寒空に 畝(うね)切る媼(おうな)に 母重ね
先日のように、水温むような暖かい日もあれば、この日のように北風が吹いて寒い日もある。
このところ季節は「三寒四温」で進んでいる。
そして、黒目川の遊歩道を、風に帽子を飛ばされないように注意して歩いていると、一人の年老いた女の人が、道端のすぐ横にある畑で畝(うね)を耕していた。
ちょっと見にも相当ご高齢とわかるのだが、まんのうを上手に使って手際よく耕して行く動きは矍鑠(かくしゃく)としている。
声をかけた。
「90歳」という年齢を聞いて正直驚くと同時に、ふるさとの老母を思い浮かべ、このおばあちゃんに親近感と愛おしさを感じて、その場で長々と立ち話をしてしまった。
お話を聞いた限りでは、「元気のもと」はどうもここの畑仕事にあるようだ。
駅の方から上り下りのある道を手押し車を使って30分も歩いてこの畑にやって来るのだそうだ。
「この歳になると、足が弱ってしまう。ここまで歩いてくるのが、いい運動になるんだよ」
とおばあちゃん。
「生きている以上、自分のことは自分でできないとね。足が丈夫なら、何とかなるからね」
「畑の作業は、もうやめようと思うんだが、止めてしまうと体が弱っちゃうから、身体がいうことを聞くうちは、と思ってやってるんだよ」
等々、色々と小生に話してくれた。
小生も、すっかり気を許して、
「今年97歳になる母がいること」、「その母が昨年11月に転んで骨折し、今は車いすの生活を余儀なくされていること」、「『余り長生きをすると、親しい人が先に逝ってしまって寂しい、長生きするのも善し悪しだ』とぼやいていること」
など老母の話しを、このおばあちゃんに聞いてもらった。
小生が話をしている間、おばあちゃんはじっと小生の目を見て、何度もうなずきながら話を聞いていた。
その慈愛のこもったやさしい眼差しを見て、心が和み、おばあちゃんに話しかけて良かった、と心からそう思った次第である。