に事件が起きた。
翌日の朝食にするつもりで前日に沖縄ソバを買ってあった。で翌朝、ソバを湯通しするために鍋に水を入れて火にかける。ベランダ栽培している青ネギを少し引き抜いて、台所に持っていき、洗って刻む。前日の残りの煮物に水を足し、味を付け、ソバ汁の準備をする。そうこうしている内に鍋の湯が沸騰した。冷蔵庫を開ける。ソバは手前の目立つところに置いてある。だが、私の手は、何故かその上の棚にあった島原手延べソーメンを掴んでいた。それを袋ごとコンロの傍に持っていって、1束取り出し、鍋に突っ込んだ。
鍋の水が沸騰する、そのほんの2、3分前までは、沖縄ソバのことがちゃんと頭にあったのに、冷蔵庫を開け手前の沖縄ソバを取らずにソーメンを取ったのは何故か?見た目ぜんぜん違うぞ、一方は生麺で、もう一方は乾麺だぞ、色も違うぞ、ボリュームも違うぞ、それを何で間違うんだ!と、ソーメンを鍋に入れた後、「バカ!」と自分に怒鳴る。
Tと私はオッサンの一人暮らしだ。1日誰ともしゃべらないということもたまにある。誰ともしゃべらないというのは私よりTの方が多いようだ。Tは引き籠りになりそうだとも言った。近い内に認知症になるのは間違いないとも言った。Tだけじゃない、私も同じこと、上述したトンマなことはこの先増えていき、認知症と断されるだろう。
独居老人になると死んだかどうかも分からなくなる、そろそろ危ないとサインを出すこともできない、ならば、いつか3人で暮らすかとなった。そうすれば、少なくともお互いに安否確認ができるし、その後の警察などへの手配もできる。しかし、互いに認知症だとそれもできない。介護できる人をバイトで雇った方がいいんじゃないかと私は思う。
記:2019.8.2 島乃ガジ丸
参考文献
『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行