ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

費用対効果はいかに

2013年03月08日 | 通信-その他・雑感

 不動産売買に関わる要件で銀行へ行き、同じ要件で市役所へ行き、そしてまた、同じ要件で税理士事務所へ行く。その他、知人に頼まれていたポスター作りをし、そのポスターを届ける。などといった雑用を畑仕事の合間にこなしている。
 畑仕事の合間と書いたが、実は、合間を設ける程の余裕は無い。畑はやるべき事が山ほどある。ゴーヤー、ヘチマは先週、モーウイ(赤瓜)と落花生は今朝やっと植え終わったが、シブイ(冬瓜)はこれから。シブイの他、ビートもまだ。いずれも急ぎだ。
 植付ける前にやることがある。耕すこと。「晴耕雨読」という言葉もあるように、土を耕すことは畑仕事の代名詞みたいなものだ。一般的な「耕す」という範疇には無いかもしれないが、私の場合はそれに、面倒な時間のかかる手間が含まれている。

 300坪の畑なっぴばるは、自然農法に近い形でやっていこうと思っているが、大雑把な除草と、土を耕し(自然農法は不耕起)て畝立てはしている。ただ、土を耕すのも大雑把にやっていた。土壌が粘土質のため、掘り起こした時に土がほぐれない、大きな塊のまま残る。塊は、湿っているものは全くの粘土、完全に乾いたものは石(柔らかめの)で、それらをショベルの先で切ったり割ったりして少しは小さくする。それでも、テニスボール程の大きさのものがゴロゴロと多く残る。その状態で耕し終了としていた。
 植付け前には普通堆肥を混入する。私も30坪の畑ナツヤではだいたいそうしていた。堆肥は薄めの肥料にもなるが、その大きな役割は土壌改良である。土の中に有機物などを混ぜて、保水性がありながら水捌けが良いという土壌に改良する。有機堆肥の中には腐葉土も入っているので土壌を柔らかくする作用もある。300坪の畑なっぴばる、耕して畝立てはしているが、堆肥は混入していない。で、粘土質のまま。

  そんな畑で育てた作物は、まあ予想はしてはいたのだが育ちが悪い。ウズラマメは収量が少なかったし、ジャガイモは小さなものしかできなくて数も少なく、ホウレンソウは市販のそれの四分の一の背丈しか無く、ダイコンにいたっては二十日大根ほどの大きさにしかならなかった。ニンジンだけは別で普通の大きさになったが、これについては、正確には追々調べる予定であるが、土壌がジャーガル(石灰岩系のアルカリ土壌)であるのが良かったのか、あるいは、ニンジンそのものが痩せ地を好むのかもしれない。
 ニンジンを除く作物の出来が悪かったのは、やはり堆肥を混入しなかったせいであろうと判断した。でも、その後も堆肥は混入していない。しかし、作物の出来が悪いのは収入不足→生活難になるので、その代わりのことをやることにした。
          

  堆肥を用いての土壌改良を行わない代わりに人力による物理的土壌改良は行うことにした。人力による物理的土壌改良とは、土が硬いため大きな塊となっているものをほぐすこと。ほぐすとは、土を小さな塊にするということ。
 土ほぐし作業はとても時間がかかる。比較的柔らかいものは手の平で握りつぶす。少し硬めのものは親指と人差し指に挟んで、力を入れて捻り潰す。お陰で私の右手の親指と人差指は皮が剥げてガサガサになっている。そうやって手間暇かけて土ほぐしをして、その効果はあるのかというと、費用(手間)対効果の答えは、半年後に判明する予定。
          

 記:2013.3.8 島乃ガジ丸


味噌汁

2013年03月08日 | 飲食:食べ物(料理)

 我は主役なり

 東京で5年間暮らした、といってももう35年ほども昔の話だが、その経験から、といってももう昔のことなので正確に覚えているわけではないが、食堂でメニューの食べ物、例えば野菜炒めとかショウガ焼きとかを頼むと、それ一品しか出てこなかった。ライスは別途注文しなければならなかった。「それが普通だろう」と東京の人は思うかもしれないが、ウチナーンチュは違う。沖縄の食堂では頼まなくてもライスは付いていた。
 ご飯を食べたい時、東京の食堂では例えば、「豚肉ショウガ焼きとライス」などと注文する。ライスを注文するとたいてい味噌汁も付いてきた。「何でライスは注文しないと出てこないのに、味噌汁は注文しなくても出てくるんだ?」と、遥か南のど田舎の、復帰して間もない頃の、沖縄の青年は思ったのであった。

 東京の食堂でも、○○定食と名のあるメニューを頼むとライスは付いていた。ライスだけで無く味噌汁も付いていた。その味噌汁も、ライスを注文した時付いてくる味噌汁もたいていは汁碗に入ったワカメとか豆腐の味噌汁であった。
 我が家でも、母が作る味噌汁にはワカメとか豆腐の味噌汁もあったが、どちらかというと、豚肉や、時には鶏肉やポークランチョンミート(スパムとか最近では言う)の入った味噌汁が多かった。味噌汁には肉の脂がたいてい浮いていた。
 あっさり系の好きな私は倭国風の味噌汁を好んだが、父は脂の浮いた味噌汁を好んだ。ウチナーンチュの多くはおそらく父と同じであろう。父はオーハンブシーが好物であった。オーハ(葉っぱ)ンブシー(煮込み)とは葉もの野菜、キャベツとかチンゲンサイとかをたっぷり、脂身の付いた豚肉、手でちぎり入れた島豆腐の入った味噌汁。

 倭国にも豚肉の入った味噌汁はあった(今もあるはず)。それは豚汁という名で呼ばれていた(今もそうであるはず)。角切りの豚バラ肉、ダイコン、ニンジン、ゴボウ、長ネギなどが具材。冬の食べ物という印象を私は持っている。体が温まる料理であった。
  沖縄の大衆食堂には味噌汁というメニューが年中無休で置いてある。倭国のような汁碗に入ったワカメや豆腐の味噌汁では無い。沖縄の大衆食堂のメニューとなっている味噌汁はメインディッシュとなるものである。丼に入った豚汁に似たもの。
 味噌汁を注文すると、何も言わずともライスは付いて来る。時には漬物も付いて来る。丼の味噌汁をオカズにご飯を食べる。味噌汁は主役だ。脂の浮いた味噌汁が好きなウチナーンチュ、脂を摂取して元気を付け、暑い夏も寒い冬も乗り切るわけだ。

 なお、味噌汁についての広辞苑の説明は「野菜・豆腐などを実として、出し汁に味噌を溶かしたもの」となっている。主役とか脇役とかの区別は無いようだ。
 

 記:2013.3.8 ガジ丸 →沖縄の飲食目次