5月8日は、沖縄地域だけだと思われるが、ゴーヤーの日だった。ゴーヤーは野菜のゴーヤー、ウチナーンチュ(沖縄人)に愛されている食べ物のゴーヤー。ということでその日、ラジオからはゴーヤーの話題がいくつもあった。その中で、
「ゴーヤーは苦手、人間には苦いものは毒と感じる本能がある、だから本能の優る子供はゴーヤーが嫌い、毒は大人になっても毒に変わりないから、大人の私がゴーヤーを嫌うのも当然」といった内容のことが語られた。それに対し私は初め「ふーん、まあ、そういう人もいるんだ」とだけの感想であったが、その後、「そうか、ゴーヤーの日か、今日はゴーヤーにするか、ゴーヤーの和え物を作って晩酌の肴にするか・・・いやいや、今日は休肝日だった。ゴーヤーは明日にしよう」とあれこれ思い、「ゴーヤーは生(ゴーヤー酢など)でも炒めて(ゴーヤーチャンプルー)も、天ぷらにしても旨いよな」と、それらの料理を思い浮かべながら、「そうだぜ、苦みにも美味さがあるだよ」と、ラジオから聞こえた「大人の私がゴーヤーを嫌うのも当然」に対して少し反論したくなった。
おっしゃる通り、毒に対する本能的拒否はたぶんあると思う。しかしながら、人生を経験していく内に、「これは酸っぱいけれど腐ってはいないぞ、これは苦いけれど毒ではないぞ」などと学んで、生きるための食い物の幅を広げていくのではないかと思う。人が野生として生きていた頃の話になるかもしれないが、自然の中にある、人間の食料となるものが多ければ多いほど生きていく可能性は高くなっていく。「これは水で洗えば安全、火を通せば安全、あく抜きすれば安全」などといったことも学んでいくと思われる。
学んだことを子孫に伝え、子孫はそれを学んで、そして今、我々は何の恐れも無くタコを食い、イカを食い、ウニを食い、ナマコを食い、イナゴを食い、ハチノコを食う。生きるための食料として「美味い」と思えないものだって生きるために食う。
想像するに例えば、タコ、イナゴ、ハチノコなどは見た目で食うのを躊躇するかもしれないが、ゴーヤーはブツブツしているだけで「見た目が不味そう」には見えない。で、食ってみる。ゴーヤーは沖縄の糞暑い夏に収穫できる。収穫したゴーヤーを食べていたら夏バテしなくなったなんて話が伝わる。さらに、ゴーヤーのその苦さが旨さに感じられるような調理法(チャンプルーや天ぷら)が発見され、それもあちこちに伝わり、「あーホントだ、ゴーヤーって美味しいんだ」なんてことがあったのかもしれない。
ゴーヤーだけでは無い、沖縄には苦くて美味しい食材がいくつもある。身近にはフーチバー(ヨモギ)、ンジャナ(ホソバワダン)、サクナ(ボタンボウフウ)など。中でも私はフーチバーが好きで、若い頃はフーチバージューシー(雑炊)や魚汁などの具材で食うことが多かったが、オジサンとなってからはフーチバー単体で、お浸しで食うことが増えた。そういえば、ゴーヤーもゴーヤーだけで酢の物にして食うことが増えた。
「苦みは薬になる」ことをある医者が発見し、「苦みは旨味になる」ことをある料理人が発見し、苦みの良さが知られていく。ゴーヤーは「苦み走った良い味」なんだと理解されていく。あれこれ化学物質が混入された加工食品を美味いと感じることの方が危険であろうと私は思う。ちなみに、私の顔は苦み走っていない、ふにゃけた顔。残念。
記:2018.5.11 島乃ガジ丸
先週のガジ丸通信『肌荒れの元』の最後に「お菓子や駄菓子、スーパーの惣菜(食品添加物が多い)などの食い過ぎか?とも思う。肌荒れは、そういった不自然な食事のせいかもしれない」と書いたが、そう思い始めたのは4月の中頃で、その頃から食事に気を付けるようにしていた。毎食ではないが(週に5~6食ていど)芋食を復活し、4月25日には玄米食も復活させた。駄菓子などのジャンクフードは減らした。
私が腰痛持ちになったのは去年(2017年)の夏頃からだが、それまで主食の半分は芋で、さらにそれ以前の主食は概ね玄米だった。玄米から芋に替わったのは、玄米は買わないといけないが、芋は畑を掘れば只で手に入るから。生活費削減の一環。
