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ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

沈まないサバニ

2014年02月18日 | ガジ丸のお話

 周りに巨船が3つ(日本、中国、アメリカ)あり、それぞれが勝手な都合で走り回り、そこからの大波が四方八方から襲いかかる中、小さなサバニ(沖縄)はあっちの波に揺られ、こっちの波に揺られしつつ何とか踏ん張って浮かんでいる。
 浮かんでいればいいのだ。上手く櫂を操り、沈まないよう努力していけばいい。沈まなければ、ウチナーンチュはその上でサンシンを弾き、唄を歌い、カチャーシーを踊り、泡盛を飲み、チャンプルーを食い、それなりに幸せに生きて行ける。
     

  沈まなければいいのだが、東アジアの軍事バランスが崩れた時、巨船同士が諍いを起こした時、風速100mくらいの巨大最強猛烈台風にサバニは襲われることになるかもしれない。そんな時でもサバニは浮かんでいられるだろうか?
 沖縄は、政治的にはそれなりの権利が保障されているが、経済的にも軍事的にも非力な島である。「言うこと聞かなかったら金やらねぇぞ」とか、「言うこと聞かなかったら殴るぞ」などと言われたら、「構わねぇよ」とは簡単には言えない。
 他所からあれこれ命令されないような沖縄になるためには経済的自立と軍事的自立が必要だ。経済的自立は、沖縄の政財界の人々がそれなりに努力しているので、いつかはそれなりに達成できるかもしれない。問題は軍事的自立。

 何年か前にもガジ丸通信で紹介しているが、今多くの人が知っている「命どぅ宝」という言葉の起源となった琉球史の1ページ。

 「武器を持たない国があるだと!」とその昔、かのナポレオン皇帝も驚いたと言う琉球王国、中国貿易の利権に目をつけた薩摩に侵攻され、わずか十日で敗れる。
 戦いがわずか十日だったのは、むろん武器の足りなさから抵抗にも限りがあったのだろうが、勝てぬ戦ならば早々と諦めた方が、その分、民や家来の命を無駄にせずに済む。尚泰王は人質として薩摩へ連れて行かれる身でありながら、皆の命を大切に思ったのであろう。首里城を明け渡す際に王が詠んだとされる琉歌がある。

 いくさゆ(戦世) ん(も) すまち(済ませ)
 みるくゆ(弥勒世) ん(も) やがてぃ(やがて)
 なぎくなよ(嘆くなよ) しんか(臣下)
 ぬち(命) どぅ(こそ) 宝

 戦世も終わって、平和(弥勒世:弥勒菩薩が平和をもたらすという仏教思想に基づく)がやがて来る。(戦に負けて、城を明け渡したからといって)嘆くなよおまえ達(臣下は家来のこと)、生きているということが大事なのさ。といった意味。

 こっちは戦争などしたくないのに、戦争をしたがる国が今もある。昔の薩摩侵攻みたいなことが無いよう沖縄も軍事的自立をしなければならない、・・・のか?本当に?たとえ沖縄が沖縄独自の軍備を持ったからといって、サバニに準備できる程度でしかない。巨船からの大砲一発で吹き飛んでしまうであろう。自立は不能だ。

 荒波の中でもサバニが沈まないためにはどうするか?と考えて、政治にも経済にも軍事にも素人だが、平和大好きの沖縄のオジサンが一案思いついた。

 先ず、沖縄にある軍事基地を今の五分の一くらいにコンパクト化する。沖縄の軍事基地の総面積は約23万7千ヘクタール、嘉手納飛行場とそれに隣接する嘉手納弾薬庫を足した面積が約4万7千ヘクタールで約五分の一。ちなみに今問題となっている普天間飛行場は480ヘクタールである。いかに沖縄の基地面積が広いかってことが判る。

 五分の一くらいにコンパクト化するってことはしかし、つまり、平和運動家の方々には申し訳ないが、基地は残すってことになる。そして、嘉手納基地周辺の人々には申し訳ないが、嘉手納飛行場とそれに隣接する嘉手納弾薬庫は概ね残す。
 そこは相変わらず軍事基地ではあるが、その内容は変わる。名前も、例えば「世界平和の基地」、略称BWP(Base of World Peace)などとし、国連軍に常駐してもらう。規模は現在の米軍の五分の一になるが、それでも国連軍だ、自衛隊も中国軍も米軍もロシア軍も含まれている。どの国も自国の兵隊がいる基地を襲うことは無い。テロリストも世界中を敵に回したくは無いので、ここは標的にしない。

