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ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

見たぞショウビン 

2015年06月26日 | ガジ丸のお話

 沖縄の男子の名前は、昔は音読みすることが多く、例えば、歴史上の人物でいえば尚巴志(しょうはし)、玉城朝薫(たまぐすくちょうくん)など。時代はずっと下って昭和の復帰前、米国占領下の琉球政府行政主席の3人は、大田政作(おおたせいさく)、松岡政保(まつおかせいほ)、屋良朝苗(やらちょうびょう)などとそれぞれ読む。
 私の親の世代になっても音読みは多く、朝延はチョウエン、寛徳はカントクと読み、私の年代になると少なくなったが、それでも、同級生に賢明(けんめい)、朝啓(ちょうけい)などがいた。名前の音読みは、おそらく中国文化の影響だと思われる。
 倭国でも音読みの名前は見られる。例えば・・・なかなか出てこないが、例えば吉田兼好(よしだけんこう)、武田信玄(たけだしんげん)、勝海舟(かつかいしゅう)とか。古い人ばかりだが、現代でも噺家などの芸名には音読みがありそうだ、具体的には思い出せないけど、笑瓶(ショウビン)とかいう名前の人がいたような・・・。
     
 表題のショウビン、これはしかし、噺家の名前では無い。昔の琉球の人物名。初めに断っておくが以下は私の作り話で史実では無い。そういう言い伝えも全く無い話。

 その昔、阿嘉(アカ:名字)親方(ゥエーカタ:士族の役職名)照敏(ショウビン)という侍がいた。身分は高いが、品性はひどく下品で、ケチで意地悪で下半身のだらしない助ベエ親父、賄賂で至福を肥やし、悪徳商人と結託し、民から消費税という名目で金を奪い取り、金の無い貧乏な民は虫けら同然に扱う悪党であった。ところが、「天網恢恢疎にして漏らさず」の通り、照敏の悪行はある男によって暴かれることになる。
 ※注:「天網恢恢疎にして漏らさず」は「天の網は広大で目があらいようだが、悪人は漏らさずこれを捕らえる。悪い事をすれば必ず天罰が下る意」(広辞苑)

 ある日、兼ねてから照敏に疑いを抱いていた正義の侍、王府直属の隠密同心であった河原万砂によって、照敏と悪徳商人が賄賂を授受する現場を押さえられた。
 「見たぞショウビン、この証文と、おそらく中身は金であろうこの菓子箱が動かぬ証拠となる。もはやこれまでだ、大人しく縄につけ!」と万砂は言うが、そう言われて大人しくするような照敏では無い。「者共出あえ」と家来と共に抵抗した。ではあったが、万砂は超人的に強く、者共達はあっという間に倒され、照敏は捕らえられた。
 照敏を恨んでいる者は多くいて、次々と証言者は現れ、次々と証拠の品も出てきて、ついに照敏の悪運も尽きて、島流しの刑となった。ということで一件落着。
     
   ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

 表題の「見たぞショウビン」はしかし、これで一件落着では無い。見たぞショウビンのショウビン、じつは鳥のアカショウビンのこと。ナッピバルの周辺の森にアカショウビンがいることはその鳴き声を聞いていて知っていた。鳴き声はナッピバルを囲む周辺の森から頻繁に聞こえるので、1羽だけでなく数羽いるものと思われる。
 アカショウビンは夏鳥で、沖縄本島地方では4月から10月まで見られる。ナッピバルでも4月30日からその鳴き声が聞こえ、その後は毎日のように聞いている。
 声は毎日のように聞いている。去年も一昨年も声は何度も聞いている。その姿を見ようと森の中へ入って、1時間ほどシャッターチャンスをじっと待ったこともある。しかしアカショウビン、恥ずかしがり屋なのか警戒心が強いのか、人間が嫌いなのか、あるいは、私個人が嫌いなのか知らないが、その姿はまったく見せてくれなかった。
 であったが、2015年5月15日、私はついにアカショウビンを見た。
     
 畑の北側境界にグヮバの生垣がある。生垣は道路側から畑小屋方面に向かって約30mの長さがある。その日、いつになくアカショウビンの声が大きく聞こえた。「近くにいるぞ」と思って、畑仕事の手を休め、畑小屋へカメラを取りに行った。
 小屋の前に着いた時、アカショウビンの声が一層大きく聞こえ、振り返った瞬間、グヮバの生垣の道路側方面から、グヮバの生垣のすぐ上を飛んで東の森方面へ消えた。畑小屋の前にいた私と彼が最接近した時の距離は約5mしかなかった。
 カメラを手にする暇は無く写真は撮れなかったが、全体的に赤っぽいその姿、特徴のある大きなくちばしははっきり確認できた。図鑑の写真で見たその姿に違いなかった。見たいと願っていたその姿、「見たぞ!ショウビン」という気分であった。
     
