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ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

豆乳

2017年02月17日 | 飲食:飲物・嗜好品

 風邪引きの飲物

 豆乳を飲み始めたのはいつ頃だったか、若い頃の私は牛乳が好きで、夏、したたか汗をかいた日などはビールジョッキに冷えた牛乳を入れてグビグビ飲んでいた。
 いつ頃からか定かに覚えていないが、たぶんオジサンと呼ばれるようになったアラフォー辺り頃からだったか、私は牛乳が飲めなくなった。牛乳を飲むと下痢をするようになった。飲めないものは飲まなくていいという考えの私は、それ以降牛乳を飲んでいない。
 そうだ、1つ思い出した。私がまだ250CCのバイクに乗っていた頃だから40歳を少し過ぎた辺り、友人Mの家に遊びに行った時、牛乳の話になって、
 「それまで大好きだった牛乳なのに、数年前から飲めなくなった。」と言うと、Mの女房、才色兼備の良妻賢母Hさんも「私も牛乳は飲まない」と話し、
 「牛乳は飲まなくていいです。今の牛乳は抗生物質に汚染されていて身体に良くないです。カルシウムはヒジキで摂取すればいいんです。」ときっぱり言い放った。

 もう1つ思い出した。これは数年前のこと。友人の料理人、才色兼備の良妻(については?バツ一なので)賢母H(偶然だが、Mの女房と同じ名前)さんの店へ顔を出した時のこと。ある本(名前は忘れた)をHさんが「これ読んでみて」と貸してくれた。大雑把にいえば食の安全の本だ。その中に「牛乳は牛の赤ちゃんが飲むもので人間が飲むものではない」とあった。その意見については、私には少々異論もあるが、Hさんも「牛乳なんて飲まなくても良いです。カルシウムは他からいくらでも摂れます」と言い放った。
 2人の才色兼備が言い放ったからではなく、私は彼女たちからそう聞く前から牛乳を飲んでいない。私の場合、牛乳を飲まないのではなく飲めなくなったのだ。
     

 牛乳は飲めなくなったが豆乳は全然平気。全然平気だが、飲む機会は極めて少ない。何しろ、豆乳より好きな飲み物が私にはたくさんある。ビール、日本酒、ワイン、ウイスキー、ブランデー、泡盛、焼酎などなど。いずれも豆乳より遥かに好き。
     
 ノンアルコールの飲物でも、家にはコーヒー、紅茶、緑茶が常備されていて、これらは豆乳よりずっと価格が安いので日常の飲み物となっている。
 豆乳は特別な日にしか飲まない。特別な日とは風邪など引いて身体が弱っている日。若い頃の私は年に1回は風邪を引いて数日は寝込むほどの症状になっていた。2001年1月から始めた粗食小食、その数年後からだから今から約10年ほど前以降、私は風邪をあまり引かなくなった。引いても熱が出るとか身体がだるいとかはなく、鼻水が出て、翌日には痰が出て、「あー、風邪だったんだ」と気付くような軽い症状で済んでいる。というわけで、ここ10年ばかり豆乳を飲む機会はなかった。
 今年(2017年)1月末、久々に寝込むほどの風邪を引いた。で、久々に豆乳が欲しくなった。風邪を引いている間には間に合わなかったが、風邪が治って数日後、毎週火曜日近所を行商している豆腐屋、美味しい豆腐を提供してくれる池田屋の豆乳を購入し、飲んだ。これがまためちゃくちゃ濃くて美味くて、ヌチグスイ(命の薬)となった。
     

 身体が弱った時に豆乳が飲みたくなる理由は不明。私の身体がそう欲している。おそらく、豆乳の成分の中に病気に対する抵抗力を高めるものがあるに違いない。化学も家庭科も苦手で、未だにその方面には知識の無い私なので、それが正しいかどうかは不明。
 ちなみに、豆乳を広辞苑で調べると、
 豆乳
 豆腐製造の際、水に漬けた大豆をすりつぶした豆汁を加熱して漉こして得た白濁液。古くから牛乳や母乳の代用としてきた。
 とのこと。成分については書かれていなかった。風邪に効くとも無かった。