 世界中の軍隊が、例えば2年任期でBWPに赴任する。基地内にはアメリカ村、イギリス村、オランダ村、ドイツ村、ロシア村、イラク村、中国村、インド村、ミャンマー村、韓国村などなどが、それぞれ赴任する毎に代わる代わる作られる。
 基地内の武器庫など厳重警戒区域の一部を除いて基地の概ねは地元のウチナーンチュにも観光客にもオープンだ。飛行場は軍民共用とし、世界中のあちこちから人々がやってくる。ウチナーンチュは沖縄にいながら世界の人々と交流ができる。
     

  基地内の概ねはオープンなので、沖縄の子供達はアメリカ村、中国村、イギリス村、オランダ村、ドイツ村、ロシア村、イラク村、インド村、ミャンマー村、韓国村などなどへ出かけ、そこの子供達と交流する。世界の子供達が沖縄の子供たちと仲良くなる。その子供達が大人になった時、「沖縄は平和な島」という認識を持つに違いない。
 「いやー、沖縄人は酒飲みで、男の多くは怠け者で、ギャンブル好きで、いい加減で、のんびりしているが、イチャリバチョデーという気分を持っている奴が多くてよ、すぐに友達になれるよ、平和で楽しい所だよ。」と思う人々が増えるであろう。

 尖閣諸島だって、せっかく領土問題は棚上げして未来の英知に任せようとなっているのを、東京都が買ったりして、わざわざ諍いの種を作らなくてもいいのにと思う。
 前にもこのガジ丸通信で書いた(竹島だったかも)けれど、尖閣諸島は、日本も沖縄も中国も台湾も新しく同じ名前、例えば平友島(平和友好の島の略)などと変えて、それぞれの国と地域の人々が交流できる場所とし、一年のある期間は福建祭り、別の期間は台湾祭り、また別の期間は八重山祭りなどを開き、みんなで楽しめばいい。

 小さな島沖縄が平和な島であるためには、沖縄が国連軍の一大拠点となり、諍いの種になりそうな尖閣諸島は交流の島とすればいい。弱小沖縄が「沈まないサバニ」であり続けるためにはそれらが有効な手段であると、沖縄のオジサンは思う。

 記:2012.5.31 島乃ガジ丸 →ガジ丸のお話目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


ある穏やかな春の日

2014年02月18日 | ガジ丸のお話

 ある穏やかな春の日、田園調布の立派な家に住む霞が関の高級官僚の妻が言う。
 「ねぇ、あなた、来月生まれるのよ。」彼らの娘が出産を控えている。
 「あー、そうだな、楽しみだな。」
 「そんな呑気な話じゃないのよ。」
 「どういうことだ?」
 「私の友達の娘さんが体調崩して、今沖縄に避難しているのよ。」
 「あー、それか。まあ、放射能に敏感な人もいるらしいな。」
 「私達は敏感じゃないからいいけど、生まれてくる子は大丈夫かしらと思ってるの。」
 「敏感な人はごく少数らしいじゃないか。」
 「今はいいかもしれないけど、汚染瓦礫がある間は、東京にも放射性物質が少しずつ流れているわけでしょ?どんどん増えていったら怖いなぁと思うの。」
 「それは、だから、瓦礫を遠くへ運ぼうと計画しているんじゃないか。」
     
 ある穏やかな春の日、その高級官僚の上司の部屋で数人による極秘会議。
 「捨て場所は沖縄以外に無いでしょう、あそこは我が国の植民地みたいなものだし、琉球人がどうなろうと、日本にはさほどの影響は無いと思われます。」
 「沖縄はダメだ、アメリカがYESと言わない。アメリカ軍が沖縄から撤退したら軍事バランスが崩れ、日本がどうなるか分からない。日本は魅力ある市場だ。今のまま、あるいは今に近い状態の市場を中国に取られたら、中国がアメリカを凌ぐ経済パワーを持つことになる。それは絶対避けたいというのがアメリカの思惑だ。」
 「だから、沖縄から撤退しない、基地を持ち続けたいわけですね。」
 「そうだ、だから、沖縄に汚染瓦礫は運べない。」
 「そうですね、アメリカ人は放射能に敏感ですからね。それにしても、つくづく残念ですね、北方4島の2島返還は進めておくべきだったですね。」
 「だな、それを思うと胃が痛む。最適なゴミ捨て場になっただろうに。」

