国境に壁を造るが如く、万里の長城よりも遥かに規模の大きい、桁違いの長さの壁を人類は設けた。北極点から南極点をぐるっと回って地球を一周する壁。壁はコンクリート造りでも鉄条網でも無く、高度10万mまで及ぶ電子の壁。電子の壁のこちら側とあちら側は自由勝手に行き来できないようになっている。赤道直下の2ヶ所に出入り口があって、そこには両側に互いの監視員がいて、そこで両側の交流がたまにあるだけ。
大雑把に言えば、電子の壁は国境であり、電子の壁に遮られたあちら側とこちら側は別の国、というより、行き来が無く、交流もほとんどない別の世界ということになる。
2つの世界が1つだった頃、そこは争いの絶えない世界だった。争いは争いを好む人々によって起こされたが、争いを望まぬ人々にも不幸をもたらした。他人を傷つけることを望まぬ人々、謙虚に慎ましく平和に生きようと望む人々が不幸になるのを哀れに思い、ある日ある時、神が現れて世界を2つに分けたのであった。神のお告げによって世界中の優秀な科学者たちが集まって、2つの世界を分ける電子の壁を設けたのであった。
同じ星の上にあるこの2つの世界、自然環境はほぼ同じ、生息する生物もほぼ同じ、人種の数も種類もほぼ同じ、ただ、2つの世界には人間の性格の一部に違いがあった。
2つの世界の違いは言うまでもなく、争いを好むか好まぬかという違い。争いを好む人々が住む世界と争いを好まぬ人々が住む世界となっている。2つの世界を仮にN界、U界としておく。N界は自由な世界で思いのままに生きていい世界、法律で治めないと社会がグチャグチャになる世界、法を守らぬ者も多いので争いの絶えない世界。U界は我欲を抑え相手を思いやる世界、法律よりも倫理を尊ぶ世界。よって、争いはほとんど無い。
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私が今住んでいるアパートの近くに宜野湾市役所がある。そこで普天間基地撤去に関する集会がたまにある。その時その場所から煩い怒鳴り声が聞こえてくる。基地反対の人たちの声ではない。「お前ら!・・・」と口汚い罵り声、下品な罵りの声は基地反対の人たちに向けられた声で、警察の声ではなく右翼団体の街宣カーの声。
「下品だねぇ、日本人として情けないねぇ」と、平和運動家で辺野古の現場にもたびたび通っているUさんに言うと、「辺野古では基地反対側のアジも口汚いよ、たいていはナイチャー(内地人)だけどね」とのこと。「そうか、同じ日本人同士、右と左で口汚く罵り合っているのか」と私は残念に思う。・・・後日(その時から約1年後)、辺野古でのアジはだいぶ前から丁寧な言葉に変わっていると聞いた。嬉しいこと。
2月2日だったか、ネットサイトのニュースで「日本のサッカーチームが称賛を受けている」というのがあった。日本チームは試合後、自分たちが使ったロッカーをきれいに掃除して帰るらしい。それが世界から褒められ、尊敬の念を受けているとのこと。
こういう話が私はとても嬉しい。私の好きな日本は田園風景と正義を愛す人々、「和をもって尊しとす」、水戸黄門、大岡越前、「弱きを助け、強きを挫く」、坂本龍馬、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」、司馬遼太郎、手塚治虫、水木しげるなどといった言葉や人たち。ついでにいえば日本酒、湯葉、漬物、味噌汁なども大好き。
一方、別の記事では、日本は隣の国々から嫌われ軽蔑されているとの話もある。サッカーチームのように尊敬される行動をするものもいれば、軽蔑され嫌われる行動をする日本人もいるということであろう。隣国を見下すような言動をする人がいるのであろう。
隣国の人々を見下すような言動をする人がいる。同じアジア人を何故?と私は思う。アメリカに尻尾を振り、同じアジア人をバカにするのは何故か?「白い肌の西洋人は黄色い肌の東洋人より上等の人間です。ですが、日本人は東洋人の中でも特別です。西洋人に近いランクの人間です」とでも言いたいのだろうか?日本人の中にそういう輩がいて、隣国にもまた、日本人を見下すような輩がいて、お互いがお互いを差別するのか?
差別意識があるから喧嘩になるんじゃないか、相手を同じ人間として敬う気持ちがあれば争いは起きないぞと私は思い、向こうの「そういう輩」たちとこちらの「そういう輩」たちだけで1つの世界に住んでくれないかと思い、そういう人たちだけ集まってどこか別の所で喧嘩していりゃいいのにと思って、上記のお話を思い付いた。
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争いの絶えないN界、争いのほとんど無いU界、その後どうなったか。それぞれの世界で「優しい人」、「短気な人」が同じように生まれ増えていき、数世紀後、2つの世界にほとんど差は無くなり、電子の壁は意味がなくなりいつしか撤去されたとのこと。
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記:2019.2.11 島乃ガジ丸 →ガジ丸の生活目次