ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

発明027 一升ビンビン

2008年06月27日 | 博士の発明

 土曜日の午後、シバイサー博士の研究所を訪ねた。ノックをしても返事が無い。博士は寝ているとしても、ゴリコが出てくるはずだ。で、建物の裏手に回る。すると、浜辺の方から、ゴリコの笑い声とガジポの鳴き声が聞こえた。浜辺に向かって歩いて行くと、ゴリコとガジポが浜辺をかけっこしているのが見えた。一人と一匹がすぐに私に気付いて、一人は「こんにちわー」と、一匹は「ワン、ワン、ワン」と声をかけてくれた。
 博士は砂浜に寝そべっていた。サンゴ石を枕にして、顔を海の方に向けている。いつものように酒瓶とコップが傍にあった。のそっと手が動いてコップを口に運んでいるので、寝てはいないようだ。近付いて、「博士。」と声をかける。

 「あー、」と博士は、ごろっと体の向きを陸側に変えて、こっちを見る。
 「博士、知ってますか?マナが妊娠したそうですよ。」
 「ほう、そうか。すると、ジラースーに薬が効いたんだな。」
 「薬って、ジラースーに効いたってことは強壮剤みたいなもんですか?」
 「そうだ。彼のために特別に作ってやった。」
 「あー、それは大きな発明じゃないですか。60過ぎのオジー、・・・の下半身が元気になるんですよね。それはすごい発明だと思いますが。」
 「そうか?そう思うか?」と言って、博士はのっそりと起き上がった。
 「そうか、すごい発明か。そうか。」と繰り返す。顔が緩んでいる。何百年も生きているというのに、博士はちっとも泰然自若しない。褒められることが大好きである。

 「どんな薬なんですか?」と訊いた。
 「中身はまあ、たいしたもんでは無い。昔から強壮に使われていたものをブレンドしただけだ。・・・うん、そうだ。まあ、ちょっと付いてきなさい。」と博士はのったりと立ち上がって、研究所へ向かった。歩きながら続けた。
 「現物を見せてやろう。ジラースーにあげたものの他に、予備としてもう一つ作ってあったのだ。60過ぎにはたくさん必要かもと思ってな。」

 現物は、最近作ったものだけあって、倉庫では無く、研究所の研究室兼実験室兼博士の飲み場所となっている部屋にあった。実験台の上にあった。
 「これがそれだ。」と、博士は少し得意げになって言う。現物は、一升瓶を二つくっつけたような形であった。強壮剤の容器にしては大きすぎる。名前らしきものがラベルに書かれてある。小さな方に『一升瓶瓶』、一升瓶を二つくっつけた形だからということであろう。大きな方には『一生ビンビン』とある。下ネタ系の駄洒落だ。
 「博士、これ、ずいぶん大きいですが、中は全て強壮剤ですか?」
 「もちろん。これを飲んだお陰でたぶん、ジラースーは子作りができたのだ。」
 「ほう、そうですか。もし、それが本当なら、これ、売れるんじゃないですか。世のオジサンたちには欲しがる人が多くいると思いますよ。」
 「いや、それがだな。ただでさえ地上には人間が溢れている。こういうのを飲んで元気になる男が増えたら、さらに人口が増えてしまう。それは、地球全体のことを考えると良いことでは無いと思ってな、販売はしないことにした。」
     

 とのことであった。それにしても、ジラースーがこういうのを欲しがったとは意外である。彼が子供を欲しがっているとも思わなかった。マナのために頑張ろうと思ったのだろうか?と不思議に思って、その後、ジラースーに会い、そのことを訊いた。
 「ん?博士の強壮剤?一升瓶瓶?・・・あー、あれか。確か、結婚後すぐに博士からプレゼントされたな。『夫婦の絆が深まるぞ』なんて言ってたな。」
 「で、飲んだの?その効き目があったってことなの?」
 「いや、せっかくの博士の好意だが、飲まなかったな。子供は天からの授かりものだ。できる時はできるし、できない時はできない。それが俺の考えだ。」
 「そうなんだ。で、その薬はどうしたの?まだあるの?」
 「いや、確か畑の野菜に撒いたよ全部、マナが。」