「芋さえあれば俺は生きていける」と思い、自給自足芋生活を目指して、約5年前300坪の畑を始めたのだが、「腰痛になると芋掘りもできない」ということに腰痛になってから気付いた。「芋掘りができなければ生きていけないじゃないか」とも気付く。
芋食は去年(2017年)7月までは順調にできていた。日記を調べると7月8日のページに「芋掘りする、7食分ほど収穫する」と書いてある。しかし、それ以降私は芋掘りをしていない。芋食もしていない。芋食が復活したのは2018年4月2日。その芋は自分の畑の芋ではなく、市販の焼き芋。時々通っている八百屋にあったもの。
その芋はたぶん安納芋、蜜たっぷりでとても甘い。その甘さは私好みではなかったが、1袋が少量(私の1食半)で安い(150円)。その量と値段には満足。4月は結局、後半はほとんど毎日(1日1食)芋食となり、1ヶ月で計14日間は芋を食っていた。
「芋掘りができなくても生きていけるじゃないか、金さえあれば」と気付く。「しかも1日3食芋にしたら、主食は1日300円、副食に味噌汁と漬物を足したとしても食事代は1日500円で済むかもしれないぞ、月に1万5千円だ、楽勝だぜ」と思う。
ただ、安納芋は甘すぎる。その後、他のスーパーでも焼き芋を買ってみるが、どれも黄色い芋で、やはり甘い。甘いのは飽きる。1日3食これを毎日繰り返したら芋が嫌いになる恐れもある。沖縄のベニイモなどは程良い甘さなのだが、それを求めているのだが、沖縄産の生芋は八百屋にあったが、沖縄産の焼き芋にはまだ出会っていない。
実は、3月下旬頃から時々頭痛がするようになった。若い頃、二日酔いで頭痛という経験は何度もあるが、オジサンになって深酒しなくなってからは頭痛をあまり経験していない。さらに、最近は時々肩凝りもしている。「腰痛から来る頭痛か?それとも血管の問題か?脳梗塞とかいったものの前兆か?肩凝りもそのせいか?」などと考える。
頭痛は長く経験ないが、肩凝りは勤めている頃(10年程前)にはよくあった。その頃の仕事はほとんどパソコン作業だったので、眼精疲労から来る肩凝り・・・そうか、このところ畑へは週に2~3日、それも午前中の3~4時間しかいない。余った時間は何をしているかというとパソコン作業だ。そうか、それで頭痛と肩凝りなのかと判断。
まあ、ともかく、芋食が復活し、玄米食も復活した私の食生活、芋食玄米食となって2週間ほど経った4月終わり頃になると、腰痛はまだ続いているが、体調は良い。
4月上旬に口角にできた吹き出物、同じ頃から出ていた尻、腿の痒みも今はもう消えている。痒みについてはアロエのお陰かもしれないが、食のお陰も大きいと思う。
記:2018.5.4 島乃ガジ丸
今年(2018年)2月頃から、腰、尻、腿にかけて痒みが出てきた。3月になると痒みが酷くなったので軟膏(ムヒ)を塗るようにしたが、1ヶ月経っても改善しない。「ムヒの効能範囲ではないかもしれない、ただの乾燥肌とかでは無く、何かの皮膚病かもしれない」と思って、4月中旬から別種の軟膏を使うようにしている。・・・と書きながら思い出した。「畑に皮膚病に安全でよく効く薬があるじゃないか」と。
皮膚病に安全でよく効く薬については→アロエを参考していただくこととして、ここでは「3ヶ月近くも続いている痒みはいったい何なんだ?何が原因だ?」を考えた。
腰痛が、「もしかしたらヤバイかも」と思ったのは去年(2017年)の5、6月頃であるが、ノーテンキな私は「そう酷いことにはならないだろう」と楽天的に考え、その後も腰を酷使する農作業など続けて、そして、10月下旬になって腰の痛みが酷くなり、尻から腿、ふくらはぎにかけて痺れが走るようになってやっと、「こりゃいかん」とノーテンキも気付いて、「何とかしなきゃあ何ともならんかも」と思うようになった。
何とかしなきゃあと思ったのだが、バカ(私のこと)はバカ(私のこと)のやってきた自由気ままな生き方の後始末に時間がかかってすぐには何とかできない。腰の痛みは一進一退、休ませていると楽になるが、少しでもきつい仕事をすると痛みはぶり返す。そうこうしている内に、痒みが出て、赤い発疹のようなものもできた。
「痒みは腰痛の痺れと何か関係があるのだろうか?」と考えたが、痒みは薬を塗っておけば楽に耐えられる。腰の痛みや腰から尻、腿、ふくらはぎにかけての痺れがきつい。痛いと痺れにより大きく意識が向くので、痒みはそう気にならず軟膏に任せておく。