 言うまでも無いが、アカショウビンは「品性はひどく下品で、ケチで意地悪で」ということはたぶん無い。私の目からはむしろ上品な姿に見える。
 ちなみに、河原万砂はカワラバンサと読む。カーラバンサーは沖縄の言葉でイソヒヨドリのこと。カーラは瓦、バンサーは番をする者という意で、高い所でさえずる習性があることから。私の畑の番鳥であるが、正義の鳥ということは、たぶん無い。
 もう一つちなみに、この頁に載せている写真の鳥は、この冬ちょくちょくやって来ていたオオタカとシマキンパラとコサギで、4枚目は番鳥のイソヒヨドリ。

 記:2015.6.21 ガジ丸 →ガジ丸のお話目次


猛鳥物語

2015年02月27日 | ガジ丸のお話

 ある星の話。その星にも地球と同じような陸と海があり、陸はいくつかの大陸と多数の島々に分かれていて、そのほとんどを、ある一種の知的生命体が支配していた。
 その一種の知的生命体は、見た目が恐竜に似ているので恐竜人という名前にするが。彼らは好戦的な性格をしており、大陸同士の間で戦争が絶えなかった。まあ、戦争が絶えないという点は地球も似たようなものだが。地球と違うのは、彼らが大量殺戮可能な武器を持たなかったということだ。それは、そういった武器を使うことによって、歯止めが利かなくなり、種が絶滅する、ということを彼らが恐れたことによる。
 「生きることは戦うこと」とDNAに刻み込まれているので、性格は、さっきもいったように好戦的。そして、彼らの肉体もまた、戦うのに適したようにできていた。手と足には肉を切り裂く鋭い爪を持ち、骨をも噛み潰す強力な顎を持ち、骨ごと噛み切ることのできる鋭い牙を供えていた。また、長い尾を持ち、その尾は鞭のようにしなり、岩を砕くほどの破壊力を持っていた。それらを使って、彼らは戦った。

 その星にはもう一種、知的生命体がいた。地球でいう恐竜時代の翼竜に似て顎が強い、歯が鋭い、空を飛ぶ翼が付いている。ただ、翼竜と違って翼に羽が生えているので見た目は地球の鳥に近い。なので、彼らのことは鳥人と呼ぶことにする。
 鳥人は、翼の先に人と同じような手があって、自由自在に使え、物作りができ、また、知能が発達していて非常に賢く、いろいろなものを発明してきた。見た目は鳥なんだが、彼らはただの鳥じゃない。その星で最も強く、最も賢かった。

      

 鳥人たちはその星の、一地域のいくつかの島にしか生息していない。彼らは戦闘能力においては恐竜人たちより上回っていたが、人口はその万分の一にも満たなかった。戦えば勝つのにその勢力範囲を広げないのには理由(わけ)があった。彼らはあまりに強かったのである。彼らの生存を脅かすものはいなかったのである。自分たちが生きたいように生きれば、その種が絶えるなんていう不安は微塵も無かったのである。
 鳥人たちは他の生き物を捕らえて食料としていたが、無益な戦いはしなかった。種同士の争いはほとんど無く、恐竜人たちとも戦う事はめったに無かった。恐竜人たちは不味かったので、それを食べるという目的で襲うこともめったに(ゲテモノ好きの鳥人がたまにいた)無かった。ただ、戦闘意欲の強い無鉄砲な恐竜人が鳥人に戦いを挑むことはまれにあった。その際、無鉄砲な恐竜人はことごとく鳥人に殺された。鳥人はすごく強いのであった。その強さを恐れ、恐竜人たちは彼らを猛鳥(たけとり)と呼んでいた。

 恐竜人は初めの頃、主に狩猟によって食料を得ていた。その食料を奪い合うことが彼らが戦争をする主な理由であった。よって、彼らが戦うのは生きるためなのである。戦争は絶えなかったが、ただ殺すだけの戦争というわけでは無かった。無益な殺生はしないという点では、地球人類より精神の発達は進んでいたと言える。
 また、彼らの全てが日夜戦っていたわけでは無い。戦うのは、成長して、身に付いた武器が十分役立つようになった大人の雄である。それも、時代が経って、定住農耕生活をするようになってからは、戦う兵は体の武器がより発達した強い者がなり、強くない者は農民となって働いた。戦うということについては、兵士と農民に大きな力の差があったが、兵士と農民に身分の差は無い。なぜなら、農民は兵士を養うからである。