 とのことであった。マナは、「いいよ、こんなの飲まなくったって。別に、無理しなくていいからさ。」と言ってくれたそうだ。なかなか良い夫婦である。自然体の幸せだ。こんな夫婦だから、天も二人に幸福を授けたに違いない。それに、60歳過ぎているとはいえ、ジラースーの体は強健である。薬は元々必要無かったであろう。

 記:ゑんちゅ小僧 2008.6.27


危険察知能力

2008年06月27日 | 通信-社会・生活

 静岡に住む才色兼備の友人Kさんは旅行が好きで、年に2、3回はどこかへ出かけている。彼女は英語が堪能で、スペイン語もできる。なので、出かける”どこか”は概ね海外となっている。そんな彼女が、5月にイエメンを旅行してきたと言う。その頃、その辺りで、日本人女性拉致事件が確かあったはずだ。Kさんはパック旅行などはしない。今回はどうだったか訊き忘れたが、たいてい一人旅か、あるいは、友人と二人旅である。
 Kさんにはおそらく、危険察知能力が備わっているのだろう。「そこは危ない」とか、「今は危ない」とかを感じ取れる能力である。あらゆる情報を細かく計算して得た結論では無く、情報を大雑把に捉えて、それを空気として感じ取れる能力である。それを備えているという自信から、あちらこちらへ旅行ができるのであろう。
 「おー、物事を大雑把に捉えるということなら俺も同じだ。」と思ったが、私は危険な匂いを感じたことが無いので、私が危険察知能力を備えているかどうかは不明。

 去年は、母の入院があって、葬式もあって行けなかったが、今年も、毎週末実家へ行って窓を開けたり、鉢物に水遣りをしなければならなくて、まだ行っていないが、私も旅行が好きで、一昨年まで年に2回ほどは旅をしていた。私の場合は、ほぼ一人旅であり、Kさんと違って英語もスペイン語も何もできないので概ね国内となっている。
 20年ほど前、私がまだ青年だった頃、品川だったか横浜だったか、どこかの駅で、向かいから歩いてくるオジサンに何やら文句を言われたことがある。沖縄ではそういったことは無く、突然の初体験だったので思わず相手をしてしまったが、傍を行き来する人々は概ね、「何でこの人は、変な人の相手をしているんだろう。」といった感じで、私のことを一瞥して過ぎ去っていく。そうか、「変な人」がいるんだ、都会には、と気付き、反省して、その後は、「変な人」と思われるような人の相手はしないことにしている。
  それから数年後、これは横浜駅から近くのホテルへ行く間のことだと覚えているが、私の後ろから二人組みの男が「トロイなあ、うぜぇなあ。」とか言っているのが聞こえた。ウチナーンチュ(の全てがそうであるわけでは無い)の私は歩くのが遅い。たいていのんびりと歩く。その歩き方が気に入らなかったみたいである。振り返って顔を見てはいないが、声から若い男だと判る。20代であろう。駅からずっと私の後にいる。時刻は、飲んで食って、ホテルへ戻る途中のことなのでおそらく9時頃。時間は遅いが、人通りが多いので、ここで襲われることは無いだろうとは思ったが、嫌な気分である。見ず知らずの人にいちゃもんをつける奴も都会にはいるのだ、と認識することとなった。
  そういったちょっとした経験を積み重ねて、私にも少しは危険察知能力がついていると思われる。おそらく、肌で直接感じた経験が、危険な空気を感じ取れる能力を作るのではないだろうか。Kさんはあちらこちらの国々の空気を生で感じていて、それが、彼女の危険察知能力の元となっているのかもしれない。

 私の小さな、Kさんの大きな危険察知能力は、しかし、天災に対してはその能力を発揮できない。いつ地震が来るなんてことを感じ取ることはできない。中国四川や、宮城岩手の出来事は、明日は我が身のことである。ほとんど水道の水を飲料としている私が、先週末、ペットボトルの水を買い、乾パンを買った。役に立たないことを祈りつつ。
          
          

 記:2008.6.15 ガジ丸