 記:2017.2.15 ガジ丸 →沖縄の飲食目次


乳酸菌飲料

2017年02月17日 | 飲食:飲物・嗜好品

 ヤクルトおばさん

 ここ10年ほど、寝込むほどの病気(風邪でもそれ以外でも)に罹ったことはなかったのだが、1月30日の夜に引き始めた風邪では翌31日、丸一日寝込んでしまった。熱は出ていないのでインフルエンザではないと思ったのだが、もしかしたら熱の出ない新型インフルエンザがあるのかもしれない。何しろ丸一日身体がだるかった。

 そんな久々の大病で寝込んでいる時、喉が渇いて「何か飲物」と欲した。しかし、私の部屋に酒はたくさんストックがあるが、清涼飲料水の類は置いていない。緑茶、紅茶、珈琲はあるが、お湯を沸かして・・・というのが面倒で、喉の渇きは我慢。じつは、風邪を引いた時に飲む飲物について私には好みがある。これを飲んでおけば風邪も早く治るであろうと私が信じているもの、その第一は豆乳、第二はリンゴジュースで、その次に、その他のフルーツジュースや野菜ジュース、そして、乳酸菌飲料と続いている。
 31日は丸一日寝込んでいたが、翌2月1日には鼻水が出て、咳が出て、痰も出る状態ではあったが、身体のだるさは取れていたので午前中の2時間ほどは畑仕事、その後、銀行行ってガス代の支払いをし、スーパーへ寄って風邪を引いた時の飲物を買う。
 風邪を引いた時の飲物、第一には豆乳なのだが、ちょっと悩んで、豆乳ではなく野菜ジュースと乳酸菌飲料を購入した。豆乳を買わなかったことについては、毎週火曜日にやってくる行商の豆腐屋池田屋の豆乳、まだ飲んだことはないがきっと美味かろうと大いに期待していたので、そんじょそこらの豆乳は飲まなくても良かろうと思ったから。

 乳酸菌飲料として私がたびたび(といっても数年に1度の頻度)選んでいるのは、森永ヨーゴや明治メイグルトなるもの、量が多いので喉の渇きを潤すのに大いに役立つ。今回はしかし、それらを買わず乳酸菌飲料としては最も伝統のあるヤクルトにした。ヤクルト10本入りパックが特売となっていたからだ。主夫は少しでも安いものを買う。
 ヤクルト、私が子供の頃からある。よく飲んだ覚えがある。大人になってからはたぶんそう飲んでいない。今回のヤクルトはおそらく20年ぶり、あるいは30年ぶりくらいかもしれない。祖母が生きている頃、祖母はたびたびヤクルトを飲んでいたと覚えている。祖母が生きている頃とは約30年前、その頃、祖母のご相伴をしたかもしれない。
 ヤクルト、私が子供の頃はテレビでもコマーシャルをよくやっていて、自転車での宅配もあったと思う。その宅配をする人は女性で、テレビのコマーシャルでは彼女たちのことを「ヤクルトおばさん」と呼んでいた。いつからかしらないが、「おばさん」が差別用語のような扱いをされるようになって、今ではヤクルトレディーと呼ぶらしい。
     

 「おばさん」が何で差別用語となったのか、私には理解不能。女性は中年になったらおばさん、老年になったら婆さんと呼ぶのが当たり前じゃないかと思う。私自身は今、オジサンと呼ばれても何の違和感も無い、もう少ししたら爺さんと呼ばれるだろう、そう呼ばれても嫌な気分はちっともしないはず。むしろ、初めてそう呼ばれたらニヤっとするかもしれない。「私が爺さんと呼ばれた記念日」にするかもしれない。
 話が逸れたがヤクルト、30年ぶりかもしれないヤクルト、まあまあ美味かった。身体が弱っていたせいかもしれないが、その甘さが癒しとなった。その甘さはしかし、身体が元気な時には甘過ぎるかもしれない。乳酸菌飲料、私の日常の飲物には向かない。
     