      

 人々に身分の差が無くて、それぞれがそれぞれを尊重している、何て素晴らしき世界であることよ。歴史の早くから、少なくとも一部族間では確かにそのような素晴らしき世界であり、さらに定住農耕生活をするようになると、狩猟や採集のみに食料を頼っていたそれ以前に比べて他部族間との争いもまた減っていった。
 ところが、戦争が減ると人口が増えた。人口が増えると彼らは森を切り拓いて自分たちの生息範囲を広げていった。それによって、森の生き物たちが犠牲となった。
 森の生き物たちは、それまでも狩によって命を失っていたが、生息場所の減少はそれよりもはるかに深刻なダメージとなった。彼らは集まって相談した。その結果、恐竜人たちの人口を減らすべく、鳥人を頼ることにした。

 森の住人の代表者たちが鳥人に会いに行った。恐竜人たちの横暴をなんとか止めてくれないかと頼みに行ったのだ。鳥人の長老が応じる。
 「お前たちの話は解ったが、しかし、恐竜人たちを懲らしめたからといって、私たちには何の益も無い。私らは、お前らも食うが、恐竜人は不味いので食わない。食わないのに殺すなんて事は私らの倫理に反する。」
 「そこを何とか。」
 「何とかと言われてもだな、私らの益にはならないことだからな・・・。」
 「それは違います。恐竜人たちの増加は我々他の生き物の絶滅に繋がるだけで無く、種の減少はこの星そのものを滅ぼすことになります。」
 「うーん、そうか。なるほど、そうだな。そうなるな。」
 「長老。」とその場にいた幹部の一人が声をあげる。
 「確かにこの者達の言う通りです。恐竜人の増殖は防がなければなりません。」
 「そうだな。ちっと懲らしめてやるか。」

 ということで、いよいよ恐竜人対鳥人の戦いが始まる。

 鳥人は、強力な爪と嘴を武器として、素早い動きと空中からの攻撃で、1対1で戦う限りにおいては恐竜人に不覚を取ることは無かった。だが、相手が複数だと不利になる。人口においては圧倒的に恐竜人が多く、その割合は1000人対1人である。全面戦争となれば、負ける恐れもあった。よって、肉弾戦を避け、飛び道具を用いることにした。
 彼らが用いたのは弓矢、鳥人はそういった武器を発明する頭脳を持ち、そういった武器を作れる手先の器用さも持っていた。弓矢を大量に生産し、戦いに備えた。
 恐竜人を殺すことが目的では無い。恐竜人の人口が増えないようにしたいのである。よって、鳥人の矢は概ね恐竜人のキンタマを狙った。生殖不能にするためである。鳥人はこれを「恐竜人不妊化作戦」と呼んだ。そして、ついに開戦となった。

      

 鳥人は空を飛び、空中から弓矢を放った。恐竜人の戦士の全ては男である。男の一番痛い所に矢は突き刺さった。鳥人の放つ矢は強力で、その激しい痛みを恐れて一番痛い所をかばったとしても、矢は恐竜人の体を突き刺した。離れた場所から矢が飛んでくるのである。恐竜人たちは成す術も無くバタバタと倒れていった。
 恐竜人対鳥人の戦いは圧倒的に鳥人の優勢で進んでいった。ただ、人口では恐竜人の方がはるかに多い。戦いは短期で終わるものではなかった。日が経つうちに、恐竜人も鳥人の使う弓矢を真似て、作って、反撃した。上から攻撃する鳥人の優位に変わりは無かったが、そのうち、恐竜人は戦士以外の農夫が戦いに参加し、また、多くの女も参加するようになり、鳥人に向かって矢を放った。情勢は一進一退となり、戦争は泥沼化した。
 1年が経った。恐竜人の死者は開戦前の人口を半減するほど膨大な数であったが、鳥人の死者数も日を追うごとに増え、開戦前人口の2割を失っていた。

 鳥人は作戦を変更せざるを得なくなった。このまま進めば、数においてはるかに勝る恐竜人がどんどん優勢となり、鳥人の敗北になりかねない。
 「キンタマを射抜いて、これからの人口を減らす作戦だけではダメです。今現在の人口を激減させなくてなならないでしょう。」と幹部の一人が言う。
 「その通りだな。」と長老が肯き、
 「で、その方法は何かあるか?」と周りを見渡す。
 「火矢を使いましょう。彼らの住処を焼き討ちにしましょう。」と別の幹部が言う。
 「火矢か。うーん、しかし、それもすぐに真似られるな。」
 「今日のような風の強い日に、各地でいっせいに火を放ちましょう。火は瞬く間に広がって、彼らに反撃する暇を与えないでしょう。」
 「皆殺し作戦となるな。・・・しょうがないか。やるか。」

