ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

ウチナーンチュの証明

2004年11月26日 | 通信-沖縄関連

 先週土曜日、琉球大学で公開シンポジウムがあり、拝聴しに行った。タイトルは「琉球列島の主役たち」、―人類学・自然科学からみた沖縄の歴史―というサブタイトルが付いていた。朝9時から昼休みをはさんで午後4時半まで。
 大学や博物館の先生方8人による研究発表が9題。
 「軽石から遺跡の年代を探る」加藤拓
 「琉球・アイヌ同系論の再検討」百々幸雄・・・欠席のため土肥直美が代行
 「骨からみた沖縄の人たち」土肥直美
 「DNAからみた沖縄の人たち」篠田譲
 「主に遺跡出土貝類からみた琉球列島における貝類相の変遷」黒住耐二
 「遺跡出土の魚骨・獣骨類からみた先史琉球の自然環境と生業」樋泉岳二
 「沖縄諸島における農耕の始まり」高宮弘士
 「琉球列島におけるイノシシの家畜化:化学分析より」南川雅男
 「古人骨の化学成分からみた沖縄における食生活」米田穣
以上のような観点から、まあ、とても大雑把に言えば、「沖縄人は何処から来たの、何者なの」ということを論じている・・・と私は解釈して、聴いていた。
 既に十年以上前に出された埴原和郎の「日本列島人の二重構造モデル」という論がある。有名なので知っている人も多いと思うが、土肥直美さんの文章を引用して説明すると、「日本人の形成に関しては、二つの系統の人々、すなわち東南アジア系の縄文人と北アジア系の渡来人の子孫が混血することによって形成された。」ということ。沖縄人については、「北海道のアイヌとともに渡来人の影響をほとんど受けなかったために縄文人の特徴を現在まで保持する集団」とある。
 大昔に南方から島伝いに渡ってきた縄文人がいて、その中で、あまり向上心のない人々は暖かい南西諸島(先島、沖縄、奄美)に住みついた。「暖かいさあ、魚が捕れるさあ、山には果物もいっぱいあるさあ、ここでのんびりくらせるさあ。」と思ったのだろう。しかし、根性のある人々は違う。「いやいや、もっと北にいけば、もっと大きな世界があるに違いない。」と思い、その人々が南九州から本州へ広がっていったのだろう。アイヌは最も根性のある人々なのだ。その後、北アジアから弥生人が渡ってきて、縄文人とせめぎ合い、現在に至る。と私はずっと思っていた。
 今回のシンポジウムは、「日本列島人の二重構造モデル」を再検討し、「アイヌ、沖縄同系論」を否定した。現代沖縄人の骨格は先史(1200年以前)沖縄人とは別種であり、日本の鎌倉人に近い。沖縄人のDNAは日本人には無い特徴を持っていたが、大きな違いでは無い。つまり、日本人と沖縄人は同系である、ということらしい。

 ウチナーンチュはいかにもウチナーヂラー(沖縄面)しているので、顔を見ればウチナーンチュであることが判る。東京の電車の中で、知らない人に声を掛けられることもある。「えー、兄さん、ィヤーやウチナーやらやー(ちょっと、兄さん、アンタ沖縄だろう)」なんて。
 「日本人と沖縄人は同系である」と話があったときに、沖縄人の顔は、本土人ののっぺらとした顔に比べ大きな特徴があるじゃないか。彫りが深いじゃないか。体毛が濃いじゃないか。眉毛が太いじゃないか。そういったウチナーンチュなら誰でも判るウチナーヂラーというものはどう説明するのか?骨格やDNAだけでは説明できない何かがあるのではないだろうか。「暖かいさあ、のんびりくらせるさあ。」といった気分や、暑い、太陽が眩しいなどといった環境が、顔の形成に大きく関与しているのではないのだろうかと、私は思った。
 最近の若者はしかし、ウチナーヂラーが薄れている。顔まで本土並みになったようだ。「これでは、いずれウチナージラーが消えてしまう。心配だ。」と飲み屋のママさんに話したら、「ウチナーヂラーは無くなっていないよー。今の若い男の子たちは眉毛を剃っているから、ウチナーヂラーが薄れて見えるだけよー。」とのこと。少し安心する。「ウチナーンチュがいる限り、ウチナーヂラーは不滅さあ。私の眉毛見なさいよ。こんな太いの。これがウチナーンチュの証明さあ。」
 店の外に出ると、風が心地良かった。離婚して、子供抱えて、夜も働いて、酔っ払いの相手をして、なおかつ、「カッ、カッ、カッ、カッ」と高笑いするママさんの声が耳に残っている。「なんとかなるさあ」という気分、これこそが、ウチナーンチュの証明なのかもしれない。

 記:2004.11.26 ガジ丸