 ある穏やかな春の日、沖縄嘉手納基地の、ある将校の部屋に下士官が入ってきた。
  「大佐、兵隊共が騒いでいます。放射能がやってくると。」
 「あー、沖縄の知事が瓦礫受入れするとかいう話だな。心配するなと伝えろ。放射能が来たらアメリカ軍は沖縄から撤退する、それは日本にとって絶対避けたいことだ。だから沖縄に放射能は来ない。沖縄に来る瓦礫は無害なものだ。私だって放射能は嫌だ、私や司令官や総領事が沖縄からいなくなったら慌てろって話だ。そんな日は来ない。」
 「そうですか、それは私も安心しました。兵隊共もそれで納得するでしょう。しかし、沖縄に運ばれる瓦礫が本当に安全なのか、日本政府の検査が信用できるんでしょうか?私はどうも、イマイチ信用できないんですが、検査が杜撰なのではないかと。」
 「それは大丈夫だ、沖縄に入ってくる瓦礫に関して言えば、出る前にアメリカ軍側でも検査するし、入ってくる時もアメリカ軍で念のための検査をする。」
 「そうですか、それなら安心だ。兵隊共にそう伝えておきます。失礼します。」
     

 ある穏やかな春の日、沖縄那覇市のとある居酒屋で、沖縄の呑気なオジサンたちが泡盛飲みながら呑気にユンタク(おしゃべり)している。
 「沖縄も瓦礫受入れするのかなぁ、それがたとえ汚染されていない瓦礫であったとしてもよ、わざわざ遠い沖縄にまで運ぶ意味が判らんよなぁ。」
 「いや、汚染瓦礫を運ぶんだぜ沖縄には。日本の支配者たちの中には沖縄を植民地と思っている奴もいるからな。基地と一緒だ、臭いものは植民地へってことだ。」
 「国は東京を放射能汚染から守らなければならないと思っているだけだ。東京がガタガタになったら日本は潰れる。アメリカは潰したがっているし、中国は昔の報復をしたがっている。それはどうしても避けなければならないと思っているだけだ。」
 「アメリカが日本を潰したがっているというのは、しかし一部だろう。日本が潰れれば借金もパーになるからいいじゃないかと考えている奴だけだろう。」
 「ともかく、放射能はいかんだろう、アメリカ軍が許さんだろう。」
 「アメリカ軍は放射能を理由に沖縄から出ていく。その代わり、日本本土に大きな基地を作る。沖縄くらい中国にくれてやれ、北海道はロシアにくれてやれと思っている。」
 「あー、それ、日本の分割統治ってマヤの予言かなんかにあったような・・・。」
 などと、呑気なウチナーンチュにしては珍しく社会的な話題で盛り上がっていた。
     
 ある穏やかな春の日、銀座の高級料亭のビップルームに老害の爺様が座っている。そこに目付きの鋭い中年の男が入ってきて、爺様に深く頭を下げた後、口を開く。
 「先生、永田町も霞が関も先生の思惑通り動いてますね。」
 「まあ、それは当然だわな、自分たちの健康も関わっているからな、大金も動いているし、裏社会からの脅しもあるしな。」
 「ただ、気掛かりなのは世論です。ネットでは反対の声が増えつつあるみたいです。」
 「それも、東京が受入れて、神奈川、千葉、埼玉など関東が受入れて、瓦礫処理がそう危険でないということを知らせれば世論も落ち着くだろう。遠い沖縄まで受入れが広がって行けば誰も文句が言えなくなる。それがお前の仕事だ。」
 「はい、重々承知しております。沖縄も北海道も何とかなりそうです。」
 「そうか、ふっ、ふっ、ふっ、」と、爺様は不気味に笑い、旨そうに酒を飲んだ。
     
 ある穏やかな春の日、新宿のマンションの一室に4人の中年男が集まってひそひそ話をしている。4人ともがっしりとした体格で、目付きが鋭い。
 「沖縄はどうなってる?」とリーダー格らしい男が別の男に訊く。
 「あー、何とかなりそうだ、アメリカ軍も、独自調査をするということで受け入れを了承し、利権好きの政治家が動いて、知事も『止む無し』と考えている。」
 「アメリカ軍の独自調査は好都合だな、良い宣伝になる。あとは世論だ、世論に押されてほとんどの市町村が受入れに慎重な姿勢となっている。」
 「ネット上での反対派の声が大きいんだ。しかし、ネット社会というのも困ったものだよ。『由らしむべし、知らしむべからず』が不能になってしまっている。」
 「東京の焼却施設周辺をマスコミに取材させて、放射線の計測もオープンにして、瓦礫が安全であることを周知させる。多少の放射線は出るかもしれないが微量だ。」
 「そうか、それなら文句は言えないな、反対理由の大きな一つが消える。」
 「物(ぶつ)は一気に運ぶ、一気に運んで一気に降ろす、調べる暇を与えないよう夜陰に乗じて行う。気付いた時には後の祭りってことだ。」

