日々、様子は変わり、一日として同じ日はなく、それでいて、変わり映えのない日常生活のように錯覚する。
しかし、日々、味わうようにみるならば、細部にわたって、変化しており、空の色を、空気の具合も、今までにない一日なのである。
昨日は、激しい雷鳴がとどろき、落雷のために、亡くなった人もでた。不条理、理不尽としかいいようがない。こういうときに、それを思い知らされる。
何があろうとも、世の中そういうしくみであって、多くの対策をこうじたとしても、万全はありえず、不条理、理不尽にも命を奪われることがあるのである。
コンサートの始まりを待っていた人々の上に、落雷したという。長居公園は、何度も行ったことがあり、新聞に落雷箇所が示されていたが、イメージできる場所である。
なぜそこだったのか、合理的な理由は、まったく示せない。それは、たまたまであり、理屈はない。そのときの上空での雲の位置など、すべては偶然の話である。
さりとて、世の中、すべては偶然であるから、人間の努力は、意味がないとはいえない。不条理のなかで、よかれと思う術をつくすほかないのである。