腰の不具合で2~3センチは縮んだかもしれないが、前(20年くらい前)に計った時は身長170センチちょいあった。その身長で20年頃前は体重が70キロ近くあって、その頃は体調も良くなかった。酒をたらふく飲むことに溺れ、つまみをたらふく食うことにも溺れていた。その頃は肌荒れもあり、脂肪種摘出手術などもやった。
「いかん、太り過ぎだ、痩せなきゃ」と一念発起し2001年頃から食事量を減らすとともに、お菓子、ファストフードなどの、どんな化学物質が入っているか知れない食い物を断ち、運動もして、2002年には65キロ内外、2003年には61キロ前後と徐々に体重を減らし、2011年以降は60キロ台に戻ることはなく、300坪の畑を始めた2012年夏以降は56キロ内外となる。もちろん、体調も良くなった。
去年(2017年)夏に腰痛を患い、運動量は減っているのに秋頃から体重が減り始めた。10月には54キロ台、年明け1月にはついに53キロを切った。高校1年の頃の体重だ、「いかん、痩せ過ぎだ、太らなきゃ」と思う。その頃、友人達からも「お前は痩せすぎ、甘いものも食え、肉を食え、肉は老化防止になる」などと助言があり、それらの助言に従い、意識して多く食べるようにし、そして徐々に太っていった。
3月20日に55キロ超えし、4月18日には58キロ。3ヶ月で5キロ増となった。食い過ぎか?と思う。鏡に映る自分の顔、頬が弛んできている。
そして、お菓子や駄菓子、スーパーの惣菜(食品添加物が多い)などの食い過ぎか?とも思う。肌荒れは、そういった不自然な食事のせいかもしれない。
記:2018.4.27 島乃ガジ丸
子供の頃、小学校5年か6年生の頃から私は読書大好き少年だった。その頃読んでいたのは『シャーロックホームズ』や『怪盗ルパン』の子供向けに書かれたシリーズもの。そして、偉人の伝記ものである『エジソン』、『ヘレンケラー』、『聖徳太子』、『野口英雄』などもあった。それらも子供向けに書かれたもの。伝記物の中で、ワクワクドキドキし、子供心に強く影響を受けたものがある。それは『織田信長』。
その後のテレビドラマで観ている織田信長にも影響を受け、私は、信長が好きになっていった。信長が好きなので、信長を裏切って殺した明智光秀は大嫌いになった。ただ、光秀のお陰で「寝返る」という言葉を知り、それは男として恥ずべきことであると子供心に思ったのであった。・・・などという寝返りの話では無かった。
ちなみに広辞苑による、「寝返り」は、
第一義に「寝たまま体の向きをかえること。」
第二義に「味方に背いて敵方につくこと。味方を裏切ること。」とある。
腰痛を患ったことで、自給自足芋生活の夢を諦め、農夫そのものも辞めることに決めたのだが、それによって深い挫折感を味わっただけでなく、生きていく不安にも襲われた。そんな中、去年12月から今年2月まで、不安感と、それに伴ってあれこれ思い悩むことによって十分な睡眠が取れない日が幾夜もあった。そしてその頃、
朝起きた時、ほとんど毎日髪に寝癖がついていた。それ以前は寝癖なんて年に数回あるかどうかだったのに「何で?」と考え、ある日思い付いた。「髪に癖がつくほどの時間、俺は寝返りしていないのかもしれないぞ」と。で、検証すると、寝入った時の格好と目が覚めた時の格好がいつも同じであった。やはりそうだ、寝返りしていない。
高校の同級生Tは、若い頃(30代)までは同じ趣味を持っていて週に1度は会っており、彼がパソコンに詳しいということもあって、私はたびたび彼にメールしたりもしていたのだが、日記を調べると2007年頃からしばらく会っていなかった。
それからほぼ8年後、2014年の終わり頃、あるスーパーで、私の名を呼ぶ声が聞こえ、振り向くと知らないオッサンがいた。知らないオッサンはよーく見ると知っているオッサンであった。それが友人のT、白髪がすごく増えて、すごく太っていた。私の知っているTは痩せ型だったので、すぐには彼であると気付かなかったのだ。その時、彼と少し会話をして、彼が何年も前から母親の介護で苦労していたことを知る。
