折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

もう一つの『彷徨』

2007-02-15 | 青春
小説もどきの本『彷徨』を書いてから12年後、もう一つ

の『彷徨』に出会う。

小椋 佳の3作目のオリジナルアルバム「彷徨」である。

小椋 佳とは、一つ違いの同世代である。

奇しくも、昔、自分が書いた小説とタイトルが同じだったのに
惹かれて購入したレコードが、小椋 佳を知るきっかけとなった。


一聴して驚いたのは、ソフトで、暖かく、包み込むような
その「声」であった。

次に、内心の思いを正直に、赤裸々に吐露している
その「詩」に大いに共鳴、共感した。

そして、最も魅了されたのは、次々に紡ぎだされる
美しいメロディであった。

そこには、純真、無垢な若者の「恋」への憧憬、哀歓
が、ある種の感傷を伴って表現されていた。

このレコードを聴いた時、12年前の高校時代の
淡い初恋の記憶が懐かしく甦ってきた。

そして、いつしか彼の歌に当時の気持ちを
重ね合わせて聴いている自分がそこにいた。

同世代ゆえに、きっと彼も小生と同じような体験を
しているのだなと、その時、勝手に思い込んでいた。

そして、えもいわれぬ「親近感」を彼に抱いたもので
ある。(もっとも、佳穂里夫人が初恋の人だったとは、
後で知ったのだが・・・・・。)

それから後は、サラリーマンと歌手という「二足の草鞋」
に頑なにこだわる彼の「生きざま」に強く惹かれて、
熱烈なファンになった。

最近は、彼の音楽を聴く機会はめっきりと減ったが、
今日は本当に久しぶりに「彷徨」を全曲通しで聴いた。

そして、この曲は、小生にとって想い出深い曲である
と共に、彼の音楽の原点、代表作の一つではないだろうか
と改めて思った次第である。

 
<今日の1枚>

小椋 佳 「彷徨」



白い道(=『出会いの道』)

2007-02-12 | 青春
今を遡ること40数年前、青春真っ盛りの高校時代の話である。


朝の通学時、いつものように自転車を走らせていると一人の女子高生とすれ違った。
それから毎日のように同じ場所、同じ時刻に出会うようになり、何時しかその出会いを心待ちするようになった。

そして、それまでの単調な通学の朝は、いつしか「楽しみの朝」、「希望の朝」、「幸せの朝」となった。

毎朝、それまで全く無頓着だった身だしなみに気を使い、時間を気にしながら期待に胸をときめかせて、いつもの場所に自転車を走らせる。


<写真>
出会いの道・県道
(今年の正月に実家に帰った時に撮影)      
                    
当時は、舗装されていなくて、雨の日は水溜りができ、
風の日は埃が舞い上がっていた。
勿論、歩道などなかった。



すれ違う場所は、見通しのきく県道で、その時間になると遠くに小さく彼女の姿が見えてくる。そして、両者の距離はあっという間に縮まって、またたく間にすれ違い、見る見る遠ざかっていく。

すれ違う瞬間、僕はちらっと彼女を見るのだが、彼女の方はまっすぐ前を向いたまま目を合わさない。それでも、出会えたことで、その日は幸せな気分になれた。
しかし、それ以上の進展はなく、相変わらずすれ違いだけの毎日が続いた。

変化は、ある日突然やってきた。

それは、夏の日の午後、学校からの帰り道であった。
いつもの県道を汗をかきかき、自転車を漕いでいると、何と前方から彼女の自転車が近づいてくるではないか。

全く突然の出会いになった。(朝の通学時以外に出会えるなんて想像だにしていなかった。)

びっくりして彼女を見ると、いつもは視線を合わそうとしない彼女が、まっすぐに僕を見て、まるで「いつもと違う時間にお会いしましたね」とでも言うように、「にっこり」と微笑んだのである。

予期せぬ反応に、周章狼狽、我を失っているうちにすれ違ってしまい、見る見る彼女の姿は遠ざかって行った。

あの時の「微笑み」はまさに衝撃的であり、今でも記憶の底に刻まれている。

明日こそは思い切って「おはよう」と声をかけてみよう、と心に決める。

そして翌日、いつもの時間。
しかし、いつもの場所に彼女の姿はなかった。

そして、次の日も、翌々日も。少し、時間を前後にずらしてみたが、同じであった。

あの夏の暑い日の午後以降、彼女の姿は、ぷっつりと見えなくなってしまったのである。

かくして、小生の淡い初恋は、相手の名前もわからず、言葉も交わすことなく、「微笑み」一つの想い出だけを残して唐突に終った。

そして、心にぽっかりとあいた大きな穴を懸命に埋めようとして書き始めたのが、「彷徨」という小説もどきの本であった。

何分、17歳の頃書いたものであるから、およそ小説と呼べる代物ではないが、たとえどんなに稚拙なものであっても、あの時の「微笑み」とその時の「胸の高鳴り」、「ときめき」は純真無垢な感受性豊かな自分がその時確かに存在していた証であり、そういう体験が出来たことは、何よりも貴重なそして限りなく大切な財産であると思っている。