 記:2017.2.11 ガジ丸 →沖縄の飲食目次


水出しコーヒー

2017年01月20日 | 飲食:飲物・嗜好品

 粉の使い道
 
 2017年元旦、貧乏農夫(私)は正月も関係無く畑へ出勤した。畑仕事をするために出勤したのではなく、新居を楽しく暮らすための備品作りのため。
 畑小屋の前で大工仕事をしていると、こちらは私と違い全く貧乏ではない農夫、先輩農夫のNさんがやってきた。「正月早々何しにですか?」と訊くと、「最近雨が降っていないから水掛けに」とのこと。確かに雨が少ない、私の畑も乾いている。
 Nさんは自分の畑へ行く前に時々(週に1~3回)私の畑に寄って行く。私の畑小屋にはカセットコンロがあり、お湯を沸かすことができる。冬になるとNさんはドリップコーヒーを持ってくる。それを入れて、熱いのを飲みながらしばしのユンタク(おしゃべり)を楽しむ。冬であっても寒くない日(今年はそれが多い)は冷えた缶入り飲料を自分と私の分2缶をNさんは持ってきて、それを飲みながらしばしのユンタクを楽しんでいるが、その日、2017年の元旦は暖かかった。Nさんは缶飲料2缶を片手に持っていた。

 その日その時、もう一方の手にNさんは大きな袋を提げていた。
 「何ですかそれ?」
 「あんたが、粉のコーヒーを飲んでいるようだからプレゼント」と言い、袋を開けた。中には大きなプラスチックの円筒形の箱があり、英字で何やら書かれてある。英字なのですぐには何か判らない。「何ですかこれ?」と再び訊く。
 「コーヒー、友人に基地内を出入りできるのがいて、彼が基地内のスーパーで買ったもので、私にくれたもの。まだ半分以上残っているけど、あんたにやる。」
 その2日前、濡れ縁とそこで使うテーブルが完成したお祝も兼ねて、Nさんを新居に招待し、コーヒーを御馳走した。その時に、私がコーヒー豆をミルで挽いて飲んでいるということをNさんは見ていて、「粉のコーヒーを飲んでいるから」となったようだ。

 高校生の頃、異性や恋愛に対しては臆病な私であったが、食べ物や飲み物に対しては生意気な少年であった。(親のお金で買って)酒を飲みタバコを吸い、手回しのミルを(親のお金で)買い、コーヒー豆を時々(親のお金で)買い、挽いて飲んでいた。
 その後もずっとコーヒーは好きであったが、ミルを回すのが面倒になって、しばらくは粉コーヒーを購入していた。であったが、2004年に電動式コーヒーミルを(自分のお金で)購入して、それ以来ずっと豆を(自分のお金で)買って挽いて飲んでいる。

 Nさんから頂いた大箱のコーヒーは粉。Nさんが「半分以上残っている」と言っていた通り、箱の6割方は粉が入っている。粉は豆に比べると酸化するのが早い。「早く飲まなきゃならないな」と思ったが、こんだけ大量のコーヒー粉、1日10杯飲んでも1ヶ月はかかりそうだ。「さて、どうする、どう消費する?」と考えた。で、閃いた。
 「そうだ、水出しコーヒーにしよう」と。
 高校生か浪人生の頃、どこぞの喫茶店で水出しコーヒーを作る装置を見たことがある。大きなドリッパーにその上部から水が一滴一滴ゆっくり落ちて、管をグルグル回って水で抽出されたコーヒー色のコーヒーが下にある器に溜まって行くもの。友人、あるいは店主に勧められてその水出しコーヒーを飲んだことがある。美味いと思った。

