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空をみながら

 地球規模、宇宙規模で考える。死角のない視野の獲得。憲法9条を守ろう。平和のための最高の武器だと思う。

方向はどちらを向いているか

2011年12月15日 09時10分10秒 | 思考試行

個人としては、絶えざる努力で、「人格成長」を日々こころざしていく。これしかないと、高校時代にそう思った。国語教師の読書の勧めがあって、そこで、西田幾太郎「善の研究」の存在を知らされ、「愛と認識の出発」「出家とその弟子」も勧められた。

これらの本を、読んだ。そして、「善の研究」は、よくはわからないながらも、この本を読んで、ともかく一生「人格成長でいこう」と思ったのである。

以後、いろんな場面で、価値観を試される場面があったが、いずれも、「人格成長」が底流にあった。考えれば、どのような価値観にも「合ってしまう」側面もある。するどい分析のツールにはならないのかもしれない。

それでも、放送大学を継続できていたり、あたらしい政治動向や出版物に関心を持ち続けてこれたのは、この4文字のおかげかもしれない。

そしていまなお、何事かをなし遂げたいと思うのも、そのお陰であると思う。日々の生活のなかで、チャント生きていると思っている。

この恩師は、若くして亡くなった。先生宅を何人かの者と訪問したときのことをいまでも覚えている。先生は、小生のなかで、記憶のなかで、いまも生きている。


科学と宗教

2011年12月14日 11時38分58秒 | 思考試行

物質を構成する粒子に、重力と関係するものの存在が、発見手前にあるというニュースが流れている。人類の科学技術の進歩と、宗教とは、歴史的に密接な関連がある。

「人間には、わからないことがある。」といっては、宗教は、自己存在の意義を強調してきた。科学技術の進歩が、それほどでなかった時代にあっては、宗教は、今よりはるかに、絶大な力を持っていた。

それが、どれほど、人類に過酷な環境をあたえてきたことだろうか。科学技術の進歩は、良いことばかりでなかったにしろ、それは、真実にせまる人間の自然な「ココロ」の発露であり、この方向へ進む力は、とどまるところをしらない。

科学技術の進歩は、人間の生活の質を向上させると共に、この宗教のもつ否定的側面を削いできた。いまや宗教の必要性自身も問われなければならない状況も出てきている。

オーム真理教の裁判が、すべて終わったと新聞にあった。死刑判決が多く出た。科学に強い若者達も多いのに、宗教の罠に嵌ってしまった。長期にわたる裁判のなかで、彼らにどのような心境の変遷があったのかは不明であるが、真摯に問題の本質を理解し、あらたな心境になっているとすれば、かれらの考えが、今どのようになっているかを知りたいところである。

宗教といえば、創価学会の勢力が尋常ではない。政治的にもかなりの力を持つようになってきた。弁護士、医者、検察官など、多方面に高学歴な信者をもち、エリートとされる人達が議員にいる。彼らは、どういう動機で信仰に至ったのだろうか。宗教と政治が強く結びつくことは、弊害が考えられる。彼らの根本的な価値観を明確にしてほしいものである。


203高地と旅順と参謀と・・・平和

2011年12月13日 10時05分37秒 | 思考試行

このところ、NHKの「坂の上の雲」に影響されて、ドラマにはまってしまっている。繰り返しの正面攻撃で、信じられない犠牲をだしたこの戦の話は、有名で、参謀の頭の固さがでてくる。

203高地を目標にすることに参謀は、拒否し続ける。そのために、多くの犠牲をだしたという話になっている。乃木大将は、参謀を非難しない。そこで、乃木と同輩の児玉がでてくる。そして、作戦に介入して、勝利にいたる。

戦争の悲惨さは勿論であるが、この時代は、どうあっても、戦争を避けられない事情があったとしなければならないのだろうか。これらの犠牲、さらに、そのあとに続く戦争による犠牲が、平和の条件を作り上げてきているのだろうか。

核爆弾を地球上すべての生物を死滅させるだけのものを作り出し、その上で、勝ち得た平和だろうか。人間は、本当に馬鹿げているところがある。それは、一部の人間だけだろうか。

このまま続けるようであれば、当然、生存を継続できない種として、滅びるほかない。環境問題をみても、中国、アメリカの姿勢をみれば、将来は明るいなどといってはおれない。それは、今の時代に生きる我々の課題であり、これに抗する世論を盛り上げていかなくてはならない。