その後、Tとは2017年に3度会う機会があり、今年(2018年)2月の中頃にも会ってしばしユンタク(おしゃべり)した。その時、彼も腰痛であることを知り、そして何と、眠っている時に寝返りをしていないということも聞く。
その数日後、友人Oとユンタクしている時に、テレビ(ためしてガッテンだったか)で「寝返りの少ない人は腰痛になりやすい」といった内容のことをやっていたと聞く。
しかし、私が思うに、「寝返りが少ないから腰痛」というよりも「腰痛だから寝返りが少ない」のではないだろうか。寝返りするには腰を使う。その腰に寝返りをする元気が無いということではないだろうか。ここ3~4日、腰の状態が、完治には遠いが、まあまあ良いので、私はたぶん寝返りをしている。朝、髪に寝癖がついていない。
記:2018.4.13 島乃ガジ丸
先週のガジ丸通信『お芋の木』で「腰痛で気分が落ち込んでから、私の肉体的老化がぐんと進んだ」と書いたが、歯については1ヶ月ほど前からさらに老化している。「奥歯の1本の半分が抜けた」のは2月20日頃、その後、今度は左奥歯の1本が痛みだした。
「食事中に食べ物をこぼすことが増えた。歩いて躓くことも増えた。」とも書いているが、手元足元の動きが自身の感覚と狂うのは今(3月下旬)もまだ続いている。何か作業をしている時、例えば、鍋をコンロから移そうとした時、手元が狂って流しの角にぶつけたりする。歩いている時、足が十分上がっていないのだろう、今も時々躓く。これらはたぶん、肉体の問題、筋肉の老化、運動神経の老化だと思われる。
さらに加えて、腰痛となって、生きる不安を感じるようになった去年(2017年)12月頃から頻尿が酷くなった。それまでは1晩に1回であったのが、その頃から1晩に3~4回は小便で起きるようになった。小便で起きると、その後なかなか寝付けなくて、結果的に、私の得意技であるグッスリ睡眠もできずにいた。
頻尿はたぶん、肉体の、内臓関係の老化だと思われる。内臓関係では他に自覚症状は無い。毎日快便だし、飯も旨いし酒も旨い毎日快食である。でも、自覚症状の出ない内臓の衰えがあるらしいことは噂(ラジオからの情報とか)で聞いている。ある日突然、どこぞに激しい痛みを感じるかもしれない、突然バタッと倒れ、あの世かもしれない。
ネガティブなことばかり書いていても楽しくないので、希望のあることも少し。
じつは、頻尿については、新居で寝るようになってからは少しずつ良くなって、3月2日の夜の寝入りから翌日朝の目覚めまでは1回であった。その後は概ね2回で、3回も小便で起きるということは概ね無くなった。1晩で1回だけというのは、最近は増えて、昨夜(29日)から今朝にかけてもそうであった。そしてさらに、3月2日から翌日にかけての睡眠は久々のグッスリ睡眠で、寝入りから6時間はグッスリ眠れた。
その後、グッスリ睡眠はしだいに増えていき、この頃はグッスリが続いている。小便で1~2回は起きているが、ベッドに戻ると、眠れない夜もたまにはあるが、たいていはすぐに寝入っている。グッスリ快眠が戻るのももうすぐだと思われる。
話はネガティブに戻る。老化は肉体だけでは無い。歳取るに連れて物忘れは多くなっているが、腰痛となってからはさらに酷くなっている。物忘れだけでは無く、良いアイデアも浮かばない。体が元気だった頃に比べ脳味噌の働きが衰えたようである。
今年1月頃から友人の姉Mさんに会う機会が数回あった。Mさんは長く医者をやってきて今も(非常勤らしいが)現役。(今後会う可能性もあるが)最後に会ったのは3月の中頃、引っ越し作業で私の腰が悲鳴を上げていた頃だ。あれこれ話をしていて、前に会った時にMさんに伝えることがあって、それを忘れていたこと思い出し、
「腰痛があると、それに意識が集中して他のことに思考が向かなくなりますね、頭悪くなったみたいです」なんて、忘れたことの言い訳をすると、
「痛みは何でも一緒、腰痛だけじゃない、私は膝痛に悩まされているけどね、私も同じよ」とニッコリ笑った。一病息災という言葉があるが、一病増老とも言えるようである。でも、「元気であればいいのよ」と彼女は付け加えた。そう、心は元気でいよう。
記:2018.3.30 島乃ガジ丸