 約1500ミリリットル入る広口瓶に、約1500ミリリットルの水を入れる。粉コーヒーをお茶パックに詰める。1つのパックに私が日常飲んでいる約1杯分の量の粉を入れて、それを3パック作り、1500ミリリットルの水の中に入れる。そして待つ。どれくらい待つのか?というと、どれくらい待つべきか調べていないので適当に待つ。
 1回目は1晩待った、次は1日待った。両者にたいした違いはなかった。いや、あるいは、両者の違いを私の舌が判別できなかっただけなのかもしれないが、「どちらも一緒、半日あれば十分抽出される」と判断した。どちらも美味いと私の舌は感じた。
     
     

 記:2017.1.18 ガジ丸 →沖縄の飲食目次


ウージ汁

2016年09月09日 | 飲食:飲物・嗜好品

 熱中症予防飲料

 2013年11月、近所の大先輩農夫N爺様からウージ(サトウキビ)を分けて貰い、その挿し方も教わって、畑の道路沿いに数本を挿した。旧盆の仏壇飾りの1つにグーサンウージなるものがある。グーサンとは杖という意の沖縄語、ご先祖様がこれを使って安全に歩行できるようにという配慮らしい。盆飾りの果物は全て畑で作ったものだが、このグーサンウージも自前で用意しようという貧乏農夫の魂胆なのである。
 そのウージ、2015年夏には十分成長した。ウージから砂糖も得たいと企てている私はその内の数本を収穫し、それを使ってウージ汁(一般的名称だとサトウキビジュース)を作った。ウージ汁を作るためにミキサーを買っていた。ウージはとても堅いのでそのままではミキサーが回らない、なので、ウージを細かく切り刻み、それと同量程度の水と一緒にミキサーにかける。それを布濾ししてウージ汁の完成。ウージ汁はそのまま飲んでも美味しかったが、企て通り砂糖の代わりとして使い、十分その用を果たした。
 2013年11月に挿した数本のウージ、2016年冬には数ヶ所でまあまあの株(5~6本立ち位)になった。春になってその内の数本を収穫し、その時は約2リットルできた。私はその2リットルのほとんどを砂糖代わりとし、料理と酒造りに使った。
     

 先日(9月初め)もウージ汁を作り、その時はウージ汁としてなら約6リットルもできた。その内500ミリリットルは泡盛の水割りに混ぜたりそのまま飲んだりして消費。そのまま飲んだ時「ウージの生搾り、黒糖がミネラル豊富なのでこれもそうに違いない。ミネラルは熱中症予防に効果がある。そうか、糞暑い時にはこれを飲めば良かったんだ」と気付いた。しかし、時既に遅く、その約5リットル半はさらに加工してしまった。
 ということで、この続きは別項『ウージ液糖』に続く。
     
     
     

 記:2016.9.7 ガジ丸 →沖縄の飲食目次


黒ニンニク

2016年04月15日 | 飲食:飲物・嗜好品

 私は流行りものにあまり興味が無い。ファッションにも音楽にも興味が無い。ファッションはTシャツにジーンズで可、音楽はクラシックとジャズと沖縄民謡があれば可、なので、家にテレビが無くても、テレビ番組を観なくてもちっとも困らない。
 流行っているからという理由でそのものに興味を持つことは無いが、「好きかも」という理由では興味を持つ。畑仕事をしているのでそれに関わるもの、作物としての野菜や果物に興味を持ち、酒の類、酒の肴の類には私の根本がそれらに興味を持っている。
 流行り物と言えば、ラジオから聞こえてくる言葉に知らないモノが多くある。例えば、スムージーとかジュレとか。会話の流れから「食い物」だと判るが、映像は出てこない。私がテレビを見ていた数年前まで無かったモノであろう。その後、スーパーの冷蔵庫に並んでいるそれらを見ているが、買ったことはなく、口にしたこともない。