 ある穏やかな春の日、沖縄那覇市のとある居酒屋の呑気なオジサンたち。
  「いやいや、アメリカはそう簡単には日本を見捨てたりはしないと思う。消費大国の日本だ。TPPが締結されたらアメリカの物はもっと売れる。大事な得意先だ。」
 「そうだな。アメリカの脅威は中国だよ。東アジアの戦略上、日本はアメリカの子分にしておかなければならないというのがアメリカの考えだと俺も思う。」
 「だぜ、日本の優れた科学技術や人材が中国のものになったら、中国の軍事力が一気にアメリカに追いつくからな。アメリカは嫌だろう、それは。」
 「ということは、アメリカは沖縄から出ていかない。アメリカが出ていかないということは、放射能に汚染された瓦礫が沖縄に入ってくることは無いってわけだ。」
 「なるへそ、そういうことになっているのか、世の中は。それにしても、この天ぷら旨いなぁ、魚天ぷらだと思うけど、何の魚かなぁ?」
 「マンビカーだってよ。確かに旨いな。旨いといえば、このあいだ旨い汁を吸ってきたぞ。栄町へ行ったら可愛い女が立っていて、「もしや」と思って声を・・・。」以降、オッサン達の呑気な話は社会から離れて、下半身の話になり、夜遅くまで続いた。
     

 記:2012.4.6 島乃ガジ丸 →ガジ丸のお話目次


ビーチャーの妻

2014年02月18日 | ガジ丸のお話

 Aチャー、Bチャー、Cチャー、・・・Sチャーと多くの段階を経て、やっとTチャーになれるという大変厳しい教師養成専門学校があり、そこに民謡好きの主人公Bチャーがいて、恋あり、冒険あり、失恋あり、挫折あり、大怪我あり、裏切りあり、涙あり、涙あり、涙ありというお話・・・もある・・・という件(くだり)は二ヶ月程前の『民謡好きのビーチャー』にも書いたが、今回も前回同様、それは別の機会(があるかどうかは不明だが)に譲り、『民謡好きのビーチャー』の続編、ビーチャーの、その妻のお話。

 今年になって夫が宝の山を見つけてきた。宝の山とは御馳走、ラッカセイとかサツマイモとか私達の好物の食べ物、私達の住まいである畑の端っこ、そのすぐ隣に建っているアパートの2階のベランダにあるのを、ある日偶然見つけたと言う。
 その御馳走の山から夫は毎日少しづつラッカセイやらサツマイモを家に運んで、私と生まれたばかりの子供たちへの食料とした。だけど、それについて私が
 「子供の頃からこんな美味しい物をあげて大丈夫かしら?」
 「えっ?どういうこと?子供は美味しい物を食べてはいけないの?」
 「口が贅沢になるんじゃないかっていうことよ。」
 「口が贅沢?」
 「畑の作物しか食べないような口になるってことよ。」
 「あー、そうか、その辺の野草の実なんか見向きもしなくなるんだ。」
 「そーゆーこと。畑をあんまり荒らすと人間に憎まれるわよ。」
 「そりゃあ大変だ、憎まれるほど嫌われるのは不味いな。」
 そんな会話があった後は、夫は御馳走を家に持って帰ることは無く、夫と私が一日交替で御馳走のあるベランダへ上り、それぞれ自分が食べる分だけを食べるようにした。

  そんなある日、御馳走にありつく当番が夫であったある晩、ベランダへ上ったきり、いつもの帰る時間になっても夫は帰ってこなかった。「もしかしたら」と嫌な予感。御馳走を食べ続けたせいで、夫は少々太り気味となっていた。太った体は俊敏な動きができす、高くジャンプすることもできなくなっていた。「もしかしたらドジ踏んだかしら、穴にでもはまって出られなくなったかしら、あの部屋のトンマな住人に捕まったのかしら」などと思い、取りあえず、夫を探すためにベランダへ上った。
 夫の居場所はすぐに判った。ビャービャー鳴いていた。ベランダに置いてあった大きなバケツの中から声が聞こえていた。バケツには蓋がされてあった。トンマな住人が無い知恵を絞って作った罠だったのだろう、夫はそれにまんまと嵌ったわけだ。
 精悍な頃の夫なら、バケツの底からジャンプして、蓋を突き飛ばして外へ飛び出すこともできたであろうに、今の夫の体型では、それは無理だったようである。「はーぁ、世話の焼ける奴」と私は溜息をつきながら、蓋を開けてやった。
 「あんた、そこからジャンプすることくらいはできるでしょ?さぁ、早く出てよ」
 「あー、済まねぇ、何とか届くと思うよ」と夫は言って、ジャンプした。だが、ジャンプにまったく余裕は無く、前足がかろうじてバケツの縁に引っ掛かって、後ろ足をバタバタさせて、なんとかかんとか、やっとかっと外へ出ることができた。
 「ふぅ、助かったぜ」と夫は言い、滴り落ちる汗をぬぐった。
 「ダイエットしたら?このままだったら罠にはまる前に病気で死ぬわよ」
 「そうだな、今度ばかりは本気でダイエットと、俺も思うよ」 
     

