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ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

見聞録021 有機冷暖房

2008年06月13日 | ケダマン見聞録

 「今年はさ、大きな台風でたくさんの人が被害にあったり、竜巻が異常発生したりしてさ、やっぱり、地球温暖化の影響なのかな。」と突然マナが言う。
 「なんだい、オキナワも異常気象なのか?」
 「ううん、オキナワはこれといって例年と変わったようなことは無いけどね。梅雨入りが遅れたけど、カラ梅雨なんてのもたまにあるから、遅れたくらいでは異常気象じゃないよね。だけど、ニュースを見てたらさ、世界ではいろいろ起きているらしいのさ。」
 「ほう、世界のニュースもちゃんと見てるんだ、賢い主婦なんだな。」
 「私でもさ、地球温暖化は気になるよ。将来どうなるんだろうってさ。巨大ハリケーンとか竜巻の異常発生とか、局地的大雨とか旱魃とか、そういった異常気象が原因でさ、巨大地震や火山の大噴火が起きるんじゃないかって思うのさ。」
 「環境の悪化が元で地震や火山の噴火が起こりうる可能性はあるな。」
 「でしょ、何だか将来に不安を感じてしまうさあ。」
 「将来ちったって、あと、4、50年は持つだろうよ。オメェもその頃は80過ぎの婆さんだ。もう死んだっていい頃だろうよ。不安を感じることは無ぇぜ。」
 「私はいいとしてもさ、今の子供達が心配なのさ。」
 「ん?何でオメェが子供の心配するんだ?人類愛ってやつか?・・・まあ、だけどよ、地球は、大きな時間の流れで見れば、今、氷河期に向かっているらしいぜ。氷河期と温暖化のプラスマイナスで、そのうち、気温はちょうど良い按配になると思うぜ。」
 「そうなの?・・・うーん、でも、そう上手い具合に行くとは思えんさあ。」
 「上手い具合に行くかどうかはその時のこった。なるようになるさ。・・・あっ、そういえば、前に話したコラスマンダントとレイカ覚えているか?」
 「コラスマンって、あー、太ったダントにレイカが愛想を尽かしたって話?」
 「そう、それ。あいつらも実は、プラスマイナスの関係だったんだ。」

 ということで、久々にケダマン見聞録の始まり。見聞録その21は前回に続いてコラスマンレイカとダントが登場する。お題は『有機冷暖房』。

 前の話のおさらいをちょっとしておく。
 地球から遠く離れた宇宙のある場所に、コラスマン一族の住む星がある。コラスマン一族は男女を問わず、一年間他の星に出張し、そこで正義の味方となって、その星を悪の手から守ることができれば一人前と認められる。それが成人の儀式となっている。
 その年頃となった恋人同士がいた。それがレイカとダント。レイカは心身ともに健康であり、頭脳明晰で、武術にも長けていた。なので、レイカの出張願いはすぐに聞き入れられ、レイカは正義の味方になるべく他の星へと旅立った。
 ところが、ダントは不健康であった。先ず、その肥満を何とかせねばならなかったが、その内に糖尿病となって、療養生活となり、結局、彼の出張願いは許されなかった。そんな情けないダントにレイカは愛想を尽かしたのであった。

 というわけで、結局二人は別れたのだが、じつは、二人の相性はとても良かった。ダントは熱くて、レイカは冷たかったのである。というのは心の問題じゃなくて、体がそうだった。つまり、ダントは体温が熱く、レイカは冷え性だったのだ。冷え性のレイカと暑がりのダントは、抱き合っていればお互いに気持ち良かったのである。
 お互いのその特徴をレイカは良く理解しており、頭脳明晰である彼女はまた、その特徴を宇宙の平和のために利用できるとも考えていた。
 コラスマン一族は元より体が大きく、体重で言えば地球人の1000倍ほどもある。レイカの冷えた体やダントの熱い体は、そこにいるだけでその星の気候に影響を与えることができる。つまり、レイカは温暖化に苦しむ星を助けることができ、ダントは逆に、寒冷化の星を救うことができる。二人はCO2を排さない有機冷暖房になるわけである。

 コラスマンの出張の旅は約1年間となっている。レイカがその1年の修行を終えて帰ってきた頃、ダントはやっと糖尿病が小康状態となって、修行の旅へと出かけた。

  ダントはある星へ降り立った。肥満体で暑がりだったので、その星の寒い方の地域を住処にした。体の大きなコラスマン一族の中でも、ダントは肥満体だったので、その体重はコラスマン平均の2倍位はあった。また、ダントの体温の高さはその星の常識からすると異常なほど高かった。尋常で無い体の大きさと尋常で無い体の熱は、その星に悪影響をもたらした。その星の有史以来、最悪の暖冬となったのであった。
 レイカは賢かった。自分の体がその星の環境に影響を与えるということを良く理解しており、その影響がある程度に達すると、一旦大気圏外に出て、しばらく様子を見た。そうやって、影響が悪影響にならないよう注意を払った。その星は安泰であった。
 しかし、ダントは肥満体であり、糖尿病であり、そして、物臭でもあった。彼は、彼の住処が暖かくなると別の寒い場所へ平行移動するだけであった。レイカのように大気圏外へ離れるなんて面倒なことはしなかった。よって、その星の環境は乱れた。
 数ヵ月後、宇宙警察によってダントは逮捕された。星の環境を乱したという罪である。後日、裁判が開かれ、ダントは宇宙流しという実刑判決を受けた。「もう、金輪際あの男とは付き合わない!」と、レイカも大愛想を尽かしたのであった。
     