 その後、その作戦の細かい打ち合わせが行われた。失敗の許されない作戦であった。熱心に時間をかけて会議が成された。その時誰も、自分たちの住む島のあちらこちらに火矢が放たれたことに気付かずにいた。「ギャー!」と叫び声が聞こえてきた時にはもう、彼らの周りは火に包まれていた。鳥人の羽は水を弾くよう油分を含んでいた。燃え易くできていたのである。風の強い日であった。逃げる暇は無かった。
 その強さから、多少鷹揚な性質である鳥人よりも先に、好戦的な性質である恐竜人が焼き討ち皆殺し作戦を先に思い付き、それをすぐに実行したのであった。鳥人の住む島は焼けた死体で埋め尽くされた。多くの生き物たちがやってきて、焼けたご馳走を味わった。そして、猛鳥物語は、一部の地域では焼き鳥物語として伝わったのであった。

      

 強さを過信してはいけないという教訓話はこれでお終い。

 語り:ケダマン 2007.11.9 →ガジ丸のお話目次


耐性人

2014年03月21日 | ガジ丸のお話

 耐性人誕生

 先々週参加した「種と農と食のお話会」ではTPPの問題も一つ提起された。豆腐などを買うと原材料名に「大豆(遺伝子組み換えでない)」と今は表示されているが、農産物が完全自由化されると「遺伝子組み換えでない」が表示されなくなる可能性がある。そうなると、我々は安全かどうか不明なものを知らずに食べることになる。
  遺伝子組み換え作物だけでなく、種子の段階でいろいろ化学処理された作物、収穫までの間にいろいろ化学処理(殺虫剤や除草剤を撒くなど)された作物も現在既に氾濫しているので、食の安全はこの先ますます厳しい状況になっていく。
 などといったことを講師の2人は話していた。
     

 「種と農と食のお話会」に参加するよう勧めてくれた友人のI女史、彼女は料理屋の女将であり、自ら料理して客に提供する立場であることから「食の安全」には深い関心を持っているようだ。「隣近所の農薬も無くなってくれるといいのにね」と私の畑の作物の心配もしてくれている。でも、じつは、私の畑は自然農法にこだわるが、隣近所の畑が除草剤撒こうが、殺虫剤撒こうが私は何の文句もない。それによって、私の畑にも風に乗って微量の薬剤が降りかかっているかもしれないが、それでも構わない。
 農夫としても人間としても、隣の人は私の大先輩だ。その人に文句を言えるほど私は農夫としての経験も知識もない。「自分が嫌だから」といって、「私の言う通りにしろ」なんて言えない。自分の畑で何をどう作るかはその人の自由である。

 同じことになるが、「種と農と食のお話会」の内容、例えば「市販の種は化学処理されていて安全ではない」といったことなど、大宜見で有機農業をやっているTさんも興味があるだろうと思い、先日、その旨電話した。Tさんはむろん興味を示し、その時の資料を郵送することになった。本題はそれで終わったが、話の中で「隣近所の農薬について私はさほど厳しくないですよ、隣人と仲良くすることの方がもっと大事と思っている」といったことを言うと、「そんなことでは安全な野菜はできない」と、いつになくきつい口調で意見された。「食の安全」について真摯に取り組んでいるんだなぁと思った。
 「食の安全」ももちろん大事だが、私はそれより優先するものがあると思っている。何よりも先ず、自由と平和。それから幸福。世の中が平和で、個人の自由が束縛されないのであれば、幸せは個人の裁量と努力で得ることができる。
     

  幸せの形はいろいろあると思うが、健康はその一つだと思う。健康のためには「安心安全」な食べ物が大いに役立つ。つまり、食の安全は健康のため→健康は幸せのため→幸せは自由と平和が保たれていれば掴むことができる、という順序になる。
 私の幸せのハードルは低い、元気で食っていければ良い。食うのも粗食小食だ。世界中の多くの人(特に飽食人種たち)が私と同レベルのハードルであれば、食料が不足することは無いはず。科学的処理(薬も遺伝子組み換えも)しない自然の、昔から伝わる種から生産される量の作物で人々は生きていけるかもしれない。
 しかし現実は、飽食人種たちの欲望は留まることなく続き、科学的処理された作物がさらに増えていくだろう。そして、そういった作物を食べ続ける人類は自然治癒力が衰え、生きる力が弱まって行くかもしれない。いや、あるいは・・・、