レイルウエイズ2をみた

2011年12月12日 18時45分20秒 | 思考試行

大事件が起こるわけではない。富山の美しい風景のなかで、ドラマになるのかなという舞台。特殊撮影は必要でないし、ストーリーもありふれている。

それでも感動的である。悪者もいない。みんないい人なのに、それでも起こる、いきちがい。心理の動き。ラストがいい。そして、エンディングの音楽がいい。平日とあって、観客は、圧倒的にシニアが多い。若い恋人達にもいい映画だと思うが、そうもいかないか。

爆発的な人気がでなくとも、良心的な、本当にいい作品だと思う。三浦友和のキャラクターにピッタリで、好感のもてる演技である。

それにしても、余貴美子さんは、引っ張りだこの女優さんである。自分の意志を、きっちり出しながら、奮闘する看護師を演ずる。ただ、気になったのは、苦しむ患者を呼ぶときの、少し、間をのばして呼ぶあれは、類型的なニオイがする。あそこでの呼び方は、演ずる佐和子さんらしい呼び方をしてほしかった。

なんて、少しばかり、イチャモンをつけてみたが、全然本気ではない。そして、仁科さんとの同級生としての出会いは、ストーリーにふくらみが出て、上品でいながら、少しスリリングで、うまいもんだなと思った。

なんばパークスは、映画がおわると、もう日が暮れていた。クリスマス商戦の飾りつけが美しい。


石原都知事の考え方

2011年12月11日 09時44分31秒 | 思考試行

文藝春秋1月号に、「日本はどこで間違えたか」をテーマにして、「大アンケート」を識者30人にとっている。その冒頭に石原氏の「無条件降伏の過誤ー1945年8月」の意見がある。

曰く、ドイツは無条件降伏をせずに、新憲法はドイツ人自身が作成する、教育指針もドイツ自身が決める、としたが、日本の場合は、無条件降伏をうけいれて、その結果、憲法を押し付けられ、教育については、「日本の近代史をすべて否定し、自己嫌悪を造成する教育の徹底」がおこなわれた、とし、そこが、日本の間違えたところだとする。

無条件降伏以外の選択肢があったのかどうかが、まずは問題であるが、「・・・アメリカの囲い者として、さまざまに収奪されつくし、国家としての実質的な主権を失い、民族の個性までを毀損されてきた・・・」とするのは、事実だろうか。

日本が、世界で占める経済的地位は、たいしたものであるのは、間違いないとしても、もっと成功しているはずだ、というのであろうか。おしつけられた憲法のおかげで、少なくとも、アメリカの戦争に全面的に付き合うことをしないで、囲い者でありながら、平和について指導的な国になりうる状況になってきているのではないか。

日本の誇る個性とは何だろうか。制度、仕組みというより、自己犠牲、助け合い、思いやり、繊細な感性や、このたびの東北大震災で見せた国民のふるまいなどが、日本の個性ではないだろうか。

とすれば、日本として、国家、民族をこえて、平和を主張し、世界にすすむことにある。彼の言う「他愛のない理念を謳った」憲法前文は醜悪ではないし、それこそタカラモノである。

だが、一本道ではない。彼のような存在が、むしろ、単なる「囲い者」ではないことの「効果」を発揮する。絶対多数は、困るけれども、おそらく山葵のような役割もあるともいえる。


カーナビを購入して

2011年12月10日 09時29分00秒 | 思考試行

カーナビを購入した。何度も、同じ場所で間違えたり、たまに知らない土地にでかけると、地図で調べるのも結構面倒くさいところあって、ついに踏み切った。

説明書を、よく読む。テレビがみられたり、SDカードから、自分の好きな音楽まで聞けるという多機能さに驚く。背後の様子も、別売部品をつければ見ることができる。音楽などは、結線などしないで、車内で電波をとばす仕組みのようだ。

取り付けは、吸盤を使ってやるのだが、落下防止のためのストラップがあって、空気の吐き出し口の構造を利用して金具を取り付ける。紐のながさは、原始的だが、うまく調節できるようになっている。

アメリカの宇宙飛行士が、奇跡の生還を成し遂げたときに、地上で、宇宙船のなかにある部品を利用して、故障部分を補う部品を作ったが、まるで、そんな感じである。

本来は、空気抜きだけのための設計のところを、別の用途に利用している。結構な重さがある本体を取り付けるために振動への対策、取り付け部品の可動部分の強度など、工夫がされている。

そして、実際に使ってみる。適当な時期に、事前に声がかかる。無視すると、再検索を自分でして、新たなコースを案内し始める。ケナゲである。

いつも通るコースで使ってみる。全然ちがうコースとなった。そして、どうやら時間短縮もできている。高速優先に設定していたらしく、高速と平行して走行している部分では、高速を使っていないにもかかわらず、「カン違い」をしていたりする。それでも、そうでないと解れば、直ちに切り替える。文句はいわない。