 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 2月のある日の未明4時頃、まるで台風のような冬の嵐、その風雨が騒ぎ立てる音に目が覚めた。沖縄の冬、季節風の激しいこともたまにあるが、その日は滅多に経験しないほどの強い風雨だった。天変地異の予兆か?と思った。
 その日の二日前の未明にも私は目を覚ましている。ベランダでビーチャー(ジャコウネズミ)がビービー鳴き、ガタガタ音を立てるのが煩かったからだ。ネズミが騒ぐ、天変地異の予兆か?と、しかし、この時は思わなかった。
 このビーチャー、おそらく落花生(今年の種にしようと保管していた約100個)を食った奴だ。それに味をしめて以来、毎晩ベランダにやってくるのだ。
  そいつを捕まえてやろうと思い、一週間前から罠を仕掛けている。大きなポリバケツに餌を置いて、その餌を取ろうとするとポリバケツの中に落ちるという仕掛け、ポリバケツの内面には油が塗ってあり、落ちたネズミは滑って外へ出られないという仕掛け。
     
 奴がポリバケツの中に落ちたという形跡はある。であるが、奴はポリバケツの中にいない。野生はきっと強いのであろう、高く飛べるのであろう。ポリバケツの底からジャンプして、蓋を撥ね退けて、外へ出ることができるのであろう。
 スーパーのレジ袋に入れた芋を物干し棹に掛けてあったが、その芋も食われている。奴は壁をよじ登って物干し竿に飛び移り、レジ袋の中に入って芋を食い、レジ袋から這い出て、物干し竿から飛び降りたようだ。恐るべし野生の力。

 そんな野生の力に敬意を表し、私は潔く負けを認め、罠のバケツを片付けた。そのついでに、ベランダに置いてあった芋も片付けた。以来、夜になってもビーチャーのビービー鳴く声は聞こえなくなった。奴らはベランダに来なくなった。・・・芋をさっさと片付けていれば、ビーチャーと闘わなくても良かったのである、とその時気付いた。

 記:2012.3.27 ガジ丸 →ガジ丸のお話目次


民謡好きのビーチャー

2014年02月18日 | ガジ丸のお話

 Aチャー、Bチャー、Cチャー、・・・Sチャーと多くの段階を経て、やっとTチャーになれるという大変厳しい教師養成専門学校があり、そこに民謡好きの主人公Bチャーがいて、恋あり、冒険あり、失恋あり、挫折あり、大怪我あり、裏切りあり、涙あり、涙あり、涙ありというお話・・・もあるが、それはまた別の機会に譲るとして今回は別のビーチャー、可愛い顔しているけれど人に嫌われている可哀そうなビーチャーのお話。

 ビーチャーは畑に住んでいる。たいてい畑の端っこ、畑の主が畑仕事をする際の邪魔にならない個所を選んで、土中に穴を掘って住処にしている。
 ビーチャーは昼間動くこともあるが、普通は夜行性である。人間が寝ている間に、人間が作り育ててきた作物をくすねている。そんな性質なので人に嫌われる。

 ビーチャーが住んでいる畑の隣に一棟のアパートがある。そのアパートは、1階は駐車場で2階から上が住居となっている。ビーチャーが住処としている畑の端っこから最も近い2階の部屋、去年の春から空室だった部屋に秋、新入りが入居した。
 その新入りは音楽好きのようで、他の部屋から聞こえるような煩いテレビの音は全く聞かれず、たいていはバッハとかモーツァルトのクラシックが流れていた。ビーチャーもまた、テレビの音よりはずっとそっちの方が好みだったので、「良かったぜ、静かな奴が引っ越してきて」と思い、平和な日々を暮らしていたのであった。

