人類が飢えの恐怖から解放されるような、例えば、食料を安定供給してくれる作物、例えば芋(サツマイモ)が果実として年中収穫でき、その木が1本あれば大人1人が飢えから解放される、そんな果樹があればいいなぁと私は何年も前から想像していた。食ってさえ行ければ、そして、強欲を出さなければ人生は何とかなるという考えが基本。
「やー、お昼食べてるんだね、何それ?美味しそうだね。」
「山芋、のようなものよ、生で食べてるんだけど美味しいよ。」
「山芋の、”ような”って何だ?山芋じゃないの?」
「地中にできる芋じゃなくて、これ果実なのよ。味も栄養も山芋に近いけど。」
「えーっ、そんな木があるの?面白いなぁ。その木、近くにある?見てみたい。」
「近くに何本かあるけど、私の家の庭にもあるよ。」
ということで、私は興味を持って、彼女の家へその木を見に行った。
「ほらそれ」と彼女は1本の木を指差しながら、指差した木に近付きながら「あれが果実」と、木の枝にぶら下がっている見た目が山芋状の果実に指先の向きを代えた。
「ほうこれか、この木が1本あれば毎日の酒の肴に困らないのか、いいなぁ。」
「酒の肴じゃないよ、人間が生きるための食料よ。でもさ、人間の食料っていうなら今はこれよりもっといいのがあるよ。お芋の木っていうんだよ。」
「オイモノキってことは、お芋の木、サツマイモが果実となる木ってこと?」
「そう、その通り。見た目はともかく、含まれる栄養と味は芋とほぼ同じ。それもここにあるよ、3年前に植えて今年から実を着けるようになったよ、ほら、あれ。」
そこには確かに、サツマイモに見た目の似た果実がいくつも生っていた。
「他の人の家に生っていたのを食べたことがあるけど、蒸かして食べたらほとんどお芋と一緒だったよ。」とのことであった。
「山芋の木」はともかく、「お芋の木」は食料の安定供給に大いに役立つに違いない。人類の未来に大きな安心が見えたように私は思った。その後、その木を発明した農業試験場のR博士を紹介して貰い、詳しく話を聞こうと博士を訪ねた。
博士によると、「山芋の木」の正式名称はヤマイモキ、「お芋の木」の正式名称はオイモキと言い、「リスが木の実を食料とするように我々の食料も木の実から完全供給できないかと長年研究し、数年前にやっと完成したものだ。」と語った。
腰痛となって気分が落ち込んでから、私の肉体的老化がぐんと進んだように思う。先ずはマラ、それ以前も滅多に無かったが、ここ半年は硬くなるということがちっとも無かった。そして眼、老眼が一気に進んだ、本を読む時だけでなく、大工仕事中にも老眼鏡が必要となった。そして歯も、このあいだ、奥歯の1本の半分が抜けた。その他、白髪がぐんと増えた。食事中に食べ物をこぼすことが増えた。歩いて躓くことも増えた。
たぶん、気分が落ち込んで私の「気」の力が弱っているのであろう。「気」の力が弱ったせいで腰痛が酷くなり、老化が進んだのかもしれないと思った。ということで、「山芋の木」と「お芋の木」を思い付いた。「山芋木から、お芋木から」ってこと。
記:2018.3.23 島乃ガジ丸
2018年2月15日から引っ越し作業を始め、2月26日には概ね終了。退去に伴うガスの閉栓や水道の閉栓を済ませ、不動産会社の検査も27日の午前中に済ませた。
引っ越し作業が「26日には概ね終了」と言っても、旧居から新居へ荷物を運び終わって、旧居の掃除を済ませ、新居の、取りあえずの寝る場所を確保して寝泊りはできるようになっただけのこと。運び入れた荷物の半分は片付いていなくて、1部屋に押し込んでいる。新居のガスが使えるようになったのは27日の午後、その日やっと風呂に入る。
28日は朝から1日中、荷物の整理、片付け、部屋の掃除をし、昨日も、昼間に3時間ほど外出したが、朝から前日と同じ作業をする。それでもまだ終わっていない。
引っ越しの荷物運びに12日間も費やしたのは、荷物を自分の小さな車で運んだので一遍に多くを運べなかったからでもあるが、1度に載せる荷物の量が前回に比べ半分以下になったからという理由が大きい。腰痛で一遍に多くを、私の腰が運べなかったのだ。