 耐性菌を広辞苑で引くと「ある薬物に対して強い耐性を有する細菌」とある。耐性を持たなかった細菌が生き延びるために変異してそうなったのだろう。であるならば、人間の細胞にも「生き延びるために変異する」力はあるはずだ。農薬のたくさんかかった野菜を食べ続けても、あるいは、遺伝子組み換え作物を一杯食べ続けても元気で生き続ける人間がそのうち出てくるはずだ。彼らはつまり、耐性人ということになる。
 例えば、花粉症なんて私が東京に住んでいた35年ほど前はちっとも耳にしない言葉だった。化学肥料で育った軟弱野菜を食べ続けて免疫細胞の衰えた人々が罹っているのだろうと思っている。でもしかし、軟弱野菜を食べ続けても次世代の人間に花粉症は減っているかもしれない。細胞が変異し花粉症に強い耐性人が誕生しているかもしれない。

 耐性人クーデター

 耐性人誕生は人類の進化といえる。自分で掘った落とし穴に自ら落ちて怪我をしているのが現代の人類なら、次世代の人類は、前世代の人類が掘った落とし穴に落ちたとしてもほとんど怪我しないような体になっている。
 前世代の落とし穴は様々な種類がある。食でいえば上述したように遺伝子組み換え、農薬、、化学肥料、科学処理された種などからできた作物。それらは知らず知らずのうちに人間の体を蝕み、病気という落とし穴に引きずり込んでいる。
 耐性人はそれら全てに耐性を持っているから、彼らにとってはさほど危険ではない。柔らかくて味の薄い野菜をどんどん消費していく。柔らかくて味の薄い野菜に不足しているビタミンやミネラルなどの栄養素はサプリメントで補う。それで彼らは健康な体を保っていける。「すげぇ!」と一般庶民は思ったが、「しまった!」と思う奴らもいた。

 思惑が外れたのは、農薬漬けや遺伝子組み換えなどの不健康野菜が世の中に蔓延るよう画策していた支配者階級の人々だ。彼らは、一般庶民には不健康野菜を食わしておきながら、自分達は雇いの農家に作らせている健康野菜を食っていた。
 彼らの思惑はこうだ。庶民の人口は減らないで欲しいが、長生きはして欲しくない、子供を産み、育て終わり、労働力としての価値も消えたらさっさと死んで欲しい。人口は減らないで欲しいのでそれを賄うだけの食料は生産する必要がある、で、遺伝子組み換え技術などによって大量生産できる作物を世に蔓延らせた。そして、その作物を食べ続けていったら長生きできない、70歳位でぽっくり死ぬようにも仕組んだ。なのに・・・。
     

  世界は、前世代人たちが滅びいく中、耐性人がどんどん増えていく。耐性人は元気だった。よく食べ、よく働き、そのうち政財界の実力者となるものも出てきた。耐性人にとって「健康野菜」と「不健康野菜」の区別は「健康」か「不健康」かでは無く、「非効率で値段が高い」と「効率的で安い」である。「効率的で安い」は経済的に優位で、政治的にも優位となる。数だけでなく力においても耐性人は前世代人の優位に立った。
 そしていつのまにか、世界の支配者層も耐性人が独占するようになる。自分たちだけが健康で長生きできるようにと思っていた旧支配者層たちであるが、その子供たちに耐性人が産まれることはなく、そのうちこの世から消え去ってしまった。この支配者層の交代劇を「耐性人の無血クーデター」と後の人々は語り伝えた・・・というお話でした。

  ちなみに、日本の江戸時代の隠れキリシタンみたいに、密かに「健康野菜」を自ら作り続け、自ら食べ続ける庶民の一派もあった。彼らにとって「健康野菜」と「不健康野菜」の区別は「健康」か「不健康」かというよりも、「美味しい」か「不味い」かである。
 彼らの中の一家族の、ある日の夕食の席、
 「母ちゃん、昨日、晋三くんの家で誕生会があったさー、その時に出されたサラダの野菜さー、トマトもレタスもキュウリもみんな変な味がしてさー、美味しくなかったよ。母ちゃんのサラダが一番だな、やっぱ。」と子供が言った。
 「昔ながらの野菜には栄養がたっぷりだからねぇ、食べても美味しいのよ。それよりも大事なのは、食べ物に感謝して、楽しく頂くこと。幸せを感じながら食べるとね、体も心も元気になるのよ。食べられる野菜たちも嬉しいと思うよ。」と母が応えた。
     

