お彼岸で田舎に墓参りに行って来た。
お線香を上げて、しばし墓誌に見入った。そこには、亡くなった先祖様と共に、幼くして逝った二人の弟の名前が刻まれている。すぐ下の弟は、生まれてまもなく亡くなったので、全く記憶がない。
3歳年下の次の弟の記憶は、今でも強烈、鮮明に残っている。
何故なら、この弟は当家始まって以来の「秀才」、「神童」との評判が高く、両親は勿論のこと、周囲の期待を一身に集め、将来を大いに嘱望されていたからである。
その評判は、
曰く
小学校入学前に「読み」、「書き」、「足し算、引き算」は勿論のこと、小学校2,3年生の教科書を全て理解していた。
曰く
大人に混じって、百人一首の札を互角に取っていた。
曰く
大人の本、特に吉川英治の本を読んでもらうのが大好きで、ある時、主人公が悪人にひどくいじめられる場面に差し掛かると、目に涙を一杯ためて、「可哀想だから、その先は読まないで」と読むのをやめさせたとか、ともかく彼の早熟ぶりを示す逸話には事欠かない。
この弟の影響をまともに蒙ったのが、年齢的に最も近い小生であった。
そして、子供なりに弟が特別扱いされていると感じて、ねたんだり、うらやんだりと欲求不満を募らせていたのだと思う。
弟が、小学校入学を目前に控えて、肺炎がもとで逝ってしまった時のことである。
弟が死んだことで、それまで内にこもっていた屈折した感情が一気に溢れ出てきたのだろう、葬式が済んで、皆がいる所で、「これで、弟の分まで『まんじゅう』を食べられる」といったと言うのである。(記憶が曖昧なのだが、どうやら当時、葬式の時に配られる「まんじゅう」を弟が優先的に食べ、小生は思うように食べられなかったのを子供なりに「根」にもっていたようだ。)
「この子、何てこと言うの!!」と周りの人から、たしなめられたそうだが、母はその時、当時は貧乏でどうしても小さい弟から先に食べさせていたから、それがきっと我慢できなかったんだろう、お前に辛い思いをさせて悪かった、と小生を庇ってくれたとのことであった。
それでも、「あの弟に比べ、お前は」と言う目で見られ、弟の話が出ると、いつもこの話をセットで聞かされ、その都度苦い思いを味わっている。
今年のお盆に実家に帰った時、母と話をしていて、たまたまこの弟のことが話題になった。
それは、弟が死ぬ直前の話であった。
弟の病状を心配し、親戚の人や近所の人が枕元につめて見守っていると、あの子が「そんな所にいないで、早く医者を呼んできて」と、とがめるように言ったんだよ、そりゃ、あの子が亡くなって、わたしも、おとうさんもがっかりしたけど、それよりも何よりも、本人が一番無念だったろうよ、と母がしみじみと話してくれた。
弟の逸話は、いくつも聞いているが、この「何してるんだ、早く医者を」と言う話は、初めて聞いた。
弟は、肺炎の手当てが、手遅れになって亡くなっただけに、5歳の幼い子供が、大人たちに、何をぐずぐずしているのだ、と言わんばかりの調子で『早く、医者を』と言ったという話は、実に切ない限りである。
弟が、もし、生きていたら、「神童」になれたのか、よく言われるように「ただの人」になっていたかとか、ついつい、無益な想像をしてしまうことがあるが、弟は夭折してしまったがゆえに、当家では、永久に「神童」であり、「伝説」の人になっている。
お墓の前で、改めて心から冥福を祈った。
お線香を上げて、しばし墓誌に見入った。そこには、亡くなった先祖様と共に、幼くして逝った二人の弟の名前が刻まれている。すぐ下の弟は、生まれてまもなく亡くなったので、全く記憶がない。
3歳年下の次の弟の記憶は、今でも強烈、鮮明に残っている。
何故なら、この弟は当家始まって以来の「秀才」、「神童」との評判が高く、両親は勿論のこと、周囲の期待を一身に集め、将来を大いに嘱望されていたからである。
その評判は、
曰く
小学校入学前に「読み」、「書き」、「足し算、引き算」は勿論のこと、小学校2,3年生の教科書を全て理解していた。
曰く
大人に混じって、百人一首の札を互角に取っていた。
曰く
大人の本、特に吉川英治の本を読んでもらうのが大好きで、ある時、主人公が悪人にひどくいじめられる場面に差し掛かると、目に涙を一杯ためて、「可哀想だから、その先は読まないで」と読むのをやめさせたとか、ともかく彼の早熟ぶりを示す逸話には事欠かない。
この弟の影響をまともに蒙ったのが、年齢的に最も近い小生であった。
そして、子供なりに弟が特別扱いされていると感じて、ねたんだり、うらやんだりと欲求不満を募らせていたのだと思う。
弟が、小学校入学を目前に控えて、肺炎がもとで逝ってしまった時のことである。
弟が死んだことで、それまで内にこもっていた屈折した感情が一気に溢れ出てきたのだろう、葬式が済んで、皆がいる所で、「これで、弟の分まで『まんじゅう』を食べられる」といったと言うのである。(記憶が曖昧なのだが、どうやら当時、葬式の時に配られる「まんじゅう」を弟が優先的に食べ、小生は思うように食べられなかったのを子供なりに「根」にもっていたようだ。)
「この子、何てこと言うの!!」と周りの人から、たしなめられたそうだが、母はその時、当時は貧乏でどうしても小さい弟から先に食べさせていたから、それがきっと我慢できなかったんだろう、お前に辛い思いをさせて悪かった、と小生を庇ってくれたとのことであった。
それでも、「あの弟に比べ、お前は」と言う目で見られ、弟の話が出ると、いつもこの話をセットで聞かされ、その都度苦い思いを味わっている。
今年のお盆に実家に帰った時、母と話をしていて、たまたまこの弟のことが話題になった。
それは、弟が死ぬ直前の話であった。
弟の病状を心配し、親戚の人や近所の人が枕元につめて見守っていると、あの子が「そんな所にいないで、早く医者を呼んできて」と、とがめるように言ったんだよ、そりゃ、あの子が亡くなって、わたしも、おとうさんもがっかりしたけど、それよりも何よりも、本人が一番無念だったろうよ、と母がしみじみと話してくれた。
弟の逸話は、いくつも聞いているが、この「何してるんだ、早く医者を」と言う話は、初めて聞いた。
弟は、肺炎の手当てが、手遅れになって亡くなっただけに、5歳の幼い子供が、大人たちに、何をぐずぐずしているのだ、と言わんばかりの調子で『早く、医者を』と言ったという話は、実に切ない限りである。
弟が、もし、生きていたら、「神童」になれたのか、よく言われるように「ただの人」になっていたかとか、ついつい、無益な想像をしてしまうことがあるが、弟は夭折してしまったがゆえに、当家では、永久に「神童」であり、「伝説」の人になっている。
お墓の前で、改めて心から冥福を祈った。