新居の、荷物の整理、片付け、部屋の掃除に時間がかかっているのは、これもまた腰痛のせい。腰が痛いので休憩時間が長くなっている。休憩時間が長くなっているお陰でこんな駄文を書く暇があるというわけ。駄文書きは私のストレス解消に役立っている。
2017年8月10日、映画を観に行った。映画が終わって椅子から立ち上がった時、腰に激しい痛みを感じた。映画館から出てバス停まで歩いている間にその激しい痛みがしばしば腰を襲った。痛みでスタスタ歩けない、老人のようなゆっくりとした歩みになる。激しく痛むとゆっくりも歩けずに立ち止まる。しばしば立ち止まり、「うーん」と低いうなり声をあげ、そしてまたゆっくり歩くを繰り返して、やっとバス停に着く。
畑仕事で腰を屈める作業、例えば草抜き作業を1~2時間もやると腰が痛くなる。それは普通によくあることだが、腰の痛みが「普通じゃない」場合は、特別なこととして日記に記してあるだろうと思って調べてみた。2017年5月4日に「腰が痛い」とあり、その後も何度か記されていた。そして、8月10日の映画腰痛事件となる。
映画腰痛事件の後、腰を庇って腰を屈める作業を長時間続けないよう気を付けていたので、9月には特別「腰が痛い」という記載は無い。が、10月には2日、11月は4日、12月は6日としだいに増えていった。不具合が蓄積していったのだろう。
腰痛は、1月はほぼ毎日、2月は例外なく毎日となる。後悔先に立たずと知ってはいるが、去年の夏に激しい腰の痛みを感じた時に何らかの処置をしておけば良かったと後悔してしまう。誰のせいでもないのだ、自身の腰痛に対する認識が甘かったのだ。
「こうすればこうなるだろう」といった見通しが、私は甘かったのだと思う。幸せに生きるための想像力が私に不足しているのだと思われる。それは、私が単に「バカだから」と言ってもいいが、人生の経験不足と言った方が近いかもしれない。
自分の体力が、腰痛のせいもあって爺さん並みであることを忘れていた結果、引っ越しに難渋し、無理してさらに腰痛を悪化させた。「今無理したら、腰痛はさらに悪化し、自分の得意技である肉体労働もできなくなる」という想像力が私には無かったのだ。でももう、先週反省した通り愚痴は言うまい。この先、またも引っ越さなければならなくなった時は、他人の力を頼らなければならないだろう。私は爺さんなのだ。
記:2018.3.2 島乃ガジ丸
畑の整理ダンシャリは、5年かけて作ってきたあれこれを解体処分する作業が主になっている。誰の役にも立たないことをやって「俺はバカだぜ」と思いつつもしかし、「しょうがないさ、これが俺さ」と開き直ってもいる。開き直って「何で俺はこんなバカなことしてきたんだろう」と考える。自己満足のためだけの物作りをやっていることが「俺は生きるのに役に立つことをやっているんだ」と思い込んで、のめり込んでいたのだ。
世の中の役に立たない物作りをすることを「自己満足物作り」として、それを現実逃避の手段にしているのなら、私は「自己満足物作り依存症」であると言っていい。
依存症というと、すぐに思い浮ぶのは、酒好きの私なのでアル中(アルコール依存症)ということになるが、私はたぶん、アル中ではない。1回の晩酌で飲む量も酔うほどではないし、月に5~6回は休肝日を設けている。私はまた、たぶんニコチン中毒でもない。休肺日が2~3日続いても平気だし、去年の夏頃までは1日に10本近く吸っていたが、その後は休肺日も増え、最近、去年12月以降は1日3~4本に減った。
タバコが減ったのは、自分のバカに気付いて落ち込んでタバコ吸う元気も失せた、というわけでは無い。落ち込んだ時は却ってタバコの量が増えるはず、タバコを吸って気を紛らわせようとするはず、そうやってニコチン中毒に陥っていくはず。なので、それを避けるためにタバコの量を意識して減らした。アルコールも同じことで、意識していつものペースか、むしろ、ここ1ヶ月余はいつもより酒の量を少し減らしていた。
辛い時に辛いことを忘れる逃げ場がある、ということは人生に必要だと思うが、逃げ場が酒になって、酒無しには辛さから逃れられなくなるとアル中になったり、タバコを吸うことで気を紛らわす癖がつくとニコチン中毒になったりするのであろう。というわけで、私はアル中でもニコチン中毒でも無いですよ、と証明したつもり。
