個人としては、絶えざる努力で、「人格成長」を日々こころざしていく。これしかないと、高校時代にそう思った。国語教師の読書の勧めがあって、そこで、西田幾太郎「善の研究」の存在を知らされ、「愛と認識の出発」「出家とその弟子」も勧められた。
これらの本を、読んだ。そして、「善の研究」は、よくはわからないながらも、この本を読んで、ともかく一生「人格成長でいこう」と思ったのである。
以後、いろんな場面で、価値観を試される場面があったが、いずれも、「人格成長」が底流にあった。考えれば、どのような価値観にも「合ってしまう」側面もある。するどい分析のツールにはならないのかもしれない。
それでも、放送大学を継続できていたり、あたらしい政治動向や出版物に関心を持ち続けてこれたのは、この4文字のおかげかもしれない。
そしていまなお、何事かをなし遂げたいと思うのも、そのお陰であると思う。日々の生活のなかで、チャント生きていると思っている。
この恩師は、若くして亡くなった。先生宅を何人かの者と訪問したときのことをいまでも覚えている。先生は、小生のなかで、記憶のなかで、いまも生きている。