 ところが今年になって、新入りの部屋から流れる音楽が少々変わった。それまでは8割方がクラシックだったのに、8割方が沖縄音楽に変わったのだ。
 沖縄音楽とは大きく民謡と古典に分けられる。民謡とは庶民の間から生まれ歌い継がれてきた世俗的な唄。古典は琉球古典音楽と言い、琉球王朝時代に宮廷音楽として生まれた格調高い音楽である。新入りの部屋からは民謡の他、古典ももたびたび流れた。
 ビーチャーは民謡も大好きだった。畑の主の爺さんが休み時間にはラジオを点ける。そこから民謡も時々流れてきた。南の島の温かい風とゆったりした時間に調和した音楽だと感じている。何だか気分が穏やかになる。それで民謡が好きになった。
 爺さんのラジオから古典が流れることは滅多に無く、じっくり聴く機会をこれまで得なかったのだが、新入りの部屋からはたびたび流れるので初めてじっくり聴いた。古典音楽もまた、まったりとした気分になり、いいもんだと思った。

 1月下旬のこと、夜になって新入りの部屋から古典が聴こえてきた。「今日は最初から古典か、よし、近くで聴いてみるか」と思い、壁をよじ登って新入りの部屋のベランダへ入った。入ったとたん、音楽を聴く耳より先に、食い物を求める鼻が強く反応し、音楽は吹き飛んだ。「何だこれは、これは俺の大好物の匂いだ、どこだ?」と探すまでも無く、大好物はすぐ目の前にあった。殻付きの生の落花生がそこにあった。
  落花生は箱の中に100個ほどあった。「こんな幸せなことがあっていいのか?」と思った。人間で言えば目の前に100万円が落ちているようなものだ。正しい人間はそれを警察に届けるだろうが、欲深い人間なら懐に入れる。ビーチャーは人間では無い、野生である。正しい野生は目の前に落ちている好物を食うのに躊躇しない。
 その日から毎夜毎夜ベランダに忍び込んだ。100個ほどの落花生を全部食い終えるのには3日もかからない。野生は貪欲なのである。仲間にも知らせず一人で食った。
 全部食い終えた後も毎日夜になるとそのベランダに入った。呑気者のベランダには他にも何か食い物があるかもしれないと嗅ぎまわった。・・・あった。サツマイモがあった。落花生ほどの御馳走では無いが、美味い食い物だ。少しずつ頂いた。
     

 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 去年の秋、畑から落花生を収穫し、乾燥させるためにベランダに置いて、そこから少しずつ取り出し酒の肴にしていた。その多くは私の腹に収まり、いくらかは友人たちの腹にも収まったが、年が明けてもまだ100個ほど残っていた。
 100個の落花生、食っちまえばただの100個だが、これを植えれば万個の落花生になる可能性がある。そう、「米百俵」の精神だ。で、それらを今年植える種にしようと決めた。1月下旬のことだ。そう決めた翌日、残った落花生は冷蔵庫で保管しようと思い、ベランダへ取りに行った。ところがしかし、百個の落花生はそっくり消えていた。殻のガラさえも残っていなかった。自給自足を目指す私にとっては大きなショックだった。
     
 「しまった、ハトに見つかったか、新聞紙で覆っていたが、隙間から見えたか。」と、大事な落花生を奪った犯人はてっきりハトか何かの鳥であろうと思った。
 その夜、ベランダで音がするのに気付いた。ガサガサという音と、ピーピーという鳥らしき何者かの鳴き声。夜に活動する鳥と言えばフクロウの類しか思いつかない。フクロウの類でピーピー鳴く奴がいるのだろうか?と不思議に思った。
  翌朝、ベランダに出て調べる。ベランダには掃き出し窓の傍、家の中からベランダへ出る際の段差を緩和する階段として何枚かのコンクリートブロックを敷いてある。そのコンクリートブロックの中にピーピー鳴く奴が潜んでいるのではないかと覗いた。
 穴はブロックの数10枚×3=30個所ある。その30個所の穴のどこにもピーピー鳴く奴はいなかった。奴はいなかったが、その30個の穴のどれにも落花生の殻が、中味は全く残っていない殻が隠れていた。私の食い物を奪った憎き奴は、落花生を持ち帰ったのでは無く、その場で食っちまいやがったのだ。それも一つ残さず。

 落花生が全て無くなった後も、夜になるとベランダではガサガサという音とピーピーという鳴き声が聞こえていた。「犯人はいったい何奴!」と眠いのを耐えて、夜中起きて、ベランダを覗いた。犯人がそこにいた。鳥では無かった。ビーチャーだった。
 ビーチャー(トガリネズミ)はベランダに置いてあったイモの入った袋の傍にいた。落花生の後はイモを食っちまおうという魂胆だ。それにしても畑の住人であるビーチャーがよくも2階のベランダにある落花生やイモに気付いたもんだと不思議に思った。