 もう1つ、クロニンニク、これは去年のちょうど今頃(4月)、初めて口にした。近所の先輩農夫Nさんから自作のクロニンニクを頂いた。ニンニクの収穫時期は3月~4月。Nさんは自分の畑で収穫したニンニクを加工したとのこと。クロニンニクという名前を初めて聞き、実物を初めて見た私は「クロニンニクって何?」なのだが、
 「最近流行っているんだ、健康にいいらしい」とのこと。ニンニクの燻製みたいなものだろうか、火を長く通して黒く焼き上がっている。食べるとまあまあ美味しい。
 私も作ってみようと思ったのだが、Nさんによると時間がかかるらしい。Nさんは炊飯器を使って1週間ほど蒸し焼きを続けたとのこと。1週間も炊飯器を点けっ放しは電気代が勿体無い。ダッチオーブンを使って、数時間でできないかと私は考えた。
 そして今年春、私の畑からもニンニクが採れている。ニンニクは1片ずつ皮を剥いて、オーブントースターで7~8分焼けば、美味しい焼ニンニクができる。このところほぼ毎日それが酒の肴の1つになっている。お陰で、屁をすると、屁もニンニク臭い。
 ニンニク臭い屁をこきながらも「ダッチオーブンを使ってクロニンニク」はずっと忘れ続けていた。つい先日、八百屋で売られているクロニンニクを見て、思い出した。
     

 2016年4月6日、「ダッチオーブンを使ってクロニンニク」作りに挑戦。炉に火を熾して朝9時半からダッチオーブンによるローストを始め、2時間ほどは薪を足して、その後は灰の上にダッチオーブンを置き、余熱によるローストを4時間。
 午後3時半、蓋を開けてみる。良い香りがした。生のニンニクよりずっと甘い匂い。6時間のローストで当然、火は通っているのだが、黒になっているかどうかは怪しい。
 ローストしたニンニクを家に持ち帰って、少し皮を剥いてみる。皮が黒っぽくなっているのもあったので少しは期待していたが、結果は「残念でした」となった。
 それでも、半分をその日の酒の肴にしようと皮を剥くと、中に1個だけ茶色に色付いたものがあった。他のものも生のニンニクに比べると茶色がかっている。「これならもしかしたら」と思って、残りの半分はさらにローストしてみようと計画。
     
     
     

 4月7日、しかし、うっかり者の私はその計画を忘れ、残りの半分を家に忘れてしまった。「どーする?うっかり者」と自問し、「そうだ!」と閃く。新たに5株のニンニクを収穫し、ダッチオーブンで6時間ローストした。これを翌日さらにローストすれば良いのだ。6時間ローストニンニクとダッチオーブンは小屋のテーブルに置いておく。そうすれば、いかにうっかり者の私でも、またも忘れることはあるまい。
 4月8日、金曜日だったので、ガジ丸ブログのアップをして、畑に着いたのは午前11時、さっそく、小屋のテーブルの上に置いていたダッチオーブンに前日の6時間ローストニンニクと、今回はうっかり忘れることなく一昨日の6時間ローストニンニクを入れ、火にかける。時刻が遅れたので、ダッチオーブンによるロースト追加は4時間となる。
     

 ローストしたニンニクはムチャムチャして皮が剥きにくい、というのを一昨日経験しているので、1晩、冷蔵庫に寝かせ、乾燥させ、9日の朝、皮を剥いてみた。
 1晩冷蔵庫に寝かせてもムチャムチャに変わりはなく、皮が剥きにくいも変わらなかった。でも、頑張って剥いた。中はさすがに、前より黒い、玉の外側の片には真黒になっているのもある。「やった、成功だ!」と一瞬思ったのだが、真黒のニンニクの1片を口に入れると、それはクロニンニクでは無く、コゲ(焦げ)ニンニクであった。不味い。
     

 というわけで、私のダッチオーブンによるクロニンニク作りは失敗となる。ダラダラと長い文章を書いたのに、何の役にも立たなくて申し訳ないという気分です。

 記:2016.4.9 ガジ丸 →沖縄の飲食目次