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ガジ丸が想う沖縄

沖縄の動物、植物、あれこれを紹介します。

農繁期

2012年10月26日 | 沖縄01自然風景季節

 農繁期(のうはんき)とは「田植え・稲刈りなど、農事が忙しい時期」(広辞苑)のことで、その対語は農閑期(のうかんき)「農作業のひまな時期」(〃)となる。
 「農家の男は冬になると出稼ぎに出る」と若い頃聞いたことがあるので、おそらく、倭国の農閑期は冬季であろう。倭国の冬季の気温では植物の多くもお休みするのでそうなると思う。ところが、沖縄の冬季の気温では、植物の多くはお休みしない。お休みしないどころか、冬季に良く育つ作物が多くある。したがって、沖縄の冬季は農繁期となる。その逆に、沖縄の夏季はあんまり暑くて、植物も元気がでないようだ。よって、沖縄の農閑期はどちらかというと夏季となる。もちろん、暑いの大好き植物もいる。

 私は今、少々焦っている。畑小屋作りに時間を取られ(台風で小屋が吹き飛ばされたせいもある)て、畑仕事が大幅に遅れているからだ。9月に植える予定だった作物がいくつもあり、8月中には畑を耕して畝を作って、9月に種蒔きという予定だった。それが台風対策、その後始末、小屋の修復、小屋の建て直しなどに追われ、10月下旬になってやっと2畝を耕したばかり。そこにはニンジンとホウレンソウを植える予定。

  『沖縄季節のしおり』なる脱サラ農家の友人Tから貰った表がある。確認はしていないがたぶん、沖縄の農協が出しているもので、主な作物の「品種」、「種の蒔き時」、「苗の植え時」、「収穫期」などが記載されている。その表によるとやはり、9月~11月に「種の蒔き時」、「苗の植え時」となる作物が多くある。
 キャベツ、ブロッコリー、カリフラワー、ハクサイ、シュンギク、ミズナ、レタス、タマネギ、ラッキョウ、ジャガイモ、ダイコン、ハツカダイコン、ゴボウ、トマト、ミニトマト、セロリ、パセリ、インゲンマメ、ウズラマメ、エンドウマメ、エダマメ、トウモロコシなどなど。毎日苗作りをし、毎日苗を植えなければ間に合わない。

 そんな忙しい時期に、台風が来る。ビニールハウス農家はビニールを剥がしたり張ったりしなければならない。塩水を被った作物を洗わなければならない。今年(2012年)は特に台風襲来が多く、しかも、17号は最強台風だった。この最強台風には私も参ったが、沖縄の多くの農家が甚大な被害を蒙ったとのことである。
 台風は概ね夏から秋にやってくる。よって、台風の多い年は沖縄の農家に農閑期は無いってことになる。台風が来なくても夏季の農作業は収穫が多くある。トウガン、オクラ、ゴーヤー、ヘチマ、モーウイ、ウンチェーバー、マンゴーなどがその時期となる。雑草も夏場は伸びが早い。したがって、沖縄は年中農繁期と言えるかもしれない。
     

 記:2012.10.26 ガジ丸 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


台風

2011年09月30日 | 沖縄01自然風景季節

 私が子供の頃、台風銀座という言葉をよく耳にした。沖縄が台風銀座と呼ばれていた。台風が多いという意味だ。その通り、私が子供の頃、少なくとも高校生の頃までは沖縄島を襲う台風は多かった。1年に1、2個はやってきたと思う。
 その頃、というか、復帰前まで、台風には名前が付いていた。今でも1号、2号と呼んでいるが、そういう番号では無く、人の名前、しかも、キャサリンとかメアリーとかいった女性の名前。名付けているのは沖縄在留のアメリカ軍だったと思う。
 「今度の台風は随分と勢力が強いな。」
 「そうか、それならエルマーと名付けようぜ。」
 「ん、誰だそれ?」
 「俺の女房だよ。つえーんだよ。」
 なんて具合だったかもしれない。むろん、私の想像である。
 在留米軍では現在でも台風に女性の名前をつけているのかと思って調べると、ウィキペディアに「1979年に男女の名前を交互につける方法に改められた。」とあり、また、「2000年からは国際的な呼称としてアジア名が使用されている。」とあった。

