会社勤めを終えてから、日常家で過ごしている時の情報や娯楽は時間的にはテレビということになろうが、わたしにとって質的には新聞ということになる。
朝は6時ごろ(冬の夜明けの遅い時期は7時ごろ)、玄関の新聞受けから抜き取って床の中で読み始める。家内はNHKの朝ドラの時間に合わせて朝食の用意をするので、その間の読書ならぬ”読新”が私の一日の生活の始まりであり、一番の楽しみでもある。
また、会社勤めを終えてから始めたブログの投稿も勢い新聞記事によるがネタが多くなる。今日(6日)もまたそのパターンである。
今日の読者投書欄のテーマは『みんなで語ろう 樹木とわたし』。その中で取り上げられた樹木名がムクロジ、クスノキ、トウカエデ、イヌエンジュ、キンモクセイ、エゴノキ、ウメなどであった。これらは日頃散歩する公園などで見かけるものであり、投稿者それぞれが持つエピソードや印象などに興味を持って投稿記事を読んだ。
それらの樹木の名前やその在る場所などはすぐ思い出せるのだが、イヌエンジュは仲間であるハリエンジュとともに名前はよく知っているものの有る場所をすぐに思い出せなかった。
このことに限らず、相当数の樹木や草花の名前を知っていたのだが最近は思い出せずにギリギリすることが多い。人の名前も然りである。当人を目の前にして咄嗟に名前を思い出せず、去ってから「あっ、そうだ。○○さんだった」なんていうケースはもう日常的になって来た。78歳、老いを悟ること頻りである。
同じ今朝の新聞・土曜特集版のトップは銭湯の壁絵の女性絵師の紹介であった。記事によると、銭湯は全盛期の1968年に全国で1万8千軒あったものが、今や1765件と10分の一に減った由である。
銭湯と言えば「富士と松原」などが定番の壁のペンキ絵。そのペンキ絵師はもう3人しかいないという。
私の小さい頃は家に風呂はなく、近くの銭湯に入っていた。下町ではまあそれが普通だったが、その銭湯の当主は当時区議会議員をしており、商才というかアイデアにも長けていた。湯舟は大人用と子供用に加えて、黄土色に濁った「薬湯」を備えていた。脱衣場から自由に上がれる二階の大広間を設けて湯涼みが出来るほか、当時まだ各家庭には少なかったテレビを置いて見られるようにしており、特に大相撲やプロ野球、プロレスリングの中継では何十人もの客が見入っていた。またこの広間は(有料かどうか分からないが)宴会場としても利用されていた。
江戸時代の浮世風呂ってどんなものか知らないが、そこは浮世風呂ならぬ「娯楽風呂」であったのだ。