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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

記憶の変容

2012年08月16日 09時27分44秒 | 思考試行

黒沢映画の「天国と地獄」を途中からみた。

中学生のときに見た記憶があって、印象的なシーンなどはよく覚えているのだが、今回見ていて、当時理解できなかっただろうと思えるところは、まったく記憶がなく、また、列車内からのシーンや、犯人に近づくきっかけとなる、筋などは、解りやすく自分で変容していて、記憶の曖昧なこと、いい加減なことに、あらためて思い知らされた。

解りやすくというのは、筋を簡単にしているのである。ショートカットしている。

映画をみていて、やはり時代だなと思うのは、ストーリーが、ほのぼのしたところがあり、よき日本という香りがすることである。全体として、温厚で、良心的で、純朴なのである。人間が、これほど素直で、あったかであれば、この国はよくなるだろうなあと思わせる。

警察の捜査本部の雰囲気が、和やかで、楽しげでもある。余裕があって、しかも、熱がある。この時代には、本当に学ばなければと思わされた。


「いじめている君へ」から

2012年08月14日 06時45分39秒 | 思考試行

朝日新聞朝刊に連載されているコラムである。今朝は、金子勝さんが書いている。お笑いタレントの親が、生活保護を受けていたとして、自民党の代議士がこれをとりあげ、バッシングが始まった。お笑いタレントが、法に違反していたわけでもないのに、ヤリダマにあがってしまったのだった。

これを金子さんは、いじめと捉えた。

生活保護をめぐっては、ヤクザが利用したり、適当でない現象も多くあるのだろうが、それでも、この事件をいじめととらえるのは、いかにも金子さんらしい。敏感であるし、ことの本質をつかまえて、指摘している。マスコミにも多く登場する方だが、得難い良心部分の方であると思う。

今朝のコラムでは、原発問題もとりあげ、「弱い人はいじめられ、追い込まれている。強い人は何をしても許され平気でいられる。」社会を、今の大人が作っていることを指摘する。

子供たちへの期待の言葉が、直接ではないことを知りつつ、あえて、大人たちへのことばとして、発せられ子供たちに、届くように願っているのである。大人たちは、これを読んでどうするつもりだろうか。時代は、変わるのだろうか。


やるべきことをやる!

2012年08月13日 12時40分59秒 | 思考試行

できるだけ、ではなく、決意として、やるべきだとおもえば、それをコツコツやり続ける。それが、結局は、すべてにつながる。

初めからできない、としたり、いい加減な気持ちでとりくむのではなく、真剣にやるべきことをやるならば、うまくいかないときがあったとしても、悔いはない。

そういうこともある。それでもくじけない。やるべきことをやっていくしかない。それを覚悟としてもっているならば、誤魔化すことは、必要ないし、ウソをつかなくてもよい。誰に恥じることもない。

うまく立ち回って、うまくやったつもりでも、そんなことでは、どこかにヒズミが生じる。自分で気づかないとすれば、それは、悲劇である。

国際的にも、国がとるべき態度も同様である。自国の国益にばかり、こだわっているようでは、いかにもみっともない。

国として、はずかしくないように、やるべきことをきちんとやるようにすることを、当然のこととして、為されなければならない。誇りをもてる姿勢は、そこから、生まれる。


9月号文藝春秋もすばらしい!

2012年08月12日 07時35分09秒 | 思考試行

日本の誇るべき総合雑誌である。スーパーにも置いてあるし、平積みされているのをみて、地域の人間として、ちょっと鼻が高くなるような気分がある。

多彩な記事、多種多様な人材が、まとまりのある読み物を提供してくれる。芥川賞受賞作品「冥土めぐり」は、また、新しい感覚を与えてくれた。身近にサンプルがあって、主人公の「成長」に共感を覚える。