 年中行事であった台風、家の中にはローソク、懐中電灯、トランジスタラジオがその準備怠りなく、家族の誰もが分かる場所に置かれてあった。
 台風が登校日にやってくるとなれば、沖縄の子供たちの概ねは大喜びだった。何しろ学校が休みになるのである。沖縄の概ねの子供たちは勉強嫌いだったと私は思う、なので大喜びする。勉強が大嫌いだった私はこれ以上の幸せは無いという位喜んだ。
 中学生になると映画館へ出かけたりした。台風の日、昨今はビデオ屋さんが大忙しとのことだが、その頃はビデオが普及しておらず、映画館が稼ぎ時であった。

 そんなこんなの懐かしい想い出のある台風だが、去年までの10年間で沖縄島を直撃した台風は、私が記憶している限りでは2個しか無い。アジア最大の米軍基地から戦闘機が飛べない状況になっては困ると、米軍の科学者たちが台風コントロール機なるものをこさえて、沖縄島に台風が来ないようにしているのではないかと疑った。台風はそれまでと変わらず発生しており、宮古八重山は襲われているのである。なので、そういうこともあるのかもしれないと思ったわけ。イラク戦争も始まっていたし。
  もう一つ、地球温暖化の影響で台風の発生位置が段々高緯度に移り、沖縄近海ではまだ発達途上で、九州辺りで最大勢力になる台風が増えつつあるのではないかとも想像している。さらに温暖化が進めば、台風は沖縄近海で発生し、沖縄にはまったく被害を与えること無く発達しながら北上し、関東で勢力を強めるかもしれない。

 今年はしかし、沖縄島も台風の当たり年となった。2個の台風に襲われた。お陰で、私の畑のゴーヤー、ナーベーラー、モーウイは全滅した。シークヮーサーもほとんどの実が落ちて、収穫できるのは数個となっている。それでも、だ。畑の芋(甘藷)は無事。芋は台風にやられることは無い。だから、昔の沖縄の主食であったわけ。
     

 記:2011.9.29 ガジ丸 →沖縄の生活目次


いろとり鳥

2011年04月29日 | 沖縄01自然風景季節

 去年(2010年)12月、吉の浦海岸を散歩していたら、見たことの無い鳥に出会った。図鑑にあるどの鳥とも見た目に大きな違いがあった。全身の羽毛がモジャモジャと、まるで逆立っているように見えた。大きさと姿形はキジバトに似ていた。
     
 撮った写真をよく見ると、羽毛は見えた通り、逆立っていた。何か、とても恐ろしい経験、犬に危うく噛み殺されそうになったとかを経験して逆立っていたのかもしれない。その鳥は、首筋の模様からキジバトと断定。恐怖に慄いたキジバトだと思われる。
 「鳩が豆鉄砲を食ったよう」なんて慣用句があるが、「驚いて目を丸くしているさま」(広辞苑)という意味だが、その時のキジバトはまさしくそれ、「はっせ!たまし抜ぎたひゃー(まったく!魂が抜けたぜ、といった意味のウチナーグチ)」と、近くにいてカメラを構えている私に向かって言っているような、そんな表情であった。
     

 今年4月11日、糸満市にある平和創造の森公園へ散策へ出かけた。その帰り際、ちょうど駐車場の自分の車に乗り込んだ時、鳥の、喧嘩をしているような声を聞いた。声のする方を見る。現場は30メートル程先、出口へ向かう道の傍だ。
  そのまま車を走らせて現場のすぐ近くで停車する。喧嘩している鳥はイソヒヨドリ、2羽が激しく掴みあい、激しく突き合っている。2羽は掴みあったまま、羽をバタバタさせて、少し飛んだかと思うと、掴みあったまま地面に落ちる。どちらかが、あるいはどちらとも、激しく地面に叩きつけられているので、怪我をしているであろう。
  ふと、横を見ると、もう1羽いた。喧嘩している2羽とは色模様が違うが、同じイソヒヨドリ、その雄の方だ。ということは、喧嘩しているのは雌同士だ。しばらく眺めていると、雄は2羽の雌に近寄ったり離れたりしている。「お前たち、もうやめなよ」なんて言って、「煩い!あんたは邪魔!」と怒鳴られる、なんてことなのかもしれない。
     
