孔子は、いうまでもなく紀元前の人である。しかし、人間の生きる道について、古い昔から語られていながら、普遍的なことがらが、とり上げられており、内容的に、古さを感じさせない。
江戸時代には、教養として、論語の素読が行われていて、子供の時から、意味もわからないのに、仕込まれていた。それが、徐々に意味を理解するようになり、さらに血となり肉になって、江戸時代の武士のバックボーンになっていったようだ。
宗教的ではなく、神や仏は出てこない。そこには、論理があって、かたくなでなく、柔軟であり、冗談もでてくる。日本には、この「論語」的資質が、いまだに生きているのではないかと思いたい。それは、東北大震災の際に、落ち着いた行動などに表われているのではないだろうか。
もちろん、日本人の行動様式は、そればかりではなく、ほかの要素もあるだろう。ただ、こうしたベーシックな人間の生きる道のようなことは、従来、常識的であった。
ところが、金儲けこそ唯一の目標だなどというヤカラが登場してきている。こうなれば、世の中は闇である。もっと基本から、人間というものを考えていきたいものである。