ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

生きているだけでは儲けない

2006年02月24日 | 通信-その他・雑感

 昔は可愛かった、今でもそれなりに可愛い同級生からのメールに、
 さんまの子供につけた名前の由来でしたっけ、
 『生きているだけで、まるもうけ』 いまる?
 人生そのものだと思います。
 生きたくてもそれさえも叶わなかった人達に比べれば、
 『生きているだけで、まるもうけ』です。
とあった。私もまた、概ねそう思い、ガジ丸HPのどこかで『生きているだけで、まるもうけ』を引用している。沖縄の言葉『命どぅ宝』は、「命こそが宝です。生きていることが大事なのです。」といった意味で、『生きているだけで、まるもうけ』と似ているといったようなことを書いた覚えがある。
 だが、それは、少し言葉が足りなかった、と今は思う。『生きているだけで、まるもうけ』は、無条件で、というわけではないようなのである。少なくとも、息をすること、飲むこと食べること、排泄すること、眠ることなど、これら生命維持に必要なことにおいて、何の苦痛も無く生きていけるのなら、それは、たとえば貧乏でも、恋人がいなくても、結婚できなくても、子供がいなくても、『まるもうけ』と言えるのだ、と今は思う。
 後から聞いた話なのだが、亡くなったMさんは、発病してから既に2年近くが経っており、その間、何度も手術を受けるという辛い思いをしながらも、容態は徐々に悪くなっていったのだという。横になると激しく痛むので、ゆっくり寝ることができない。息をすることさえも苦しかったという。生きていることが辛かったのであるが、残されるものの悲しみを思って、必死になって、死神の誘いに抵抗していたそうなのである。
 絵本『ウナ爺の不思議ダネ』は、子供たちが元気に育ってくれることを楽しみにしている爺さんの話。種から芽を出し、成長して、葉を広げ、花を咲かせ、いつか実を付ける植物に喩えて、子供たちが太陽の下、風に吹かれ、雨に打たれ、いつか大人になるんだ、それはとても素敵なことなんだということを話の主旨としている。
 ところがである。それでは片手落ちだったのである。種は、たとえこの世に芽を出したとしても、その芽は、みながみな元気にすくすくと育つわけではないのである。
 私の食中毒は、水を飲むだけで便意を催し、食べ物の匂いを嗅いだだけで吐き気を催し、仰向けに寝ると背中が痛く、伏せると腰が痛く、横になるとお腹がグルグルした。ゆっくり寝られない。そんな状態はたった36時間のことであったが、「難儀なこった」と思い、「こんなことが何日も、何ヶ月も続くと生きているのが嫌になるだろうな」と思った。そして、ふと、そうやって生きている人が世の中には多くいるのだということに気付く。また、生まれつき難儀なハンディを負った人も多くいるのだということに気付く。
 私の考えの足りなさは、いつも元気にはつらつと動き回って、すくすくと育っていく人間ばかりを見ていたということなのである。生命を維持するだけでも難儀を強いられる人々のことを、全く考慮に入れていなかったということなのである。
 私の食中毒は、「はんでぃきゃっぷを乗り越えてなお、楽しみがいっぱい、という話も書きなさい」とのお告げなのだろうと、今は思う。「乗り越えてなお」は、『それでも楽しみダネ』、『だから楽しみダネ』、『みんなと一緒ダネ』などなど、ということであろう。

 記:2006.2.24 ガジ丸


見えないものからの待った

2006年02月24日 | 通信-その他・雑感

 Mさんの告別式があった先週土曜日に、Mさんをモデルにした絵本の文章を仕上げ、翌日曜日には絵の線描が概ねできた。月、火、木(水曜日は初七日)の3日間でその絵に彩色して完成となる、はずであった。今日金曜日には、全体の体裁を整え、パソコンで使えるデータにして、ガジ丸HPにその絵本を掲載できる、はずであった。
 月曜日、知人のGさんから電話があって、「パソコンのスキャナー読み取りソフトの具合が悪い、見てくれないか。」と言う。絵本の完成を急いでいた私は、「自分で買って使っているソフトだろう、説明書を読んで、自分で直せよ。」と内心、少しは思いつつも、毎日頑張っているGさんだ。60歳過ぎて、細かい字の説明書を読むのも大変なんだろう。と思い直し、仕事が終わって、Gさんの事務所へ出かける。ソフトの不具合そのものは30分ほどで直し、さほどの時間のロスでは無かった。ところが、その後である。
 その日、家には十分の食い物があった。だから、Gさんのところから真っ直ぐ帰れば良かったのだが、ちょっと寄り道してスーパーへ行き、惣菜を買った。その惣菜、翌日の朝食でも良かったのだが、美味そうだったので、半分を晩飯にした。
 晩飯を食って30分後、久々に下痢をする。過去、高校生の頃にウナギ、大学生の頃に生ガキに中って、ひどい腹痛、下痢、嘔吐、発熱、寒気に陥ったことがあるが、それ以来の激しい食中毒。ゴルゴ13だったか、カムイ外伝だったかで読んだことがあるが、傷ついた野生の動物は、飲まず食わずで、じっと体を休めて回復するのを待つそうである。私もそれにならって、水分は僅かに取ったが、食い物はまったく取らず、ただ、ひたすら寝た。便意でしょっちゅう目は覚めたが、吐き気を我慢しつつ、ひたすら寝た。
 火曜日は仕事を休み、また、ひたすら寝る。飲まず食わずなので体に力が入らない、脳に気力が湧かない。お絵描きなんてとてもできない。絵本作りは諦める。
 私の食中毒は、ひょっとしたら「見えないものからの待った」なのかもしれない。
 「ちょっと待て、君はまだ少し考えが足りない。その絵本を出す前に、何が足りないかをもう少し考えてみてくれないか。」とのお告げなのかもしれない、と思った。で、寝ながら考えた。朝、目が覚めてからも考えた。その結論としては、「私は別に、死んだ人をネタにして面白がっているわけじゃない。Mさんに対する自分のイメージを形として残しておきたいという気持ちだ。考えが足りないなんて思わない。」であった。
 今週のガジ丸HPは絵本だけでもいいと思っていたので、それを諦めると、今週アップする記事が一つも無いということになる。で、体調が大方回復した水曜日の夜、沖縄の草木「カエンカズラ」を書く。だが、病み上がりの脳味噌は元気が無くて、それ以上書けない。その後はまた、ボーっと物思いに耽る。「考えは足りている」のか。
 水分を取ると便意を催し、食べ物の匂いで吐き気を催し、トイレは行くたびに辛いし、仰向けに寝れば背中が痛いし、横になるとお腹がグルグルするし、まったく快食、快眠、快便とはほど遠い1日半だったなと思い返す。こんなのがずっと続くと生きているのが嫌になるだろうな、などと思う。そして、ふと、気付いた。自分の考えの足りなさに。
 なお、食中毒の原因がスーパーの惣菜にあったのかどうかは確証が無い。その日の昼間食った、賞味期限を40日過ぎたフルーツゼリーが原因なのかもしれない。ただ、フルーツゼリーを食った時は何も感じなかったが、惣菜の時は、少々違和感があった。

 -足りない考えの話は、この後数時間後に続く- 記:2006.2.23 ガジ丸