折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

『一枚岩』=『呪縛』からの脱却

2007-02-06 | 教育
NHKの「クローズアップ現代」は、よく見る番組の一つである。

先週放送された『要求する親 問われる教師』を見た。

保護者の理不尽とも思われる要求を前にして、その対応に苦しみ、悩み、もがいている多くの教師の実態がクローズアップされていた。

そこには、今の世の中の至る所にはびこる『無理が通れば、道理が引っ込む』式の『ごり押し』が罷り通ってしまう世相が色濃く投影されていて、あの放送を見た多くの視聴者が、少なからぬ「ショック」を受けたのではないだろうか。

小生もその一人で、強い「いきどおり」と例えようのない「むなしさ」、「やりきれなさ」を感じて、暗澹とさせられた。

そして、同時に小生が現役時代に会社で渉外の窓口の仕事をしていた頃を思い出した。

当時、会社は理不尽な要求に対して『何とか、事を荒立てないで済ませる』を基本スタンスにしていた。

その仕事をしながら、「こんな理不尽な要求には、もっと毅然とした対応を取ればいいのに、馬鹿馬鹿しくってやってられない」と正直いつも思っていた。
そして、その思いが自ずと態度に出てしまい、彼らから手ひどいしっぺ返しを食らったことが一再ならずあった。そう言う経験を経て、この仕事のむずかしさ、怖さが身にしみてわかってくるようになると、今度は「何とか、その場を丸く収める」ことに汲々とし、彼らの要求に対し、「なだめたり」、「おだてたり」、「すかしたり」ともっぱら下手に出て、それがまた、逆に足元を見透かされ、付け込まれ、果ては惨めな結末となり、それこそ心身をすり減らす日々が続いたことがあった。

おおもとの原因は「事を荒立てずに『上手く』対処しろ」と言う事なかれ主義的な考え方にあり、この『呪縛』 に絡め取られて、小生をはじめ多くの担当者が長い間、苦しみ、悩まされてきたのであった。


転機となったのは、会社の考え方の大転換であった。

社長が『断』を下し、今後は「不当・不法」、「理不尽」な要求には全社が『一枚岩』となって『毅然』として対処すると言う方針を明確にしたのである。

我々、関係者が「快哉」を叫んだのは言うまでもないことであった。

この方針が示された当初、彼らの反発、抵抗は半端でなかった。「脅し」を中心にそれこそ「手を替え、品を替え」猛烈な攻勢を仕掛けて、会社に「ゆさぶり」を掛けてきたが、その都度、終始一貫「毅然」たる態度を崩さず、彼らに付け入る隙を与えなかったので、彼らも会社は『本気』だとわかり、以後姿を見せなくなったのである。


今、学校関係者に求められているのは、「正しい」「まともな」要求と「わがまま」、「身勝手」、「理不尽」な要求とを『峻別』し、場合によっては、「わがまま」や「身勝手」な要求は取り上げないという「『毅然』とした対処の仕方が求められているのではないだろうか。

そのためには、事に当って『何とか、事を荒立てないように対処する』とか『何とか、その場を丸く収めたい』と言う、言わば自縄自縛の「ワナ」から決別する「勇気」と「覚悟」がなければならないと思う。

そして同時に、校長、教育委員会等の学校関係者が『一枚岩』となってその動きを『サポート』するならば、この問題は改善に向かって大きな第1歩を踏み出すことになると確信している次第である。