 記:2014.3.11 島乃ガジ丸 →ガジ丸のお話目次


幸せな分身、真迦哉

2014年03月07日 | ガジ丸のお話

 沖縄の夏場、梅雨明けの5月上旬から9月いっぱいまでは、概ね熱帯夜となる。部屋にクーラーはあっても使わない私はその熱帯の中、汗をたっぷりかき、寝苦しさで夜中何度も目を覚ましながら熱帯に耐え、朝5時前には起きて、畑へ行っている。寝苦しさはあっても、睡眠は十分取れているようで、目覚めは良く、昼間眠くなるようなことは無い。それでも、冬場に比べれば「寝たぞー!」という満足感はずっと少ない。
 その冬場である今、毎日「寝たぞー!」という満足感を得ている。十分な満足感は概ね掛け布団を使うような気候となる11月頃から始まり、この先4月いっぱいまでは続く。この間の私は寝坊することが多い。寝ていることが幸せでしょうがないのだ。
     

  夢も見ないほどぐっすり寝る、寝て起きたら朝だったというほどぐっすり寝る、などというのが良い睡眠と言う人もいるだろうが、私は違う。レム睡眠、ノンレム睡眠をリズム良く何度か繰り返しながら、一晩にいくつもの夢を見て、何度かの夢の後に目覚める。これが私にとっては良い眠りとなっている。夢を見ている間幸福感に浸り、睡眠時間は十分なので、体のリセットもできており、目覚めもスッキリしている。
     

 毎晩、いくつもの夢を見ているが、そのほとんど全てが楽しい夢となっている。若い頃は空を飛ぶ夢、高い所から落ちる夢、正義のために戦う夢、超能力を駆使して敵に立ち向かう夢、追われる夢、傷つけられる夢、殺されそうな夢など、楽しいことも怖いこともいろいろあったが、オジサンという年齢になってからの夢は概ね現実的なものが多く、それも自分に都合の良い楽しい夢ばかりで、怖い夢はほとんど見なくなった。
 夢の中の私をもう一人の自分として、彼の名前を仮に真迦哉としておく。真迦哉はとてもモテる男で、美女たちから毎日のように言い寄られる。それらをひらりひらりとやんわりかわしながら、時には美女と一夜を共にする。幸せな人生を送っている。

 夢の環境設定はほぼ現実的なので、登場人物たちも身近な人が多い。年に数回は会う親しい親戚友人知人がレギュラーのように出演し、現実には滅多に会わないが、若い頃親しくしていた高校の同級生や部活の先輩後輩なども時々ゲスト出演する。
 たまには、会ったことのない大物ゲストも出てくれる。先日はタモリが出てきた。「笑っていいとも」がこの3月で終了することを噂に聞いていたので、その話となり、「沖縄に別荘を造って、年の数ヶ月はそこで暮らそうと思う。敷地は広いので、別荘の近くに小屋を建てるから、あんたそこに住んで別荘の管理をしてくれないか?」と依頼された。その後どうなったか記憶はおぼろげだが、「そりゃあもう喜んで」となったと思う。

 大物ゲストはタモリの他、何人も(私がテレビで観て知っている人のみ)出てくるが、それはやはり女性が多い。女性の美人どころが多い。美人も若い人が多い。
 若いかどうか意見が別れると思うが、真迦哉から見ればずっと若い中森明菜、歌手の中森明菜だ。彼女がある日、真迦哉の住む小屋にやってきた。
 「私、中森明菜です。」
 「そりゃあ、見りゃ判る。」
 「私、畑仕事が好きなんです。一緒にやらせてください。」
 「仕事は?歌手はどうするの?私と一緒の農業では稼げないよ。」
 「歌手は辞めました。でも、印税が入ってくるのでお金は大丈夫です。」
 などといった会話があって、真迦哉は「何でこんなイイ女が俺の所へ?夢でも見ているのかなぁ」と思う。そこで「こりゃあ夢だな」とレム睡眠の私は何となく気付ている。気付いたけれど夢はなおも続いた。中森明菜の今にも壊れそうな表情と、今にも壊れそうな声に魅入られて、真迦哉は中森明菜と暮らすことになった。一緒に畑仕事をし、家に帰ってあんなことをし、こんなことをし、桃色の日々が続く・・・ところで夢は終わり。
     
     