 記:2012.2.10 ガジ丸 →ガジ丸のお話目次


カエルの音返し

2011年03月18日 | ガジ丸のお話

2月の終わり頃からポッカポカ陽気となった。
「春が来た」と虫たちも思ったに違いない。
それまで静かだった畑にも蝶が飛び、バッタが跳ね、カエルが鳴いた。
ところが、3月に入って急に寒くなり、冬に逆戻りしてしまった。

3月3日、世の中が「ひなまつりだー、ひしもちだー、おだんごだー」と騒いでいる中、
オジサンは一人畑へ出て、黙々と農作業を続ける。
今日は、オジサンにとっては6月の幸せのための仕込み、
6月の幸せとは枝豆、この日は枝豆のための整地作業。
土を耕すのは重労働だが、寒いのでちょうどいい運動。
重労働にはちょうどいい寒さだったけれど、
虫たちには寒すぎたようで、昨日まで飛んでいた蝶も、跳ねていたバッタも、
今日は姿を見せない。カエルの声も聞こえない。

3月4日、いよいよ枝豆の種を蒔く。蒔きながらオジサンは笑っている。
6月の幸せを想像して笑っている。
採りたての枝豆を茹でて、ホクホクの奴を食べて、「うまいー!」と言い、
冷えたビールを飲んで、プハーっと息を吐き、「しあわせー!」と言い、
「幸せをありがとう」と大地と太陽に感謝して、嬉しくて涙も出る。
そんなこと想像して、オジサンは笑っている。
 
種を蒔いたら水をかけて、今日の作業は終了。
種蒔きも水かけも軽作業なので、たいした運動にはならない。
それに、今日は昨日より寒い。
「寒いぜ、早く水かけて、早く帰ろ」と呟きながら水桶のある所へ行く。

水桶の中にバケツを入れようとしたら、そこに1匹のカエルがいた。
カエルはヒメアマガエル、小さいけれど、グエッ、グエッと煩く鳴くカエル。
カエルは水面に浮いたままピクリとも動かない。
バケツを入れて、水面を大きく揺らしてもピクリとも動かない。
「可哀そうに、あんまり寒くて凍えてしまったんだな。」
水の中に手を入れると水はとても冷たかった。
「冬眠するカエルが、こんな冷たい水では生きていけないよな。」
オジサンは「南無阿弥陀仏」と手を合わせた。
 
水かけの途中、足元の草むらでガサっと音がした。
「何者!」と思って、草を掻き分けると、そこにはバッタがいた。
バッタはタイワンツチイナゴ、とても大きくて、ジャンプ力の強いバッタ。
警戒心が強いので、普通は人が近付くと、すぐに跳んで逃げてしまう。
だけど、今目の前にいるタイワンツチイナゴはちっとも逃げない。
逃げないどころか、動かない。触角がピクピクしているので死んではいない。
「あんまり寒くて動けないんだな。ネコに食われないよう気をつけな。」
 
そりゃあ、数日前のあの陽気じゃあ、誰だって春が来たと思うさ。
虫たちもとんだ災難だ、とオジサンは思いつつ、
カエルもバッタもそのまま放ったらかして帰った。

3月5日、昨日までとは一転、ポッカポカ陽気となった。
オジサンは今日も畑に出て野良仕事。今日は草抜き作業。
朝は寒かったので、オジサンは昨日と同じ厚着の服装、
草抜き作業は軽作業だが、昼頃になると汗をかいてしまった。
着ていたトレーナーを脱いで、Tシャツ姿で作業を続ける。

草抜き作業を続けて、昨日バッタを見つけた草むらの辺りまで来た。
ポッカポカ陽気だ、「もしかしたら」と思って草を掻き分ける。
昨日のバッタは、昨日と同じ場所にいた。太陽の下に出してやる。
バッタは昨日よりずっと元気になっていた。
絶好調では無いらしく、ジャンプはしなかったが、のそのそと歩いた。
歩いて、草むらの中へ逃げていった。
「オメェ、せっかく温かい所に出してやったのに、バカだなぁ。」と思った。
バッタはきっと、寒さよりも、オジサンが怖かったのだろう。

バッタが逃げるのを見ながら、「おっ、もしかしたら」とオジサンはまた思った。
昨日カエルがいた水桶を見に行く。昨日のカエルはそのままだった。
手を伸ばした。するとカエルはピクっと動いた。
「おっ、生きカエルか?」と、外に出してやった。
カエルはしばらくそこでじっとしていたが、
「僕は生きている、助かったんだ。」と気付いたのか、
ぴょんと大きく飛び跳ねて、草の中へ消えていった。
 