     

  今週月曜日(25日)、西原運動公園を散歩していたら、ビー、ビーと聞き慣れない鳥の鳴き声が聞こえた。「近くだな」と思って辺りを見回すと、建物の庇の上にいた。聞き慣れない鳴き声の主は、シロハラに似ているが、違う。ヒヨドリにも似ているが、違う。しかし、何者かはすぐに判明した。ビービー鳴くのは雛鳥で、その親がやってきて、口移しに餌をあげたのだ。親鳥は見なれた奴、イソヒヨドリの雄であった。
  平和創造の森公園で喧嘩していた2羽の雌の、その傍にいた雄と、西原運動公園で子育てしていた雄はもちろん違う雄であろうが、雌の喧嘩にオロオロしたり、雛にせっせと餌を運んだりと、イソヒヨドリの雄は心優しい奴なんだなぁと思った。
     
     

  旧暦2月、3月頃のことを「うりづん」と沖縄では言う。暑くも寒くも無いとても過ごしやすい季節。私は概ね快調である。ぐっすり眠れるからだ。ところが、同じ「うりづん」の季節でも、4月に入って数日過ぎた辺り、二十四節気で表すと、だいたい清明に入る頃からメジロが囀り始める。彼らは朝が早い。夜明け前から囀る。この時期は窓を開けて寝ているので、その声は私の耳に大音量で伝わる。煩い。空が明るくなってくるとシロガシラの囀りも始まる。これはもっと煩い。目が覚める。寝不足となる。
 同じ頃、冬を沖縄で過ごしていたシロハラが北へ旅立つ。アパートの庭にも職場の庭にも、畑にもあちこちの公園にもたくさんいたシロハラ、今季は倭国の寒さが長引いたせいか、例年より遅くまでいたが、今(4月下旬)はもうすっかり消えてしまった。
     

 記:2011.4.27 ガジ丸 →沖縄の生活目次


季節の鳥(冬)

2011年01月07日 | 沖縄01自然風景季節

 11月下旬から12月にかけて、家の近辺、職場、散歩道、新都心の公園などでウグイスを多くみかけた。ウグイスは春の鳥だとばかり思っていたので意外に思った。
  今年の1月は寒い日が多かったのだが、地鳴きのチョッチョッチョッはずっと聞こえていて、異常な暖かさとなった2月になると、再び活発に飛び回るのが見えた。
 参考文献にもウグイスは留鳥とあるので、春以外の季節に飛び回ったって別に不思議では無いのだが、この冬はいつもより数が多いように感じた。あるいは、じつは、そう感じたのは錯覚で、冬は元々、ウグイスが活発に動き回る季節なのかもしれない。やがてやってくる恋の季節を待ちわびて、ワクワクしている季節なのかもしれない。
     

 冬の鳥としてはサシバが有名。サシバが勇壮に飛んでいるのを見ると、「あー、冬がくるんだなぁ。」と思う。サシバは本土で夏を過ごし、秋、南へ渡る。沖縄はその中継地となっている。中には、「もう疲れたぜ」と中継地で越冬する根性無しのサシバもいる。根性無しは少なくない。毎年、職場の近辺、末吉公園などで何羽も見かける。
 ところが今年は、サシバの姿が一向に見えない。今年は1度も目にしなかった。昨年の12月、明けて1月にはとても寒い日があった。「何だ、沖縄は寒いじゃねーか、もっと南へ行かなくちゃ。」とサシバたちは思って、沖縄には立ち寄らず、通り越していったのかもしれない。2月の異常な暖かさを、サシバたちは予想できなかったようだ。

  前回の冬、一昨年の12月頃に初めて知った鳥がいる。それまで食えない鳥には興味が無く、よほど身近なメジロ、スズメ、ハト、ヒヨドリなどの他、名前を認識できる鳥はほとんどいなかったのだが、HPを始めてからは、私もいろいろと覚えた。
 その時の鳥はシロハラ。シロハラは全くの冬鳥である。冬になるとやってきて、春になると去っていく。文献によると、沖縄へいるのは11月から3月にかけてとのこと。
 で、この冬もシロハラはきちんとやってきた。しかも今年は家の近辺、職場、散歩道、末吉公園などでとても多く見かけた。いつもより数が多い、と感じ たのはしかし、実際に数が多いのでは無く、私自身がそれに気付くことが多くなったからかもしれない。以前に比べて、私の鳥(に限らず植物、動物全般)に対する関心が強くなっていて、まあ、はっきり言って、自然の動きに敏感なオジサンになってしまったからかもしれない。

