厨房は、意思の疎通が大事。
どうその手立てを講じるか・・は、なかなかの難問。
気持のいい仕事場・・は、誰しもが思うこと。
どの状態を気持いいとするか・・は、たぶん、多様。
大きな声が響いたり、ひそひそ話があったり・・は、疲れを覚える。
食事づくりの現場は、食材の切り方一つが、問題視されがち。
厨房のやりとりを聞いていた学生ボラさんが、福祉亭にマニュアルは、ないのですか?と。
10数年の運営のスタートは、無我夢中。
大雑把なマニュアルらしいものは、手書きで存在する。
思い起こせば、マニュアルの存在を尋ねられたのは、これで二度目かも。
仕事場に、マニュアルは必須・・の時代に入っているのだろう。
そのマニュアルに食材の切り方、扱い方まで入れるかどうか・・ここは、どうも自信が持てない。
食事づくりには、基本をぶらさない・・、私はぶれない・・とおっしゃるシェフさんもおられる。
しかし・・
教えられる基本そのものが、TV情報、ネット情報を見ると、どうも変化もしてきている気配もある。
ワタシの場合は、かなり、いい加減。大雑把さが出がち。
食材の状態に合わせてみたり、その日のメニューと、組み合わせで、変わってしまうし、時間に追われれば、変えてしまう。
相棒としては、やりにくい相手に違いない。
マニュアルがあれば、基本は、筋が通る。
でも、大根の皮を剥くかどうかでさえ、現実的には、二通り。
青菜の切りそろえかた一つ、違う。
福祉亭なりの空気感で今のところ判断されていく。
経験も違えば、技量も違う、性格にいたっては、違って当たり前・・。
さあて・・です。
どこに合わせるか。
ボラさんに合わせる・・を基本にと考えてはいる。けれど、やっぱり、思わずその仕事ぶりに口だしも出てしまう。
ボラさんたちにすれば、ワタシに合わせるを基本にされている。それなのに、口だしがある。
人と人の関係性。しかし、福祉亭は、仕事の場。
その誤差が、マニュアルで解消するのであれば、マニュアルの作成も考えていかざるをえない。
しかし・・これは、大仕事。
さしあたっては、違いを楽しむ・・、違いから学び合う・・、かなあ。
どうその手立てを講じるか・・は、なかなかの難問。
気持のいい仕事場・・は、誰しもが思うこと。
どの状態を気持いいとするか・・は、たぶん、多様。
大きな声が響いたり、ひそひそ話があったり・・は、疲れを覚える。
食事づくりの現場は、食材の切り方一つが、問題視されがち。
厨房のやりとりを聞いていた学生ボラさんが、福祉亭にマニュアルは、ないのですか?と。
10数年の運営のスタートは、無我夢中。
大雑把なマニュアルらしいものは、手書きで存在する。
思い起こせば、マニュアルの存在を尋ねられたのは、これで二度目かも。
仕事場に、マニュアルは必須・・の時代に入っているのだろう。
そのマニュアルに食材の切り方、扱い方まで入れるかどうか・・ここは、どうも自信が持てない。
食事づくりには、基本をぶらさない・・、私はぶれない・・とおっしゃるシェフさんもおられる。
しかし・・
教えられる基本そのものが、TV情報、ネット情報を見ると、どうも変化もしてきている気配もある。
ワタシの場合は、かなり、いい加減。大雑把さが出がち。
食材の状態に合わせてみたり、その日のメニューと、組み合わせで、変わってしまうし、時間に追われれば、変えてしまう。
相棒としては、やりにくい相手に違いない。
マニュアルがあれば、基本は、筋が通る。
でも、大根の皮を剥くかどうかでさえ、現実的には、二通り。
青菜の切りそろえかた一つ、違う。
福祉亭なりの空気感で今のところ判断されていく。
経験も違えば、技量も違う、性格にいたっては、違って当たり前・・。
さあて・・です。
どこに合わせるか。
ボラさんに合わせる・・を基本にと考えてはいる。けれど、やっぱり、思わずその仕事ぶりに口だしも出てしまう。
ボラさんたちにすれば、ワタシに合わせるを基本にされている。それなのに、口だしがある。
人と人の関係性。しかし、福祉亭は、仕事の場。
その誤差が、マニュアルで解消するのであれば、マニュアルの作成も考えていかざるをえない。
しかし・・これは、大仕事。
さしあたっては、違いを楽しむ・・、違いから学び合う・・、かなあ。