それから数日後、雨の降る日の夜、8時を過ぎた頃、
バッハの静かな曲を聴きながら酒を飲んでいると、
窓際に座っているオジサンの、その窓をペタペタと叩く音がする。
曇りガラスの向こうに影が見える。猫ほどの大きさだ。
「雨に濡れて冷たいよー、中に入れてくれよー。」なんて、
その辺りの野良猫が甘えに来ているんだろうと思って、無視した。
ところが、もう一度、ペタペタと叩く音がして、
「野良猫なんかじゃねーよ。」と声が聞こえた。
うむ、確かに、その辺りの野良猫が人の言葉をしゃべるわけが無い。
「いったい何者?」と窓の外を覗く。
 
そこには大きなカエルがいた。
目が合った。カエルはウンウンと肯くようにして、
「ワシだ、ワシがしゃべっている。ちょっと開けてくれんか?」と言う。
優しそうな顔でも無いが、悪そうな顔でも無い。で、開けてやる。
「中には入らないよ、濡れているし、濡れているのは好きだし。」
「まぁ、入れよ、窓を開けていると雨が入る。今、タオルを持ってくる。」とオジサンは言って、タオルを取ってきて、窓の傍に敷いた。
「それじゃあまあ、お言葉に甘えて、ちょっと失礼する。」とカエルは言って、タオルの上にちょこんと座った。大きさは、その辺の野良猫より一回り大きい。

「先日は、仲間が大変世話になったようで、ありがとうございます。」
「仲間って」とオジサンはすぐに気付いた。「あの畑のアマガエルか?」
「そう、彼です。あのまま水の中にいたら死ぬところでした。」
「そうか、そりゃあ良かった。ところで、オメェ、何で人の言葉がしゃべれるんだ?」
「ワシは長く生きている。で、カエル界の代表であり、しゃべることもできる。」
「長く生きているって、どのくらい?」
「そう、はっきりは覚えていないが、少なくとも百年は生きている。」
「ひ、百年!そりゃあ大先輩だ、タメ口きいて、失礼しました。」
「いや、それはいいんだよ、アンタはもうワシの友人だ。ところで、これ。」とカエルは言って、手に持っていたビニール袋をオジサンに差し出した。
「何ですかこれ?」
「ほんのお礼だ。お口に合わないかもしれないが、どうぞ受取ってください。」
 
オジサンは袋の中を覗いた。中にはダンゴのようなものが3個入っていた。
「何ですかこれ?」と、オジサンはまた訊く。
「ボウフラのダンゴだ。ワシらにとっては大変な御馳走だ。人間の口にも合うよう味付けをしてある。レンジでチンして温めても美味しいと思う。」
たくさんのカエルたちが協力して、大量のボウフラを集めて、それを練ってダンゴにするまでたいそう手間がかかったらしいが、オジサンはキッパリ断る。
「せっかくですが、これは要りません。お気持ちだけありがたく頂きます。」
「えっ、美味しいぞ、一つはゴマ味、一つはピーナッツ味、もう一つは黄粉味だ。」
「例えチョコ味でもイチゴ味でも、ボウフラはボウフラです。口に合いません。」
「そうか、それならしょうがない。でもまあ、そういうこともあろうかと思って、別のプレゼントも用意してある。それを贈りましょう。」
「別のプレゼントって、食い物は要りませんよ。」
カエルはニコッと笑って、立ち上がって、そして、
「食い物じゃない、今日から1週間、毎晩、アンタに楽しいことが待っている。とだけ言っておこう。では、さらばじゃ。」と言った。言い終わるとすぐに、カエルは自分で窓を開けて、ピョンと飛び跳ねて、あっという間に夜の闇の中へ消え去った。

「楽しいこと」って何だろう?とオジサンはワクワクしながらベッドに入った。「毎晩、美女が夢の中に現れて、チューでもしてくれるのかなぁ?」とオジサンはドキドキしながら目を閉じた。それから数分後、もう夢の中へ入ろうかという時に、
グエッ、グエッ、グエッ、グエッという大合唱にオジサンは起こされた。
「何だ!何だ!何ごとだ!」と慌てふためくほどの大音量だった。音はすぐ傍、枕元の窓の方から聞こえる。窓を開けた。そこには何十匹ものヒメアマガエルたちがいた。
「あー、そうか、カエルの恩返しは、カエルの音返しということか。」とオジサンは気付いたが、もう後の祭り、一所懸命歌っているカエルたちを追い払う訳にもいかない。この後一週間、オジサンは寝不足の日々を送る羽目になったとさ。何てこった!
 
 おしまい。

 2011.3.18 ガジ丸 →ガジ丸のお話目次