折々の記

日常生活の中でのさりげない出来事、情景などを写真と五・七・五ないしは五・七・五・七・七で綴るブログ。

選択の行方(会長VS事務局)

2006-09-17 | 仕事・職場
これは、全従業員から慈父のように慕われた、創業者を悼む「弔辞」を巡るエピソードである。



「いやあ、参ったよ。」と上司のS課長。困惑の表情である。手には、数枚の原稿用紙。

「今、社長から預かってきた。会長が書いた社葬の弔辞の原稿。」

「もう、出来てるんですか。会長にしてみれば、自分の出番ですものね。」と小生

会長は、文章に関しては一家言有する、社内一の文章家である。一般紙をはじめ、各種のマスコミにも掲載され、社内報にも軽妙洒脱なエッセイを毎回寄稿している。

「問題は、中味なんだよ。ちょっと、読んで見てよ。」とS課長。

これまで、社葬の弔辞は職務として、小生がほとんど書いてきた。
普通の文章と違って、弔辞には、独特の言い回し、表現方法が求められ、文章の上手な人でも、苦労する。


会長の文章は、堅実な文章であるが、弔辞として、心を打つフレーズが少ない。
淡々と型どおりの構成で、偉大な創業者を悼む弔辞としては、平凡で、いささか物足りなさが残る内容であった。

「しかし、社長も了解して、『これで決まり』なんでしょう。」と小生。

「多分、十中八九。でもさ、相談役を神様のように敬い、親のように慕っている従業員が、この弔辞を聞いてどう思う?」とS課長。

「で、どうしたいんです、どうしろと?」と小生。

「社葬の事務局は、うちだ。うちの案と言うことで、相談役への従業員のひたむきな思いを込めた弔辞を書いて、出そうじゃないか。駄目なら、駄目でいいじゃないか。」とS課長。

小生は、一瞬「風車に挑むドンキホーテ」を思い浮かべてしまったが、「いいんですね。」と念を押して、引き受けた。

かくして、相談役の在りし日を偲びながら、弔辞の原案作りに没頭する日々が続いた。

そして、草稿が完成した。

あとは、「当部の原案です。」と会長の所に持参する勇気があるかどうかである。

そして、賽は投げられた。

(続く)