 私の生活している周りには多くの鳥がいる。以上挙げた他にも、シロガシラ、イソヒヨドリ、キジバトなどは普通にいつでもどこでも見かける。まれにだが、カラス、ズアカアオバトも見かける。これらは留鳥。ツバメも文献には渡り鳥で、沖縄には春と秋に多く見られるとあるが、冬も多い。私の感覚では年中たくさんいる。

 以上、自然の動きに敏感なオジサンになってしまった、かもしれない私が、一人で検討した結果、沖縄の冬鳥というと、その代表はシロハラということになった。
     
     

 記:ガジ丸 2009.2.25 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行


花見

2011年01月07日 | 沖縄01自然風景季節

 倭国で盛んなお花見、沖縄の伝統には無い。とはっきり言い切っていいのかどうか判らないが、少なくとも沖縄での私の歴史、私の周辺には無かった。
 倭国のお花見、私の初体験は、大学に入って、東京暮らしをしてから。吉祥寺に住んでいたので、井の頭公園で大学の友人達とやっている。2、3回はやっていると思う。同じ頃に、熊本でもお花見を経験している。当時熊本に住んでいた従姉一家を訪ねた折、熊本城の夜桜見物に連れて行ってもらった。良い思い出となっている。

 その従姉の別荘で、この日曜日(18日)、お花見があった。当時熊本に住んでいた従姉も今は沖縄在である。その別荘も沖縄。招待されたので、私ものこのこ出席する。
  花見といっても酒宴ではなく、茶席。従姉に師事を受けているという従姉の長男の嫁が茶を点ててくれた。習って間もないということで手元は覚束なかったが、すらっと背の高い美人である。その姿は見事。「結構なお点前」であった。
 花見といっても花は桜ではなく、梅。沖縄では珍しく、従姉の別荘の庭には梅が見事に咲いていた。平安の昔は、花と言えば梅であったらしい。なのでおそらく、花見の花も梅であっただろう。よって、梅の花の花見、古式床しきといって差し支え無かろう。
     

 「沖縄では珍しく」と書いた通り、沖縄で梅の木、梅の花はあまり見ない。街路樹や公園、民家の庭に桜(ほぼヒカンザクラ、ソメイヨシノはほとんど無い)は多く見るが、梅は民家の庭でまれに見る程度。よって、沖縄に梅の花を愛でる風習は無い。
 前述した通り、伝統的では無いのだが、桜の花を愛でる行事はある。名護の桜祭り、本部の桜祭りなどが有名である。那覇市の与儀公園でも桜祭りをやっている。沖縄の桜は緋寒桜という種類で、ソメイヨシノとは逆に寒い所から順に咲いていく。で、名護や本部の桜祭りは間もなく、与儀公園のそれは2月中旬となる。
 本部八重岳の桜を若い頃一度観に行ったことがある。倭国の花見とは違って、酒宴という雰囲気では無かった。与儀公園の桜祭りには行ったこと無いが、そこは普段から人の多い場所だ。交通の便も良い。そこでの花見は酒宴となっているかもしれない。

  従姉の別荘での梅の花見、梅の花はきれいで、微かに甘い匂いを漂わせて、気分的には酒を飲む条件は揃っていた。が、酒は出なかった。もっとも、車を持っていた私は、酒が出ても飲めなかったのであるが、ちょっと残念な気分であった。
 2月になると、近所の桜も咲きだす。私の部屋からは向かいの桜が見える。毎年きれいに咲いてくれて、私の目を楽しませてくれる。もちろん、その花を愛でながら、私は毎年一人花見をやっている。それは数日間続く。「一人で花見は淋しかろう」なんて気遣いは要らない。一人でも二人でも、花はきれいだし、酒はいつも旨い。
     

 記:ガジ丸 2009.1.21 →沖縄の生活目次

 参考文献
 『沖縄大百科事典』沖縄大百科事典刊行事務局編集、沖縄タイムス社発行