すてきな「相棒」ができた。

 

 


自民党の卑劣さ

2011年12月09日 07時29分20秒 | 思考試行

参議院の委員会質疑で、自民党は、政府側提案の遅さ、不充分さを阪神大震災とくらべて、指摘した。そして、自分達の案は、早くできていたし、政府与党側とは比べ物にならないぐらいいいものだった、と自画自賛してみせた。自分達の修正案が100点だとすれば、政府案は10点だという。

立派なもんだ。それが本当なら。

だが、菅内閣に対するあのイジメは、まったく尋常ではなかった。とにかく、大震災を倒閣の道具とし、被災者を人質にして、あらん限りの邪魔をしてみせた。それは、官僚、マスコミ、御用評論家、自民党の息のかかっているありとあらゆる分野のものを総動員して、解散を怒鳴りまくり、この無茶苦茶を実行したのである。

審議には、協力するといいながら、小出しのチビチビであり、根本的には、一切の協力はしない姿勢であった。西田クンは野次を飛ばしまくる、騒然とした中で、ひたすら罵倒し、嘲り、犯罪者扱いし、どんな些細な問題も、でっかくして、正視にたえない国会を作ったのである。

菅内閣が、ギリギリの捨て身の作戦を敢行して、自民党の悪意を打ち破るべく、これ以上やると、まさに自民党が諸悪の根源であることが、明々白々になる状態を作って退陣したために、ようやく、災害対策に踏み出せたといえる。

この間の自民党は、ともかく解散一本ヤリであり、被災者のことを、真剣に考えるどころか、邪魔をしまくっていた。それをマスコミは、隠蔽し、すべてを管さんの所為にする絵をかいたのである。

新聞がいかに低劣であるか、また、テレビのコメンテーターの本性が、見事にあらわれた。国民が、どれだけ知っているかは解らない。しかし、情報は今や、どこからでも出てくる。隠すのには無理がある。事実こそ、もっとも雄弁である。ことばで、いくら自画自賛しても、実態がそうでなければ、かならずそれは露見する。

石原クンの表情は、まことに浅ましく、山本一太クンの中味のないこと、谷垣クンもどこか上の空で、彼は本当に真意を語っているのだろうか。やらされているのか、それとも、そうするしかないと思っているのか。


大東亜戦争か太平洋戦争か

2011年12月08日 09時00分41秒 | 思考試行

今日12月8日は、アメリカ、イギリスなどとの戦争に突入した日である。戦争の呼び名も、思想、立場によって違ったり、その呼称が占領軍により禁止されていた時代もある。

この戦争のすべてが、解明されているとは言えず、隠されていることも多いのではないかとも思える。そしていまなお、戦争の傷跡は癒えることはない。

以後、「アメリカに押し付けられた」という憲法のお陰で、アメリカの戦争路線に引きずりまわされることはなかったが、この状態を不満とする隠然たる勢力があって、憲法を変えて、普通の国になりたいとする動きがとまることはない。少しずつ、その歩みは続いているし、足場を作ってきている。

国や民族、宗教などのセクトがその主張を掲げて、貫徹するとすれば、最終的には、武力がどうしても紛争解決の手段になる。その悲劇を回避するには、新しい哲学がいる。軍需ビジネス産業や資本の論理など、人間社会の弱点がどのように克服されていくのかどうかで、人間社会の行く末が決まる。

まずは、戦争の悲惨さ、庶民がどんなに犠牲をこうむるのか、しっかりと知ることが重要である。その意味で、その政治家がどのようなことを言ってるのか、その言葉のなかに、どういう真意を持っているのかに注目しなければならない。BSフジの番組で、石破議員は、憲法を変えることについて、自民党の結党まで、さかのぼり、なみなみならぬ意欲を示した。まさに、戦争を辞さない姿勢なのである。

 

 


普通ではない目付き

2011年12月07日 11時55分43秒 | 思考試行

人相は、それぞれの体験で、感想をもつわけであるが、恐い人というのは、そういう顔をしている。本人もそれを自覚して、表情を作っているのだろう。やさしい顔をした恐い人は、本当に恐ろしいが、優しい人は、やはりやさしい顔をしていると思う。

目付きだって、どこがどう変わるのか、怒っているのは解るし、感動してもわかる。目付きが悪いというのは、相手を威嚇するときとか、油断しないぞ、とか人を馬鹿にしているとか、いずれにしても、油断ならない相手だろう。