原本はとっくの昔に紛失してしまっているが、今考えると間違いなく、青春時代の一つの記念碑であり、手元に残しておくべきものであったと悔やむことしきりである。

やれ、やれ、よかった。”ほっ”

2007-02-09 | 家族・母・兄弟
2月のある朝


『今日は、お母さん出勤だっけ?』

と娘から電話。

いつもとちょっと様子が違う。電話口から孫の泣き声が聞こえてくる。

『どうした、何かあった?』

『あのね、ちょっと目を離したスキにKがソファーから落ちちゃったの。お母さんの携帯に電話したんだけど出ないから、こっちに電話したの。どうしよう、大丈夫かな』

目下、子育て真っ最中の娘にとって、母親は頼りにしている『守護神』である。何かにつけて、携帯で電話やメールのやり取りをしている。

その意味では、全く頼りにならない、また、頼りにもされていない小生は電話をもらって、少々焦った。

そして、

『病院に電話してみたら』

と言う程度の、何とも『頼りない』返答しかできなかった。

『電話したほうがいいかな・・・・』

『そう思うよ』

『わかった、じゃあ、そうしてみる』


電話を切った後も気になって落ち着かない。



その日の夕方



娘から電話

『病院に連れてったら、大丈夫だって』

と打って変わって明るい声。

やれ、やれ良かった。一安心(”ほっ”)



その日の夜



勤めから帰ってきた妻が、

『K,ソファーから落っこちたんだって』

『病院に連れてったら、なんでもないって言われたって』

と小生。

「娘には、『あんたたちを育てた時、ソファーから落っことすようなことは一度もなかったわよ』とねじを巻いておいたわ」

と妻は泰然自若である。



それから数日後



NHKの「クローズアップ現代」で『”孫育て”はつらいよ奮闘記』を見た。

それによると、最近の傾向として『娘』の方の祖父母に孫の面倒を見てもらうケースが増えているのだそうだ。

『さしずめ、我が家などはれっきとしたその<予備軍>だね』

と妻と二人で苦笑いした。

『お隣さんもしばらく孫の面倒を見ていたから、予備軍でなくて、実際奮闘した方だよね。きっと大変だったんだろうな』

と小生。

『でも、お隣さんは、昼間は保育園に行ってたから、少しは楽だったんじゃない。フルタイムで面倒を見るとなると、大変だわね』

と妻。

しばし、孫のことが話題となる。

『孫は、来るも良し、帰るも良し』


『これが何と言っても一番だね』

と言うことで、孫の話題はお開きとなった。

『一枚岩』=『呪縛』からの脱却

2007-02-06 | 教育
NHKの「クローズアップ現代」は、よく見る番組の一つである。

先週放送された『要求する親 問われる教師』を見た。

保護者の理不尽とも思われる要求を前にして、その対応に苦しみ、悩み、もがいている多くの教師の実態がクローズアップされていた。

そこには、今の世の中の至る所にはびこる『無理が通れば、道理が引っ込む』式の『ごり押し』が罷り通ってしまう世相が色濃く投影されていて、あの放送を見た多くの視聴者が、少なからぬ「ショック」を受けたのではないだろうか。

小生もその一人で、強い「いきどおり」と例えようのない「むなしさ」、「やりきれなさ」を感じて、暗澹とさせられた。

そして、同時に小生が現役時代に会社で渉外の窓口の仕事をしていた頃を思い出した。

当時、会社は理不尽な要求に対して『何とか、事を荒立てないで済ませる』を基本スタンスにしていた。

その仕事をしながら、「こんな理不尽な要求には、もっと毅然とした対応を取ればいいのに、馬鹿馬鹿しくってやってられない」と正直いつも思っていた。
そして、その思いが自ずと態度に出てしまい、彼らから手ひどいしっぺ返しを食らったことが一再ならずあった。そう言う経験を経て、この仕事のむずかしさ、怖さが身にしみてわかってくるようになると、今度は「何とか、その場を丸く収める」ことに汲々とし、彼らの要求に対し、「なだめたり」、「おだてたり」、「すかしたり」ともっぱら下手に出て、それがまた、逆に足元を見透かされ、付け込まれ、果ては惨めな結末となり、それこそ心身をすり減らす日々が続いたことがあった。

