ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

寅さんに培われた人間表現

2004年11月05日 | 通信-音楽・映画

 例年、映画鑑賞は年に4、5本だったのが、今年は既にその倍以上観ている。
 「半落ち」、「ラストサムライ」、「イノセンス」、「深呼吸の必要」、「風音」、「スチームボーイ」、「華氏911」、「炎のジプシーブラス」、題名は忘れたが、沖縄をテーマにした東陽一監督の初期の2作品、そして、つい先週の「隠し剣、鬼の爪」
 これら全ての作品についてそれぞれ感想はあるのだが、友人たちにメールまで書いて誉めたものは「風音」1作品のみ。「風音」はしかし、沖縄物という贔屓が少しあってのことで、純粋に作品の出来栄えだけでメールを書いて誉めた映画は、ここ数年間で2作品しかない。その2作品は「千と千尋の神隠し」と「たそがれ清兵衛」。
 私は、国民的人気映画「寅さんシリーズ」をあまり観ていない。3、4の作品を観て、ワンパターンの人情喜劇に過ぎないと評価し、多くを観る必要は無いと判断したのだ。よって、山田洋次監督にもさほどの興味は持っていなかった。
 「たそがれ清兵衛」を観に行ったきっかけは、だから、よく覚えていない。街に出る用事があって、ついでに映画でも観るかということになって、たまたま「たそがれ清兵衛」が上映されていた、ということだったのかもしれない。映画は、観るとすればほとんど邦画。ハリウッド映画は好きでないので、「ハリーポッター」だろうが、「タイタニック」だろうが、それらが隣でやっていても、「たそがれ清兵衛」をきっと選ぶ。
 映画は映画館で観るに限ると私は思っている。暗い映画館、視野に映るほとんどはスクリーン。そこにいると映画の世界にのめり込むことができる。映画の空気を感じることができる。家で寝そべってテレビ画面を注視したとしても、周りの日常が目に入って非日常の世界へ入っていけない。映画の価値は、だから、いかにその映画が作り出す空気を感じさせるかだ。その世界へ観客をいかに引き込むかだ、と私は思っている。
 「清兵衛」がその世界へ私を引き込むのには、映画が始まってほんの10分とかからなかった。それは、「千と千尋」に匹敵するものであり、私は大いに満足した。
 よって、山田洋次監督の時代劇2作目にも私は大いに期待し、沖縄での上映初日であった先週土曜日、部屋の掃除、畑仕事など全ての用事をキャンセルして観に行った。
 「隠し剣、鬼の爪」は期待を裏切らなかった。私が贔屓目無しに友人たちにメールまで書いて誉める、3本目の映画となった。で、誉める。
 登場人物の描き方が上手い。現代には存在しない人物が、そこに実在するかのような現実感がある。それだけで私はもう、映画の世界へ引きずり込まれていく。人物一人一人が生身の人間としてスクリーンに映り、彼らの言葉や所作が映画の空気を作っていく。永瀬正敏も松たかこも私はよく知らなかったのだが、良い役者だった。山田洋次は人間表現が上手なのだと感じた。それは、たぶん「寅さん」を撮り重ねていく中で培われた力なのだろうと思った。そういえば「寅さん」の登場人物って、一人一人が、チョイ役までもが皆個性があって、今、そこに生きている人間って思えたよね。
 さて、映画、今年はまた、宮崎駿の新作もある。きっと観に行く。北野武作品同様、いつも私の期待を6分程度しか満足させない監督の作品もやっている。「笑いの大学」、これは観に行くかどうか迷う。ついでがあれば、ということになるだろう。

 記:2004.11.5 ガジ丸