見た目というのは、錯覚があったり、思い違いであったりするから、絶対ではないが、深く付き合わなくとも、経験をつんで、一瞬にして判断し、対応することは、人生における知恵だろう。

さしずめ一川さんは、どう見ても、そんなに悪い人にはみえないのだ。部下の発言、詳細は知らない発言、宴席への欠席、素人発言、そんなことは、辞任しなければならない理由にならない。

こういう些細なことを、あげつらって、辞任をせまり「寝ぼけたことを言っている」という石原幹事長発言の方が、寝ぼけている。その目付きたるや、付き合ってはいけない人のものである。

昨日のBSプライムニュースに出演した石破議員は、野田首相の任命責任を問う発言をし、自民党の憲法改悪にむけての意気込みを見せた。彼の目付きは、どこからくるのだろうか。強い思いがあるのだろう。戦争への道だって、なんだって、やるときはやる、という姿勢がアリアリではないか。これは、本当に要注意である。


政治家の質

2011年12月06日 10時55分23秒 | 思考試行

政治家は、選挙により選ばれて、はじめて活躍の舞台が与えられるのである。国民の目の前にたち、その考えを述べ、立ち居振る舞いをみせて、自らを売り込むわけで、たいへんな仕事である。

政治家には、本人に、夢や、希望や、やる気の根源ともなる思想がある向きと、利権にからんで、周囲に押されて、なる人もいるかもしれない。看板、カバン、地盤のある親の代からの人もいる。

いずれにしても、全生活、全人格が、公人として、晒されるわけで、いい加減な気持ちでは、務められない。大した人々であることには間違いないだろう。

ところが、政治家が軽んじられ、昔ほどはエラクはなくなったようにみえる。お互いが、相手の誹謗中傷に走ったり、国会で野次りまくったり、言葉遣いは丁寧であっても、そこには、相手を犯罪人扱いしたような侮蔑、軽蔑、人格無視のエゲツナイ質問を聞いていると、尊敬できる政治家など生まれようがない。

人を大事にしない傾向が、小泉政権のアメリカ流の自由競争原理を入れはじめてから顕著である。金儲けに熱心で、金儲けさえすれば、成功という浅薄な人間が、増えてきた。制度の改悪の効果で、貧富の差も歴然としてきた。

他人を大事にしない考えは、結局は自分にもかえってくる。自分を大事に考えることができなければ、夢も希望もない。大事に考えるとは、保身ということではなく、自分としての役割をきちんとこなそうということである。

やむを得ず、生活保護を受けるようになったとしても、捨て鉢になることは、当然ない。そこには、多くの教訓があり、役割がある。それを侮るような人間は、そんな低レベルの人間には、人間として生まれた甲斐がない。実は政治家、富者の大部分がそうなのではないか。


稲田朋美さんの質問の効果

2011年12月05日 12時04分10秒 | 思考試行

お年よりは、はるかに若くみえて、横顔など、「可愛い」し、ステキナ質問をされると思いきや、意地悪まるだしで、極めて攻撃的で、破壊的な救いがたい、大犯罪を犯しているかのように、野田首相、一川防衛大臣をせめたて、そのあとは、山岡大臣を攻め立てている。

こんな風景を見せ付けられて、政治家の世界はすばらしい、と誰もが思えるだろうか。質問者にも、とても好感を抱くことはできない。される方も、心外なことが多いだろうし、立場が変われば、逆なことが行なわれるだけだとすれば、議会制度なんて必要だろうかと思う。

建設的に、こうやろう、ああやろう、という話にしないと議会の魅力はない。彼女もまた弁護士である。右翼のバリバリである。右翼で、品のいい、建設的な人がいるのだろうか。なんだか、恐ろしげで、優しさなんか微塵もない口ぶりであって、戦前、戦中の左翼弾圧の歴史は、こういう人達の系列の人々が、実行したのだなと、実感する。

こういう人が、多数をしめれば、いずれ、他国と事を構えて、愛国心の名のもとに、戦争へと突っ走ることになるのだろうと、予想がつく。まったく、恐ろしいことだ。


ヒャッキンで発見したオモチャ

2011年12月04日 12時13分42秒 | 思考試行

ルービックキューブを、発見して、購入。テレビでみたように、クルクルと軽快にまわすことができないが、一応、まわるようにはなっている。

それで、始めてみると、なんと難しいことよ!

