ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

沖縄の歓楽街

2019年02月20日 | 沖縄05観光・飲み食い遊び

 先週、バレンタインデーがあって、もうすぐオジーと呼ばれるこの齢になるまでバレンタインロマンスは1度も無かったなぁと思い出す。中学高校浪人時代大学時代にバレンタインチョコレートを貰ったことがあったかなぁと振り返ってみるが、その記憶は無い。勤めてからは職場の女性陣から毎年貰っていたと思うが、それもよく覚えていない。
 従姉妹たちやその娘たちから貰っていたことは覚えている。従姉の息子嫁は義理堅い人で優しい人、彼女からはここ十数年毎年ビールなど頂いている。独居オジサンを哀れに思ってのことかもしれないが、彼女は美人なので義理ではあっても嬉しい。
 バレンタインチョコレートを頂いたことを、職場の女性陣、親戚の女性陣などの他に、もう1つ思い出した。若い頃は私も夜の歓楽街へ遊びに行ったことがあり、その日がバレンタインデーだった時は店の可愛い子たちからお愛想チョコを頂いた。
     
 バレンタインから若い頃の歓楽街を思い出し「あー俺の青春」となったので、今回は沖縄の歓楽街のお話。といっても、私は若い頃は金が無く、オジサンとなってからは元気が無く、歓楽の店に入ったのはこれまでの人生で10回に満たないと思う。ということで、沖縄の歓楽街について実体験から述べるにはまったく経験不足。で、数少ない自身の経験の他は本からの情報、そして、経験豊富な友人たちから聞いた情報でのお話となる。

 恋人がいても女房がいても歓楽街が好きという元気な友人たちは多くいるが、私はたぶん女房一筋のタイプだ。それが証拠に恋人がいなくても女房がいなくても、歓楽街(軽めの店でさえ)へはもう20年余足を踏み入れていない・・・あっ違う。20年程前に同僚に誘われ軽めの店へ1度、元気な友人に誘われ少々重めの店へ1度行ったことがあった。軽めの店では若い子を口説いて一緒に帰ると約束したのに、結果すっぽかされたこと、少々重めの店では元気な美女に「元気出ないの?」と慰められたことを思い出した。
 それももう遠い話だ。私が夜の歓楽街へ稀にだが行っていたのは20代30代の頃。私が行っていた歓楽街は、その頃は那覇に住んでいて、実家に住んでいた頃は実家に近い前島、松山、若狭、波之上などの歓楽街へ行った。前島、松山、若狭、波之上はいずれも那覇市の地名、男の夜の遊び場として有名。他には桜坂、栄町、十貫路などという地域もあったが、私はそこらで遊んだ覚えはなく噂に聞いていただけ。コザ(現沖縄市)にも吉原などという地域がそういう場所であったと噂に聞いていたが、行ったことはない。そうそう、私が若い頃有名だった宜野湾市真栄原の新町には1度だけ遊びに行った。
 前島には1~2回行っている。若い女性がベタベタサービスしてくれる店。そこからすぐ近くの松山にも数回行っている。同じくサービスしてくれたが、松山の店は少々上品な感じだったと覚えている。若狭と波之上には男の欲望を満たしてくれる店が多くあったと聞いてはいたが、軽い店へは行っているが重たい店へ行ったことはない。
     
     
     
     

 さてさて、沖縄の有名な歓楽街といえば、古い民謡にもよく出てくる辻(ちーじ)、仲島(なかしま)、渡地(わたんじ)などがあるが、いずれも王府時代からの遊郭で、辻は主に中国の役人、薩摩の役人のための高級遊郭で、今もその名の地名があり今も歓楽街。仲島は主に首里・那覇の粋人たちの遊び場所、現在その地名はなく遊郭も100年以上前に辻に統合され、今は泉崎という地名になり歓楽街ではない。渡地については詳細不詳、民謡『海のちんぼーらー』などに遊郭であったと想像される歌詞が出てくる。現在の東町の一角にあったとのこと。仲島同様辻に統合され、その後は歓楽街ではなくなる。
 私が大人になってそういった場所へ興味を持ってからも辻町はそういう面で有名であった。であるが、我々世代が遊びに行くとしたら上記の松山などの街々であった。
     
     

 記:2019.2.19 ガジ丸 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行