一杯飲み屋で安酒を呷って それで毎日毎日が忘れられるというのなら
僕は有り金の全てをはたいても 有り金の全てをはたいても
これは高田渡の『酒』というタイトルの歌。この後「本当にお前はそれで幸せなのか」との歌詞がくる。若い頃はともかく、オジサンとなってからはその意が良く解る。
己が人生を直視するのが辛いという人がいる。何かに没頭することで現実逃避する、そうしないと生きて行くのが辛いという人がいる。辛い時に辛いことを忘れる逃げ場があれば、そこへのめり込んで行く。そして、何かの依存症になるのだと思われる。
依存症というと、ギャンブル依存症というのもある。沖縄にはそういう人が多いと聞いている。私も若い頃はパチンコ屋通いしていたが、オジサンと呼ばれる歳になってからはやめている。ということで、私が依存していたのは酒でもタバコでも無く、ギャンブルでも無い。そうです、私が依存していたのは「自己満足物作り」だったわけです。
物作りしている時は楽しかったのだ。それはそれは楽しかった。世の役に立たないお気楽な生き方であった。が、役立たずの人間という負い目が私の心のどこかにあったのかもしれない。その負い目から逃れるための「自己満足物作り」だったのかもしれない。
記:2018.2.2 島乃ガジ丸
「風邪かな?」と思った日は休肺日となることが多いが、先週木曜日(23日)は風邪だからという理由ではなく、腰痛静養の日ということで休肺日及び休肝日とした。
静養のお陰で腰の状態が一旦は良くなったのだが、金曜土曜と腰に負担のかかる作業をしたせいで、日曜日になると腰の状態はこれまでで最悪となる。
で、今週月曜日(27日)は畑を休んで再び腰痛静養、禁酒禁煙の日とし、家からほとんど出ず、パソコン作業を2時間ほどやって腰掛けによる腰への負担は少しあったが、ベッドの上で瞑想、ストレッチなどを繰り返した。その結果、脚が痺れるなど痛みがまったく消えたわけでは無いが、腰を曲げないと立てない歩けない状態は無くなった。
しかしその日、別の健康不安が現れた。夜、ベッドに入ってしばらくしたら咳が出、2~3分に1回は咳き込むという状況が長く続いた。その日もまた、腰痛静養の日ということで休肺日及び休肝日としていた。休肝日はちゃんと守り、休肺日も、昼寝した後、お茶飲みながらタバコに手が伸びて1本吸ってしまったが、でも、その1本だけだ。喉に優しい日となったはずだ、それなのにこれまで経験の無い咳き込みが出た。
「何だ?何の病気だ?タバコ吸わなかったせいか?」と思い、「風邪か?このあいだ治ったはずだが、ぶり返したか?」と思い、風邪ではなく何か違う病気かもと疑う。
翌火曜日の朝は喉にイガイガを感じたので、風邪がぶり返したのだと思った。喉のことを考えて、普段は日に10本ほど吸うタバコだが、この日は3本で済ます。その夜、喉のイガイガは少しあったが、咳き込むことは無く、ゆっくり眠れた。
翌水曜日、普通にタバコを吸い、普通に晩酌し、腰養生のため早めにベッドへ入った。早めに入ったが、寝入ったのは3~4時間後だった。月曜日に経験したほど激しくはないが、この日も咳き込むことが数時間続いた。喉の真ん中辺りに違和感がある。
「何だ?結核か?喉の違和感はポリープか?咽頭癌か?」と不安を感じつつ寝入る。腰椎の異常(友人Sの診断)によって坐骨神経が圧迫されて足腰に痺れという症状が出る、だけでなく、その痛みに体力を使ってしまい、自然治癒力が弱り、その結果、風邪を引いたり、結核にもなったり、咽頭癌などにもなり易くなっているかもしれない。
前にも何かで書いたが、漫画『ゴルゴ13』の、ある1話の1シーン、たぶん40年くらい前の作品なので、詳しくも正確にも覚えていないが、大体は以下。
「脇腹に銃弾を受けたデューク東郷、洞窟の中に入り、自分で腹の銃弾を抜き取り、自分で包帯し、安静にし、水だけ飲んで数日を過ごして復活した。」・・・以上。
私はデューク東郷に人間の野生を感じ、感心して、今でも覚えているわけ。漫画だから空想の話かもしれないけれど、今なら「自然治癒力の賜物だぜ」とさらに感心する。