立花さんのお母さんの手記は、鮮烈であった。ご家族の雰囲気も感じられて、やはり「いい人はいいね。」と素直に思える。

小沢氏の素顔にも、迫っている。周囲の人の「人生を狂わせる」という意味の一端が理解できる。集金力に長けた、古いタイプの政治家のイメージが浮かんでくる。

時代は、原発を巡って、目覚めた市民達の行動がホンモノになりつつあることを示している。庶民は、バカではない人が増えてきている。

ポピュリズムがどうのこうのというが、ヘンなカリスマに、動員されてしまう人々ばかりではないのである。それは、「文芸春秋」が読者をもち、ちゃんと「生きていること」で証明できている。

堺屋さんが、言うように、世の中が推移すれば、いいなとは思うが、移民の人が増えて、新しい価値観を育み、よき人間社会を、実現するには、一段の視野の拡大と意識のレベルアップが必要になるだろう。


仕事の段取り

2012年08月11日 10時55分24秒 | 思考試行

仕事の段取りは、まことに大事である。手順、準備、工夫次第で、能率的にも、また、その仕事の成否にかかわる。

仕事については、同じような作業が続く場合など、やっている最中に、段取りの工夫を思いつくことが多い。やりながら、工夫のタネがうまれ、実行してみる。そういう積み重ねのなかで、うまい段取りが生れてくる。

考えることも重要である。問題を洗い出し、真正面から真剣に考えるのである。じっと考えるなかで、あらたなアイデアも生まれる。

実行しながら、考えながら、仕事をこなしていく。人の仕事の具合をみる機会があれば、それは、大きな刺激となるし、参考になる。

今の時代は、パソコンを使わないで仕事はできない。それでも、その使い方によって、出来栄え、段取りが変わる。技術的な要素もあるが、これも、貪欲な知識吸収の姿勢が必須である。

工夫次第で、仕事の段取りが変わり、改善されることが実感できると、楽しくもなる。意欲も出てくる。こういう循環にはいると、仕事は苦痛ではなく、喜びともなる。

そんな風になりたいと思うのだが、もはや、現役引退の年齢が近づいている。お若い方がたへの、ちょっとしたアドバイスである。


宇宙人はいる!

2012年08月09日 23時45分56秒 | 思考試行

あたりまえの話である。我々は、誰であるか。地球という惑星にすむレッキとした宇宙人ではないか。我々が、まだ地球外の生物を発見していないから、まだ、確証をえていないからといっても、地球上にこれだけの生命がいれば、恐らくは、ほかにもいるだろうとは、ふつうの考えである。

そして、この狭い地球上では、絶えざる戦闘が行われており、人を殺すための道具が生産され、売り付けられている。ひとたび事故が起これば、どうしようもない原発が存在する。いってみれば、低水準の状態にある。宇宙人たる人間は、もっと賢くならなければならない。

この地球以外に住めるところはないのである。協力しあって、助け合って生きていかなくてどうするのか。オリンピックで、国の威信をかけているつもりの人もいるだろうが、努力して、力比べをするのは、確かに楽しい面もあるが、あまりに、興奮するのは、ミットモナイと思う。

それは、本質を外れているだろう。勝ち負けにこだわるのも醜い。勝利すればうれしいのは、わかるが、負けてもこだわって、あまりに悔しがるのもミットモナイ。さわやかに、いけないものだろうか。

はっきりわかっている宇宙人として、高めあっていきたいものである。国のごときつまらんものに、いつまでもこだわっていては、間違える。


JFKと原発

2012年08月07日 10時39分29秒 | 思考試行

ケネディアメリカ大統領が、ダラスで暗殺されてから、49年を迎えようとしている。事件は、たった一人、オズワルドが犯人ということになっている。

事件は、映画にもなり、疑惑はほぼ解明されているようにみえるが、公式には映画どおりには決着していない。関係資料は、事件後75年間は、封印されることになり、今もなお封印中である。

ケネディがベトナム戦争を終結させようとすることが明確になってきたときに、事件は起きた。はたして大統領が変わると、一転してベトナム戦争は拡大していくのである。

戦争には、軍事資本がからんでいる。ケネディでは具合が悪いと思う勢力の画策が推測されているのである。事件は、相当無理な形で封印された。多くの目撃証人が、事故や、事件やでなくなっている。なんともすさまじい話なのである。

