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(ラスプーチンが暗殺されたことで知られるユスポフ宮殿の入口)
プーチン大統領(59)が1990年から96年まで勤務していたサンクトペテルブルク市庁舎周辺には、旧KGB(国家保安委員会)の建物が立ち並んでいる。高くて窓のない建物がほとんどで、中はうかがい知れないが、地元の人たちによると、取調室から留置場まで、全ての施設が揃っているという。
ある建物の庭には、KGBの前身であるチェーカー初代議長、ジェルジンスキーの銅像が立っていた。モスクワのKGB本部前にあった彼の銅像は、保守派によるクーデターが失敗に終わった91年8月、多数の市民によって倒されたが、ここではまだ無傷で残っているのを見て、正直驚いた。
プーチン氏は、日本で言えば高校時代にKGBで働きたいと思ったと告白している。その理由として、スパイ映画や小説に影響されたと語っているが、この街の雰囲気も少なからず影響を与えている気がした。
帝政ロシア末期の有名人というと、怪僧ラスプーチンがいる。ニコライ二世の皇后アレクサンドラの絶対的信任を得て、政治にまで影響力を振るうようになった人物で、真偽取り混ぜて様々な逸話がある。そのラスプーチンが暗殺されたユスポフ宮殿があるというので訪れた。
プーチン氏にゆかりがあるのかと言われると心もとないが、ペテルブルクつながり、ということでお許し願いたい。この宮殿はイサク聖堂近くのモイカ川沿いに立っている。19世紀初め、タタール人が祖先の貴族ユスポフ公がこの宮殿を手に入れ、大規模な改装工事を行なったという。最もインパクトのある部屋はイスラム宮殿を思わせる「儀礼の間」だ。ガイドの人が、ここで司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」のテレビドラマの撮影が行われたと話していた。
ところで、暗殺が行われたのは1916年12月17日。当時、ユスポフ公は20代後半だったというが、ラスプーチンを宴会に招き、毒を持った食事を出したが、効かなかった。そこで銃で撃ち、殴打を繰り返して氷の穴から川に投げ込んだ。3日後に死体を検分したところ、死因は毒でも銃によるものでもなく、溺死だったとされる。超能力のせいか、体が頑丈だったからか。いずれにしろ、不死身の怪物だったらしい。
毒を持った食事を振舞ったという地下室は、エクスカーションによる見学でしか見られないというので今回は残念ながら拝見できなかった。それでも、タタール人の血を引く貴族で、イスラム宮殿風の大きな部屋があり、ラスプーチン暗殺という世紀の事件現場にふさわしい雰囲気は感じ取れた。
ここで、モスクワで流行っているというアネクドート(小話)を紹介したい。
「100年ほど前、ロシアを牛耳っていたのはラスプーチンという怪僧だった」
「今は誰が牛耳っているの?」
「プーチンだよ」
「じゃ、50年後は誰?」
「チンだよ」
ここで笑えなかった人に説明すると、チンとは中国人の苗字である。50年後には、ロシアは中国人に牛耳られているのでは、というロシア人の心配を表した小話である。やっと、ラスプーチンとプーチンがつながった。お後がよろしいようで。 (この項おわり)