折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

白い道(=『出会いの道』)

2007-02-12 | 青春
今を遡ること40数年前、青春真っ盛りの高校時代の話である。


朝の通学時、いつものように自転車を走らせていると一人の女子高生とすれ違った。
それから毎日のように同じ場所、同じ時刻に出会うようになり、何時しかその出会いを心待ちするようになった。

そして、それまでの単調な通学の朝は、いつしか「楽しみの朝」、「希望の朝」、「幸せの朝」となった。

毎朝、それまで全く無頓着だった身だしなみに気を使い、時間を気にしながら期待に胸をときめかせて、いつもの場所に自転車を走らせる。


<写真>
出会いの道・県道
(今年の正月に実家に帰った時に撮影)      
                    
当時は、舗装されていなくて、雨の日は水溜りができ、
風の日は埃が舞い上がっていた。
勿論、歩道などなかった。



すれ違う場所は、見通しのきく県道で、その時間になると遠くに小さく彼女の姿が見えてくる。そして、両者の距離はあっという間に縮まって、またたく間にすれ違い、見る見る遠ざかっていく。

すれ違う瞬間、僕はちらっと彼女を見るのだが、彼女の方はまっすぐ前を向いたまま目を合わさない。それでも、出会えたことで、その日は幸せな気分になれた。
しかし、それ以上の進展はなく、相変わらずすれ違いだけの毎日が続いた。

変化は、ある日突然やってきた。

それは、夏の日の午後、学校からの帰り道であった。
いつもの県道を汗をかきかき、自転車を漕いでいると、何と前方から彼女の自転車が近づいてくるではないか。

全く突然の出会いになった。(朝の通学時以外に出会えるなんて想像だにしていなかった。)

びっくりして彼女を見ると、いつもは視線を合わそうとしない彼女が、まっすぐに僕を見て、まるで「いつもと違う時間にお会いしましたね」とでも言うように、「にっこり」と微笑んだのである。

予期せぬ反応に、周章狼狽、我を失っているうちにすれ違ってしまい、見る見る彼女の姿は遠ざかって行った。

あの時の「微笑み」はまさに衝撃的であり、今でも記憶の底に刻まれている。

明日こそは思い切って「おはよう」と声をかけてみよう、と心に決める。

そして翌日、いつもの時間。
しかし、いつもの場所に彼女の姿はなかった。

そして、次の日も、翌々日も。少し、時間を前後にずらしてみたが、同じであった。

あの夏の暑い日の午後以降、彼女の姿は、ぷっつりと見えなくなってしまったのである。

かくして、小生の淡い初恋は、相手の名前もわからず、言葉も交わすことなく、「微笑み」一つの想い出だけを残して唐突に終った。

そして、心にぽっかりとあいた大きな穴を懸命に埋めようとして書き始めたのが、「彷徨」という小説もどきの本であった。

何分、17歳の頃書いたものであるから、およそ小説と呼べる代物ではないが、たとえどんなに稚拙なものであっても、あの時の「微笑み」とその時の「胸の高鳴り」、「ときめき」は純真無垢な感受性豊かな自分がその時確かに存在していた証であり、そういう体験が出来たことは、何よりも貴重なそして限りなく大切な財産であると思っている。

原本はとっくの昔に紛失してしまっているが、今考えると間違いなく、青春時代の一つの記念碑であり、手元に残しておくべきものであったと悔やむことしきりである。