  高校の同級生で、当時は可愛かった数人の美女とも真迦哉はあんなこともこんなこともしている。念のために言っておくが、私はさほどスケベではないのだが、真迦哉の前で彼女達は服を脱ぐので、「よせよ」と言いつつ、真迦哉も付き合ってしまうのだ。
 楽しい夢は美女とのあんなことこんなことだけではない。いつか見た、もうおぼろげにしか記憶していないが、友人知人親戚たちの中でいくらか政治社会に興味を持っている人々が集まって「沖縄の基地問題解決」を祝う酒宴があった。あれこれ運動して、解決に至るまでのプロセスもあったと思うが、そういったことは全く覚えていない。ただ、酒宴の席に菅原文太と高倉健が顔を見せていたような記憶はある。

 女性には大モテで、社会のため、平和のためにも力を発揮し、多くの人から認められている。真迦哉はそんな男だ。何という羨ましい人生。
 そんな幸せな人生を送っている真迦哉は私の分身である。夜になると私は真迦哉に変身して、彼の住む世界で幸せを味わっている。真迦哉はもう一人の自分である。彼が溢れんばかりの幸せを味わっているので、現実の私が多少不遇だとしても二人合わせれば幸せの方が余る。と考えると、私は今、幸せであると言える。
 と考えると、夢は大事だ。その人の幸不幸に関わってくる。昼間たっぷり働いて、夜はぐっすり寝て、楽しい夢を見るのが幸せの道というわけだ。
 いや、ちょっと待て、私は楽しい夢がずっと多いが、人によっては楽しい夢ばかりとは限らない。悲しい夢、苦しい夢を多く見る人もいるだろう。その人たちはじゃあ、幸せになれないのか?どうしたら楽しい夢を見られるようになるのか?
 と考えると、私が楽しい夢ばかりなのは、元々私が呑気で楽観的性格だからだと思う。楽観的性格の人はたぶん、夢も楽しいものを多く見るのであろう。
 と考えると、私が寝ている間の私の分身、真迦哉が幸せなのは私のお陰ということになる。私が呑気で楽観的性格だから真迦哉は楽しい出来事ばかりに出会うわけだ。

 寝ている時間も人は生きている、生きて、夢の中でいろいろ経験している。泣いて笑って、歌って踊って、愛して愛されている立派な一つの人生だ。
 と考えれば、寝ている間の真迦哉の人生と、起きている間の私の人生とを足したものが私の全人生となる。真迦哉が楽しく幸せに生きているとすれば、起きている間の私に何か特別な幸せ事が無くても、私は既に十分な幸せを得ているわけだ。
 いや、ちょっと待て、夢の人生が十分幸せなので起きている間の私は何か特別な幸せ事を求めない。よって、、起きている間の私は楽観的になっている、のかもしれない。
 と考えると、私が楽観的性格なのは真迦哉のお陰ということになる。うーん、鶏と卵みたいになってしまった。「私が楽観的だから真迦哉が幸せ」、「真迦哉が幸せだから私が楽観的」、どっちが先だって話だ。まあ、お互いが幸せであるようお互いに協力すれば良いということにしよう。「楽しく生きろ!」と、私は真迦哉を応援しておこう。
     

 記:2014.2.28 島乃ガジ丸 →ガジ丸のお話目次


はいさい、ヒラリーさん

2014年02月18日 | ガジ丸のお話

 安全性に問題があるとされている垂直離着陸輸送機MV22オスプレイが、世界で最も危険な軍事基地と言われている普天間基地に配備されようとしている。オスプレイは開発段階から数回の事故を起こしており、今年(2012年)4月にはモロッコで墜落した(事故は一昨日にもあったね)。先だって、その墜落原因について「機体に機械的な不具合はなかった、人為的ミスだと思われる」とアメリカは非公式で日本側に伝えた。
 墜落原因はなお詳細な調査が必要なようで、その正式な発表は「なんとか年内には」となっているらしい。ところが、墜落原因が解明されない内にオスプレイを普天間基地に配備したいとアメリカ軍も日本政府も沖縄県に要請している。

 いやいや、たとえ墜落原因が伝えられたように「人為的ミス」だとしてもだ、「人為的ミス」ということは操縦ミスに他ならぬであろう。オスプレイは推進機構が複雑で操縦が難しい乗り物であると聞いている。改良を重ね「実用化以降の事故は2度しかない」だとしても、操縦が難しいのであれば一般のヘリコプターより事故は起りやすいはずだ。やはり、オスプレイは危険な軍事用乗り物であると言って良い。