さて、福島原発事故が起きて、権力と戦争、権力と利権の構造がみえてくる。憲法9条のために、戦争勢力は、どれだけ歯噛みをしているか。国民の命などどうでもいいのである。かれらのやろうとしていることから、目をはなしてはいけないのである。


効果

2012年08月06日 10時45分04秒 | 思考試行

今日は、広島に原爆が落とされた日である。思えば小泉が、早口でぺらぺらとあいさつ文を読み上げたことを思い出す。本当に、痛みを感じない風情であった。それでも、ヤッコさんは、わかりやすいパフォーマンスで議席をかすめとり、格差社会にもちこみ、多大な損害を国民にあたえたにもかかわらず、人気があった。騙されたというべきか。

福島の事故で、広島の原爆記念式典は、意味が変わった。惰性でやっている記念式典ではない。相乗効果が起こっている。東京で、大規模な集会が行われている。持続的である。なんど失敗すれば、学ぶというのだろう。本質に迫ってきている。

最終処理もままならない技術は、当然ながら、慎重にならざるを得ない。これを、安全神話の元、自民党政権は、反対勢力に弾圧を加えて、原発政策を推し進めてきたのである。

しかも、政権交代になって、野党となれば、邪魔をしまくる。自分達のしてきたことについて、まったく反省する様子もなく、恥知らずにも、民主政権に揺さぶりをかけ続けてきた。とりわけ、菅政権に対しては、論理的にも、むちゃくちゃで、政治に対する信頼感さえうばうような仕方であった。

民主はやむを得ず、後退をしまくる。そして、今や、風前の灯感がある。それでも、政権交代の意味はあったと思う。新しい局面がみえたからである。効果はあった。


徒党をくめば・・・

2012年08月05日 09時14分50秒 | 思考試行

どういうことで、人が集まろうと、集団の意思は無視はできない。その集団の成り立ちがどういうものであるかによって、健全なものかそうでないか、にわかれる。

集団は、時に、大きな力を発揮する。個人の力では、到底不可能なことをなしとげる。とりわけ政治、経済、においては、組織は必須である。よほど、個人に力がなければこれには対抗できないだろう。

とりわけ、宗教などは、教義と教祖のカリスマ性で、人を束ねてしまう。「根本」のところで、人を支配するから、これは、まことに厄介である。教祖が白といえば、白の世界は、危険である。

書店で、「池田大作と暴力団」という宝島社出版の本を発見した。恐るべき創価学会の現状が掲載されている。平積みにされていたから、注目されているのだろうが、東京の信濃町あたりは、創価学会がらみの施設が集まっていて、すごいことになっている。

宗教法人だから、税制面での優遇措置があるにしても、信者からの金集めも上手で、マスコミ、財界、芸能界、法曹界、官僚、自衛隊・・・と各界階層に食い込み、財力のみならず、総合的に今や一大勢力となっている。

異常である。創価学会が、どのように行動していくか。ヤクザ組織とのつながり、を利用しながら、用済みとなれば、ヤクザ組織を通じて、切り捨てを図る。そのためには、警察権力も動かす。元の公明党委員長だった、矢野氏に対しても、容赦のない仕打ちをする。竹入氏も切り捨てた。池田大作以外は、みんな道具にすぎないようだ。

こんな組織が、膨張し、力を持つ。大新聞各紙も屈服している様子である。この本は、キワモノ的なスタイルになっているが、もっとまじめな体裁にしたほうがいいと思うが、これは、攻撃をさけるための戦術だろうか。

 


トイレのあと

2012年08月04日 10時13分44秒 | 思考試行

便器に鮮血のかたまりをみたとき、日頃の感情とは違うものが、でてきた。命なんて限りあるもの、そんな覚悟はできているものだと思い込んでいた。

ところが、現物をみて、実際に現実を突きつけられると、奥底で狼狽している自分がいる。気分は沈む。しかし、この血のかたまりは、何であるかについては、すぐに思い当たるものがあって、問題ない、と思いつつも、たちあがる不安感は抑えきれない。