「インターネット先生」にお聞きすると、いろんなコツがあることが解った。テクニックが身につかないと、とても、6面をそろえる事は不可能と思われた。

まわりにくいものだから、少し力をいれると、外れてしまった。これ幸いと、全部ばらして、その上で、組み立てに挑戦する。構造が理解できると、親近感がわく。いつのまにか、かなりの時間を使っていたようだ。

時間を忘れて、いろいろトライをしてみる。結果的には、偶然のようにして、一面が揃ったのみであった。本格的な「実物」を探してみると、近くの「ライフ」にあった。2千円を越える。

しばし、考えたが、回しにくいとはいえ、回る。ちょっと、踏み切れなかった。しかし、考えは変わる。トライが簡単にできることは、すばらしい条件である。今度見たときは買うつもりである。


生きるよろこびと悲しみ

2011年12月03日 08時43分49秒 | 思考試行

年齢は、確実に高くなり、周囲の人にも、徐々に変化が現れる。元気でいつまでも続くと思われたのが、ある日突然に脳梗塞になったとか、脳出血があったとかで、日常生活は一変する。

平均的には、充分生きたと言われる年齢になっていても、相互の関係については、そうは変わらない。いつまでも、続くと思うのが誤りで、日々覚悟していなければ、ただ動揺するほか無い。

客観的な状況は、解っているつもりである。であれば、高齢者となっていくこれからについて、心して、人生の計画を立て直し、現実に向き合っていかなくてはならない。

維新の会は、役所を合理化して、そのうえで活性化をもくろんでいる。本当の足かせがどこにあるのかが、はっきりしていくのかもしれない。公務員の首切りをして、合理化して、単純に失業者が増えるだけであれば、景気がよくなるはずもない。高齢化社会にどう向かおうとしているのだろうか。

日本全体が高齢化し、少子化していく。若者達は、結婚もできない。先行きの見通しもたたない。こんな状況から、どう立て直していくのか、設計図が必要である。考え方一つで解決可能な問題とも思えないが、それでも、マイナス思考ばかりではなく、プラス思考で、あたらしい哲学が生まれそうな予感もある。

あるいは、結婚しない若者達は、何かを感じて、それを実践しているのかもしれない。旧来の形が守れないからといってそれが、破綻の始まりと思う必要はないのかもしれない。


建設的な意見と、文句をいうだけの意見

2011年12月02日 10時18分15秒 | 思考試行

自民党は、防衛大臣の問責決議を出そうとしている。部下の妙な発言に責任をとれ、という。何かないか、と探しまくって、理由付けをする。そんなことしか言えないのか、と思う。

思えば、自民党は、官僚のいうままに動くマルナゲ体質であったから、野党となれば、具体的に何をやりたい、というのはなく、単純に権力の座が欲しいだけ、のことであることがはっきりしてきた。

とりわけ管内閣に対しては、ひどかった。理屈ぬきの、無茶苦茶なイジメ路線を貫いた。マスコミもこれに追随した。日本という国は、相当レベルダウンしていると言わざるを得ない。

建設的な方向性を持って、意見を持ち、それを推進していこうというのではない。こんな政党に、長年政権を委ねていたのかと、いまさらながら驚く。

そうした意味で橋下旋風は、本当の中味は、実は、それほどはっきりしているとは見えないが、何かやろうとしてるということで、人気が出た。

その方向は、果たして建設的なのかどうなのか、大阪の地盤沈下が本当にブイ字回復するのか、それが日本の景気回復につながるのかどうかは不明だし、強権的な、恫喝的な姿勢は明確なだけに、その方に危惧を持つ。

民主主義が、理想ではなく、いろんな副作用をもっていて、衆愚政治に陥ったり、ヘンな方向へとすすむこともなしとしない。流れの行く末を見ていくほかない。


遊び

2011年12月01日 17時58分01秒 | 思考試行

仕事が遊びのようになれば、楽しみながら、収入も得られるということで、これはすばらしいと思う。そして、それは有り得ない話ではなく、意外にも、そうなっているケースは多いのではないだろうか。

困難な面や、苦しい面、辛い面もあるが、仕事は、大抵の場合は、人の役に立っているわけで、そのことに従事できることは、やりがいもあり、生きがいも感じられるはずである。

単なる、儲けの手段であったり、どうしても、イヤナ場合もあるかもしれない。そうであれば、その仕事は、仕事にしていいのかどうかを、疑ってみることだ。

世の中、まだまだ改善の余地は、いくらでもあるだろう。楽しみながら、仕事ができる世の中にしたいものである。

遊びが楽しいかどうかであるが、楽しくないものは、遊びとはいえないと定義するならば、世の中楽しくするためにも、もっと、遊びについて、考えてもいいのではないだろうか。