 『有機冷暖房』の話はこれでお終い。場面はユクレー屋に戻る。
 「だったらさあ、そのレイカという人に来てもらえば地球の温暖化も何とかなるかもしれないってわけ?」とマナが質問する。
 「まあ、そういうことだが、この広い宇宙だ。レイカが地球に来てくれるなんてことは一兆分の一の確立もないだろうよ。」
 「そうか、まあ、そうだね。宇宙には無数の星があるからね。じゃあさあ、人間の叡智っていうかさ、科学の力で異常気象を防ぐことはできないのかなぁ。」
 「それも無理なんじゃないか。科学の暴走が異常気象をもたらしたんだしよ。まあ、毒をもって毒を制するなんてこともあるから、できないことも無いだろうけどよ。科学の暴走の元は人間の欲だ。人間が自分達の欲を制さない限り、無理だろうな。」

 語り:ケダマン 2008.6.13


武士である日本兵『ビルマの竪琴』

2008年06月13日 | 通信-音楽・映画

 先週土曜日(6月7日)、土曜日だというのに朝早い時間、8時半には家を出る。雨の中を実家へ行き、ツイタチジュウグニチの神事を行い、那覇新都心の無印良品へ寄り、お気に入りのパンツを買って、家に戻り、車を置いて、またすぐに出る。
 バスに乗って牧志へ。牧志バス停から傘を差して桜坂劇場へ向かう。着いたのは12時41分、映画の始まる時間に1分だけ遅れた。私にしては上出来。
 12時40分なんて早い時間に始まる映画を観るなんてことは、もう十何年も経験が無いかもしれない。その映画の最終上映時間がその時間だったのでしょうがなかったのである。雨の中を傘を差してまで行ったのにもわけがある。映画が、先だって亡くなった市川昆監督の代表作であったからだ。そして、その映画を昔観た記憶がおぼろげにあって、それが確かかどうか確かめたかったからである。

 その映画は『ビルマの竪琴』、1956年の作品。白黒であるということには何の違和感もなかったが、古いフィルムに雑音の多いのが気になった。ザッ、ザッ、ザッ、トン、トン、トンといった音が続く。だが、それが気になったのも最初の十分かそこらのことであった。それ位の時間が経つと、私は映画の世界にどっぷりと引き込まれていた。

 グローバルとか何とか言って、自由競争社会という価値観をどこぞの大統領が押し付ける。銃を持った人も持たない人も同じ土俵で戦えと言っているみたいである。その大統領に感化されたのかしれないが、日本の元総理も自由競争を押し進めた。刀を持った人も持たない人も同じ土俵で戦えと言っているみたいである。
 そんな社会になりつつある中では、正義を為すことに誇りを持ち、弱きを助け強きをくじくなどという精神を持った人もまた、「損するだけじゃない。バッカじゃないの。」と評価される存在になりつつあるのかもしれない。水島上等兵は、そんな現代の風潮からすればまさしく、「損するだけじゃない。バッカじゃないの。」と言われる存在だ。

  私は、武士道というものを勉強したわけでは無いので、それを深く理解しているとは言えないのだが、まあ、時代劇などから推察した限りで言えば、「正義を為すことに誇りを持ち、弱きを助け強きをくじく精神を持つ」ことが武士道なのではないかと思う。
 水島上等兵は従って、武士道の達人なのである。彼のことを理解した井上隊長もまた、同じである。ちなみに井上隊長を演じた三國連太郎は、ああいう爺さんになりたいと思うほど、今もカッコイイが、50年前もすごくカッコ良かった。

 この映画の日本兵の多くが、また、『硫黄島の戦い』の日本兵の多くが、正しい精神を持つ武士として描かれている。もちろん、そうでない日本兵も多くいるだろうが、ただ、日本人の心には武士でなくとも、「弱きを助け」る精神が、少なくとも当時は、多くの人が持っていたに違いない。沖縄戦で、集団自決を軍が強要したかどうかという裁判があったが、直接的、あるいは遠回しの強要があったであろうと私は推測する。ただ、日本兵の中には、倒れた老婆に手を差し伸べた人や、泣き叫ぶ子供を抱きかかえて宥めた日本兵も多くいたであろうと確信するのである。日本の美はそこにあると思う。
          

 記:2007.6.13 島乃ガジ丸