整体師Sの「治療するか?」という親切を私が断っているのは、野生的自然治癒力に私が憧れているからである。安静にしていれば、私の腰痛も自然に治るのではないかと期待しているわけである。私の場合はしかし、デューク東郷のように全くの安静というわけでは無い。飯食うし、酒飲むし、タバコ吸うし、体も使う、元々貧弱な私の治癒力はそういったことにエネルギーを使い、腰の治療まで手が回らないのかもしれない。安静にし、お粥など食い、禁酒禁煙をすれば、私の自然治癒力も少しは役立つかもしれない。
記:2017.12.1 島乃ガジ丸
11月23日(木曜日)は腰痛静養のため休養日とし、ゴミ出し以外は外に出ることも無く、パソコン作業で腰掛け姿勢を2時間程やった他は、横になっているか、ストレッチやっているかの1日で、休肝日にもなり、久々の休肺日にもなった。
翌24日、前日の休養のお陰で「腰の調子は数日前に比べたらだいぶ良い」ので、畑に出た。金曜日なのでガジ丸ブログアップ作業があって午前中は1時間だけだったが、午後は3時間働いた。腰痛があるのに2m近い高さの脚立の上に立ち、足元が不安定なのに杭打ち用の大ハンマーを右手に持ち、鉄パイプを地面に打ち付ける作業をした。
翌25日、朝起きると「腰の調子は数日前に比べたらだいぶ良い」から「少し良い」に悪化していたが、腰を曲げないと立てない歩けないほどではない。「もっとたっぷり休養すれば治るかもしれない」と思い、それが「休めば大丈夫」という油断となった。午前中は3時間ほど畑にいて、前日と同じ腰に負担のある作業をたっぷりやった。午後は荷物運びの手伝いがあり、大きなソファーセットを持ち運んだ。持ち運んでいる時間は30分ほどと短かったのだが、これもまた、腰への大きな負担になったようである。
翌26日、「腰の調子は数日前に」戻っていた。それでも畑へ出る。前日、途中だったパッションフルーツ棚の改修作業を終わらせ、台風22号で倒れたバナナの片付けなど、午前中3時間働く。午後はしかし、腰痛にギブアップして2時間も働けなかった。
腰痛にギブアップした26日、晩酌を始めていた午後7時前、友人の整体師Sから電話があった。私のブログを読んで「大丈夫か?」という心優しい電話。「治療しようか?」と言うのを、「もう少し自分の力を試してみたい、あと3、4日待ってくれ、それまでやってもダメならお願いする」と、有難いと思いつつもお断りした。「自分の力で治る、休めば治る」ということ、我が身の自然治癒力を私はまだ信じていたかった。
Sとの電話を切って間もなく、酒飲みながら数時間前の出来事が頭に浮かんだ。
その日、夕方5時半頃には畑を引き上げ、少し回り道して家から最も近いMスーパーへ寄った。店内に入った時、正面から歩いてくる小学校2~3年生くらいの少年と目が合った。少年は私を見てニヤッと笑った。知らない少年なので気にせず買い物を続けた。
10~15分も経っただろうか、買い物を終え、入った時と同じ出入口から出ようとした時、外から中へ入ろうとする少年と目が合った。さっきと同じ少年だ。少年はまたもニヤッと笑って、それまで普通に歩いていたのに、その後、腰を曲げて爺さんのように歩いて店内に入っていった。「変な子供だぜ」とその時思いつつ、少し気になっていた。
整体師Sからは「治療しても治らないかもしれない状態だぜ」と言われ、「治らないとなると、やはり俺は腰の曲がった爺さんになるわけだ」と思いながら、約1時間前の少年が思い出されたのだ。「あー、あの少年は俺の近い将来を予知して、それを笑っていたのかもしれない」と思った。この世には予知能力のある子供がいるのかもしれない。
あるいは、私自身は真っ直ぐ立って、真っ直ぐ歩いているつもりだが、傍から見れば腰の曲がった歩き方に見えているのかもしれない。そういえば、と思い出した。それまでそんなこと無かったのに、くるぶし丈の靴下を履いている時に限るが、その靴下が歩いている間に靴の中で脱げることが多くなった。歩き方が変になっているのかもしれない。
記:2017.12.1 島乃ガジ丸