折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

オヤジVS息子たち

2006-09-01 | 家族・母・兄弟
小生の兄弟は、みんな将棋が好きである。
最近こそ少なくなったが、盆や正月に皆が集まると、兄弟のうちの誰かが将棋盤を出してきて、「1局、お手合わせ」となる。

兄弟4人全員が将棋盤の前に集まってしまうので、他の人たちからは「将棋ばかりしていないで、少しは兄弟で話をしたら」と顰蹙を買っている。

将棋盤をはさんでの会話、盤上の駒の動きを通しての対話等々、直接話をしなくても、結構当事者同士は、心が通じ合っているものなのだが、傍目にはそうは見えないようで、「また始まった」とばかりに非難の目で見られる。




<王将を「金矢倉」に囲って、「棒銀」で攻める。オヤジの得意の戦法であった。>



将棋は、兄弟みな小学校の時にオヤジさんから教わった。

晩年、オヤジは息子が実家に帰ってきた時に将棋を指すのが、楽しみの一つであったらしい。

「どうだ、いっちょやるか。」とにこにこしながら、いそいそと将棋盤を出してくる。

訥々として、多くを語らぬオヤジにとって、多分将棋は息子と心おきなくコミュニケーションを図ることの出来る格好の「場」であったのだろう。

そのオヤジも、年をとるにつれ、いつの間にか息子たちが対局する盤側で、にこにこしながら観戦に回ることが多くなった。

そこで、息子たち4人が揃った時、今日はオヤジを主役に息子がオヤジとそれぞれ1局ずつ指そう、ということになった。

オヤジは、「もう、年だから」としり込みしていたが、皆から「思い出になるから、やんなよ」と勧められると、「そうか」と嬉しそうに将棋盤の前に座った。

オヤジにしてみれば、息子4人を相手に将棋を指すのは、最初にして、最後のこと、気力を込め、真剣に指しているのが、盤側に伝わってきた。

結果は、息子側の全勝で終ったが、この一時は、我々息子たちにとって、かけがえのない、忘れえぬ、それこそ思い出の対局となった。

きっと、オヤジも将棋を通して息子たち一人一人と交わした「対話」を心いくまで楽しみ、記憶に止めてくれたのではないだろうか。

我々、息子たちも、それぞれ年をとって、皆が集まっても将棋盤を出して、一局やろうという、元気がなくなってきた。

あの世で、オヤジが「もう、兄弟同士で将棋を指さないのか。」と、さぞかし、残念がっていることだろう。