Discover the 「風雅のブリキ缶」 written by tonkyu

科学と文芸を融合した仮説作品「風雅のブリキ缶」姉妹篇。街で撮った写真と俳句の取り合わせ。やさしい作品サンプルも追加。

経済設計――構造計算書偽造事件に関する建築士3団体の共同記者会見から

2005年11月26日 09時41分50秒 | note 「風雅のブリキ缶」
 昨日、港区三田の慶応大学のそばにある建築会館で、今回の構造計算書偽造事件に関する日本建築士会連合会、日本建築士事務所協会連合会、日本建築家協会の建築士3団体の共同記者会見があり、たくさんのマスコミが詰めかけた。
 3団体の会長さんに対する記者の質問を聞いていて、感じたのは、「経済設計」という言葉に対する取材する記者を含めた素人と業界人の感覚の相違である。会長さんの一人は「普通は良いものを安くだが、今回の事件では、壊れてもいいから悪いものを安くだった。ちょっと考えられない」と話していたが、記者は、今回の姉歯氏の事件は氷山の一角で、業界に似たようなケースが蔓延しているのではないか、そのことを国民は不安視しているのだと食い下がっていた。3会長の回答は、そういうことはない、あくまで今回は特殊なケースであると終始し、かみ合わなかった。結果、テレビなどでもこの会見は余り報道されることはなかったようだ。
 実は、前日に、私も同じ経済設計の行き過ぎ(今回は結果的に非経済設計になったが)をさる関連団体の会長さんにぶつけてみたが、その会長さんは、普段は飄々とした感じの人だが、かなりいきり立って、「そんなことはありませんよ。設計者はみんなコスト削減のプレッシャーを受けながらプロとしてぎりぎりの努力をしている。そんなの常識じゃないですか」とおっしゃった。慥かに、コスト縮減や短納期は、今やニッポン社会の圧倒的なモットーになっている。サラリーマン・ウーマンをやっている人で、そのことに門外漢になれる幸福な人はまずいないであろう。経済効率という化け物の舌先に人生を丸ごと巻き込まれて、命をすり減らしている。
 しかし、それが本当に正しいあり方なのか、感覚的にも論理的にも疑問に思われるから、本作品『風雅のブリキ缶』でも取り上げているのだ。風雅というのは、芭蕉の風雅に因むが、そうした経済効率性の肥大化に対するアンチテーゼ(Antithese)でもある。別に、風流人の暇なお話ではない。作中に挿入された宇宙論も、地球上を支配する経済観念が、宇宙の原理から見て、正統なものか比較検証するためのものだ。
 なお、記者会見で、朝日新聞の記者は、事件発覚から短い期間なのに、なかなか業界事情を勉強した良い質問をしていた。さすがにお利口さんだ。会長さんたちが答えに困る質問を何度も押し込んでみせたNHK女性記者の、会見場を占拠するような度迫力にも驚かされた。前に座っていたので、後ろを何度も振り返って、どんな顔をしているか確認しようとしたが、残念ながらその容貌を特定できなかった。――最後は、つい、野次馬根性で、ごめんなさい。
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