おおもとの原因は「事を荒立てずに『上手く』対処しろ」と言う事なかれ主義的な考え方にあり、この『呪縛』 に絡め取られて、小生をはじめ多くの担当者が長い間、苦しみ、悩まされてきたのであった。


転機となったのは、会社の考え方の大転換であった。

社長が『断』を下し、今後は「不当・不法」、「理不尽」な要求には全社が『一枚岩』となって『毅然』として対処すると言う方針を明確にしたのである。

我々、関係者が「快哉」を叫んだのは言うまでもないことであった。

この方針が示された当初、彼らの反発、抵抗は半端でなかった。「脅し」を中心にそれこそ「手を替え、品を替え」猛烈な攻勢を仕掛けて、会社に「ゆさぶり」を掛けてきたが、その都度、終始一貫「毅然」たる態度を崩さず、彼らに付け入る隙を与えなかったので、彼らも会社は『本気』だとわかり、以後姿を見せなくなったのである。


今、学校関係者に求められているのは、「正しい」「まともな」要求と「わがまま」、「身勝手」、「理不尽」な要求とを『峻別』し、場合によっては、「わがまま」や「身勝手」な要求は取り上げないという「『毅然』とした対処の仕方が求められているのではないだろうか。

そのためには、事に当って『何とか、事を荒立てないように対処する』とか『何とか、その場を丸く収めたい』と言う、言わば自縄自縛の「ワナ」から決別する「勇気」と「覚悟」がなければならないと思う。

そして同時に、校長、教育委員会等の学校関係者が『一枚岩』となってその動きを『サポート』するならば、この問題は改善に向かって大きな第1歩を踏み出すことになると確信している次第である。

一念発起

2007-02-03 | 日常生活
『ハイ、お父さんにおみやげ』

美容院から帰ってきた妻が、小さな容器を差し出した。

見ると、アロエ入りのヘア・トニックである。

『それを、風呂上りと毎朝髪に振りかけてよくマッサージするんだって。美容院に来ているお客さんに、「効果がある」って、随分評判がいいみたい。おとうさんも頭のてっ辺、最近とみに薄くなってきてるもんね」


確かに年々、横着になって頭髪などもほとんど無関心で、養毛剤はもとよりブラッシングなど髪の手入れなど全くやっていない。

妻に改めて言われるまでもなく、それまでも風呂上りに鏡を見るたびに頭頂部の辺りがだいぶ薄くなってきているのはわかっていたが、『もう、年なんだからしょうがないか』と半ばあきらめていた。

だから、妻から『ハイ、おみやげ』と言われて、いつもであればこういう場合、『あっ、そう、どうも』と生返事一つでお茶を濁すのが常であるが、あの時はどうして突然そう思ったのか、その時の心理は今もってよくわからないのであるが、『親切心には応えなければ』と素直にそう思った。と同時に、『これからは、自分にも、他人にももっと優しくならなくっちゃあ』と言う思いが強く強く湧き上がってきたのである。


『人間って、わかっていてもやらないないじゃない、何かきっかけがないと。このプレゼントをいいきっかけに今日から即実行してみようかな』と妻に宣言した。

『一念発起』した瞬間であった。


その日から、それまで夜遅かったり、面倒だったりした時は止めてしまっていた洗髪を、毎日必ずするようにし、また、風呂上りと翌朝には、買ってもらった養毛剤を振りかけ、鏡を見ながら指先に思いを込めて、丹念にマッサージを繰り返す作業を欠かすことなく実行している。

と言っても、この試みは「効果」を期待して始めたわけでは決してない。あの時、湧き上がってきた「もっと優しくなる」という思いの延長線として、これまで何もせずに放置してきた「髪」に対し、『償い』『いたわり』の気持ちを具体的に行動で示そうと言う試みに過ぎないのである。だから、全く効果がなくとも、これからもずっと続けていこうと思っている。


『少し、髪の毛太くなったんじゃない』と妻が半分からかい、半分はマジで言う。

『気持ちの問題なんだから、別に効果を期待してるわけじゃないんだよ』と小生。

まもなく、2ヶ月が過ぎようとしている。もう、1本目の整髪料はとっくに使い果たして、2本目に入っている。

いくら効果は期待しないと言っても、頭頂部の辺りに変化の兆しがかすかにうかがえるのを目にすると、うれしいもので『まだ、まだ続けるぞ』と決意を新たにする今日この頃である。


『今度、散髪に行ったら、マスターが何て言うか楽しみね』と言って、妻がにゃっと笑った。