「兄貴は、フェレンツ・フリッチャイと言う指揮者、知ってた?」
「名前は知ってたけど、CDなどで聴いたことはないな」
「すごく、いいよ。聴いて見たら」
と言って弟が自分のコレクションの中からフリッチャイのCD10数枚を貸してくれた。
先に借り受けたブルーノ・ワルターのCDをほぼ聴き終えたところだったので、早速聴いて見ることに。
曲目を見ると、フィッシャー=ディースカウがソリスト陣に加わっているベートーヴェンの交響曲第9番「合唱」に興味を引かれて聴いて見る。
録音が1958年1月4日となっているので、実に51年前の演奏である。
衝撃を受けたフリッチャイ指揮、ベルリンフィルの「第9」のジャケット
先ず、第1楽章の冒頭から釘付になる。
まさに、息をのむ思いだ。
こんな感覚は、初めてフルトヴェングラーを聴いて以来だ。
ベルリンフィルと渾然一体となった熱気をはらんだ演奏に、ぐいぐいと引き込まれていく。
第2楽章も同様の演奏で素晴らしかったが、最も感動したのが第3楽章。
ベートーヴェンが書いた最も美しい音楽の一つが第3楽章だ。
そして、小生が最も好きな楽章でもある。
フリッチャイ・ベルリンフィルによって、涙がにじむような美しい旋律が次々に紡ぎだされ、夢見るような陶酔の世界に誘われる。
何と清澄な安らぎに満ちた崇高な楽章だろうか。
(第4楽章は、第1楽章から第3楽章までの完璧性に比べ、少々期待はずれのように小生には思われた。)
先週の午後は、ベートーヴェンを中心にモーツアルト、シューベルト、チャイコフスキー等、フリッチャイが指揮したCDをひたすら聴き続けた。
先週たくさん聴いたフリッチャイ指揮、ベルリンフィルの演奏のうち
ベートーヴェンの「運命」と「第7」のCDジャケット
特に、交響曲第7番の演奏が実にすばらしい。
そして、それぞれの曲に新しい発見があった。
ネットで検索したところによるとフェレンツ・フリッチャイは、
1914年、ブタベストに生まれ、1963年白血病のため逝去。享年48歳とある。
活躍した時期は、1940年代から1960年代初頭までと短く、小生が聴いた一連のCDは、1958年秋に白血病の症状が現れ、手術後、翌年夏頃に演奏界に復帰した頃に録音されたものらしい。
それだけに、まさに、命を燃やした演奏と言えるのだろう。
特に、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」は、白血病の手術を受け、復帰したばかりのフリッチャイ渾身の指揮で、しかも、没後30年を経て発売されたといういわく因縁のあるCDとのこと。
そういう背景や、一種の先入観も手伝って、これまで聴いた「悲愴」の演奏と一線を画する壮絶な演奏と言う印象。
それにつけても、天賦の才能を持って生まれた者が、さあ、これから芸風の幅、深さを広げ、極めて行こうとする時に白血病で48歳の若さでこの世を去るとは・・・・・。
今回、たまたまフェレンツ・フリッチャイという指揮者の演奏を聴く機会を得て思ったことは、これは、「たら」、「れば」の話になってしまうが、もし、フリッチャイが病を得ずに指揮活動を続けることができたら、「マエストロ」フリッチャイは、人類にとってかけがえのない遺産をもっともっと沢山残してくれたであろうにと残念でならない。
「もっと長生きしてほしかったなぁ、フリッチャイ健在であれば、かのカラヤンと名声、地位をかけて彼と十分に競うことができたであろうに」と埒のないことにつらつらと思いをはせた次第である。
それと今回はからずもフリッチャイを知る機会を取り持ってくれた弟には、本当に感謝である。
「名前は知ってたけど、CDなどで聴いたことはないな」
「すごく、いいよ。聴いて見たら」
と言って弟が自分のコレクションの中からフリッチャイのCD10数枚を貸してくれた。
先に借り受けたブルーノ・ワルターのCDをほぼ聴き終えたところだったので、早速聴いて見ることに。
曲目を見ると、フィッシャー=ディースカウがソリスト陣に加わっているベートーヴェンの交響曲第9番「合唱」に興味を引かれて聴いて見る。
録音が1958年1月4日となっているので、実に51年前の演奏である。
衝撃を受けたフリッチャイ指揮、ベルリンフィルの「第9」のジャケット
先ず、第1楽章の冒頭から釘付になる。
まさに、息をのむ思いだ。
こんな感覚は、初めてフルトヴェングラーを聴いて以来だ。
ベルリンフィルと渾然一体となった熱気をはらんだ演奏に、ぐいぐいと引き込まれていく。
第2楽章も同様の演奏で素晴らしかったが、最も感動したのが第3楽章。
ベートーヴェンが書いた最も美しい音楽の一つが第3楽章だ。
そして、小生が最も好きな楽章でもある。
フリッチャイ・ベルリンフィルによって、涙がにじむような美しい旋律が次々に紡ぎだされ、夢見るような陶酔の世界に誘われる。
何と清澄な安らぎに満ちた崇高な楽章だろうか。
(第4楽章は、第1楽章から第3楽章までの完璧性に比べ、少々期待はずれのように小生には思われた。)
先週の午後は、ベートーヴェンを中心にモーツアルト、シューベルト、チャイコフスキー等、フリッチャイが指揮したCDをひたすら聴き続けた。
先週たくさん聴いたフリッチャイ指揮、ベルリンフィルの演奏のうち
ベートーヴェンの「運命」と「第7」のCDジャケット
特に、交響曲第7番の演奏が実にすばらしい。
そして、それぞれの曲に新しい発見があった。
ネットで検索したところによるとフェレンツ・フリッチャイは、
1914年、ブタベストに生まれ、1963年白血病のため逝去。享年48歳とある。
活躍した時期は、1940年代から1960年代初頭までと短く、小生が聴いた一連のCDは、1958年秋に白血病の症状が現れ、手術後、翌年夏頃に演奏界に復帰した頃に録音されたものらしい。
それだけに、まさに、命を燃やした演奏と言えるのだろう。
特に、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」は、白血病の手術を受け、復帰したばかりのフリッチャイ渾身の指揮で、しかも、没後30年を経て発売されたといういわく因縁のあるCDとのこと。
そういう背景や、一種の先入観も手伝って、これまで聴いた「悲愴」の演奏と一線を画する壮絶な演奏と言う印象。
それにつけても、天賦の才能を持って生まれた者が、さあ、これから芸風の幅、深さを広げ、極めて行こうとする時に白血病で48歳の若さでこの世を去るとは・・・・・。
今回、たまたまフェレンツ・フリッチャイという指揮者の演奏を聴く機会を得て思ったことは、これは、「たら」、「れば」の話になってしまうが、もし、フリッチャイが病を得ずに指揮活動を続けることができたら、「マエストロ」フリッチャイは、人類にとってかけがえのない遺産をもっともっと沢山残してくれたであろうにと残念でならない。
「もっと長生きしてほしかったなぁ、フリッチャイ健在であれば、かのカラヤンと名声、地位をかけて彼と十分に競うことができたであろうに」と埒のないことにつらつらと思いをはせた次第である。
それと今回はからずもフリッチャイを知る機会を取り持ってくれた弟には、本当に感謝である。