心当たりとは、小さいイボが以前からあって、特段気にはしていなかったが、それだな、というものである。その後、そのイボが見当たらないので今は、確信している。

それでも、この種の不安感の経験は、はじめてで、いずれは、もっと確実なものがくるとすれば、言われるように、いつ死んでもいい、といえるように生きる、ことの意味合いを考えさせられた。

気付けば、立派な高齢者の仲間入りをしている。いまさら、ジタバタするような年齢ではないのだ。しかし、この経験は、まだまだ若くて、未熟であることを教えてくれた。


達人

2012年08月03日 14時06分06秒 | 思考試行

オリンピック選手は、それぞれの種目の達人である。達人といえば、単に人に達するということだとすれば、この言葉は、適当でない。超人とでも言わなくてはならないはずである。

それでも、人間だから、人を超えているわけではなく、達人でいいのだろう。幅広く、いろんな競技があって、それぞれ、達人がいて、その技を競いあう。

人間というのは、いろんなことができるもんだ、と感心させられる。アーチェリーなど、とっつきやすそうで、弓をひくだけではないかとみえるが、70メートル先の的を射ぬくのだから、これも、ものすごい練習が必要だそうだ。

矢が放物線をえがいて飛んでいくのをみると、何事も簡単ではないことがわかる。

アーチェリーは、弓も矢も、精巧にできているようだが、アフリカに棲む、弓の名人とか、日本の弓道も参加できるようにしたらどうだろうか。

アフリカの人が優勝したりすれば、本当に面白いと思うけれども、そうはいかないのだろうなあ。


オリンピックをみながら

2012年08月02日 11時59分18秒 | 思考試行

人類を代表する運動能力を有する人々が、競技をする。笑顔あり、涙あり、でとてもドラマティックである。人間技とは思えないような能力が展開される。そして、それが、極めて繊細だったりする。

極限まで鍛えぬいてきて、なおかつメンタル面の試練がある。なんとも厳しい世界である。それが、感動を呼ぶ。

門外漢には、メダルが取れようが、とれまいが、ここまで頑張ってきた出場選手には、ただただ感嘆するのみである。メダルをとっても、それは、過去の出来事となり、記録に残ったとしても、それがどうだというのだ、の気分もある。

そんなことを言っては、身もふたもないが、本質はそんなところである。一瞬、世界一になったとしても、事態は動き始めている。止まりはしない。

タッチの差で、メダルの色は変わり、そして、もらえないとなる。それに、どれほどの意味があろうか、と思ってしまう。それでも、体操で個人総合金メダルを獲得した内村選手の奮闘の様子は、ついに、テレビで全部みてしまった。

素晴らしい能力、努力の積み重ね、精神力、そして金メダルを手中にして、うれしそうな笑顔。やはりこれは、人類の考えだしたすばらしい祭典である。感動する。

 

 

 


助け合い・分かち合い

2012年08月01日 10時05分31秒 | 思考試行

これさえできれば、いいのではないだろうか。放送大学単位認定テストが今日ある「グローバル人類学」を読みすすめてきて、13章。そこでであった、学びの成果である。

試験がある当日は、「カキイレドキ」で、なんといっても、勉強の質量ともにあがるのである。なんといっても、試験があるとなれば、いや応なく、ペースがあがる。

今日の午後2時25分試験開始なので、残された数時間、最後の追い込みにはいっている。こんなブログを書いているヒマは、実はない。

それでも、書かざるをえない気になったのは、この13章がすばらしく、忘れてはいけない言葉にふれたものであるから、とりあえず記録しておきたかったのである。

奪い合いをしなければ生きてはいけないとすれば、それは苦しい世界である。アフリカの難民キャンプでは、実際に各国からの援助があるのだが、そこで、実際に現地に入り、調査された講師のことばには、難民キャンプのなかでの、助け合いのことがでてくる。キャンプのなかでは、分かち合い、助け合いが、難民同士できめ細かく行われているのである。

これが、なければ、多額の援助があるからといっても、暮らせないのである。キーワードである。