 アメリカでは軍隊の使う飛行場には安全基準が設定されている。その基準においては、滑走路の延長線上に住宅、学校、集会場、病院などがあってはいけないとされている。滑走路の両端からそれぞれ両方向へ、近い所から順に「クリアゾーン(利用禁止区域)」、「APZ-Ⅰ(事故危険区域1)」、「APZ-Ⅱ(事故危険区域2)」という区域が設定され、そこに住宅、学校、集会場、病院などがあってはいけないとなっている。それらがあった場合は飛行場を作れないことになっている。
 さて、普天間基地はその安全基準に適っているのか?・・・当然、否である。

  普天間基地は宜野湾市の真ん中にあり、基地の四方八方が市民の生活区域である。住宅も密集しているし学校や病院も店舗もたくさんある。
 滑走路から最も近く最も危険とされている「クリアゾーン」でも住宅地が半分近くを占め、北側には普天間第二小学校がすっぽり収まっている。「APZ-Ⅰ」、「APZ-Ⅱ」にいたっては、さらに多くの住宅、学校、集会場、病院などがあり、北方面は北中城村まで及び、普天間高校、北中城小、北中城中などが入っている。南方面は浦添市大平辺りまで含み、そこはもう市街地となっていて、住宅は密集し、多くの学校、公共施設、病院などがある。やはり、普天間基地は危険な軍事基地と言って差支えなかろう。
     

 さて、アメリカ国務省は『国別人権リポート』なるものを毎年公表している。『国別人権リポート』とは「国際社会で認識されている人権について、その状態に関する包括的で完全な報告書」とのことだが、具体的には、例えば、人権活動家を拘束しているということで中国やミャンマーなどを非難したりしている。それを考えるとつまり、アメリカ合衆国は人権に対して敏感であり、人権を大事にする国であると想像できる。
 現在、国務省の長官はヒラリー・クリントンだ。彼女は、彼女の夫と共にリベラル派と見なされている。弱者に優しいはずだ。彼女に手紙を出そう。

 拝啓
 ヒラリー・クリントン 様

 早速ですが、『国別人権リポート』で他国の人権蹂躙や人種差別などを非難しているのだから、あなたたちは当然、他所の国の住民の命などどうでもいいなどとは思っていないですよね。だけど、東洋の吹けば飛ぶようなちっぽけな島など眼中に無く、遠いことなのかもしれませんが、あなたたちは沖縄人を危険な状態に置き続けています。

  噂には聞いていてご存じだとは思いますが、沖縄の普天間基地は市民生活の真ん中にある基地です。世界で最も危険な基地と言われています。基地の周りには多くの人が生活しており、学校も病院も店舗も多くあります。アメリカ合衆国の法律が「そんな所へ基地を作ってはいかん」と禁止している場所になっています。
 何故あなたたちが「周りに多くの人が生活している所へ基地を作ってはいかん」と禁止しているのかを推察させてもらえば、もしも事故が起きた場合のことを想像しているんですよね。そこにいる住民の命が危険に晒されると考えるからですよね。そこにはアメリカの良心が存在していると私は思います。どの住民も安全に生きる権利があるということです。ですが、あなたたちの軍事基地、普天間基地は全然安全ではないのです。あなたたちが定めている安全基準をちっとも満たしていないのです。

 沖縄人もアメリカ人と変わりありません。切れば赤い血の出る人間です。沖縄人にも人権はあるのです。アメリカの良心が神の意志に沿っているのであれば、その人権を無視して、危険な基地を放置しておくなんてことはできないはずです。
 もしも、あなたたちが「沖縄人だから危険でもいいさぁ」と考えているならば、それは沖縄人に対する人種差別にもなります。人種差別は大きな人権蹂躙です。それはあなた達の嫌うものですよね。現大統領も強く嫌うはずです。

 はいさい、ヒラリーさん。
 東洋一の米軍基地が存在する沖縄から願いを届けさせていただきたいと思います。

 沖縄はアメリカの良心に期待します。リベラル思考のあなたなら、常に危険に晒されている普天間基地周辺の住民に同情してくれるでしょう。頭の良いあなたなら、普天間基地周辺の住民は人権が軽んじられているということを理解してくれると思います。
 沖縄人はアメリカ人の良心に期待し、普天間基地などはすぐにでも無条件撤去してくれることを願います。もちろん、辺野古にその代替基地を作ることも同じことです。その周辺の人々に対する人権蹂躙となります。普天間基地は無条件撤去なのです。
 ついでに申し上げますが、危険な乗り物であるオスプレイを普天間基地に配備することは、沖縄人の人権を考えれば1機たりとも、1日たりともできないことだと思います。アメリカ人の良心が我々と同様に思ってくれることを期待しています。
                                    敬具
     

 記:2012.6.15 島乃ガジ丸 →ガジ丸のお話目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行