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ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

知った方が良いこと

2009年07月03日 | 通信-社会・生活

 先週の金曜日、ちょっと驚くことがあった。朝、『めざましテレビ』で「マイケルジャクソンが死んだかも」というニュースをやっていた。「マイケルジャクソンが死んだ」に驚いたのではない。私はマイケルジャクソンのファンでもファンだったことも無いので、そのニュースには特に関心を持たなかった。
 その後の『とくだね』が、番組開始から1時間15分もずっとそのことばかりやったことに私は驚いた。『とくだね』はその後もたびたびマイケルの話題を出した。それだけでなく、フジテレビは夜の番組を変更して2時間もマイケルの特番をやった。その時間、嶋田紳介司会のバラエティ番組があったはず。それを肴に酒を飲むのを私は楽しみにしていたのだが、お陰でその間、バッハを訊きながらのしっとり酒となった。

 「そうか、それほど偉大な人であったのか。」と、私の不明を感じたが、しかしそれでもなお、マイケルジャクソンの死がそれほど重大なニュースなのかについては少々疑問を持った。私としては、宮崎県知事のその後の動向、ボールを投げられた自民党側の対応、大阪府知事と彼に賛同する知事グループの動き等が気になる。私の興味とは別だが、イランの情勢や北朝鮮の動きも重大なニュースだ。それらを跳ね除けてのマイケル。
 それは、マスコミの人気者に対する過敏な反応、ではないかと思った。
  テレビそのものが、どれだけ見てもらえるか、どれだけ支持を得られるかを価値とする人気稼業なので、人気者に敏感になるのだと思う。最近の宮崎県知事、大阪府知事は日本国の政局に影響を与える発言をしているので、ニュースになるのは当然だが、それ以前から、どうでもいいような彼らの発言がニュースになっていた。それは彼らが人気者であるという理由からだろう。我が沖縄県の知事は年寄りで、地味で、爬虫類のような顔をしていて、人気もあまりない。なのでテレビもあまり寄ってこないのだろう。
          

 報道する価値のあるものイコール視聴率の稼げるものイコール国民の知りたがっているもの、なのかもしれないが、しかし私は、「国民の知りたがっているもの」に多少の疑問を感じる。今これが流行っていますよ、知らないと損ですよ、なんて、マスコミが煽っているものも多いんじゃないかと疑っている。
  あれだけ大騒ぎした定額給付金、高速道路千円、最近ほとんどニュースになっていないが、どちらも、何の役に立ったか、どれだけ役に立ったか、悪影響は無かったのか、費用対効果はどうであったか、などということを私は知りたい。「国民の知りたがっていること」じゃないのかもしれないが、「国民が知っ方が良いこと」だとは思う。
 ちなみに、今週も、情報番組ではマイケルジャクソンの話題が続いた。私としてはうんざり。マイケルジャクソンの死因とか、遺産の行方とか、なんてのは「国民が知っ方が良いこと」だとは全然思わない。少なくとも私には、何の役にも立たない。

 沖縄地方、今年の梅雨入りは平年より十日ほど遅れたが、梅雨明けもまた、平年より一週間ばかり遅れ、今週初めにその宣言があった。しかしながら、今日(7月3日)からの週末天気予報、雨の確率が高い。そういう情報は、「国民が知っ方が良いこと」ではないだろうが、私は悲しい。今日これから二泊三日大東島の旅へ出かける。
          

 記:2009.7.3 島乃ガジ丸


発明036 カビカビン

2009年07月03日 | 博士の発明

 シバイサー博士の新発明、過美化瓶は、その名の通り「美しく変化させ過ぎた瓶」。そんな瓶がいったい何の役に立つんだろう。

 「瓶そのものに価値があるから中身を問わないのだ。」
 「中身はどうでもいいってことですか、それがどういう意味を持つんですか?」
 「瓶を見て美しいなあと思う。美しいなあと思うと幸せになる。それで十分。それ以上のことは問わなくなる。中身なんてどうでもいいと思うようになる。」
 「それはそうでしょうが、それがどういう意味かと・・・?」
 「解らん奴だなぁ、『美しく変化させ過ぎた』の『過ぎた』を考えろ。ただ、美しい瓶なら『美化瓶』でいい。そこに何故『過』が付いたかだ。」
 「何故『過ぎた』が付いたですか、美し過ぎるってことですよね。うーん、『過ぎたるは尚及ばざるがごとし』と何か関係ありますか?」
 「関係あるも何も、そのことを言うておる。見た目の美しさに心が奪われて、物の本質を見失うことが世の中には多々ある。この瓶はそれを象徴している。」

 「博士、しかし、お言葉を返すようですが、美しい瓶は美しいというだけで、瓶そのものに存在価値があります。瓶そのものが本質と言ってもいいと思います。」
 「君、君の耳は耳糞が詰まっているのか、いいか、よーーーく聞けよ。瓶そのものが本質であって中身は必要無いのであれば、それはもう瓶では無い。オブジェであって、美術品になるかもしれないが、用途としての瓶の存在価値を失っている。『過ぎた』ということがそういう結果を生んでいるということだ。」
 「あー、そういうことですか、何となくですが解ったような気がします。『過ぎ』てしまえば、その本質も変わってしまうってことですね。」
 文明の発展と共に、人間が、その生きる本質を見失っているということを、博士は戒めようとしているのかもしれない。いつもテキトーでやっている博士だが、やはり、心底では真面目に社会のことを考えているのだと、改めて見直した。ところが、

 「さて、このカビカビンの本質なんだが、これは実は、機械なのだ。」
 「機械?」には全然見えない。きれいな花瓶にしか見えない。
 「そう、早く言えば、掃除機だ。」
 「掃除機?・・・には見えませんが、どう使うんですか?」
 「この台の上に乗せて使う。」と博士は言って、4輪の台車の上に花瓶を横にして置いた。すると、台車ごと花瓶は床の上を勝手に動き出した。
 「この掃除機はカビ専用の掃除機だ。カビに敏感に反応してカビを吸取る。」
 「それは、名前はともかく、良いですね、役に立ちますね。」と言いながら、私は花瓶を見ていたのだが、花瓶は棚の隙間のところで止まっている。
  「博士、花瓶の掃除機、棚のところで止まってますね。」
 「きっと棚の下にカビがいっぱい生えている。カビには敏感だからそこに固執する。しかし、図体がでかいのでその隙間に入っていけない。で、立ち往生する。」
 「カビって、だいたい狭いところに多いですよね、そこに入っていけなかったら、ほとんど役に立たないということになりますね。」
 「それは仕方ない。名前が先に浮かんだのだ。花瓶形は必要条件だ。」

 なるほど、と思った。カビに敏感に反応してカビを吸取るのが本質の掃除機、それを駄洒落のために役に立たない形にしてしまう。駄洒落も『過ぎ』てしまえば、ものの本質を見失ってしまうということを、博士は実践しているわけだ。
 「ところで、名前なんだが、じつは、過美化瓶にしようか華美花瓶にしようか迷っている。君ならどっちがいいと思う?」と博士が訊いたのだが、どっちでもいいやと私は思ったので、その返事は濁したまま失礼した。
     

 記:ゑんちゅ小僧 2009.7.3